比翼連理の赤と青と   作:六九六

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三話 赤い赤色

「比翼の鳥、って知っているかしら」

 一週間後、加賀が九十七機の艦戦、艦攻、艦爆をそれぞれ飛ばしていた練習に付き添った。加賀曰く、優秀な子たちとのことで、その評価に違わぬ発艦と編隊の統率であった。加賀のミスで地面に不時着した一機を除いて。

「……中国の故事だってのは知ってるよ」

 加賀は弓懸の他に左手にも手袋をしていた。きり、と真面目な顔をする加賀と、ピン、と張る弦があまりにも似ていて、見惚れてしまう。彼女らを兵器だと思ったことはないが、それでも弓まで入れてひとつの武器のような、清々しい程の威圧感があった。彼女に相対しなければならない深海棲艦がいっそ可哀想になるほどの圧倒的な武力を有する彼女は、実のところ、人一倍愛情が深くて、誰よりも傷つきやすくて、そのくせ、強者に生まれてしまったがために弱味を見せられない少女だった。戦闘時以外の彼女が、ふとした時に見せる子どものような面は、人に頼ることができなかった歴史の欠片のひとつであり、儚くて、手を触れるだけで折れそうな飴細工のようで、私の庇護欲を掻き立てるのであった。

 彼女は旋回を続ける航空機たちを指差す。

「――あの子たちから見れば、私たちが鳥みたいに見えているのかしら」

 加賀はそう呟くと、傍に寄ってもいいか、と確認を取った。私はそれに淋しさを覚える。今までは好きに身体を預けていた仲だというのに……。私は当然だ、とだけ答えて彼女に近寄った。同時に、加賀はいけないことをしているかのように、目を伏せる。

「翼と目をひとつずつ持っている、二匹で一匹のつがいの鳥のことよ。寄り添う姿から転じて、その……仲睦まじい人を指す言葉でもあるわ」

 加賀の声が震えていた。その姿は今までここにいた正規空母としての加賀ではなく、恋する少女としての、加賀だった。弓ではなく、飴細工としての、加賀だった。

 赤い彼女は「私たちが連理の枝」と言った。

 青い彼女は「人から見れば私たちが比翼の鳥」と言った。

 彼女らの比喩よりも、その一事が、彼女らを雄弁に語っていた。

「加賀……」

「気にしないで。未練みたいなものよ」

 加賀は左の手袋をそっと外して私に手渡した。

 私は思わずそれを取り落としそうになる。薬指があったはずのところに、綿が詰められていた。彼女の左手の薬指はというと、根本から無くなっている――。

「な……ど、どうして!」

 急な事態に思わず私はそう問うたが、聞くまでもないことだった。ケッコンカッコカリシステム。そのシステムで使用されるケッコンユビワは指輪ではなく、艦娘の機能を底上げする機器であると説明を受けた。単なる指輪ではなく、機器であると。艦娘との親和性についても臨床データは多くないため細心の注意を払って扱うようにと、そう言われていた――。

 加賀は自嘲気味に笑う。

「ユビワが、取れなかったの。それだけのことよ」

 それの意味するところは、自分で、自分の指を――。

「今更だけれど、『私のこともどうか嫌いにならないで』だなんて、都合がよすぎたわね」

 私が絶句しているのを見て、さらに言葉を紡ぐ加賀。

「提督。私のことは、嫌ってくださって構いません。私は、指を自分で切断する、気の違った女です。今回は一機、発艦を失敗してしまいましたが、これから練習をして慣れますから、艦隊には、どうか居させてください…………これくらいなら、お願いしても罰は当たらないかしら」

 そう言って、加賀はさっさと着艦を済ませて私から離れた。私はそんな加賀を離したくなくて、手を掴む。

「なぁ、ドックに行って治してもらおう。あそこなら、どんな傷だって――」

 そう言ってから、気付く。彼女があの日の夜、どこにいたのかを。

「無理でした。ケッコンユビワの予期していない使い方をしたせいか、ドックでも治すことはできなかったようです。出血は止まるようですが」

 加賀はいつもと変わらない調子で言う。否、いつもと変わらないよう自らに強いているような調子で言う。そんな言い方をしないでくれ――そう叫びたかった。彼女は、もっと、感情を出していいんだ。彼女は、もっと幸せになるべきなんだ。彼女のひたむきさは、悪いものなんかではない。悪いのも、気が違っているのも、私の方だ。好きな女性にここまでさせてしまうなんて――。それに気付かないなんて――。

