信の標の彼方まで / 生き急ぎ系ウマ娘と新米トレーナーの競走記録(デブリーフィング) 作:A_Kaname
「私からいくつか、質問をしてもよろしいかな、
一同に訴えるため立ち上がっていた僕の目線よりも、ルドルフの視点はやや低いところにあった。
だが、こちらを真っ直ぐに
――まいった。議論の雲行きが悪くなる気配しかしない。
今まで静観している様子だったからつい警戒対象から外していたが、こちらにはもう出せる隠し玉などなかった。
さりとて向けられた質疑を拒否することが許されるはずもなく、僕は内にじっとりと嫌な汗が滲んだ拳を握りしめ、無言で頷き返して先を促した。
「この会の開催前に、少々時間が設けられたのでね。君の人となりについて、個人的に何名かから、話を聞かせてもらった」
そう前置きをして、ルドルフはウマ娘の名を数人分
他の面子はそれを聞いて戸惑っているが、僕にはどれも聞き覚えがある。というか、勤務初日に学科の体育の授業で指導にあたった子たちの名だった。
「君の指導力が中央トレーナーという肩書にふさわしいものであることは、彼女たちからの聞き取りで十分理解できた」
「それは、……光栄なことですね」
おいおい。この会議の参加メンバーが決まったのは今朝だぞ。
授業も生徒会の業務もあるだろうに、たったの六時間の間に僕自身の裏取りまで済ませたっていうのか。
あまりにもフットワークが軽すぎるだろ。
そんな驚愕を内心に潜めつつ投げ返した曖昧な笑みは、彼女の鉄仮面にぶちあたって無情にも弾き返された。
「ただ、時に君は、彼女たちからとあるウマ娘の動向について情報を得ていたと聞く」
ルドルフの
その姿形は年若い少女のものでありながら、どこか異形の存在にも思えるイキモノの思念を帯びているかような錯覚すら覚えた。
異様なプレッシャーに、ぞくり、と肌が泡立ち、背中を冷たい汗が伝う。
「名前は、そう。クレディカイゼリン」
厳然とした声色で挙げられたその名前はまさに議論の渦中にある彼女のもので、その一言は会議室内をどよめかせるのに十分だった。
「君は現在、担当ウマ娘を持たないフリーの立場だと聞いている。それゆえに、自らの力量を存分に振るえるような生徒を欲していることは想像に難くない」
ルドルフは
覆しようのない事実と、そこから飛躍することなく地続きに展開される推察を。
「クレディカイゼリンが
彼女が言葉を紡ぐたびに、部屋の空気が五度、十度と急速に凍てついたものに変わっていくかのような感覚。
本能が声高に
「――そう、疑ってしまうことは、私の立場上の責任でもある。如何かな、
「……もしそれが事実であるのなら、尚更競技課としては許容しがたいことです」
「疑念っ、……どうなのだ、
競技課長と理事長の声が、一枚ガラスを隔てた向こう側から発せられているかのようにくぐもって聞こえた。
そちらに視線を向けようにも、目を離せない。離せるはずもない。
アメジスト色の瞳はまっすぐに、揺らぐことなくこちらの姿を写している。
蛇に睨まれた蛙のように、頭の角度をほんの1度たりとも動かすことすらできない。
彼女の視線に絡め取られ、導かれるまま、
自問するたび、己に対する疑念が深まっていく。
自問するたび、問いに対する答えが形を失っていく。
それは本当に、彼女のためを思っての行動か?
