スティル鬼つええ!このまま逆らう奴ら全員ブチ抜いていこうぜ!   作:スティル可愛すぎるインラブねぇ

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リス、かつレッサーパンダ

スティルインラブを寮に送り届けたあと、もう彼女達からは全く見えないだろうと思われる所まで辿り着いた瞬間から、ほぼスキップしながら帰宅した。

それからシャワーを浴びて歯を磨いている途中、鏡の中の自分の首筋に小さな赤い痕を発見した。

 

「……え?これ歯型?公園の時の?ギャハハハハ!ちっさ過ぎだろ!ウインディ親分の5分の1ぐらいか?いや、10分の1?血は……出てないが、なんか、痒いな」

 

まさか、スティルの中にいるあの子は蚊の化生か何かだったりするのだろうか、などと考える。

まぁ、何か問題が出れば専門家に相談すれば良いだろうと歯磨きを終え就寝する。

 

目覚めたら、朝であった。朝すぎた。もう出ないと絶対に間に合わない時間であった。

 

「ふふっ」

 

しかし、心は極めて穏やかである。洗顔と歯磨きと着替えだけ爆速で済ませて外に出る。赤い跡は見た目にはもう完全に消え去っていた。

朝日と呼ぶには明るくなりすぎた光を直接浴びる。

 

「世界、美し過ぎるだろ……」

 

水晶体もレンズも新品に変わったかのように、網膜が全て張り変わったかのように、全てが色付いて見える。側溝に落ちてる丸まったレシートまでもが、何か風情のあるものに見えてくる。今小鳥の声とか聞こえたらうふふ、おはようとか普通に言っちゃいそうである。

担当バができたばっかの同僚達の自慢話や惚気話がうっっっぜーなとか全っっ然羨ましくねーしとか思ってたけどこれはなる。なるわ。

 

「待ってろ、マイエンジェル」

 

我ながらはしゃぎすぎてる自覚はあるが、もう同僚たちはみんなすでに出勤して誰も聞いていないだろうし良いか、と玄関に鍵をかけ歩き出す。

 

「……あの……」

 

天界の花畑に吹くそよ風のごとき儚い声が耳朶を打ち立ち止まる。辺りを見渡す。何もいない。

 

「……?え、なにこの声。天使?えっお迎え!?嘘だろ!?俺のトレーナー人生今日からなのに!?」

 

「……っ!あの!」

 

胸の下から白い手がニュッと2本伸びて来てぶんぶんと顔の前で振られる。

視線を下に向けると顔を少し赤くしながらこちらを威嚇しているレッサーパンダと目が合った。

 

「おお、マジに天使だったわ。おはよう!」

 

「お、おはようございます」

 

しずしずと手を戻して丁寧にお辞儀してきた。もうちょっとレッサーパンダ見たかったな。

 

「それで、なんでいるのスティル?昨日の今日で部屋までお迎え?そう言うのはちょっと……嬉しい。けどみんなに噂されると恥ずかしいから控えてくれよな」

 

「そうですけど!違います!今日一体いつどこでどうやって会うつもりだったんですか!」

 

「どうって、そりゃあ…………うん。場所も時間も指定してないし連絡先も交換してないな。何してるんだ。言ってくれよ」

 

「絶対!絶対私は悪くありません!……うぅ、私謝りにも来たのに……初めてこんな事言った……」

 

「うん、俺しか悪くないな。本当に申し訳ない。ごめんなさい。……こんな時間までずっと外で待ってたのか?呼び鈴押してくれたら良かったのに」

 

「だって……ご迷惑では無いかと思って……こんなに遅く出てくるとは思っていませんでしたが。ひょっとしてもう出てしまったのかと」

 

怒ってる顔は大変かわいらしいが、悲しんだり申し訳なさそうにしているのを見ると単純に心が痛むな。

 

「敢えてこう言う言い方をするが、俺達は君達に迷惑かけてもらうことで給料貰ってるんだ。そう言う遠慮は今後しないように」

 

「……!はい、わかりました」

 

