スティル鬼つええ!このまま逆らう奴ら全員ブチ抜いていこうぜ!   作:スティル可愛すぎるインラブねぇ

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ここすき・感想・評価付与、日々を生きる糧となっております。本当にありがとうございます。


運命のひと

蓮見俊一、中1の初夏。彼は絶賛家出敢行中であった。

この春、彼の父が入院した。1人親方としてあちこちの建設現場で槌やノミを振るう日々を送っていたと言う逞しかった父は、たった一月で彼の中の骨格がどんな形をしているのか分かるほどに痩せこけていった。

何やら難しい病名はついているが、治療法は無いとの事だ。

彼は父の腕にぶら下がって遊んで貰うのが大好きだったし、彼の歳の離れた妹も入院する前までそうして遊んで貰っていた。

凄まじい勢いで日々変わり果てていく父にどんな言葉をかければいいのか分からぬまま、いつも通りに振る舞っているが子供に隠れて泣いたりどこかに電話をかけているらしい母に何と言えば良いのか分からぬまま、彼の父は病床で今際の際に、妻と2人の子供達に落ち窪んだ眼窩を向け、その奥に無念を光らせながら、

 

「ごめんな。でも、見とるからな」

 

とだけ言って旅立った。

通夜で納棺の前、父の体を初めて拭いた。父のものとは思えない細くてぬるい腕を洗っている時、生きてるうちに一回ぐらいやったら良かったな、と思った。

そのあと、親戚や縁者たちの、「かわいそうになぁ」だとか「あんたがしっかりせなあかんのやで」「なんかあったらいつでも言ってや」などと言う言葉をはい、はい、わかりました、ありがとうございますと聞き流し、火葬を終えて皮がついていた頃と同じ形をしているな、と白い骸骨をながめ、それを壺に詰めるなどしていたら、いつの間にか家で何日かぼーっとしていた。忌引きと言って、学校をさらに休んで良いらしい。母はずっと忙しそうに電話したり何か書いたりしていた。

彼がいつものように、泣き疲れて眠っている妹の頭を撫でてやっていると、

 

「車はともかく、家は売らんわ!あの人が私らに建ててくれたんや!!」

 

と誰かに電話している母の怒号が聞こえた。

そうか、もう家族で車で遊びにいったりはできないし、もしかしたら物心ついた時から住んでるこの家に居られなくなるかも知れないんだ。とぼんやり思った。

他には、他には何ができなくなるんだろう? 彼は自分に、トレーナーになると言う夢がある事を思い出した。 

よく知らないが、なるのはとても難しいらしい。なるにはいくらかかるんだろう。なれたら多分お金には困らないが、なれなかったら、妹はどうなるんだろう。母はどうなるんだろう。自分は?

彼はすっと立ち上がり、すすり泣く母の背に手を置き、慰めるのではなく、こう言った。

 

「母ちゃんごめん、ちょっと出てくる。チカ頼むわ」

 

「え?」

 

部屋に戻り勉強机の引き出しの裏にしまった2枚の高額紙幣と自分の財布と外出用のカバンを引っ掴み、玄関に向かう。

 

「待ち!待ちなさい!もうこんな暗いのにどこ行くの!」

 

「すぐ帰る!」

 

衝動のままに最寄り駅に走った。

大阪駅には最寄り駅から妹の小遣いでも行ける。だが、トレセン学園のある東京の府中と言うところに行くには幾らかかるんだろう。通知をオフにしたスマホを取り出し、無音で溜まっている通知バナーに顔を顰めながら調べる。手持ちの金では新大阪から新幹線に乗ると、復路の金が足りず帰れなくなるらしい。少しだけ冷静になった彼はそこまでの無謀を犯す気にはなれなかった。

夜行バスというのがあるはずだ、と思い出し調べる。まさしく府中行きがあった。安い。久しぶりに、表情筋が笑顔の形に自発的に動いた。ちょっとだけ、観光とかできちゃうかも知れない。

乗り場に辿り着き、チケットを買い待合室の椅子に座る。母親に明日か明後日には帰る、とだけメッセージを送って電源を切った。

バスを待つ間所持品を確認する。タオル、ハンカチ、ウェットティッシュ、所謂女児アニメがプリントされたカラフルな絆創膏、消毒液。小分けのスナック菓子、コンビニのビニール袋、図書館で借りた文庫本、いつのか分からないレシート。

妹が走り回ってしょっちゅう転ぶので応急処置セットは外出時の必需品である。

 

「……カバンにケーブルとバッテリー入れんの忘れとるわ」

 

レシートを待合室のゴミ箱に入れながら呟く。

到着したバスに乗り込み、座席に充電ポートを発見。

 

「コンビニで買えばよかった……」

 

まぁ向こう着いた時に買えば良いだろうと窓際の席につき、カーテンを閉めてリクライニングを倒す。乗客はまばらで、幸い隣や後ろには誰も居ない。

 

「1人になったん、いつ以来やろ……」

 

彼は久しぶりにぐっすり眠った。

彼の父は死んでから一度も彼の夢に出てこなかった。

 

 

スマホの電源を入れる。通知バナーを見ないようにしながら見たナビによると、バスはトレセン学園から思いのほか離れた所に止まったらしい。1時間ぐらい歩かなきゃいけないようだ。ついでに東京レース場を見ながら歩けるようなので、そうする事にした。

 

早朝の、フェンスや木に囲まれ何も見えない東京レース場を特に感慨も無く過ぎた辺りの大通りに出ると、何人かトレセン学園の制服を着たウマ娘がまばらに歩いていた。彼女達に着いていって通りを行く。思っていたほどの数は居ない。トレセン学園は基本全寮制なので、少数派の自宅から通う人達だろうと当たりをつけた。ジャージを着てトレセン学園とは反対方向に走って行くウマ娘も何人か見た。彼女らの足なら問題なく始業に間に合うのだろう。

