信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング) 作:A_Kaname
「チーズハンバーグステーキがお一つ、ミートボールスパゲティがお一つ、ムール貝のガーリックソテーがお一つ、十五穀米のローストビーフ丼がお一つ、シチリア風トマトドリアがお一つ、新鮮野菜のラタトゥイユがお一つ、シーフードミックスサラダがお二つ、ベイクドポテトがお二つ。以上全て
鼻筋に浮かんだそばかすがチャームポイントの、サンバイザー姿のウマ娘が、はきはきと歯切れよくオーダーを読み上げていく。
それを聞きながら、「今月はお財布が厳しそうだ」と僕は脳裏でぼやいた。
「ご注文は以上でお揃いですか?」
「ええ。これで全部」
「こちら伝票になります! それでは、ごゆっくりお召し上がり下さいなの!」
学生アルバイトらしいウエイトレスがきっちり三〇度のお辞儀を残し、配膳カートをゴロゴロ押して厨房に戻っていく。
それを見送ったのち、二人がけソファ席の対面に居並ぶ黒鹿毛と鹿毛のウマ娘に向き直った。
「ささ、二人とも。食べた食べた。トレーニングの後しかり、怪我の後しかり、筋組織の回復のためには良質な栄養を取るのが一番だぞ」
「……
二人並んだうちの鹿毛のほう――プリマエトワールは、テーブルの上を埋め尽くした大皿や
こんがりと焼き目のついたトーストに、ベーコン、レタス、トマトの薄切りが挟まったホットサンドが乗っている。ドリンクバーのカフェラテを添えて、おやつにちょうどいいくらいの
「最近羽目を外しすぎちゃってね。節約してるのさ。事の次第はそこのクレディ嬢が一応知ってる」
月末の請求が初任給の大半を食いつぶすであろうことは既に確定事項になりそうだった。
社会人になって初っ端だというのに、なんとも綱渡りすぎる家計管理だ。
流石にいかがなものかと思わなくはないけど、一応今のところ最大出費にあたる飲み代自体は回収してあるから、収支バランス的にはそれほど危うくはない。まだ助かる。
半ば開き直りの境地に立っていた僕は、特に気負うこともなく応じて、ウマ娘のうち黒鹿毛のほう――クレディカイゼリンに水を向けてみたのだが。
「ぇ……」
「む……」
彼女は笹葉耳をぴくりと動かして、何かを言い出そうとまごついた様子を見せたものの、結局眼前に並んだ料理の方に視線を落として黙りこくってしまった。
プリマエトワールはその反応を見てむっとした顔で眉根を寄せ、努めて
夕方のゴールデンタイムを迎えたファミレスには続々とお客が訪れる。オーダーをとる従業員の声やテーブルを囲む談笑によって、店内は時間とともに
さながらその一角にぽっかりと空いたエア・ポケットのように、二人のウマ娘の間には、場違いな沈黙とチリチリと張り詰めた緊張感が満ちていた。
「――なあ君たち、一体いつまでそうやってるつもりだい?」
付き合いきれんぜ、という言外の思いを言葉に載せて、テーブルの向こう側へと放る。
病院で顔を突き合わせてからというもの、この二人ときたらずっとこんな調子だった。
始めの方こそ、僕という全くの第三者が既にお互いにとっての知り合いだったという奇妙な偶然に驚きあっていたが、それも束の間のこと。
自らの願望に反して、予定していたレースへの出走を取り消して病院へ駆けつけたクレディカイゼリンのことを
自らの信頼に反して、怪我を負ったことを伝えもせず一切の連絡を封止していたプリマエトワールのことを
なのでウマ娘二人の首根っこを掴むような形で半ば強引に
その後も後席ではボソボソと小競り合いが続いていて、流石に目に余ったので「頭を冷やしなさい」と一喝した。
そうしたら返事の代わりに『グゥ』という腹鳴りが返ってきたものだから、ハンドルを握りながら盛大にズッコケてしまった。(車通りの少ない道だったことが幸いした)