「そして今の様に、君に迷惑をかける事もあるだろう。どうか見捨てないでくれ……」

 

「お、大人の男の人がそんな情けない声を出さないでください!あ、あと、何ですか。その、エンジェルって」

 

「ほう。ひとり言を盗み聞いて問い詰めるとは、君もいい性格をしているな。君の事だなんて言ったか?」

 

「え、いえ、その、ごめんなさい」

 

心は痛むが、かわいくないとは言っていない。

 

「まぁ、君の事なんだけどさ。急がなくて良いのかスティル?もう始業だろう。いや俺もヤバいんだったわ。歩きながら話そう」

 

そう言って速足で歩き出す。比較的小柄な少女相手にあるまじき行いだが、ウマ娘には歩幅の差など問題にならない。

 

「お、大人の男の人って……!あの、トレーナーさん。私、今日の選抜レースに出走登録しているんです。私のレースを見ていただけませんか?それから改めて、その、私を選んで欲しいんです」

 

「おお、レースか。そりゃあ見なきゃな。……君と中の子、どっちが走るんだ?中の子ってなぁ……中の子だからインな。はい決定。スティルとインどっちが走るんだ?」

 

「えぇっ!?は、はい、その、走ってみないと分からないかも知れません……」

 

「そりゃあ……問題だな。レースの開始時間は?」

 

「15時40分です」

 

「選抜レース出る子は午後の授業免除だから結構余裕あるな。そうだな、お昼にカフェテリアで待ち合わせよう。作戦会議ってやつだ。ああ、連絡先も交換しとくか」

 

 

途中から人間基準の駆け足に移行し、遅くはあるが普通に間に合うであろう時間に学園前の大通りにたどり着いた。乱れた服を整え、悠然と歩き出す。その様子を見てスティルがくすくすと笑い出した。

 

「なんだ?俺の鈍足がそんなに面白かったか?」

 

「ち、違います! その、学校に間に合わせるために誰かと一緒に走るのは初めてで、何だか楽しくって」

 

「ははは、相手が俺ではなぁ。こう言うのは10代同士でやんなきゃ」

 

「……はい……そうですね」

 

「どうした?急に落ち込んで。あぁ、」

友達が居ないのか、と口に出しそうになり、慌てて飲み込む。

 

「……その、大丈夫だ。昨日も言ったが、君は人気者になる。だから、こう言う機会は何度でもあるさ」

 

「……ふふ。もしそうなったら、とても嬉しいです」

 

 

 

 

校門になんか仕事とか持ってくる緑の服が立っている。ここ最近は人混みに紛れて会釈することでやり過ごしていたが今日はそう言うわけにはいかないだろう。覚悟を決めて進む。

 

「おはようございます。スティルインラブさん。あ、子分さんおはようございます。少しお話が」

 

「おはようございます、たづなさん」

 

「おはようございます、駿川さん。申し訳ないが担当ができたばっかりで忙しいのでこれで」

 

覚悟を決めた所で口が勝手に動くのを止められなかった。

 

「あら、それはおめでとうございます。まぁ、すぐに済みますから。ここ暫く避けられていたことはまっっったく怒っていませんから」

 

「……ここまでか。スティル、先行ってな。午前の授業終わったら体操着に着替えてすぐ来てくれよな」

 

「……はい。では、またお昼に」

 

とたたた、とウマ娘の巡航速度で校舎内へ駆けて行った。無意味に人間の速度に付き合わせてしまって申し訳ない。

 

「……あの子にしたんですね」

 

物憂げな顔でスティルが走っていった方を見ている。彼女の事情について何か知っているのだろうか。軽く彼女の話題を振って俺から興味を逸らしてみるか。

 

「ええ、いい子ですよ。とっても。ちょっと引っ込み思案な所はありますが、礼儀正しいし、しっかりしてます」

 

こう言うと、彼女は少し驚いた顔をした後、表情を柔らかく緩めた。

 

「……!ふふふ、ええ、そうですね。あの子、いつも立ち止まって挨拶してくれるんです」

 

