【書籍化】男女比が壊れた世界でギスギスする話(書籍タイトル:恋奪の教室)   作:月島しいる

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8話

「夕方は意外と涼しいね」

 

 ホテルの周りには、広々とした遊歩道が海岸に沿うように整備されていた。

 瑞樹(みずき)は寧々(ねね)と手を繋いで、ゆったりと歩いた。

 

「瑞樹(みずき)くん……」

 

 歩きながら、寧々(ねね)がすりすりと身体を寄せてくる。

 気づけば繋いでいた手が離れ、腕に巻き付いていた。

 

「さっきはロビーで何やってたの?」

「えっと、緒方(おがた)さんと将棋やったり、後は雑談とか」

「将棋? 瑞樹(みずき)くん、将棋やるの?」

 

 寧々(ねね)が意外そうに小首を傾げる。

 

「うん。昔、時間があまってた時に結構やってたんだ」

 

 前世のぼんやりとした記憶の向こうの出来事だった。

 遊び方を教えてくれた人の顔も、はっきりとは思い出せない。

 ただ、いくつかのやり取りが魂に焼き付いたように残っていた。

 

 ――こうやって考え事をしているとね、死の恐怖が和らぐんだ。

 

 小児病棟のプレイルーム。

 カラフルな色彩の部屋で、最年長の少女はチェスボードを眺めながら、いつも退屈そうにしていた。

 普通ならば一般病棟に移動する年齢にもかかわらず、彼女は小児病棟に残っていた。

 幼かった当時の瑞樹(みずき)には、その意味がまだわからなかった。

 

 ――よかったら、私の相手をしてほしい。

 

 瑞樹(みずき)とは随分と年が離れていたように思う。

 手ほどきを受けてしばらくしてから声をかけた理由を聞くと、彼女は笑いながら言った。

 

 ――少なくとも、私よりは長生きしそうだからね。

 

 そして、本当に彼女のほうが先に死んでしまった。

 今も、彼女から教わったものが瑞樹(みずき)の知識として残っている。

 

「わ、私もやってみようかな」

 

 腕に絡みついた寧々(ねね)が、さらに身体を寄せてくる。

 どこか、媚びるような表情だった。

 

「そうだ。今夜、お部屋行っていい?」

 

 むにゅ、と胸が押し付けられる。

 寧々(ねね)の濡れた瞳が、じっと瑞樹(みずき)を見下ろしていた。

 

「十八家の人ばかりだと気を遣っちゃわない?」

 

 囁くように言って、寧々(ねね)は微笑んだ。

 

「お菓子とかもっていくし、その……」

 

 そこで寧々(ねね)は少し言いよどむと、恥ずかしそうに顔を伏せた。

 

「私だったら……瑞樹(みずき)くんがしたいこと……何でもしていいからね?」

 

 瑞樹(みずき)は思わず足を止めた。

 いつもの寧々(ねね)に比べて、言動が不安定に思えた。

 笑みの中にも、瑞樹(みずき)の機嫌をうかがうような卑屈な表情が混じっている。

 

「……寧々(ねね)ちゃん、ちょっと座ろうか」

「うん」

 

 ちょうどいいところにベンチがあり、二人して腰かけた。

 それから、後ろから影のようについてきている玲(れい)を見やる。

 玲(れい)は気を利かせるように、話が聞こえない距離を保って足を止めた。

 

「寧々(ねね)ちゃん、夏休みはどう? やっぱり忙しい?」

 

 瑞樹(みずき)は出来るだけ、曖昧に話を切り出した。

 寧々(ねね)のようなスポーツ枠の生徒は清華団(せいかだん)での活動が免除されている代わりに、全国大会に向けた選抜練習を課せられる。

 しかし、寧々(ねね)の口から大会の話が出たことは今まで一度もない。

 何となく、うまくいっていないのだろうという予感が瑞樹(みずき)の中にあった。

 

「えっとね……控えからも落ちちゃった」

 

 寧々(ねね)はするりと答えた。

 思ったよりもあっさりとした反応。

 瑞樹(みずき)が相槌を打つより先に、寧々(ねね)が言葉を繋げる。

 