今までの己の行動を思い返して、そこに至るまでの期待や落胆、驚愕や困惑を思い返して。
『私は、自分のしたことを間違いだとは思いません』
純粋すぎるほどに生真面目で、退くことを知らないような、少女の声が聞こえた気がした。
いつの間にか、アメジストの背景に映る虚像は、笹葉耳の突き立った黒鹿毛のウルフカットに変わっていた。
その姿かたちが記憶の中にあるクレディの姿と結びついて、
そうか。――そうだよな
腑に落ちた。
かたや自主トレーニングの行きずりだというのに、見ず知らずの成人男性に手を差し伸べる。
かたや自分のキャリアを損ねる危険も顧みず、親友のアクシデントに駆けつける。
受けた称賛を素直に容れることはなく、一方で厚意を無遠慮に払いのけられても意志を曲げることはない。
何が彼女を
そんな
好ましいものだと、何がしかの形で報われて欲しいと、そう思ったのだった。
だからこそ、一人のトレーナーとして――――、
「――確かに、ほんの……些細なことから
一息に息を、深く吸って、吐く。
その一行動でもって、逃げに傾いていた本能に首輪をはめて、理性のもとに引きずり寄せた。
――これは、僕以外にできないことだから。
アメジスト色の眼光は相変わらず針のように鋭かったが、もうそれきり僕を縛りはしなかった。
す、と一瞬目を閉じて、頭の中で文章を組み立てる。
力みは要らない。余計な情報も要らない。
感じたまま、思うままを訴える、それだけでいい。
心に決めて再び目を開ければ、驚くほど滑らかに口が回った。
「クレディカイゼリン本人の
一呼吸おいて、会場全体を見渡す。
その場にいる全員の視線が注がれていることを目の当たりにして、否応なしに心拍数が跳ね上がる。
呼吸を整え、上ずりかけた声を抑え、強まりすぎた語調を適度に弱め、つい先走ろうとする言葉の速度をあえて落として、一言一句を明瞭に。
「専属トレーナー契約は、ウマ娘本人とトレーナー、双方の合意のもとで結ばれるものです。私自身が彼女に選ばれようと願っても、本人が同様に考えてくれる保証はない。なにせ経験も知識も豊富なベテラントレーナーのほうが、学園内では圧倒的多数ですから。そして私は、彼女の自由意思を縛るつもりなど元からありません」
眼の前に居並ぶ学園の重鎮たち、皆が抱いているはずの
ウマ娘の育成に関わるものとしての理念、矜持、信条。
トレセン研修生時代に叩き込まれたイロハの知識は、この学園に籍を置く者たちに共有された原理原則にほかならなかった。
一同を見回す。
頷くもの。互いに目配せし合うもの。腕組みをして黙考するもの。
手応えはいい。
だがまだ、足りない。
事前に用意した論理や主張はとっくの昔に弾切れで、僕の言葉はもはや自分を構成するパーツ――中央トレーナーとして抱えた熱情を鋳潰し、再整形して撃ち出しているような有り様だった。
知恵熱で軋んだ痛みを発しはじめたこめかみの辺りを揉みしだき、ポケットの底を浚って、ひっくり返して。
「己の
最後に転げ落ちてきた譲れない一線を、無造作に掴み上げる。
「――どのような懲戒も甘んじて受ける"
一息に言い切って、僕は発言を終えた。
シンボリルドルフは胸の前で腕を組み、それをゆっくりと咀嚼するかのように数瞬の間、瞑目する。
再び見開かれたアメジスト色の瞳には、
「――――たとえば、君自身の進退に関わるような処罰を受けるとしても?」
もはや凶器じみたプレッシャーを宿した視線が僕を射抜く。
生存本能が最大強度の警報を鳴らし、シャツの下で
やや視点の低い位置から投げかけられる彼女のまなざしを、真っ向から迎え討つ。
「ウマ娘を導くトレーナーとして不適格であると、そう裁定が下されるのであれば」
ファイティングポーズを取りつつも、自分でも驚くほどに、肩肘の力が抜けた自然体の声が出た。
なんともまあ、気取った物言いだろう。
自分に酔っている、と言われても何も申し開きはできないが。
自分を
酔って笑うくらいしか、できるはずもないじゃないか。
はたして、
「――――はっ、はははははっ!」
先に笑みを浮かべたのは皇帝・シンボリルドルフのほうだった。
やれやれ参った、と言わんばかりに肩をすくめ、大きく息を吐く。
「
「――そ、阻止ッ! それ以上はいかん、ルドルフ会長!
