信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング)   作:A_Kaname

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むすめはみんなぱっぱかはしる


幕間 / Step by Step

 

 

 

「おいーす」

 

 教室入口の引き戸をがらりと開けたその瞬間、何やら騒がしげなクラスの空気が耳につく。

 ほんの少し胸のざわつき感じながらも、ナイスネイチャはいつものように気安く片手を上げた。

 既に教室内にはまばらながらクラスメイトたちがいて、何人かが廊下ぎわの席に額を寄せあって何やら話し込んでいた。そのうちの一人――芦毛のウマ娘が、声につられて顔を向ける。

 

「あっ、ネイチャ!」

 

 その声が呼び水となって、その他のメンツも一斉に注意を向けて彼女の元へと歩み寄ってくる。

 

「おうおうおう……何ざんしょ?」

 

 ナイスネイチャがスクールバッグを自席に降ろすのもそこそこに、クラスメイトたちは心配そうな面持ちで切り出した。

 

「昨日のエトの怪我、結構酷かったって聞いたんだけど、大丈夫かな?」

「手術になるかもって、本当?」

 

(んんー? 滅多なこと言うなってネイチャさんの言いつけを聞かなかった子がいるっぽいね……)

 

 彼女たちが気に留めているのは、ほかでもない、つい昨日の体育の授業中に起きたプリマエトワールの怪我の容態だった。

 現場となった体育館にはクラス全体の四分の一くらいの頭数がいたが、当人たっての希望で具体的な顛末が伝わらないように(他ならぬネイチャたちが)周知していたため、『詳細はわからないが怪我をしたらしい』という情報だけが独り歩きしてしまっているようだった。

 

「いつの間にそんなところまで話が大きくなってるのさ……。人の口にはなんとやら、か」

 

 しきりに気を揉むクラスメイトたちをなだめつつ、スマホを取り出してLANEを開く。

 そしてつい先程自分が送信したメッセージに問題なく返信が寄せられているのを見て、「おっ、よしよし」と呟いた。

 それと前後して、廊下の先からギシギシ、カチャカチャという金属音が次第に教室の方へ近づいてくるのを彼女のウマ耳が捉える。

 

(タイミングバッチリじゃん。これなら、収拾つけるのはそんなにワケないかな)

 

 ドアの前で金属音が止まる。確信を得たネイチャは、そそくさと教室入口の引き戸に駆け寄って手をかけた。

 

「そんなに気になるなら、本人に聞いてみなよ。ほら――」

 

 がらり、と音を立てて開け放つと、そこには自分たちと同じくすみれ色を基調としたセーラー服に身を包んだ、白い耳カバーにシニヨンヘアのウマ娘が居て、

 

「――おっはよーう!」

 

 まるで怪我を負っていることなど感じさせないような(ほが)らかさで、間口から大きく手を振った。

 添え木(シーネ)で固定された左足を地に着けさせないよう、体重をかけられた松葉杖がギシと鳴いて合いの手を入れる。

 

「うぉあぁぁ! エト! 良かった、聞いてたより元気そうじゃない!」

「心配したよー!」

「さっきまで、入院になってたらお見舞いに何持っていこうかみんなで話してたところよ」

「や、や、こそばゆいからやめてって。ちょっと見た目があれだけど、そんな酷い怪我じゃないから。ほらほら――」

「ちょ、やめてエト――!」

 

 包帯で固定された足を優雅に掲げてアラベスクを決めようとしたその瞬間、その場にいたウマ娘たちが文字通り総出で止めに入った。

 片足が使えないことすらハンデにもならないと言わんばかりのバランス感覚だ。

 さすがバレエ経験者と納得するばかりだけれど、みてくれは精神衛生上非常によろしくない。

 

「『エトは無事登校しました。来たそばから無茶をやりだしかねないんで、安静にするようみんなで目を光らせておきますね』っと、送信」

「なによもー、みんな心配性なんだから。松葉突いてるんだからこんなの補助輪付きの自転車みたいなモンじゃん」

「見てるこっちが怖くなるからやめて」

 