この人たちは自分と同じぐらいの歳なのにみんな、自分より遥かに強く、速く、美しい。

段々、トレセン学園に近づいて行くにつれて、視界に入るウマ娘の数が増えて行く。

彼女達はみんな華やかだ。自分のちっぽけさと惨めさがどんどん際立ち、強くなって行くようで、顔が熱くなるのを感じた。俯きながら歩く。

たどり着いたトレセン学園は立派な建物だった。正門にキラキラした人達が入って行くのを通りの反対側から眺める。仲睦まじげに挨拶を交わすウマ娘たち。トレーナーらしき人に丁寧にお辞儀し、それに軽く手を挙げて応える様子。

当たり前だが、彼を気にする者などいない。たまに物珍しそうな一瞥を向けられる事もあるが、それだけだ。

彼は正門に背を向けて住宅街のある細い路地に入っていった。

ここには、もう二度と来ないだろうと彼は思った。

 

「なにしとんやろ、マジで」

 

走り疲れ、どこだか分からない住宅街をズカズカ歩きながらつぶやいた。

父は、死ぬ前に自分達を見ていると言った。見ているなら、今すぐ現れてあの太かった腕ででかい拳骨を頭に下ろして欲しかった。

 

「もう、もう、泣いたろか、今。でっかい声で」

 

眉間に皺が寄り、鼻の奥に力が入るのを感じた。その時、

 

「うああああああ゛あ゛!!!」

 

想定よりめちゃくちゃデカい音がしたので自分の涙が引っ込むのを感じた。

2、3歳ぐらいだろうか?青い髪と、強い目力が印象的な、耳が大きくて2頭身にしか見えないウマ娘の子どもが上を向いてボロボロ涙を流していた。

 

「ど、どしたんや、大丈夫か?」

 

「ぎゃあああああ!」

 

明確にこちらを見て警戒している。結構凹む。ひとまず関西弁に責任を転嫁し精神の安寧を図る。

 

「ああ、怖いな関西弁。ごめんな。どうしたの。お父さんやお母さんは?」

 

「わあああああいないいいいい」

 

「いないて……どこから来たの?帰れる?」

 

「わかんないいいいいああああああ」

 

「……いざとなったらおまわりさん頼るか……一緒にいこ……行こうか」

 

慣れない標準語に軌道修正しようとして、ニゴォ、と気持ち悪くてぎこちない笑顔で手を差し出したところ、

 

「いぎゃあああああ!!」

 

と、背を向けて逃げ出し始めた。

 

「ああっ、かしこい!そら逃げるわな!は、はやっ!あ、コケた」

 

「びゃあああああ!!」

 

「ああ、かわいそうに。ちょっとみたるからにげんといて。ごめんな。……こんだけ騒いで何で誰も出てこんのや」

 

いくら平日の朝とは言え、まったくの無人であるはずがない住宅街を睥睨する。

もう、警察呼んでくれて良いので誰かに来て欲しかった。

 

「ひっ……ひっ……わるいひとじゃ……ないの?」

 

「ちがうとしかこたえられんなぁ。信じてくれるか?ああ痛そ。ちょっとしみるで」

 

カバンから応急処置セットを取り出し、擦りむいた右膝に消毒液を吹きかけ、ウェットティッシュで拭き取る。仕上げにもう一度吹きかけてまた拭う。

 

「いたっ」

 

「おお、これでは泣かんのや。えらいなぁ。ほら、絆創膏。これ、何色がすき?それ貼ったる」

 

「……みずいろ」

 

水色のコスチュームを着た、青い髪の変身後の女の子がプリントされた絆創膏を指差す。妹は暖色系を好むので寒色系のキャラが余りがちだ。

 

「おっ。きみの髪の毛といっしょやな。綺麗やなぁウマ娘は色々で……貼れたで」

 

「……ありがと」

 

「……!ええ子やなぁ!しっかりしとる!俺の妹な、きみより結構上やのに全然お礼も言わんし謝りもせん!自分で走り回ってコケよるのにすぐにお兄ちゃんのせいやって泣くんや。何がやねん」

 

「……」

 

「ああ、ごめんな。いっぺんに喋ってまう生き物やねん俺。名前教えてくれるか?住所とか電話番号とかもしわかったらそれも」

 

「アドマイヤグルーヴ。ほしぞらこどもえん……」

 

「ほんまにえらいなぁ……同じ歳のとききみと同じようにはできへんで俺……うん、アドマイヤグルーヴ……かっこいいけど長いな。アルヴやな」

 

マップアプリにほしぞらこども園と入力する。5km先に最寄りの候補が表示される。幼稚園か保育園かと思ったが説明には児童養護施設、とあった。親は居ない、と先ほど彼女が言ったのを思い出す。

 

「…………アルヴの家はこの、ほしぞらこども園でええんか?」

建物の外観の写真を見せて確認する。

 

「うん……アルヴ……」

 

「いややった?」

 

「ううん、アルヴでいい」

 

「そうか。アルヴ、遠くから家出してきたんやなぁ。まぁ俺には負けるけどな。俺なぁ、大阪から家出してきてん」

 

「おおさか?」

 

「テレビとかで見たことないか? ずっとずーっとあっちの方にあってな、たこ焼きとかばっか食いよるねん……ギャハハハハ!」

 

「……?」

 

スベった。とてもつらい。今日一番、とまではとても言えないが。

道順を再度確認するためにスマホを見る。ほとんどまっすぐに走って来たらしいように見えるが、なにぶん結構な距離だ。

目立つ目印などはないか、と探していると、アプリではなく電話番号からかける事を思いついたらしい母からの着信通知が画面を占拠し、そのままバッテリーが切れてしまった。

1人でいるなら母親を呼ぶにはふさわしく無い二人称を叫ぶところだが、今はそういう訳にはいかない。

鼻から長く息を吐く。

 

「…………君の家の方に歩いて行くけどな、ちょっとどう言う道か分からんわ。肩車するからなんか知ってる建物とか見えたら教えてな」

 