聞けば寮の食堂は既に夕食の提供時間を過ぎてしまっているということで、飯だ飯、と急いで進路を変更、このファミレスのボックス席にたどり着いて今に至る。
「私は、自分のしたことを間違いだとは思いません」
「それを独りよがりって言ってるんでしょうが」
「怪我したって聞いて心配したのに、LANEの既読は付かない、クラスの子に聞いても誰も答えてくれない! あなたが私になにも伝わらないように口止めしたことだって、独りよがりじゃないの?」
「アタシの足が使い物にならないのはせいぜい数週間。アンタのは人生がかかってるんでしょ?」
「結果論でしょう、それは。不幸中の幸いで、治ればまた走れるくらいの怪我で済んだだけじゃない」
「へーいへい、選手生命が繋がって悪うございました」
「っ! ――そんな言い方無いでしょう!」
売り言葉に買い言葉でどんどんヒートアップしていく双方の言い分に、対面から耳を傾ける。
僕自身、今回の一件の当事者側であるからして、どちらの訴えも心情的には理解できる。
お互いがお互いのためを思って行動したことだからこそ、それぞれの思いを一概に
とはいえ頭ごなしに叱ってもわだかまりが残るだけだし、どちらか一方の肩を持つ訳にもいかない。
なので双方がそれなりに言いたいことを言って、程よく矛をおさめてくれればよかったのだが、ウマ娘たち二人の間に流れる空気が穏便な流れに向かう気配はなかった。
……どうすりゃいいの、これ。
『指導とは、
教職につくにあたって、研修で耳にタコができるほど聞かされたことだ。頭では重々分かっているつもりではあったけれど、いざその現場に直面してみると、本当に自分にこの子達を指導できるんだろうか……と、ただただ面食らうばかりだった。
彼女たちとおなじ年頃の自分はどうだったか。
振り返ってみると、今から考えてみればつくづくみみっちいイザコザで学友たちと
問題の大きさ小ささを自分の中の尺度だけでなく客観的に測れるようになり、それにかかずらっていることの時間と労力の勿体なさに気づいて、適当なところで手打ちにすることを覚える。
大人になるという事は、そんな割り切り方を覚えることなのかもしれない。
まあでも、いうて世の大人たちだって、個人間はさておき、集団のメンツが絡んで来たりするとすんなり手打ちにできるヒトばかりじゃないし……。
あいも変わらず火花を飛ばし合っている二人を眺めながら、そんなふうに黙想する。そして、自分に何ができるか考えを巡らした。
彼女たちの感情のぶつかり合いは彼女たち自身が
だが、その手続きが終わるまで悠長に待っていられるほど、時間は無限にあるわけではなかった。
しゃあない、とため息ひとつ吐いて――、
「いただきます――えい」
手を合わせ、フォークを取ってプリマエトワールの眼前にある皿をつつく。
「あっ! ちょっと! あたしのサラダっ――!」
抗議する声を何食わぬ顔でいなしつつ、ドレッシングのかかったレタスと小エビをホットサンドの傍らまで
「こっちも」
「えっ――あっ」
返す刀でクレディカイゼリンの眼前にある丼からローストビーフを一枚失敬する。
揃ってあっけに取られた顔でこちらを見やる二人に、首をすくめて見せた。
「ずるい言い方になってすまないけど、支払いは僕持ちだかんな。金欠でしゃあなしにセーブしてるが、喉も渇けば腹も減るんだ。さっさと食べないと~、自分たちの取り分が~どんどん少なくなるぞ~」
フォークをこれ見よがしにちょいちょいと突き出してみると、二人そろって
「っ……いただきますーっ!」
方や半ギレで。
「――いただきます」
方やひっそりと抑え込んだ声色とともに。
昼間の長さもだいぶ長くなってきているとはいえ、既に日も暮れて久しい。学園内にあるレースコースも閉場時間が迫ってきているような時間帯だ。
栗東寮長・フジキセキには一報して、寮の門限を猶予してもらっているのだが、学外活動の引率者の責務として、彼女たちを