 過保護に扱われたエトワールはぶーたれているが、せっかく捻挫だけで済んだところなのに、追加で怪我なんてされたらたまったものではない。

 ネイチャは、つい昨日交換した小椋(おむら)トレーナーのLANEにぽちぽちと打ち込んで報告した。

 救護にあたらなかったウマ娘たちには箝口令(かんこうれい)を敷くことになったが、ナイスネイチャ、イクノディクタス、マチカネタンホイザの三人のもとには、受診中の経過に寄せたメッセージが飛んできていた。救護に付き合わせたからには経過を報告しない訳にもいかないだろう、というのは彼の言だ。

 アスリートらしく朝型生活を旨とするウマ娘たちの就寝時間を慮ってか、途中から『返信不要』という文言が差し挟まれつつ連投されたコメントは、日付が変わる頃まで細々と続いて『この度はご協力ありがとうございました』という一言で終わっていた。

 

「……ねえネイチャ」

「ほいほい」

 

 横合いから呼びかけられて、ナイスネイチャはスマホの画面に落としていた視線を上げる。

 最初に声をかけてきた芦毛のウマ娘が、目配せしてちょいちょいと耳を震わせた。

 意図を察して彼女の口元に耳を寄せる。

 

(喋っちゃいけないってネイチャたちが言われてるのはわかるけどさ、なんか今日のエト、ちょっとおかしくない?)

(そう? もともとあんなじゃない?)

(確かに笑いを取りに行ったりすることはあるけど、あれじゃ目立ちたがりのウマトッカーみたいじゃん)

(ただの悪口、それ)

(確かに言い過ぎかもしれないけど……、なんかこう、空回っているっていうかさぁ……)

(……それは)

(実は怪我が結構重症――)

(あー、それは違うみたいだから、安心して)

 

「――エト! 結局全治どのくらいって言われたの?」

「順調なら二週間だって!」

 

「――だってさ」

(まぁ、トレーナーもついてこれからってときに怪我したんじゃ病むでしょうよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

(……ごめん、変なこと思い出させて)

(気にしなさんな)

 

 芦毛のウマ娘がプリマエトワールを囲むウマ娘の輪の中へと戻っていくのを見送ったものの、ネイチャとしても彼女の言い分がわからないではなかった。

 起こらないことに越したことはないが、怪我そのものはレースウマ娘にはつきものだ。二週間という治療期間は怪我全般の中ではそれなりに短いものではあるとはいえ、生活の上では確かに不便だし、何よりトレーニングが滞ってしまう。

 

(まあでも、将来について思い詰めるほどの重症度か? っちゅーと、そうじゃなさそうだよね)

 

 というのが、小椋(おむら)トレーナーから伝え聞いて、ネイチャが抱いた感想だった。

 であれば、怪我とは何か別のことでトラブルでもあったのだろうか。

 

(それにしてもトレーナーからのLANE、やたら間隔が短いわりに最初と最後で診断が全然違くない? よっぽど慌ててたのかな……)

 

 トーク履歴を上からスクロールして、そちらの方にもまた別のひっかかりを覚えながらもネイチャは『お疲れ様でした』と頭を下げるキャラクタースタンプを一枚タイムラインに貼り付けた。

 

「エトちゃん、おはよー!」

「昨日はありがとね、マチタン。今度お礼させて!」

「ダイジョブダイジョブ、お構いなくー。お大事にー」

 

 聞き馴染みのあるほわほわした声がネイチャの耳に届く。

 キャスケット帽の天井に開けられた大穴からのぞく右耳をピコピコと上機嫌に震わせつつ、マチタン――マチカネタンホイザがやってきた。

 

「ネイチャも、おっはよー!」

 