彼女を追いかけて探している人がいれば見つけやすいだろうし。

 

「かたぐるま?」

 

首を傾げる彼女の前にしゃがみこむ。

 

「お兄ちゃんの首をな、こう跨いで……ちゃうちゃう反対向いて。そうそうえらいえらい……持ち上げるで」

 

「……!」

 

きゃあ、と嬉しそうな声が聞こえた。これはウケたようだ。

 

「頭つかんでな、後ろに倒れんようにして、いたいたいたい!髪の毛引っ張ったらあかん!」

 

「あ、ごめんなさい!」

 

「謝れるんか……ほんまにえらいなぁ。いいよ。行こか。……さっき、何で泣いてたん?」

 

「……わたしね、トレセンがくえん入りたいの。かけっこ、はやいしすきだし。でもね、みんなむりだむりだっていうからね、せんせいにいったらね、せんせいもむずかしいとおもうよっていうから、わたしがすっごくはやいのみせようとおもってはしったの。そしたら、しらないとこきてて……」

 

「おー!トレセン行きたいん!俺と一緒やな!」

 

「……?かけっこはやいの?」

 

「ちゃうちゃう。トレーナー言うてな、ウマ娘がいっちばんはやくなれるように手伝う仕事があんねん。それになりたかったんやけどなぁ。あかんかもしれへん」

 

「あかん?」

 

「なれないって事やな。母ちゃんと妹がおるんやけど、親父が最近おらんくなってな。なんや、家売るか車売るかみたいな話になっててな、俺がトレーナーになるための金はどうもないかもしれへんってなって……なんかトレセン学園見ときたくなって金ないのに金払って二人とも置いてここまできたんや。アホアホのアホや俺は」

 

「……なにかになるのっておかねがいるの?わたしも……なれないの?」

 

「いやいやいや、誰よりも速い、速くなれるって証明し続ければな、この子がどこまで行くか見たい!って誰かがお金出してくれるで」

 

「しょうめい?」

 

「ずーっとな、かけっこで1番とりつづければいいんや。できそう?」

 

「できるとおもう」

 

即答。ちょっと面食らう。

 

「すっごい自信やなぁ。ほんまに速いんやなぁ」

 

「おにいさんも1ばんとりつづけてたら、だれかがおかねだしてくれるんじゃない?」

 

虚をつかれて足が止まる。無責任なことをこんな小さい子ども相手に言って、同じ事を返されて自分には出来ない、などとは。とても。

 

「いや……そんな簡単に……いや、そう言う事やな。そうやな。そんぐらい頑張らなな、うん。俺、頑張るわアルヴ。天才やなアルヴ!ありがとうな!」

 

「えへへ!うん!」

 

「アルヴきみ、笑うといっとうかわいいなぁ。もっと笑ってたら、むりむり言われてる時にきみを助けてくれる子もおったと思うで。笑ってな、アルヴって呼んで!って言うたらええねん。そしたら友達や」

 

「うん。ひひひ」

 

ニコニコ笑ってこちらの顔を覗き込んでくるアルヴの、あのね、〇〇くんがね、〇〇ちゃんのことをね、といった誰が誰のことだかまるで分からん噂話をふんふん聞きながらてくてくとしばらく歩いていると、前方にぜぇぜぇ言いながらこちらにへろへろ走ってくるメガネとおさげ髪の気弱そうな女性が見えた。

 

「お、もしかしてあれ先生か?ははは、へとへとなっとるで。君は元気にもっと遠くまで走ったのに」

 

「うん」

 

めちゃくちゃ不機嫌そうな声だ。嫌な予感がする。

 

「おろすで」

 

「いや」

 

更に硬質化した声。ああやっぱり。

 

「いややない!」

 

「やー!」

 

「おろす!」

 

サッとしゃがみ込んでアルヴの足を地面に付けようと試みる。何と足を曲げて首に巻きついて来た!重心が崩れ、首が横に傾き始める。

 

「アカンアカンアカン転蓮華キマる!転蓮華キマる!いだだだだ!!」

 

「きゃああ!大丈夫ですか!?何してるの!離しなさい!」

 

職員さんが首に絡んだ足を引き剥がしてアルヴを回収してくれた。さすが手慣れている。

ひし、と抱きしめられ頬擦りされている。

 

「はぁ、はぁ、……ああ、良かった。ありがとうごさいます。何とお礼を言って良いか……だ、大丈夫ですか?」

 

「は、はい、何とか。あの、先生、この子ね、自分の名前と住所ちゃんと言えたんですよ」

 

「は、はい」

 

「そんで、世界で一番速いから、家から5kmも先で泣いてたんです。でも、転んでできた傷に消毒液やっても少しも泣かなかったんです。賢いし速い上に強いんです。だから、レースさせてあげてください。できると思います」

 

「……はい。そっか。ごめんね、私が難しいって言ったから走っちゃったんだね」

 

「……うん」

 

「でも、やるって決めてるんだね。分かった。応援する。私からも、園長先生に言ってみるね」

 

「……うん!」

 

これにて一件落着のようである。おまわりさんに頼ったら俺の家出も露見して説教される事請け合いなので助かった。自分がバカな事はもうわかっているのに、さらに人から言われるのはつらいことだ。

 

「じゃあ俺、帰るわ。バイバイやな」

 

「本当に、ありがとうございました。ほら、アドマイヤグルーヴ、お兄さんにバイバイって」

 

「アルヴって呼んで」

 

果てしなくむすーっとしながら言う。

 

「え?」

 

「ああ、来る途中仲良くなってあだ名つけたんですよ。かっこええでしょ?笑顔は要練習やな、アルヴ」

 

「ああ、そうだったんですか。はい。とっても良いと思います!アルヴほら、バイバイって」

 

「むー」

 

「バイバイ嫌かー。ほな、またね、やな。お互い頑張って、トレセンで会おうな」

 

「!うん!またね!」

 