空腹感があるのは事実だとはいえ、流石に子どもの飯を横から掻っ攫うような大人げないことをするつもりは毛頭なかったのだが。
とはいえ実力行使しないと両者テコでも動かなそうだったからなぁ。
そんな訳で強奪した一口分のサラダを口に含む。新鮮なレタスの歯ざわりに、プリプリのエビの身、そこに甘酸っぱいオーロラソースが効いてなかなか美味しかった。
「いくつか、僕からも良いかな?」
サラダをひととおり
「クレディ。君のもとにエトワールの怪我の情報が伝わらないよう、クラスの皆に周知することになったのは僕の指示だ」
「トレーナーさんが……」
「競技に臨むアスリートにとって、メンタルの維持は重要事項だろう。それもキャリアに関わる一戦を控えているなら、最重要視されて当然だ。だからエトワールの訴えに妥当性があると、そう判断した。君には余計に心配をかけることになってしまったけどね。……責任の一端は僕にある。申し訳なかった」
「……」
頭を下げる。黙ったままのクレディカイゼリンの視線が頭頂部に注がれているのを感じたのち、続いてプリマエトワールに向き直る。
「エトワール。今回のことは、二人がそれぞれその場の判断で思いやった結果、起こってしまった
「……分かったわよ」
眉根を寄せ、耳を絞っていた彼女がぎこちなく頷いたのを見て、ほっと肩を撫で下ろす。
「ありがとう。……まぁ、なんだ、食事にしようか」
とりあえず自分用に確保したホットサンドを一切れ胃の中に収めた後で、圧倒的物量差のあるウマ娘たちの食事ペースに合わせるためにちびちびとカフェラテを飲み進める。その間に、サラダを食べ終えてハンバーグの解体にとりかかったプリマエトワールがやおら口火を切った。
「色々訊きたいことはあるけど」
「――ぅん?」
「トレーナーのお財布が厳しいって、何で知ってるの?」
そこからかぁ。まあ気になるよな。
プリマエトワールに問われたクレディカイゼリンが、話していいか確かめるように目配せしてきたので、無言で頷いて先を促した。
とにかく何でも良いから会話の起点になればいいや、ってことで自分から提供した話題なので、
「飲み会のレシート、見たから」
「レシートぉ?」
「凄く長かった」
「長い?」
クレディは記憶を探るように首を傾げつつ、テーブルの上に置いた左手と眼前に掲げた右手の掌の距離で指し示す。
「ん……これくらい?」
「……な!? クビ差くらいあるじゃん」
「いやそんなにはない。せめてアタマ差と言ってくれ」
「どっちにしろなっが! 何飲み食いすればそんなんなるの?」
心の底から不思議そうな声色で言うので、財布の中に仕舞いっぱなしにしていた
決済品目を始点から下へ下へと追っていくにつれて、人懐っこそうな
「えぇぇ……うわまじ、……正気? トレーナー歳いくつ?」
「今年で二四だね」
「えぇ……大人って……えぇ……こんな金額見たことない……
「名誉のため補足いいすか。一応それ八人分まとめての会計だから」
「それにしたって頭割りしていくらよこれ……、よく月曜から勤務できたわね」
「あの時はなんというか、もう病人でしたよね」
「お恥ずかしながら」
「まさか、クレディがロードワークの途中で人助けしたってこのコト……? まじか」
エトワールの口ぶりから察するに、道端でくたばりかけていた要救助者を介抱したことは本人の口から伝え聞いていたようだが、それがまさか二日酔いの飲んだくれ相手だったとは思いもよらなかったのだろう。
コクコク頷くクレディを唖然とした顔で見やったのち、エトワールは目頭を抑えながら天を仰いだ。
やがてスゥーー、と長い息を吐いて俯いて、その後ゆっくりと瞳を開いた時には、それまでそこに浮かんでいた剣呑なプレッシャーは
「うん……まぁ、そうね。あんたが底抜けのお人好しだってこと、今までの付き合いで分かってたつもりではあったんだけど、認識が甘かったっぽい」