そして、やにわに向けられた笑みの種類が変わるのが見えた。

 

「それで、どうして私を避けていたんですか?」

 

一手ミスったら死ぬぞ、と言うプレッシャーで脳が回転を始める。

 

「いや、組織内ニートに難しい仕事を沢山振ろうとしてるに違いないと思って、つい」

 

「サブトレーナーの任を解かれたと聞いて心配で声をかけようとしただけです!まぁ、振りたい仕事は沢山あるのですが。……だからと言ってあんな避け方しないで下さい!普通に傷つきます!」

 

「いやぁ、気になる子に意地悪して気を引こうとするタイプの子供だったからか、なんかだんだん楽しくなっちゃって。もうしません。本当に申し訳無い。この通りです」

 

「……もう。仕事を受けて頂くか、また私と飲みに行ってくれるなら許します。どちらがいいですか?」

 

いたずらっぽい笑みが向けられた。態度の軟化を感じる。仕掛けどころだ。

 

「あ、じゃあ仕事で」

 

「……なんでですかっ」

 

「俺なりの誠意ですよ。それに、あなたと飲みに行くのが罰になるはずがないでしょう」

 

「……もうっ、子分さんったらっ、もうっ!」

 

嬉しそうに肩をバシバシ叩いてくる。何とか機嫌はなおったようだ。

 

「ははは、痛い痛い。……痛いですって!」

 

「あら、すみません。頼みたいお仕事は……沢山ありますのでまたメールでまとめてお送りしますね。今回の用事は大親分さんからの預かり物です。はい、どうぞ」

 

チャリ、と青いタグのついた鍵が手渡される。

 

「……?何の鍵です?」

 

「部室の鍵です。野外ライブ場と体育館の間に使われていない部室があるでしょう?そこの鍵です」

 

「ああ、あれ部室だったんですか。でかい物置か何かかと。……いや、部室って。5人どころか1人目との正式な契約もまだですよ?」

 

部室は原則としてチーム単位に与えられるもので、間違っても正式な育成経験のないトレーナーに与えられるものではない。

そしてチームの結成には基本的に5人必要である。

 

「大親分さんがあなたを特別待遇トレーナーに推薦して、理事会はこれを承認しました。将来的にチームを持つ事を前提として、部室をはじめとした様々な優遇措置が与えられます。頑張ってくださいね」

 

「……ははは。さすが大親分。俺の追い込み方を分かってるな。まぁ、昨日担当見つかったとこなんだけどな」

 

「伝言も預かっています。一字一句違わずにとの事なので失礼して……こほん。『別に追い出したわけじゃねぇんだから顔は出せアホ。2人とも寂しがってる』、だそうです」

 

「はい、わかりました。俺も大好きだよって伝えといてください」

 

「あっはははは!嫌です。ご自分でどうぞ。では、これで」

 

「はい。あ、飲みなんですけど、しばらくは忙しいんで、折を見て誘いますね。行ってみたい焼鳥屋があるんです」

 

「もしかして、最近オープンしたあそこですか? 暖簾分けの時に秘伝のタレも分けて貰ったって言う」

 

「おお、さすが耳が早いですね。実は高校の同級生が出した店でしてね、どうせなら美女を伴って行ってびっくりさせてやろうかと」

 

「まぁ、そうなんですか。ふふっ。私をダシに使うからには……わかってますね?」

 

「もちろん奢らせていただきます。確か前回はご馳走になりましたし。では」

 

 

 

仕事を割り振って来る恐ろしい緑の服を何とかやり過ごしトレーナー室に到着、メールチェックを開始する。

 

「……うわ、もう駿川さんからメール来てる。相変わらずどんなペースで仕事してんだあの人」

 

提示されたリストの中からスティルの育成と折り合いが付きそうなのをいくつか選び出し、これで勘弁してくださいと返信。

 

「……これはちょっと今から手をつけとくか」

 