今日一番の笑顔を向けられた。 魂が消し飛ぶかと思った。

 

「ははは。可愛すぎや。またなー!頑張るから頑張ってなー!」

 

「あ、お兄さん!お名前を!」

 

「名乗るほどのもんでも事でもないー!」

 

マップを見た記憶を頼りにここからの最寄り駅へ走る。

なんでもできるし、なんでもやらなければという気持ちで満たされていた。

 

最寄り駅から横浜に向かい、ラーメン食って新幹線に乗って帰った。

 

充電器を買うのを忘れ、帰りの連絡をし損ねた。玄関でずっと待ち構えていた母にシバかれ抱きつかれ泣かれたが、その後は本当に人が変わったように頑張っていた、とそれまでの彼を知っていた者は全員そう言った。

 

妹はあまり極端なわがままを言わなくなり、少し寂しかった。

 

 

 

「そんで、困ったら何でも言ってくれって言ってた親戚に頭下げに行って勉強のやり方教えてもらったり、色んな相談に乗ってもらったり。すごく優しくて頼りになる人でな。遠慮なく甘えさせてもらった。なにぶん、大黒柱が死ぬなんて初めての事でパニックになっててなぁ。意外と何とかなるもんなんだと驚いたよ。……いわゆる、良い大学を出ててもトレーナー試験は難しいと聞いたから、学力は前提として勉強以外にも色々できた方が良いのだろうと思って、結構色々やった。楽しかったよ。そして今に至ります。めでたしめでたし」

 

父親が死んで弾みでプチ家出した時に迷子に出会った、と言う話を語り終える。

……話してるとやっぱり色々思い出しちゃうな……

いや、それにしてもやっぱりデカくなりすぎだろアルヴ。分かるわけないだろこんなん。

 

「……お父さん、亡くなられてたんですね」

 

「うん。はは、いくら何でも行きずりの小さい子にいきなり言う事じゃない、と思うだけの分別は当時の俺にもあったらしいね」

 

気にするな、という意味を込めた笑みをアルヴに向ける。

 

「……どうして、あの時名乗ってくれなかったんですか。そうすれば、もっと……」

 

「いや、その方がかっこいいと思って……」

 

「……バカだったんですか?」

 

「失敬な。今同じ事があっても名乗らんぞ俺は」

 

「……バカなんですね、今も」

 

「くそ、何も言い返せん……スティル、黙ってないで俺の味方を……ど、どうした?」

 

「ご、ごめんなさい、私、軽はずみに……」

 

妙に静かだとは思っていたが、俯いて縮こまってしまっている。

 

「ああ、当人が良いって言ってるんだから気にしないでくれ、……って言っても難しいか。……こういう事があると、不意に家族の話題になった時に100パー気まずくなっちゃうんだよなぁ。嘘つくのも嫌だしさぁ」

 

「わかります」

 

わかられてしまった。アルヴとは深刻さのレベルというか次元が違う気がするが……なるほど、だからこんな空気になってるのか。迂闊だった。

 

「うーん、君もいらん苦労をしてきたんだろうなぁ……まぁ、早いうちに言う機会があって良かった、という事にしておこう。あの先生、元気?」

 

「……わかりません。すみれ先生は私が小学校に上がる頃に、何か家の都合で遠くに引っ越してしまって……友達も、実は1人しかできなくて。4年ほど前に、彼女を引き取るという人が現れて、その、色々あってそのまま喧嘩別れみたいに……謝ろうとしたのですが、施設の決まりで連絡先は教えられないと。……私、仲良くなれた人とは長続きしないのかも」

 

話題転換、大失敗である。スティルがますます縮こまっていく。

 

「惜しい別れは良い出会いだった証拠さ。人生割とそんなのばっかだよ。君はたまたまそういう経験をする時期が早かったんだろうね。慰めになるかはわからんが、俺とは再会できたし、そうだな、その2人からもファンレターとかで接触があるかもな」

 

「……ファンレター……」

 

「……この子と競えば、君は嫌でも有名になる。きっと凄い事になるよ。この世代のティアラ路線は」

 

隣で縮こまっているスティルのベールのシワを指先で軽く伸ばしながら言う。……本当にシワ入ってた。

 

俺の指先にアルヴの剣呑な視線が向けられているが、ビビって手を引っ込めるのもなんか癪なのでそのまま続ける。

 

「……勝てば、とは言わないんですね」

 

「そりゃあ、勝つのは俺たちだからな」

 

「ッ……!」

 

「……なんで」

 

スティルの頭に乗せた手が軽く押しのけられる。おや、と思って彼女の顔を見ると、きっ、と鋭い目を向けられた。

この状態の女の子に「怒ってる?」とか言ってはいけないという程度の事はわかるので彼女の言葉を待つ。……そんなにまずかったか。頭撫でるのって。

 

「どうして、アドマイヤグルーヴさんと契約していないんですかっ」

 

「「えっ」」

 

俺とアルヴの口から、異口同音に困惑の声が発せられる。

 

「この方は、この方はきっと、貴方とのか細い縁だけを頼りに、ずっと頑張って来たんです。それを、すっかり忘れていたなんて……!」

 

「い、いや、忘れていた訳では……ほら、ちゃんと思い出したし」

 

「思い出したと言うことは、忘れていたと言うことです!」

 

「ぐ……!だ、だって、迷子助けるなんてそんなレアイベントでも無いし、アルヴはピコデビモンからベルスターモンになってるし……」

 

「最後のたとえはよくわかりませんが、貴方にとっても大切な思い出なのでしょう!? なのに……最低です!」

 

「さ、さい、っさ、」

 

我が人生に於ける最大級のダメージ。二の句を継げないで口をパクパクさせていると、つーか息が出来ん!!!ヤバい!!!!!