 赤城から言われた言葉を思い出す。提督も変わらないでほしいと、加賀を好きでいてほしいと、そう言っていた。その通りだ。私は変わらないと、加賀のことが好きだと、伝えたかった。しかし、口が自由に動かなかった。

 そうしているうちに、加賀が離れて、別離の言葉のように言う。

「赤城さんには提督から言ってあげてください。このままだと、赤城さんまで私みたいになってしまいますから。

 

 それから――――赤城さんと、お幸せに」

 

 ◆

 

「見ちゃいました。提督の浮気者!」

 赤城が司令官室に入ってきた。左手には件の銀色の輪が光っていた。

「加賀さんと何か話していたでしょう。私と言うものがありながら……」

 およよ、と泣き真似をする赤城。いつもならば、その明るさに助けられている私だったが、今はそれすらも煩わしい。

「……ごめんなさい。提督。私、見ていました」

 赤城が急に、静かになる。それだけで部屋の温度が下がった気がした。それだけ、彼女はいつもあたたかい人だったのだと思う。

「言い訳みたいですけど――いいえ、言い訳ですけど、加賀さんが、あそこまでやるとは思ってませんでした」

 赤城が左手を透かすように見る。その顔は万華鏡を覗く少女のようで、いつもの変わらない赤城だった。

「加賀さんには、敵わないですね。わざと私に先にユビワを着けさせることもできたのに」

 今思えば、加賀はあの時、赤城の決意を試したのだと思う。赤城が尻込みをするようなら、加賀がそのままユビワを独占することもできた。彼女は妻だった期間、どれだけ「私を選んで」と言いたかったことだろう。彼女は今まで、どれだけ、色々なことを我慢してきたのだろう!すべては、私があの時、どちらかを選んでさえいれば起きなかったことだった。

「それで、どうするんですか、提督」

 ふと気付くと、赤城が机のすぐ真向かいまで近付いていた。私は何を問われているのかわからず、彼女の二の句を待つ。

「ええっ、ここまで待ったのに、まだ答えを出してないんですか?」

 加賀への態度だろうか。それとも……それとも、なんだというのだろう。私は、本当に、何をどうすればいいのだろう。

 ああすればよかった、とか。

 こうすればよかった、とか。

 過去のことばかり、思ってしまう。私は本当に、何もできないんだな、と不甲斐なく思う。

「……ずっと訊いていたじゃないですか。どっちとケッコンするんですか? って」

 赤城の『二の句』に驚く。それは、本気で言っているのだろうか。

「……見ていたならわかるだろう。もう、加賀は、ケッコンできないんだよ。そもそも、そのユビワは赤城からは外れないんだし――赤城とケッコンするしか」

 ないだろう、と言い終わる前に、ガァンと机が鳴った。見ると、赤城が叩いたらしい。ぶるぶると拳が打ち震えていた。

「ふざけないでください!私がそんな方法で、提督を手に入れて、嬉しいわけないでしょう!与えられたものをハイそうですかと簡単に受け取るほど、私は――意地汚くありません!」

 赤城が怒ったのを初めて見た。肩で息をしている。

「ちょっと、加賀さんを呼んできます」

 そう言って、彼女は踵を返した。叩かれた机は、歪んでいた。

 

 ◆

 

「……もう、話なら終わったはずだけれど」

 加賀が所在なさげに立っていた。赤城は椅子に座っている私の上にさらに座っていて、少し重い。

「今は私が妻ですけど、次の一週間は加賀さんが妻になるんですよね? そう、約束しましたよね?」

 赤城が口を開く。加賀は一度だけ私に目配せをして、

「提督から聞いてないのかしら。私はもうケッコンカッコカリができないの。だから『今は』じゃなく……『ずっと』赤城さん、が、妻、よ」

 言い終わる前に声が震えていた。加賀は潤んだ目を隠すためか、そっと下を向いた。そして、一呼吸置いてから、告げる。

「それに、次の一週間、私が妻になると約束した覚えはないわ。私は『一週間、私にユビワを着けさせてもらって、次の一週間は赤城さんが着ける』ということしか言ってないもの。その先については、私は何も約束していません」