カツン、と鋭い打撃音が響く。
秋川理事長が閉じた扇子の親骨を机に勢いよく打ち付けた音だと遅れて気づいた。
それに促されるように、シンボリルドルフの声色はさきほどまでとは打って変わって穏やかなものになり、物腰柔かに一同に向けて深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、秋川理事長、皆様。
「……こちらも、お見苦しい真似をして申し訳ありません」
僕とルドルフが二人して会議をひっかき回したことをそれぞれ最敬礼の姿勢で謝意を示したのを見て、秋川理事長はほう、と安堵のため息をついた。
「傾聴ッ! して、ルドルフ会長、この一件に関してどう考える?」
「今の問答を経て、私の意見は決まりました」
自信に満ちた満足げな表情を浮かべる彼女に僕を含む会議室の皆が注目し、次の言葉を固唾をのんで待ち受けた。
咳払いをひとつ残して、ルドルフは答えを述べる。
「疑わしきはウマ娘の利益に、と言うと少々語弊がありますが……。クレディカイゼリンの公欠を認め、選抜レースへの追加出走登録を許可するべきであるという
これ以上無く明確に、そう言い切った。
黙礼して席に着く刹那、彼女は僕に向き直りつつ、薄く、ほんのごく僅かに口角を引き上げてみせる。
一瞬遅れて言葉の意味が理解できた僕は、驚愕のあまり叫び出しそうになるのを抑え込みつつ、心強い味方を得た安堵感とともに、改めて居住まいを正す。
「ご一考を、お願いします」
そう言い添えて、最敬礼の姿勢を取った。
机の上に伸びた電灯の影の動きから、競技課長が大きく伸びをして、メガネを取ってまた眉根を揉み込み始めたのが見て取れた。
「多数決で決めるべき案件ではない、というのが競技課としての見解ですが……どうやら、
「肯定ッ……だがしかし、……事実ッ、これは競技運営の根幹に関わる問題であることは明白ッ!」
すこし諦めのまざった声色で現状を分析する競技課長に応じながら、秋川理事長はううむ、と唸り声を上げつつ腕組みをし、
そうして今度こそ、完全な沈黙が会議室を支配した。
冷風を吹き下ろす空調と、壁に掲げられた時計が時刻を刻む音が、いやに大きく聞こえるひとときの後――。
◆
「保留ッ!」
曰く、関係部署と連絡を取って早急に結論を出すので、各位は普段どおり職務に励んで欲しい。
そう言い残して、秋川理事長とたづなさんは足早に理事長室へと戻って行った。
続いて退出していく養護教諭の先生、競技課長、生徒会長。
彼らを一通り最敬礼とともに見送った僕は――、
会議室の後片付けをしていた。
なんてったって、部屋に集まったメンツの中では一番の下っ端なので。
「――まさか人生初の"始末書"をこんなに早く書くことになるなんてなぁ」
半ば自首したようなものだけど。
ぼやきつつ、机や椅子を壁際に向けてひっぱり回し、会議の内容を振り返る。
思い返してみれば途中からは寿命がいくらあっても足りないような場面ばかりだったし、冷静になってみればこっ恥ずかしい物言いでまた新たな黒歴史を乱造しただけのようにも思えるのだが。
何にせよとりあえずこちらの要望は訴えることができた。
しかし急造品の資料と、同じく急造品の理屈しか武器を用意できなかったことは悔やんでも悔やみきれなかった。
もう少し正当性のある理由付けができれば、理事長も
とはいえ理論武装している間に選抜レース期間が終わってしまっては元も子もない。なにより、新米社会人がひねり出せる程度の付け焼き刃で、歴史も実績も兼ね備えたルールブックにケチをつけられるとも到底思えなかった。
「競技課長には後でもう一度謝っておくか……、内心嫌われてそうでやだなぁ」
彼の気難しそうな顔が頭に浮ぶ。
当面しわ寄せを受けることになる立場にいるのは間違いなくあのおっさんだ。
こちらの要求が受け入れられると決まったわけではないが、もし通れば、既に予定の決まったはずのレースに追加の出走者をねじ込む手続きが必要になる。
学生への告知に、出走表の作り直し、関係部署への連絡などなど、本来必要なかったはずの余計な手間を取らせてしまうことは想像に難くない。
今度菓子折りでも持って頭を下げに行くとしよう。確かこういう時にはバウムクーヘンとか羊羹が良いんだっけ?
ここのところ散財続きで来月以降の資金繰りが怖くて仕方ないが、是非もない。
ああすれば、あるいはこうすれば良かったのか、という後悔を頭の中でぐるぐるこねくり回しながら、箒で床を簡単に
「……できることはやった。そう考えるしかない、か」
学園備品のプロジェクターを小脇に抱え、ブリーフケースを肩掛けにして、誰にともなくそうボヤきながら会議室を後にした。
その瞬間。
「
「――うぇあっっ!」
横合いから投げかけられた声に驚いて、反射的にプロジェクターを投げ出しそうになるのを慌てて胸に抱きとめた。
声の方に首を巡らしてみると、すみれ色のセーラー服に身を包んだ月紋流星のウマ娘――シンボリルドルフが壁を背に立っていた。
つい先程の会議で見せた――語弊をおそれずに言えば殺気立った気配はすでにどこへやら。柔和で落ち着いた微笑みをたたえた、気さくで頼りがいのある生徒会長然とした佇まいだった。
「失礼。ひとまずはお疲れ様と声を掛けたかったのだが、驚かせてしまったようだね」
「……いや、そんなことは、あるけど」
幸い実害があったわけでもなし、文句を言うのは筋違いだ。
それよりもまず先にと、胸に抱えたプロジェクターが
「さっきはどうもありがとう。こちらの意見に賛成して貰えて、千人力を得た気分だったよ」
「それは重畳。お役に立てて何よりだ」
何を繕うそぶりもなくそう述べて、ルドルフは破顔した。
落ち着いた気品のあるアルトボイスは、会議室で聞いたものよりもずっと穏やかな音色で響いていた。
ルドルフが学内で居室としている生徒会室は、僕がプロジェクターを返しに行く道すがらにあるということで、しばしの間彼女と歩調を合わせることになった。
リノリウム床の上を進む革靴の音がふたつ、パラパラとまばらにリズムを刻む。
さっきの会議で一年分くらいの冷や汗を掻いた気がするけど、汗臭くないだろうか、とか。
沈黙に飽かせてそんな脈絡のないことを考えてしまいつつ、居心地悪さに押し出されるように口火を切る。
「正直なところ――」
予想外に上ずった声が出て、気まずさから咳払いを一つ。
視界の端で柔らかい鹿毛に包まれた笹葉耳がふるりと震えるのを見て、先を続けた。
「あの場で、あの答えを聞いて、どうして君がこちら側に付いてくれたのか、よくわからないんだけど?」
「どうして、か。理由は一番最初に述べたつもりなのだがな」
「?」
「"覚悟"さ。君はハナから、処罰を受けることは折り込み済みだったのだろう?
