マスターランク昇格クエスト当日。パーティハウスの集合場所に、タンク、アタッカー、サブアタッカー、ヒーラー、そしてデバッファーが揃った。誰もが最高の集中力でクエストに臨もうとしていたが、メインヒーラーのセイクリッドだけは、夫であるブレイズと、静かに佇むアリス(ウィスパー)の二人から目が離せなかった。
彼女のクラス、ホーリープリーストは、パーティメンバー全員のHPと状態異常、そしてバフ・デバフの付与状況を常に把握する。彼女にとって、アリスの動きは誰よりも重要だ。アリスが防御デバフを入れるタイミングと、ゼウスの攻撃が着弾するタイミングが合わなければ、無駄な回復リソースを使うことになるからだ。
「ブレイズ、ウィスパー。体調は万全ね?」セイクリッドは尋ねた。
「ああ、いつでも行ける」ブレイズは力強く答える。
アリスは静かに頷いただけだった。
(あの二人の間に流れる空気は、私とブレイズの間の信頼とは、少し質が違うわね)
セイクリッドは感じていた。自分とブレイズの関係は**「公私にわたる絶対的な信頼」。しかし、ブレイズとアリスの関係は、「戦場で勝利を掴むための、冷徹で異常なまでの相互依存」**だった。ブレイズの指揮は彼女の回復タイミングの起点であり、アリスのデバフは彼女の回復負荷を左右する。戦場においては、夫よりもアリスの情報の方が、彼女の生死を握っていると言っても過言ではなかった。
いよいよ、ランクアップクエスト「凍てつく魂の看守(フリーズン・ソウル・キーパー)」への挑戦が始まった。
古城の奥深く、氷の玉座に座すボスは、その名の通り、全身から冷気のオーラを放っていた。
「全員、初期配置へ!リゼルは定点から、ゼウスは側面を維持!ウィスパー、初期の冷気耐性ダウンを最速で!」ブレイズが全体に指示を出す。
セイクリッドはすぐにパーティ全員に**『再生の光』**のバフをかける。
アリスはブレイズの指示より早く、ボスの足元に**『コールド・パルス』**という冷気耐性ダウンのデバフを付与した。
(早い...ブレイズが指示を出す0.5秒前にはデバフが入っている。あの二人は、もうVCを通さなくてもタイミングが完全に同期している)
ブレイズが突進し、ボスのヘイト(敵意)を一瞬で固定する。戦闘は完璧なスタートを切った。
ゼウスの渾身の一撃がボスに深く突き刺さる。数字の上では快調なスタートだったが、ゼウスは不満を隠しきれない。
「ウィスパー、俺の火力がまだ15%足りない!早く**『猛攻の呪印』**をかけろ!」
『猛攻の呪印』はアタッカーの火力を大幅に引き上げるスキルだ。アリスの最も重要な仕事の一つのはずだった。
アリスは内線でブレイズに短く伝える。
「ブレイズ。ゼウスにはまだ無理だと伝えてください。今は冷気耐性ダウンの維持を優先します」
ブレイズは全体のVCで即座に指示を出す。
「ゼウス!攻撃を集中しろ!ウィスパーのデバフは今は耐性ダウンで固定する。全体の火力を優先するぞ!」
「くそ!なぜ俺の火力を優先しない!個人の火力が上がれば全体の貢献度も上がるだろ!」
セイクリッドは、ゼウスの苛立ちがVCを通じて伝わってくるのを感じた。そして、アリスがゼウスの要求を拒否している理由を、冷静に分析する。
(ウィスパーは、なぜ火力を直接上げるバフを拒否したの?単純にDPSを上げるだけなら、ゼウスの言う通りのはず。…まさか、このボスのギミックに、冷気耐性デバフの蓄積が必要だと、もう読んでいる?)
アリスは、ゼウスの要求を拒否し続けることで、ゼウスのブレイズへの不満を意図的に引き受けているようにも見えた。セイクリッドは、夫が**「指揮官の威厳」を犠牲にしてまでアリスを信じている重圧と、アリスがその重圧を理解した上で「沈黙の判断」**を下している緊張感を、誰よりも近くで感じていた。
その緊張感の中、ボスのHPがゆっくりと60%に近づいていく。そして、アリスだけが知る、デバッファー殺しのギミック発動の瞬間が迫っていた。
次話では、いよいよゼウスの不満が爆発し、アリスの**「沈黙の準備」の伏線が明らかになる第5話「凍てつく魂の看守」**戦の本格的な展開を執筆します。