返信したものの中でも大きめなタスクを開始する。これはきっとスティルインラブの役にも立つだろう。

タイプ音と共に自分の頭が集中モードに入っていくのがわかる。

だんだん時間の感覚が消え始めた頃、さらに返信があった。ポップアップを反射的にクリックする。

 

『これとこれもお願いします』と言う内容であった。

 

「ちくしょ〜やっぱ普通にめっちゃ怒ってるな。まぁ、メッセージスルーしたり行動ルート想定して一日後ろにピッタリついて絶対に顔を合わせないようにしたのはやりすぎたわな……」

 

取り敢えず、『Yes ma'am!』とだけ返信した。

即座に『あとこれも』と言う内容の返信が来た。どうして……

 

 

 

 

 

お昼、カフェテリアでカツ丼大盛り(人間用)の乗ったお盆を持って2人がけの席を探していると、ちまちまもくもくとご飯を食べているスティルと目が合った。

 

「早いなスティル。待たせちゃったかな、ごめんな」

 

声をかけて対面に座り、ややあってからこくん、と飲み込み、

「いえ、私、食べるのが遅くて。本当に早めに来ないとお昼休憩終わっちゃうんです」

と返事があった。

 

「ふーん。お、とんかつ定食か。ニアピンだな。俺カツ丼〜。……食事中にお喋りはあんまりしないタイプ?」

 

「……はい、すみません。しない、と言うよりはできないと言った方が正しいですが」

 

「謝るこたないよ。じゃあ、作戦会議は食べてからだな。朝抜いちゃったから腹減りまくりだ」

 

「ふふ、実は私もです。ご飯、大盛りにしてもらっちゃいました」

 

 

ものの5分でカツ丼を食べ終えてから、さらに30分が経過した。未だにスティルととんかつ定食の格闘は続いている。

 

「……いや、本当に遅いな!?」

 

「ご、ごめんなさい。これでも頑張ってはいるのですが」

 

「うん、頑張りはちゃんと伝わってる。でもなぁ、トレーニングが本格化したら今よりずっと腹減るから食事量はかなり増えるぞ。それでこのペースだと、ちょっと、いや、結構困る。まぁ、これも要練習だな」

 

こくり、と頷いてから眉をきりりと引き締めて格闘が再開された。

さっきより気持ちペースは上がっているが全然遅い。本人は真剣そのものなので笑いを噛み殺しながら眺める。困ったことに叶うなら永遠に眺めていたいほど愛らしい。現に先ほどは丸30分スルーしてしまった。

さすがに更に30分座して見るだけにする事は避けるべきだろうと考え、アドバイスを試みる。専属トレーナーとしての最初のアドバイスが食事かぁ……

 

「……よく噛むこと自体は良いことだから、咀嚼のペースを意識して上げるのはどうだろう?できそう?」

 

ちょっと困惑した様子で頷いたあと、こくこくこくこくとリズミカルに歯が当たる音が聞こえて来た。

 

「ギャハハハハ! リスだ!」

 

「………っ」

 

顔を赤くして少し涙目でこちらを睨みつけるリスと目が合った。

 

「ああっ、ごめん! つい!」

 

 

咀嚼のペースを上げると言うアプローチは功を奏したようで、なんと15分で残り半分のとんかつ定食をやっつけることに成功した。凄まじい末脚である。

 

「……ごちそうさまでした。すみません、お待たせいたしました」

 

「あぁ、終わっちまったか……なんか、小さい時動物園でゾウガメの食事を1時間ぐらい眺めてたら親父に良い加減にしろ!って怒られた時のこと思い出したよ」

 

「ゾ、ゾウガメ……」

 

「何だよ嫌か? 可愛いだろゾウガメ。まぁ、別に何もないときは自分のペースで食べなよ。日々の食事がストレスになったら本当にキツいからな」

 

「はい。ありがとうごさいます。あの、私、こんなに早く食べ終わったのは初めてです!凄いですねトレーナーさん!」

 

キラキラした目を向けられるが、複雑な気分になる。

 