「――」
再びうなじにゾクリとしたものを感じ、絶句する。
その指摘は、会議では
「……どうしてそうだと?」
トボけるのは却って墓穴を掘る結果になりそうだと直感的に思い至って、我ながらとても歯切れ悪く絞り出す。
相手はG1七冠を頂く生ける伝説のようなウマ娘。
こと勝負事に関するセンスや嗅覚といったものは常人のソレを遥かに超えているであろうことは疑いようが無かった。
「体育科の記録に残っているクレディカイゼリンの競争データ、当日の選抜レース開催時程、天候、それと学園から病院までの道路状況や交通量……。あの辺りは私自身もロードワークでしばしば回っていたものだ。手持ちの情報を突き合わせることくらいはできる」
否定も肯定もしなかった僕に、ルドルフは根拠となる見解を片端から並べていった。
彼女の言う事は正しかった。
――時系列を整理する。
僕が救護をはじめたちょっと後、『プリマエトワールが怪我をした』という初報が出回った。出どころはバスケットボールをやっていたメンバーからだ。
助っ人ウマ娘三人に情報統制を依頼したわけだけど、困ったことに情報の囲い込みに出遅れた。
保健室にエトワールを連れて行くのと、何よりタンホイザ本人の処置もあったので、コレばっかりは仕方ない。
ファミレスの席で本人から聞き取ったところによると、初報を聞いてすぐクレディは学園を飛び出していたのだという。
エトワールの怪我に関する情報に尾ヒレ背ビレが付いて、だんだんと話がデカくなっていたのが、クレディが病院に到着した頃。
僕の指示を受けた三人が、クラスLANEで飛び交っていた「入院」だとか「手術」だとかの不穏なワードをモグラたたきよろしく処理しはじめたのが、ちょうど僕らが飯を食っていた時分。
――という流れになる。
つまり、クレディ自身は
そうなると、『情報管理の不徹底さに関して僕がペナルティを負うことと引き換えに、彼女の選抜レース出走を認めてもらう』という今回の交渉は前提条件からして成り立たないことになる。
会議中、僕はあえて一連の時間経過についてはなるべくボカすようにして、その事実を意図的にブラックボックス化させて報告した訳だが……。
「足りないピースは君が丁寧に補完してくれた。……そこからはほんの些細な推論さ。状況証拠の積み重ねによる、ね」
そう事も無げに言いながら、シンボリルドルフは手に持った紙束――先程の会議のために、他ならぬ僕が夜なべして作り上げた資料をひらひらと示した。
無理くり引き伸ばして解像度を粗くしたLANEのスクショでも、添えられたタイムスタンプを見れば、判別しづらいなりにウワサが広がっていく時間経過は推測できるものだった。
ルドルフの推理は、さながらこちらの
旗色が悪いことを察した僕は、手を掲げて降参の意を示す。
「……目的のために手段を選ばないトレーナーは、中央トレセンには不適格?」
ため息とともに、問い返す。
それはまるっきり、先程の会議室で交わした問答の再演。
気分は取調室で自白する下手人のそれだった。
あいにくここには美味しそうに湯気を立てるカツ丼なんて無いが。
「事と次第によっては。だが先程も言ったとおり、今回の件について、その是非を判断する立場にあるのは私ではない。――なに、萎縮する必要はないさ。私はあの場で君が示した"覚悟"を信じてみると、既に決めたのだから」
そう言って、ルドルフは資料を四つ折りにしてポケットにしまう。
こちらの予想に反して、テレビドラマで見る
だが、それでも彼女の瞳の奥に眠る意志の光は曇らない。
足早に僕よりも数歩前に進み出て、くるりとこちらに向き直ると、人気のない廊下の途中で立ち止まった。
「だが、あえて手段を選ぶ余裕を失わせるほどに君を駆り立てたものは、一体何だったのか。それを知りたいと思うのは不自然だろうか? 果たして君はこの交渉で何を得るつもりだったのかな?」