降参、と両手を挙げたのち、ナイフとフォークを手にしてチーズハンバーグをざくざくと切り分けはじめた。
鉄板の上でとろりと溶けたチーズをナイフで掬ってハンバーグの小切れにまとわせてぱくりと頬張り、幸せそうに口元を綻ばせる。
「はぁ~他人の金で
「ちったぁ遠慮しなさいよ。あとそのセリフはもうちょっとお高い肉に取っときなよ」
「ぷっ……ふふふ」
あんまりにもあんまりなエトワールの物言いに、思わずツッコミを入れてしまい、クレディがこらえきれずに吹き出して。
ボックス席の外から聞こえる喧騒が、ほんの少しだけ賑やかになった。
「二人とも、ゆっくりでいいけど、一応門限気にしながら食べてくれよ」
言い添えて、ブリーフケースからタブレット端末を取り出す。
というのも、さっきからLANEの通知が物凄い数になっている。
エトワールの足を診察して貰って検査結果を待っている間に、学園のほうでは色々とのっぴきならない事態が進行していた。
それとは別に、さしあたって
業務に手を付ける僕の対面では、
「エト、足の怪我はどうなの?」
「えむあーる?画像ではちょっと靭帯が傷ついてそうだけど、手術まではいらないって。しばらくは松葉杖突かなきゃ」
「そうなの……早く治りますように。必要なものがあったらいつでも言ってね。お風呂とか」
「お風呂は、最悪シャワーでなんとかなるかな。着替えはしばらくのあいだ手伝ってくれると助かる。それはいいけど――」
ベイクドポテトの載せられたスキレットを、下敷きの木皿ごと引き寄せつつ、エトワールが語気を強めた。
「これからどうするつもりなの。選抜レースすっぽかして。次の出走登録は二ヶ月先でしょ? 本格化が来たらすぐにでもレースに出たいんじゃなかったの?」
「……」
「もしかして、すっぽかした後のこと、考えてなかった?」
「そんなことは……いえ、……うん」
「呆れた。その場の考えで突っ走りすぎよ」
「ごめんなさい……」
「クレディ、あんたねぇ――」
「ストップストップ。その辺にしとかないと、また横からつまむぞ」
会話の風向きが少々怪しくなってきたので、両者の視界に入るようにフォークをちらつかせる。
ばっ、と自前の皿を腕でガードするエトワールと、僕と最初に出会った時とは立場が真逆に、すっかり恐縮した様子のクレディの双方を牽制しつつ、僕は間に割って入った。
「クレディ、君が出走を急ぐ理由について、できれば教えてほしい。キャリアを早く積み上げたい気持ちは分からないではないけど、急がば回れ――ここはあえて鍛え直して出直すっていうのも――」
「それじゃ駄目なんです!」
僕の言葉を遮って飛び出した言葉は、予想外に鋭く、力強く響き渡った。
ボックス席の外側から聞こえる喧騒が、冷や水を差されたように一瞬だけ静まり返る。
すぐ横に居たエトワールは首を竦めて耳を手で押さえながらも、びっくりした顔で廊下を挟んだ向こう側の席からこちらを覗き込んでくるお客さん方にひと通り会釈をしてから、しかめっ顔とともに向き直った。
「理由を言いなさいよ、理由を」
「……早く結果を、出さなくちゃいけない……から」
「答えになってない」
消え入りそうな声を漏らして、しゅん、と体を縮こまらせたクレディと、それをチクリと横合いから刺すように、冷ややかな目で睨んでいるエトワール。
あまりここを深堀りしすぎるとまた二人の仲が険悪なものに巻き戻ってしまいそうで、僕は仕方無しにため息をつきつつ先を続けた。
「まぁまぁ、事情があるのは分かった。今日知りあったばかりの相手に、何でもかんでも話せるワケじゃないだろうし――ま、見て」
両者を宥めつつ、タブレット端末を両者から見える位置に広げる。
そしてとある文書ファイルの一ページを表示しながら告げた。
「キミの選抜レースのことだけど、やりようによってはまだチャンスがあるかもしれない」