 その人懐っこい笑みを浮かべる顔のど真ん中には、つい昨日軟式テニスボールがかなりの剛速球でめり込んだ後ではあるが、(あざ)のひとつもなし。

 幸いにして、年頃の乙女の柔肌に傷が残るようなことなく済んだようだと知って、ネイチャはほっと胸をなで下ろす。

 

「――いやいやアタシはお母さんか!」

「へゃ???」

 

 セルフツッコミを入れたのち、気を取り直して首をかしげるマチカネタンホイザに向き直る。

 

「おいっすー、おマチ。鼻血はもう出ない?」

「うん! まるっと元通り! これで今日も練習いけるよ! むんっ!」

 右肘を曲げ、やわっこい二の腕に力こぶを作って気合十分、まさしく全快といって良い様子の彼女に、「うむ。よろしい」と頷き返す。

 

「もうすぐ皐月賞だもんね。今日の午後も併走、付き合ったげるから頑張んなさい」

 

 そう言って、ネイチャはタンホイザに柔らかく微笑みかけた。

 中山レース場で開催予定である、クラシック三冠レースの初戦――"皐月賞"。

 トウィンクルシリーズに出走する競争ウマ娘たちにとって、一生のうち一度しか出走することの叶わない、世代限定戦にしてその頂点を決める戦いのひとつである。

 ちょうど一年前の今頃、ネイチャは年初から悪化した左足骨膜炎(ソエ)の治療に専念しており、三冠のうち"皐月賞"と続く"日本ダービー"の二つの大レースへの出走を、涙を呑んで見送ることになった。

 本番のレース中継を見ながら感じた、内側から身を焼かれるような悔しさも、包帯を巻いた足のことなどさっぱり忘れて駆け出してしまいそうになる衝動も、彼女の胸の奥底にずしりと重く沈み込んで、月日を経た今も(くすぶ)り続けている。

 二つのレースのそのどちらもに鮮烈な蹄跡を残した、強大すぎる同期のウマ娘(帝王)の存在とともに。

 

 ――だからこそ、というのは筋違いなのかもしれないけれど。

 クラスメイトであり、同じチーム『カノープス』のチームメイトでもあり、一世代下の後輩でもあるタンホイザには、先達として思う存分胸を貸してやりたかったのだった。

 不完全燃焼のまま燻っているその火種に、正面から向き合えないでいる自分が抱くその気持ちは、我が身可愛さから出たエゴなのかもしれないけれど。

 自分自身がついぞ追いきれなかった()()を、彼女には満足のゆくところまで追い続けてほしかった。

 

「にへへー。ありがとネイチャ。よろしくね!」

 

 ほわふわ、ふわふわと。

 タンホイザはそんなネイチャの心中を知ってか知らずか、花開くような柔和な笑みを浮かべていた。

 

「……話は変わるけどさタンホイザ、なんで夏服なの?」

「あっ、バレちった……。昨日寮にもどって鼻に詰めてたティッシュをとったらね、でぇっかい血の塊がこう、ぼとっと」

「あちゃー、汚しちゃったわけだ。だめだぞー、ちゃんとシミ抜きしとかないと」

「大変だったよー。大慌てで美浦寮までダッシュしてヒシアマさんを拝みたおして……、ともあれ夜のうちに乾かなかったので、一足お先に夏モードのおマチちゃんです! きらりん!」

「まぁ、ここ最近は日中あったかいからね、雨さえ降らなければ。レース当日も晴れるといいね」

「ねー。……そうそう、色々あったあとでフクちゃん先輩がね、私が鼻に詰めてたティッシュの血染みで皐月賞の運勢を占ってくれようとしたんだけど、ばっちいからやめてーってゴミ箱にぽいしてきた」

「うげ……なんかそれはおどろおどろしい奴じゃん。占いとかお(まじな)いじゃなくて、(のろ)い系の間違いじゃない?」

 

 そんな他愛もない世間話で笑いあい、テストやレース、その他のちょっとした出来事に一喜一憂する。

 彼女たちウマ娘にとっては、かけがえのない日常の一(ページ)だった。

 

 

 

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