「お、俺が担当に初めて実力を認められるシーンこれなの? いや、食事だってトレーニングの内ではあるけどさぁ……あ、そうだ。ちょっと先の話だけど、6月からの選択集中講座、アスリートウマ娘としての健康管理ってやつ受講申請しといて。きっと役に立つ。近いうちに担任の先生から案内があるんじゃないかな?」

 

「はい、わかりました。そう言えばトレーナーさん、先ほどは良く私をすぐに見つけられましたね」

 

「うん?ああ、フジキセキに言ってた影が薄いってやつか? 君は目立つ風貌をしていると思うが……いや、言われてみれば昨日より前に君を見かけた記憶が無いな。君の方は俺を見た事あった?」

 

「ええと……ああ、エアグルーヴ先輩とヒシアマゾン先輩と一緒に誰かを追いかけていたのと、茂みで倒れていたアグネスデジタル先輩を担いで保健室の方へ向かって行ったのをお見かけしたような……」

 

「ははは、どっちも俺だな。誰かさんとデジたんはその内紹介するよ。君のそれはレースに活かせるんじゃ無いかとちょっと思ったりしてるんだが、まぁまだまだ先の話だな。良く見知った相手に影の薄さが通用するのか分からんし。駿川さんも君に挨拶してただろ?」

 

「はい、たづなさんはいつも必ず私に気付いてくれるんです。ふふ、学園では貴方が二人目なのかも。あ、でも今朝は気付いていらっしゃらなかったような……もしかして、私をからかってたんですか?」

 

「いや、朝はマジで天上からの声だと思って上の方しか見てなかったから……」

 

「あ、あれ冗談じゃなかったんですか!?」

 

「そうだが」

 

「そ、そうですか。……そうですか」

 

「……作戦会議のはずが食事のアドバイスと雑談になっちまったな。そろそろ練習場行くか、マイエンジェル。あ、トイレ大丈夫?」

 

「……やっぱりからかってますよね!?」

 

 

 

 

食器を返した後、「……先に行っててください」と言われて練習場で待つ事5分。遅れてきた彼女に軽く柔軟とアップさせてとりあえず本番と同じ距離、1600mを1本走らせてみた。

 

 

「きれ〜なフォームだなぁ。教官の言う事良く聞いてたんだな。つま先から指先まで意識が行き届いているのがわかる。一朝一夕で身についたものでは無いな」

 

撮影した動画を確認しながらスティルに水を向ける。

 

「……はい、ありがとうございます。本番のレースでは、あの子……インが走る時には、はしたない姿を晒すことになるでしょうから。少しでも見苦しく無いようにと、たくさん練習しました」

 

控えめだが、誇らしげな笑顔がこちらに向けられる。……これからする事に流石に心が痛むが、必要なことだ。

 

「うん。努力の結晶とはかくも美しいものかと感動したよ。それで、本当に心苦しいのだが……全て忘れてもらうぞ」

 

「……えぇっ!?」

 

「教練で教わるフォームというのはね、誰であれ一定の成果を出せるようにと考えられた最大公約数的なものだ。そのフォームで最前線を走る者もいるにはいるが、君には当てはまらない」

 

「……インにフォームを合わせろ、ということでしょうか」

 

「察しが良いな。そのとおりだ。そのフォームとインのフォームには乖離があり過ぎる。フォームの切り替えの際、その差の分だけラグが発生すると言う事だ。君達は0.1秒遅れたら1.5mの差ができる世界に生きている。インを制御出来ない以上、致命的と言わざるを得ない」

 

「……」

 

「不満か?まぁそりゃそうか。そうだな、これは極端な例だが、オグリキャップの前傾フォームやメジロパーマーの上体を完全に起こすフォームは、教練中に真似しようものなら怒られたり笑われたりしそうなものだが、彼女らのフォーム自体を嘲笑う者はいないだろう?何故だと思う?」

 

「……わかりません」

 

「勝ったからだ。美しいから勝つのではない。勝ったから美しくて、かっこいいんだ。勝った者だけが美を定義できる。美と定義される。君のフォームは、君だけの輝きを放つための手段だ。はしたなくなんてない。勝ちさえすればね」