「元々、何となくで始めたんだ。小学生の時に背が高いからって理由で勧められて」

「……うん」

 

 寧々(ねね)の目は瑞樹(みずき)ではなく、遠くに向けられていた。

 

「それまで得意なことなんて何もなくて、筋が良いって言われた時は結構嬉しかったの」

 

 でも、と寧々(ねね)の視線が足元に落ちる。

 

「急に背が伸びなくなって、周りに抜かされちゃった」

 

 伸びなくなった、という言葉に瑞樹(みずき)は寧々(ねね)を静かに見上げた。

 178cmは、高校一年の女子としては十分に高身長に思える。

 瑞樹(みずき)の視線に気づいたように、寧々(ねね)は苦笑する。

 

「一応、まだ一年生としては高い方なんだけどね。でも、何となく自分の限界が見えちゃったんだ」

「……そっか」

 

 寧々(ねね)の話には、瑞樹(みずき)にも覚えがあった。

 チェスや将棋をやっていた時、病院からネットに遊び場を移すと、自らの立ち位置というものを嫌というほど思い知らされたものだった。

 寧々(ねね)の場合、バレーは遊びではなく生活に紐づいていて、無力感は比べ物にならないだろう。

 

「コロニーで私だけ何もないし。みんなちゃんとした家の人なのに」

「……」

 

 きっと、現状に焦りを感じているのだろう。

 不安定になっている理由は明白だった。

 

「一応言っておくけど、ボクは寧々(ねね)ちゃんがバレーの選抜選手だから声をかけたわけでもないし、クラスの人の家の大きさとかもボクはあまりよくわかってないよ」

「うん。それはね、わかってるつもりなんだけどね」

 

 寧々(ねね)の表情は晴れない。

 もう一押し必要そうだった。

 

「恥ずかしいからはっきり言ったことがないんだけど、ボクは寧々(ねね)ちゃんといる時が一番落ち着くよ」

「……本当?」

「隣の席っていうのもあるけど、一番話しやすかったし。最初、ちょっとクラスの雰囲気が良くなかったし」

「あ……うん。なんだか怖かったよね」

 

 寧々(ねね)が同意するように、こくこくと頷く。

 

「この前みたいに一緒にゲームで遊んだりとか、雫(しずく)や乃愛(のあ)じゃ無理だし」

「あはは……一色(いっしき)さんってゲームとか触ったことあるのかな?」

「だから、コロニーのことで悩んでるんだったら、気にしなくて良いからね」

「……うん」

 

 寧々(ねね)は納得した様子を見せたが、瞳の奥は未だ不安に揺れていた。

 こうしたコンプレックスを言葉だけで解消することは難しい。

 長い時間をかける必要がありそうだった。

 

「そろそろ夕飯だし、戻ろっか」

 

 ベンチから立ち上がると、すぐに寧々(ねね)が腕を絡ませた。

 来た時以上に力が入っていた。

 互いの顔の距離も、随分と近い。

 

「瑞樹(みずき)くん」

 

 寧々(ねね)が照れるように笑って言う。

 

「好き……えへへ」

 

 少し元気が戻ったようだった。

 そこで、離れたところにいる玲(れい)と目が合った。いつも通りの無表情だったが、どことなく視線が冷たく、じっとりとしている。こちらは反対に、機嫌を損ねてしまったらしい。

 

(コロニー内のバランスも、もっと考えたほうがいいのかな)

 

 七月の遺伝子提供で御倍美弥(ごばい みや)を選んだのは、コロニーの誰とでも比較的関係が良好そうだったからである。

 乃愛(のあ)はもちろん、雫(しずく)ともそれなりに上手くやれそうだったし、寧々(ねね)とも関係性があるという点で瑞樹(みずき)としてはバランスを考えたつもりだった。

 それでも、小さなひずみが生まれつつある。寧々(ねね)はコロニー内の身分格差にコンプレックスを覚え始めているし、あまり寧々(ねね)に構いすぎると今度は玲(れい)の不満が溜まりそうだった。

 瑞樹(みずき)はホテルへ戻る道を歩きながら、コロニー内のバランスについてじっくりと考えを練るのだった。




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