 

「……ごめんなさい。言い過ぎました。……すこし、彼女と2人にしてくださいますか?」

 

「はぁ、はっ、はあっ、……え?いや、まだちょっとやる事が……」

 

「彼女と2人にしてくださいますか?」

 

「……はい!」

 

見覚えのある素敵な笑顔を向けられ、たまらず退散する。な、なんで……何であんなに怒ってるんだ……。

 

 

♦︎

 

ほとんど飛び出していくように外に出る彼を見送る。思考がまとまらない。内なる紅とは無関係に。こんなのは初めてだ。……私は一体、何をしているのか……

 

いくらかの沈黙のあと、アドマイヤグルーヴさんがため息の後に口を開いた。

 

「なに?今のは」

 

「も、申し訳ありません。私、出過ぎた真似を……でも、我慢できなくて……」

 

「……実は、ちょっとだけ、スッとした。……貴方、良いひとなのね」

 

ごくわずかな薄い笑み。確かに彼の言っていた通り、魅力的な笑顔だ。

 

「……あげませんからね」

 

「え?」

 

「あの人は、私を選んで、私もあの人を選んだんです。だから……あの人は私のトレーナーです」

 

「……ええ。良く分かったわ。とても」

 

「それに、あの人は、私の事が大好きなんです。……だから……」

 

「……そうなの?……ごめんなさい。軽率だった」

 

「謝らないでください!貴方にはその権利があります!……その、今のはフェアじゃありませんでした。忘れてください」

 

「??……何がしたいの?」

 

「うぅ……そんなの、私にも、わかりません……」

 

アドマイヤグルーヴさんはきょとんとした後、ほんのわずかだけ表情を緩めた。

 

「……何それ。……今朝、私に話しかけたのはどうして?」

 

「……その、私もずっと、友達がいなかったんです。でも最近は、トレーナーさんのおかげで色々な方と関わりが出来て」

 

「それで、私に情けでもかけたの?」

 

「そうではありません!その、とっても綺麗に走るから、以前から凄く気になっていて。今の私なら、自分から話しかけてみて友達を作れるかもと。……ああなりましたが」

 

「……貴方の走りは、とても不思議ね。最初は誰かの真似事かと思ったけれど、本質的には誰にも似てない。……特に、スパートの出力は理屈を超えてる」

 

「……私の事を?」

 

「この世代のティアラ路線で貴方を無視する者など居ないわ。……お兄さんが、選んだひとなんだから。強くなくちゃ、赦さない」

 

「……」

 

ああ、嗚呼、駄目。ダメ。 そんな目で、見つめられては……

 

「彼が育てる貴方はきっと、いちばんはやいウマ娘になる。……私はそれを踏み越えてみせる。……私の敵に、なってくれる?」

 

立ち上がり近づいて来た彼女の左手が差し出される。思考の前に、私の体は彼女の手を取っていた。

 

「ええ。ええ。ええ!……きっと、きっと素晴らしい狩りになるわ。ふふふふふ! 楽しみね。とぉっても。ふふ! うふふふふ!」

 

「狩り、ね。随分と自分本位な言い方をするのね。……これは競争よ。貴方も、狩られ得る」

 

「……もう。やめてよ。こんな時間から……滾って、昂って、止まらなくなっちゃうかも……♡」

 

左手が離され、アドマイヤグルーヴさんの頬を撫ぜようと動く。

渾身の力と意志を込めて、自身の左手首を掴んだ。

 

ギリギリと軋む手首を無感動に見つめて、インがため息をつく。

 

「はぁ。冗談よ。……こんなにも素晴らしい膳立てがされるのに、自ら台無しになんてしないわ。……またね。”アドマイヤグルーヴ”」

 

体の主導権が全て戻る。冷や汗が滲み出てきた。

 

「はぁ、はあ、……はぁ。……大丈夫でしたか?」

 

「……こっちのセリフよ。……今のがイン?本当に、全然違うのね」

 

「そ、そんな事までご存じなのですか?」

 

「……有名だもの」

 

「そ、そうなのですか……すみません、トレーナーさんを呼びに行きます。危ないかも……」

 

「私も行く」

 

「え……」

 

「そんな状態の貴方をひとりにするほど、冷たくはないつもりよ」

 

「……ありがとう、ございます……」

 

この方もインを怖がらない。……この学園は不思議な人ばかりだ。

 

 

 

トレーナーさんは外のベンチで、膝の間で組んだ指を伏し目で眺め、俯き気味に座っていた。

……いつも表情豊かな人なので、このようにアンニュイな表情をしていると、ある種の近寄りがたさすら感じる。普段とはかけ離れた様子だ。

……この人は一人で居る時、こんな顔をするのか。……やはり、怒っているだろうか。悲しんでいるだろうか。

もし、私が彼に最低だなんて言われたら……

いつもなら、彼は私が近づくだけでもこちらに気づいてくれるが、今はその様子は無い。

何と声をかけたものかとまごまごしていたら、見かねたらしいアドマイヤグルーヴさんが助け舟を出してくれた。

 

「お兄さん」

 

「……おっ。俺に秘密のカンバセーションはもう終わった?……えっ、おいスティル、なんだその跡」

 

私が何か言う前に左手を掴まれた。……ちゃんと右手で隠していたのに、この人はすぐに気がつく。

 

「……?自分で掴んだのか?何があったんだこりゃ。……跡になってるだけか」

 

安堵の息と共に手が離された。

 

「その……、アドマイヤグルーヴさんと話していたら、インが現れて、彼女に何かしようと……主導権を取り戻そうとしたら、右手だけ動かせて……」

 

「満月でもないこんな朝っぱらから、レースでも無いのに?……聞いてた話と随分違うが……状況聞いてもいいか?……やっぱ俺には秘密?」

 

「私がスティルインラブさんを挑発しました」

 

なんと答えたものか、と考える間もなくアドマイヤグルーヴさんが即答し、思わず驚く。

 

「えぇっ!」

 

「貴方たちは私の敵として、長く立ち塞がるのでしょう? 彼女も同意してくれました」

 