 加賀は二週間前からこの事態を見越して、予防線を張っていたのだろうか。もしそうだとするなら、彼女はどれだけの覚悟を、あの時に決めていたのだろう。

「……用件がそれだけなら、もう、充分でしょう。私だって、傷がつかないというわけではないの」

 ガァン、と二度目の轟音が鳴った。また赤城が机を叩いた音だった。鉄製の机の天板がくの字に歪む。

「加賀さんは、それでいいんですか! 私がそんな方法で提督を手に入れて、喜ぶとでも、思っているんですか! 加賀さんは結局、不幸でいたいんじゃないんですか。悲劇のヒロインを気取って、私は不幸だわ、可哀想だわ、って、逃げているだけなんじゃないですか!」

 加賀はきっ、と赤い目を吊り上げて言い返す。

「悲劇のヒロインだなんて、そんなつもりはまったくない。不幸でなんか、いたくない。私は、幸せになりたい!

 赤城さんが……赤城さんが、提督を手に入れても嬉しくないなら、私が、わたしが――提督とケッコンすればよかった!」

 加賀は初めて大声で、本音を吐いた。シン、と空気が鳴る。加賀はその場で膝を落としてぼろぼろと涙をこぼした。赤城が私の上から飛び退いて、腰を落として加賀を正面から抱きしめる。

「聞いて、加賀さん。私も提督が好き。でも、加賀さんも、好き。だから、加賀さんが遠慮する必要なんて、ないんです」

 加賀が、しゃくり上げながら、じゃあ、わたしはどうすればいいの、と呟く。

「加賀さんは連理の枝ってご存じですか?」

 赤城が私に問うたように加賀に尋ねる。

「……知っています」

 『比翼の鳥』と『連理の枝』は一組の言葉である。加賀が知っているのは当然だった。加賀は鼻をスン、と鳴らす。赤城の質問の意図を判りかねている様子だった。

「提督には話しましたけど――枝が離れても、何も変わらないんですよ。枝なんてただの比喩で、想う気持ちがあれば喩える必要もないんです。私が提督を好きな気持ちも、加賀さんが提督を好きな気持ちも、変わらなければ、そこにないように見えても、やっぱりそこにあるんです。だから、要らない『枝』は伐ってしまってもいいんです」

 赤城の手には鈍色に光るものが握られていた。私の引き出しにあった、執務に使うペーパーナイフである。軍から支給された、剛性の高いものである。

「加賀さん、これ、勇気要りますね」

 赤城は右手でしっかりとペーパーナイフを握り、左手を机に押し付けていた。いくらペーパーナイフとはいえ、机を歪ませるくらいの力で突き刺せば指は切断できる――だろう。

「赤城!」

 私が赤城を止めようとすると、彼女はいつか加賀がしていたように、ペーパーナイフを持った右手で私を制止した。

「提督、私は言ったはずですよ――加賀さんにできて、私にできない覚悟はありません。その想いは、いつだって、あの時だって、今だって、変わりません」

 ああ……こんな時まで、赤城は変わらないんだな。痛みで声を出さないように、弓懸を口に挟む赤城を見て、そう思う。すぐに、三度目の轟音が私と加賀と、赤城を叩いた。血の飛沫が飛んで、ペーパーナイフが机に刺さった。

 明るい銀色をしていたケッコンユビワは、赤城の『枝』から剥がれ落ちるように転がった。例の予期しないエラーのためか、まばゆい銀色からくすんだ鈍色になる。

 しかし、そんな鈍色なんてなかったかのように、ユビワは赤色に染まっていった。

 

 その赤色には、人知れず我慢をしていた少女の青色も、混じっていたように見えた。

 


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