あれだけの啖呵を切ったからには、よもや
そう続けて、アメジスト色の
会議中とは打って変わって、そこに秘められた感情は
だが幸い、ウマ娘の身体にはヒトの持たざるパーツがいくつかあり、それらは時として喜怒哀楽の表情変化よりも雄弁だ。
そして、思春期という多感な時期にある彼女たちと共に過ごす僕達トレーナーにとって、それらの所作から持ち主の内面を判読することは一種の基礎教養にほかならなかった。
パラボラ型の断面をまっすぐこちらに向けてピクリとも揺らぐことのない両耳は、対象への興味の発露と注目。
すらりと伸びた両足の後ろに見え隠れする尻尾は柱時計の振り子のように規則正しく揺れており、少なくとも激情に駆られている様子はない。
廊下を進むこちらに正対して通せんぼ、というわけではくやや斜に構えた姿勢ではあるが、こころなしか利き足を引いて重心を落とした立ち姿。
さながらどっしりと根をはった大樹を思わせる揺るぎなさで、この先答えなくして進むこと
スフィンクスの謎掛け。
そんな連想がポッと脳裏に浮かぶ。
だが問い自体は
それならばと、こちらも真っ向から応じる。
たとえ手段が偽証で塗り硬められたものであっても、僕が求めたものはただ一つ――、
「
「それにしては随分と、分の悪い賭けのようだったが」
「手札が弱いときはレイズする主義なんでね。自分の手元にチップが残ってる限りは」
「勝負師だな、君は」
「……そんな御大層なものじゃない」
混ぜっ返すように投げかけられた人物評を、頭を振って否定する。
首を横に捻って見ると、まだそれほど高く登らない春の陽光が窓を通して僕の視界を
手のひらを庇にして、窓から見えるトラックコースを伺う。
紅白のジャージに身を包んだウマ娘たちが、芝で、ダートで、坂路で、あるいはウッドチップの上で、それぞれの走りを磨いている。
彼女たちは走り続ける。瞳の先にあるゴールだけを目指して──。
ウマ娘たちの生き様が有史以来変わらないものである限り、僕達トレーナーが目指すべき在り方の根っこも、また変わらないはずだ。
「おおよそ二十年間ずっと、自分の力不足で教え子の将来を閉ざしてしまったと悔やみ続けてる人が、近くに居た。それだけさ」
先人の後を追って先人と同じ事を
窓の外から視線を外し、再びルドルフと顔を合わせる。
アメジストの瞳は、さきほどよりもほんの僅かに見開かれていた。
「……
ゆっくりと頷いたルドルフは、満足気に微笑むと踵を返し、僕に背を向けて廊下を歩き始めた。
彼女が呟いた、恐らく
どうやら僕の答えは、一応彼女にとって納得の行くものだったらしい。
それきり、僕達は生徒会室のすぐ手前に差し掛かるまで一言も交わさなかった。
「――微力ながら、学園上層部には私のほうから働きかけてみよう」
「手を
プロジェクターを小脇に抱えたまま、自由な右手を顔の前に差し出して拝むように頭を下げる僕に、ルドルフは薄く微笑みを浮かべて生徒会室の扉を開ける。
「有言実行――ゆめゆめ、祖父君の教訓に
閉まりかけた扉の間際からこちらを肩越しに振り仰いで、最後にそんな言葉を残した。
ごとん、と見た目相応の重量感のある音とともに廊下に一人残された僕は、最後に扉に向けて深く一礼して再び廊下を歩き出す。
――脳内データベースを紐解いて、ウマ娘の聴力の及ぶ範囲の情報を引っ張り出しながら。
そこからたっぷり三十メートルは離れた廊下の一角。
キーボードを打つ音、電話の着信音、ファイルや書類をめくる音など、雑多な
「――祖父君、ね」
『身近に居た』、という端的な言葉からは到底たどり着かないであろうルドルフの指摘は、実のところ真実を突いていた。
「……皇帝の手は長い、か」
誰にともなくひとりごちて、
強張った身体を無理やり前へ押し出すように、僕は再び廊下を歩き始めた。