 

「……!」

 

「フォームの矯正をする。体のあちこちに触る事になるからちょっと覚悟してくれ」

 

「は、はい。よろしくお願いします」

 

調整ののち、軽く走らせ、そしてさらに調整という工程を何度か繰り返す。

その何度目か。

 

「……スパートの時、尾てい骨5mm上げて。そうそう。腕は前に出す時肘を脱力して伸ばし切る。戻す時に肘を曲げて引き寄せてまた脱力して後ろに伸ばす。足から伝わる力を指先にまで行き渡らせて、逃さずにまた足に戻してまた蹴るイメージで。……うん、良いだろう。本番と同じ距離、もう一本行ってみるか」

 

「……はい!」

 

やる気十分、と言った感じの返事。フォームの指摘で機嫌を損ねるかもと思ったがうまく行ったようだ。

 

 

 

「スパート!……緩めるな!そのまま!頑張れ!………よし!頑張った!……おわ〜、こ、ここまでとは。……タイム見てみ」

 

「に、2.2秒も縮んだのですか!?本当に!?」

 

「上がり3ハロンに至ってはデビュー前なら指折り、と言って良いだろう。このフォームのほうがよっぽど君の骨に合ってるんだね。いや、さっきまでのが全く合ってなかったと言うべきか。動画も撮ってる。……この走りは、はしたないと思うか?」

 

スマホで撮影し、タブレットに共有した映像を見せる。

 

「……異様ではありますが、その、自分で言うのも何ですが、何だか、格好良いような」

 

「ギャハハハハ!そうだろそうだろ。それにしても、本当に体の操縦が上手いな。短時間の付け焼き刃でこんなに仕上がるとは……」

 

「ありがとうございます。その、トレーナーさんって、本当に凄い人なんですね」

 

「おぉ、ついに納得のいく褒められが発生したな。褒められると機嫌良くなるし伸びるタイプだからいつでも思った時に言ってくれていいぞ。まぁ、今のフォームを維持できれば、本番でインが出てこようとこまいとそう悪い事にはならんだろ、多分。……なんか言ってたりする?」

 

「……そう言えば、さっきから不思議なほど静かです。いつも、レース前は騒がしいのに」

 

「うーん、吉兆なのか凶兆なのかも分からんな。インとのコミュニケーション手段も確立せにゃならんが、まぁおいおいだな。言わなきゃならん事も言いたい事も沢山あるが……インって、どんな時に出るんだ?レース中に噛みついたり興奮して奇声上げたりする?」

 

古巣の面々を思い浮かべながら聞いてみる。

 

「……お強い方々との競り合いが起きたら、ほぼ必ず。……誰かを直接に傷つけたりは、その、昨日まではありませんでした。後者はあり得るかも……」

 

「噛みつきは……多分無さそうか。なら対処可能だな」

 

「その、昨日は本当に申し訳ありませんでした……謝って済む事では無いとわかっていますが……」

 

垂れ下がる耳と尻尾が調子の低下を指し示す。……レース前に何とかその罪悪感を取り除かねば。

 

「インのした事だし、そのうちインに謝って貰うよ。俺の方は……君の体に暴力を振るってしまった。君が望むなら如何様にも責任を取る所存だが、その、どうかこの職を続けられるように慈悲をかけてくれると……」

 

「せ、正当防衛です!貴方に落ち度はありません!」

 

「そ、そうか。そう言ってくれると助かる。本当に。マジで。あ、後でなしとか言うなよ!マジで頼むぞ!言質とったからな!!」

 

「な、何でそんなに必死なんですか!?さっきまでちょっと格好良かったのに!」

 

「大人なんかみんな必死なんだよ!日々命懸けで働いてんだ!」

 

「……言質というなら、さっきの責任云々を……」

 

「ダメで〜す。正当防衛なので俺に落ち度はありませ〜ん。さっき言質とりました〜」

 

「お、大人の男の人って……!」

 