「おお、そちらからも宣戦布告か。挑発……なるほど、インには効果的そうだ。いや、そうじゃなかった。大丈夫だったか?」

 

「べつに。何もされていません。何かされたとしても自分で対処できます」

 

「もしなんかあったら、俺に言ってくれな。……全責任は、俺にあるので……」

 

「その、トレーナーさん……先ほどは……あんな事を言ってしまい……」

 

「? ああ、良いんだ。まったく君の言う通りだ。……アルヴ。さっきは君の気持ちを軽くあしらってごめん。もっと真剣に受け止めるべきだった」

 

「……」

 

「そんで、よく考えた上で俺のスタンスはさっき言った通りだ。色々想定してみたんだが……仮に、あらゆる困難を跳ね除けて、君とも契約が成ったとしてだ。……レースの時、なんて言って送り出してなんて言って迎えりゃ良いのかまるでわからなかった。……困るだろ、君たちだって」

 

「それは……」

 

「確かに……」

 

「チームを持つならいずれはやらなきゃならん事なんだろうが、今の俺には無理だな。意味がわからん。俺はスティルに全力を注ぐので、君も全力で応じてくれると嬉しい。共に競い合って、価値あるティアラにしよう」

 

「……はい。では、これで」

 

「まぁまぁ待て待て」

 

目を伏せて踵を返した彼女の右腕が彼にガシリと掴まれる。

 

「なんですか。……離してください」

 

「おっと失礼。……今日のお昼ご飯、俺が作るんだが、……食べに来るか?」

 

「な、なんなんですか、いきなり。敵同士なんでしょう?私達」

 

「トレセン学園に於いて、敵である事は仲良くしちゃいけないと言う意味を持たない。知らなかったのか?……自分で言うのもなんだが、俺の腕はなかなかのものだ。甘いものはスティルに敵わないが、しょっぱいものならまだまだ俺の方が上なんだ。はっきり言ってかなり自信がある。……あ、もしかしてなんか予定あった?」

 

「今日は自主トレで、午前中にジムの予約を入れているだけですが……」

 

困惑して助けを求めるような視線を向けられる。……私はいつもの調子に戻ったトレーナーさんに乗る事にした。

 

「ぜひ食べに来てください、アドマイヤグルーヴさん。……彼の料理、本当に凄いので。食べなきゃきっと後悔します」

 

「す、スティルインラブさん?」

 

「なんだ、二人ともよそよそしい。俺の悪口で盛り上がって仲良くなったわけじゃないのか?……アルヴ。俺が教えた自己紹介、やってみようか」

 

「な……!なんで私がそんな事……!」

 

「うーん、……あ、アレだ。俺はまだ君がスティルにつらく当たった事を許していない。だからほら、早く。にっこり笑顔でな。できないなら残念ながら昼食の話は無しだ」

 

「なっ、えっ」

 

「ごー、よーん、さーん、」

 

心底楽しそうな顔でカウントダウンが開始される。

 

「〜〜ッ!」

 

真っ赤な顔をした彼女がこちらを見た。

 

「ア、アルヴって、呼んで……!」

 

怒り6割、羞恥が3割といった感じの引き攣った笑顔を向けられた。……なぜそれで魅力的に見えるのだろう?

 

「……はい。アルヴさん。私の事はスティルと」

 

「ははは。そうか。そんなに食べたいか。笑顔の練習はあんまりしてこなかったみたいだな? 君のチームメンバー相手に練習すると良い。それで手打ちだ」

 

「……変。変よこのひと。本当に……!」

 

「ふふふ!……そうですね」

 

「……目の前で言うなよ。お、駿川さんだ。ちょうど良かった」

 

彼の視線の先を追う。少し遠くに、校舎に向かって歩いて行くたづなさんが居た。こちらには気づいていないようだ。

 

トレーナーさんが手を拡声器の形にして大きく息を吸う。…….もしかして、彼女もお昼に誘うのだろうか?

 

「お〜い!駿川さ〜ん! 今夜どう!?」

 

彼女は少し驚いてこちらを見た後、満面の笑みで頭上に大きく○を作って可愛らしく体を傾けた。

 

「やったぁ。追って連絡しま〜す!……さて、お手紙の続き書かなきゃ」

 

たづなさんは手を振って角に消えて行った。それを見届けて部室に戻ろうとする彼の腕を、むんずと掴む。

 

「? なんだ?」

 

「なんだではありません。なんですか今のは。なんですか。お、おふたりは、つ、つつつ、ど、どう言う関係で……」

 

アルヴさんが部室に入っていったのを見た時にかいたものと同じ種類の汗が背中をつたう。胃が縮む感覚と頭の奥がきゅう、と絞まる感覚。

 

「?……おお、久々に言われた。俺と駿川さんは付き合ってないよ。今のは飲みの約束」

 

「だ、だって、それにしては、ものすごく、親しげな……」

 

「ははは。あのなぁ、職場でこんな堂々とイチャつくカップル居たらただのバカじゃないか。気心の知れたもの同士の小粋なジョークって奴だよ。もう何年もずっとこんな感じだし、そう言う縁じゃないんだろ、多分。……子供に言う事じゃねぇな。まぁとにかくそう言う事だ。心配しなくても、みんなの憧れの頼れるお姉さんをとったりしないよ。外周の後は、部室で昼まで身体操作訓練な。アルヴ、適当にお腹すかせてから12時ぐらいにまたおいで」

 

呆然としながら、部室に戻る彼を見送る。子供……。確かに、確かにそうだけれども……!

……彼の言う大好きって、やっぱり……いや、言ってないけれども……!

 

「……余裕ぶっこいてた癖に、随分話が違うようだけれど?」

 

「ア、アルヴさん?」

 

朝よりもはるかに鋭い眼光が突き刺さってくる。

 

「貴方、そのポジションにいてあっさり掻っ攫われたりしたら、承知しないからね。……じゃあまたお昼に。……スティルさん」

 

ふん、と鼻を鳴らして彼女はジムの方へ歩き去っていった。

 

《……何をやっているの》

 

「貴方に!貴方に言われたくは……!うぅ……本当に、私は何を……」

 

♦︎

 

椅子に深く腰掛け、スティルに追い出された時にしていた思考の続きをしてみる。

 

……あの歳で、精神的にも経済的にも頼る先が無い、と言うのはどんな感じなのだろう。

どんなに行き詰まっても、どんなにどうしようもない気持ちになっても、甘える先も、当たり散らす先も無い。その選択肢すら最初からない。……想像もつかないが、自分にはとても無理だ、と思った。自分は明らかにそうやって子供時代を生きて来たし、たまに甘えさせもしたから。

 

なのに、アルヴはそんな環境で、どうやってあんなにも大きくなったのだろうか。

 

スティルはすぐにそこまで思い至り、初めて話した子のためにあんなにも怒ったのだろう。

 

「優しい子だな……ほんとに。……縁が出来てるからには、ちゃんと見ててないとな……」

 

せめて、彼女がつまずいたとき、大丈夫か?と聞いてやれるぐらいには。

 

「いや、俺たちがつまずかせるのかも知れないのか」

 

まぁ、その時は気持ち良く当たり散らせるように煽りまくってやろう。勝者の礼儀だ。

 

◾️

 

またね、の”また”がいつなのか分からなくて、すみれ先生に何度も聞いたら、アルヴがもっと大きく速くなったらだね、と言われたので沢山ご飯を食べて、沢山走った。

 

何年かしたあと、ジュニアクラブの体験入部で歳上の子達もみんな負かした時、すみれ先生はもういなくなっていた。負けた子達はみんな、誰かに頭を撫でてもらっていた。

ぜひ、どうかうちで育てさせてくれ、と色んなクラブから声がかかったらしい。沢山走れるようにと、一番近いところを選んだ。

 

私はひとりでも強くなれた。だけどある時、どうしようもなく、どうしてもどうしても寂しくなって、新しく施設に来た子にアルヴって呼んで、と言ってみた。

同い年の普通の女の子だった。たぶん、仲良くなれたと思う。彼女はいつも、私とお兄さんの話を聞きたがった。私もそのぐらいしか話せる事が無いし、その話をすると気持ちがあったかくなるので、好んでやった。

私は施設の子達に疎まれていた。えこひいきされている、ずるい、などと陰で言われている事は知っていた。まぁその通りだ、と思って放っておいたら、私と唯一仲の良い彼女が直接的な嫌がらせの標的になった。

 

私は生まれてはじめて怒り狂い、主犯の男の子の胸ぐらを掴んで言葉のかぎり詰った。震え上がりながらも謝罪も反省も口にせずに悪態をつく彼の頬を張ってやろうと振りかぶった時、彼女に後ろからほぼ飛びつくように抱きつかれ制止された。

 

「まって。お願いアルヴちゃん。やめて」

 

「なんで!」

 

「アルヴちゃんが走れなくなるから。……私、やっぱりここを出てく」

 

手の力が抜け、彼がどさりと音を立ててしりもちをつく。

 

「な、なんでっ。私と一緒が良いって、そう言ってあのひとを追い返したんじゃなかったの?」

 

彼女は先日、園長先生と知らない人と一緒に、応接間に入って行った。これをした子はみんな施設から居なくなる。

話し合いが終わったらしい彼女に、別れを告げられるのだ、と身構えていると、今のように説明された。

本当に、本当に嬉しい出来事だった。

 

「……アルヴちゃんに、私は必要無いもの」

 

「……うそつき。うそつき!仲良くなんか、なるんじゃなかった!」

 

彼女を振り解いて部屋に戻る。

布団にくるまって、ひとしきり泣く。そのまま、彼女が部屋に戻って来たら謝ろう、と考えていたらいつの間にか朝になっていた。彼女はいなくなっていた。

 

 

 

 

◾️

 

トレセン学園への入学が決まった時は、久しぶりに素直に喜んだ。あの施設から離れ、本当に走る事だけに集中できる。……そして、もしかしたら……

しかし、入学後しばらくしても彼らしき人は見つからず、名前どころか、いるのかどうかも分からないひとを待つ余裕など無かった私は、選抜レースに出走し完璧に勝った。

ティアラ志望の身として文句のつけようもない経歴を持つトレーナーから特に熱心に声をかけられ、ほぼ二つ返事で答えた時、人だかりから少し離れた所にいる彼と目が合った。

他のひと達とは距離を置いているのか、置かれているのか。いまいち感情が読めない、と言うよりはボーッとしている?……何をしにきたんだろう。まぁどうでもいいか、と意識を逸らそうとするが、どうにも気になる。

……雰囲気も身長も全然違うが……似ている? まさか。……もし、もしそうなら、絶対に声をかけてくれる筈だ。だって、私は、完璧に……

 

彼は瞑目して鼻から息を吐くと、踵を返して去って行った。

 

もう、彼の事を気にするのはやめようと思えば思うほど、思考に彼が入ってくる。彼は、あのお兄さんなのだろうか。だとしたら何故声をかけてくれなかったのか。……忘れ去られている?それとも、私だと分かった上で、私の走りを見て、私を選ばなかった?