「ははは。うん。大人はずるい。だから、君が気に病むことなんかないよ」

 

微笑み、バチコン⭐︎と渾身のウインクを放つ。

 

「……もう。分かりました。もしインと話せたら、謝るように言っておきます」

 

耳と尻尾が通常の状態に戻った。だが、呆れ顔が向けられる。……ウインクに効果は無かったようだ。しない方が良かったかもしれない。

 

「うん、頼むよ。今日の作戦、と呼べるほどのものでは無いが、差しよりは先行気味に走って、インがいつ出てきても良いような位置取りを心掛けて欲しい。このタイムで走れるなら、かなり外側に出ちゃっても大丈夫だ」

 

「はい。分かりました。……その、私の脚質を知っているのですか?あ、データベースか何かに載っているんですか?」

 

「いや、見れば大体分かるんだ。走るのも見たしね。他にも、適正距離は1600m前後、短距離よりは中距離の方がまだ得意。長距離は厳しい。まぁ、インのスタイルからしてそりゃそうだろうけど。どうだ?」

 

「あ、合ってます」

 

「ふふん、チームアケボシ秘伝の技でな。見ただけで分かるのは俺で20年ぶりぐらいらしいぞ。期待のホープなのよ、俺。……大親分は骨や関節の状態まで分かるとか言ってたが」

 

「……貴方みたいな人が、……どうして、私なんか……」

 

「おいおい、そんな凄い人に見出された事に自信持ってくれよ。そのつもりで言ったんだぞ? お、人が増え出したな。説明とか有るだろうから君も合流すると良い。アップは流しでイメトレとストレッチ重点な。ゴール前のベンチに居るからなんかあったら声かけてくれ」

 

「……はい」

 

ゴール前のベンチでタブレットPCを開き、先程取ったデータをためつすがめつしながらトレーニングメニューの考案を続ける。中々いいものが出来そうだと自負するが、インと言う不確定要素に思わず鼻からため息が漏れる。マジで早く何とかしないとなぁと考えながら作業に没頭していると、控えめに声がかけられた。

 

「あの、トレーナーさん……」

 

スティルインラブ、と下に印字された9番のゼッケンをつけ、自信なさげに下を見ている。顔色も良いとは言えない。

 

「お、もう始まるのか。……いやに緊張してるな。今日の結果がどうなろうと、君との契約は曲げるつもりはないぞ?……あっ!他のトレーナーに声をかけてもらおうとしてるなら、その、究極的には君の意思だが、みっともなく泣きつくからそのつもりでな!」

 

「私には貴方以外いません!」

 

「……そ、そんなまっすぐ言われたらさすがに照れるわ。うん。俺、頑張るよ。いや、もともとそのつもりだけど、改めて」

 

「い、今のは、その、貴方ぐらいしか私を見てくれる人なんか居ないという意味で……ふふっ!お顔が真っ赤ですよ。可愛いところ、あるんですね。……貴方こそ、他の方に目移りしないでくださいね?」

 

「そりゃあ、君の頑張り次第だな」

 

手で顔を仰ぎながら何とか強がってみせる。

 

「……意地悪ですよね、トレーナーさんって」

 

「君は頑張り屋さんだから大丈夫さ。ほら、行っておいで」

 

「はい」

 

「……一つ頼みがあるんだが、もし、インが出てきそうになったら、抑えないようにして欲しい。やっぱり彼女とは話す必要がある。俺が必ず何とかする。信じてくれ」

 

「……分かりました。いってきます。見ててくださいね」

 

「うん」

 

選抜レース、芝1600m右回り17頭立て。ゲートインが完了する。

インの暴走の影響を考え、差しよりも先行寄りで走り、スパートの時に出来るだけ人を巻き込まない位置取りを、と言う指示を与えた。

 

「さて、どうなっかな」

 

ガコン、とゲートが開く。




お気に入り、評価付与、大変嬉しいです。ありがとうございます。

それにしても話進まなさすぎワロタ 楽しいけど難しいね……
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