 

どちらも、受け入れがたい想像だった。

しかしそれを確かめる勇気は湧いてこないまま、悶々と日々を過ごす。

ほどなく、彼女は現れた。

スティルインラブ。彼に選ばれたウマ娘。

 

 

「ギャハハハハ!リスだ!」

 

ウマ娘で賑わうカフェテリアでは男性の声はよく通る。わざわざ人が少なくなる昼休み後半を選んで来たのに何事だ、と思って声のした方を見る。

 

「あ……」

 

彼の屈託のない朗らかな心根がそのまま表出したような笑顔が目に入り確信する。彼は、お兄さんだ。対面には白いベールを纏った栗毛のウマ娘がいた。

 

お兄さんは心底……いいものを眺めるように対面の彼女の食事の様子をじっと見ている。

食事が終わり何やら話している。……どうやらこれから練習場に向かうようだ。今日の選抜レースだろうか?出走は午後の授業が終わってからだ。

彼女が私と比べて何が優れているのか見極めよう、と思った。

 

 

異様なウマ娘による異様なレースが終わった。

……私が出ていれば勝っていた、と断言できる。しかし、あの謎の減速が無かったとしたら、私はあのスパートの出鱈目な出力から逃げ切れるだろうか。もしくは追いつけるだろうか。

レースは様々な駆け引きが複雑に絡むスポーツだ。純粋な速度だけで測れるものでは無いが、アレは……あまりにも……

 

場がざわつく中、お兄さんはターフをずんずん歩いて行き、ゴール板前でくるくる踊る彼女に、嬉しそうに何か声をかける。

彼女は彼と共に戻ってくる途中、突然お兄さんの腕に絡みついた。

お兄さんは胡乱げな顔で彼女に何か言ったが、結局そのままにさせる事にしたようだ。

 

私は何故か見ていられなくなって、その場をあとにした。

 

 

走りへの没頭を始める。私がこの学園に望んだ事だ。私をスカウトした佐倉トレーナーの指示や指導は的確で、みるみる実力が伸びていくのを日々感じる。そして佐倉トレーナーはエアグルーヴ先輩とは違い、トレーニング以外では私のことを放っておいてくれる。

エアグルーヴ先輩がトレーニング後、度々あまりにしつこく干渉しようとしてくるので、

 

「私が契約したのは貴方ではなく、佐倉トレーナーです。エアグルーヴ先輩」

 

と、ある程度の口論は覚悟した上で言い放ったところ、しおしおとした様子で

「……すまん」

とだけ言って離れて行った。……打たれ弱すぎないか?

チームの他の先輩2人に慰められている。

「……慣れるまでは、放っておきましょうよ。悪い子じゃ無いし」

「ナイストライだよ!グルーヴさん♪」

「……堂々と面白がるんじゃ無い、ファイン」

「……それとも、アイツに相談してみますか? たぶん得意でしょ、ああいう子」

「私に、あいつに頭を下げろと?……それも、やむなしか……」

「子分くんはそんな事しなくても聞いてくれるよ。……最近、彼の顔見てないなぁ。呼ぶ?」

「やめろ。……独立したばかりで、最近は忙しいようだ」

「え?そうなの?うわ〜、ウインディさんもデジタルちゃんも寂しがりそう〜!」

「……お前はいつも楽しそうだな」

「うん!」

「……それでデジたん、最近ちょっと元気なかったんだ」

 

私にわからない話がはじまった。ぺこりと一礼してチーム〈ヴィーナス〉の部室をあとにする。

 

そして今日。土曜日の朝。オフの日の自主トレは午前のみで軽く、と厳命

されているので、可能な限り早起きした。ほぼ一番乗りで朝食を摂っていると、聞き覚えのある声が耳朶を打つ。

 

「おはようございます。アドマイヤグルーヴさん。……その、相席してもよろしいでしょうか?」

 

顔を上げると、ここ最近目に入った時は、嫌でも意識してしまう顔。いきなり何?とか私を知ってるの?などの思考があったはずだが、実際に私の口から飛び出したのは、

 

「チッ……私に構わないで」

 

というものであった。……物凄く驚いている、と言うか明確にショックを受けている。

……何か言えばいいのに、そのままずっと突っ立っている。私は朝食をかき込んで、寮の食堂をあとにした。

 

 

……やってしまった。……べつに、彼女を憎んでいるわけでは無い、と思う。

ただ、これは……うらやましい?

自分が思いのほか浅はかな性質をしている事に、ため息が出た。

それにしても、普段の彼女はレースの時とは随分印象が違う。……あのレースに出走していたオースミハルカさんがそこらで喧伝している、スティルインラブさんはレースの時はインと言う別人格が走るのだ、と言う与太話を思い出す。……まさか。

 

先ほど、彼女はジャージを着ていた。土曜日にお兄さんを見かけた事はある。彼はいつも誰かしらと話しているので声をかける事はできなかったが。

彼女の自主トレで無ければ、今日はトレーニングがある日なのかも知れない。

 

……彼女は、さっき私がやった事を彼に言うだろうか?

 

「……謝らないと」

 

彼に嫌われる、と言うのはこれまでで最も恐ろしい想像だった。

それに、このまま彼に関して悶々とし続けていたらきっと走りに支障が出る。

準備体操が終わったら、彼らが2人で使っているらしい部室を訪ねよう、と決意した。

 

 

そして今。

 

「はぁ……」

 

お兄さんとは、再会できた。たまに夢想していた形とはかなり違うが。

 

「……私も、わからなかったけれど……気づいてよ、ばか」

 

彼は私の事を忘れ去ってしまった訳では無かった。それどころか、私を恩人だと言ってくれた。……これから、何でも相談に乗ってくれるらしい。

しかも何故か、今日の昼食をご馳走になる事になった。

 

不満が無い訳では無いが、来て良かった。

彼に触れた右手を頬に当てる。そのまま、耳や髪などを軽く触ってみる。

 

「……また、いっとうかわいいって言って欲しかったな……」

 

彼は優しくて頼りになるひとのままだ。……だが、何であんなにキザというかナンパな感じになっているのか。

……やっぱり、ああいうひとはもてるんだろうか……

スティルさんも、明らかに彼のことを……

 

……考えても栓のないことだ。今日はウェイトトレーニングだけであとは軽く流すだけの予定だったが、プールにも行っておこう。

 

誰かとの食事が楽しみなんて、いつ以来のことだろう。

 

「ふふ……」

 

 

 

 

 




アドマイヤグルーヴのヒミツ

実は、すみれ先生に貰った交通安全のお守りの中に、ガーゼを除去した絆創膏を入れて大切に持っている。
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