「本当にこんな所にあるの?」
夕方の歓楽街は、仕事帰りの女性で溢れている。
「はい。地図ではこちらで間違いありません」
社会奉仕先の安楽死施設という響きで何となく閑静な郊外を想像していた
通りすがりの女性たちが、物珍しそうに
「ここです」
俗にペンシルビルと呼ばれる細長い雑居ビルで、年季が入った外壁には亀裂が目立った。
「……とりあえず中に入りましょう」
中は郵便受けとエレベーター、非常階段に続く扉があるだけだった。
「間違いありません。ここの三階です」
郵便受けで施設名を確認した
異音が鳴るエレベーターで三階に上がると、すぐに受付があった。
中は白色で統一され、古びたビルの外観とは裏腹に清潔感があった。
「慰問のご予約をされていた
「はい」
「本日、待機されているのは一名様のみです。最期にこのような機会を頂き、非常に喜ばれるでしょう。ご案内いたしますね」
受付の女性がにこりと笑い、歩き始める。
通路には5つの個室が並んでおり、彼女は一番手前の個室の扉をノックした。
「
そう言って、扉を開ける。
「あら、嬉しい。最期にこんな天使のような子が来てくれるなんて」
ベッドに一人の年老いた女性が横になっていた。
腕には点滴のチューブが刺さっている。
「はじめまして。
「あらあら。高校生かしら? 若いわねぇ」
喋っている間に、受付の女性が椅子を持ってきた。
「何年生なの?」
「一年生です」
「まあ。じゃあ入学したばかりね。お友達はできた?」
「はい。何人か仲の良い人ができました」
中村は
「学校はどこなの? あ、これって聞いたらダメだったかしら?」
「大丈夫だと思います。白雪学園という所なんですけれど」
「ああ! あの赤い煉瓦造りのところね? 若い頃に文化祭を見に行った事があるわ」
嬉しそうに両手を叩く中村に、
「白雪の中まで入られたんですか?」
「ええ、今でもよく覚えてる。とても立派な屋台が並んでいて、男の子が焼きそばを焼いてくれたの。男性の料理なんて食べられる機会ないでしょう? 嬉しくて嬉しくて」
そこで中村は咳き込んだ。
乾いた咳だった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ。今日はお薬がよく効いていて楽な方なのよ。ひどい時は全身が痛くてね」
大丈夫、という言葉とは反対に、声には微かな震えが混じっている。
なおも咳き込む中村を前に、
「癌なのよ。治療にはお金もかかるし、とても痛くて。だからここに来たの」
「……その……いつなんですか?」
「実施は明日よ。今日はその準備。美味しいご飯が出るの」
と言っても、と諦めたように中村が笑う。
「もう食欲なんてあまりないからねえ……だから、若いうちに好きなものいっぱい食べるのよ」
「……ボクに出来る事、何かありますか?」
「色々とお話ししてくれると嬉しいわ。喋っていると痛みが紛れるの」
そこでまた、老女は身体を折って咳き込んだ。
額には薄っすらと汗が滲んでいた。
「そうそう、学校の話が聞きたいわね。どんな事をしているの?」
「今日は……体育祭に向けて皆で競技を決めたりしました」
「男の子も競技に出るのかしら?」
「はい、二人三脚に出る予定です」
「あらあら! ペアになった子は幸せ者ね。きっと一生の思い出になるわ」
「……ボクは……そんなんじゃ……」
「こういうのはね、女からしたらとても貴重な事なのよ。きっと、あなたが思ってるよりもね」
不意に、軽い眩暈がした。
視界がぼやける。
「だから、優しくしてあげてね。ごめんなさい、私が言う事じゃないと言う事はわかってるんだけど」
ぼやけた視界の先で、記憶の向こうの誰かと姿が被った。
靄がかかったように、顔も思い出せない誰か。
「社会奉仕先はもう色々と回っているの?」
「いえ……実は殆ど行った事がなくて……その、人が怖くて」
「あら……そんな風に見えないけど……今も無理させちゃってるの?」
「今は……大丈夫なんです。その、大丈夫になって」
死の境界。
超えてはいけない境界を越えた先に見えた何か。
垣間見えてしまった、本来は持ち越せないであろう記憶。
ぼんやりと見えるどこかの光景が、今見える風景と被る。
「そういえば顔色が悪いように見えるわね。大丈夫?」
「……大丈夫です」
死の奥に、もう一つの死が見えた。
呼吸が浅くなり、動悸がおかしくなる。
「本当? 無理してない?」
精神に変調を来しているのが、自分でもわかった。
高い耳鳴りが脳を貫き、鋭い頭痛が走った。
ぐわんぐわん、と視界が回る。
「ごめんなさい。少し貧血気味なだけです」
笑みを作り、それで、と話しかける。
「今も身体が痛むんですか?」
「ええ、そうね。薬が効いていても全身が辛いわ」
「……こうすると、どうですか?」
手を取り、両手で握る。
同時に、
「少しは安心できませんか?」
「ええ。ええ。とても気持ちが楽になるけど……こんなしわしわの手を触らせちゃ悪いわ」
「……頑張りが刻まれた方の手だと思います」
「まあ、嬉しい事を言ってくれる子ね」
そこで、後ろから
「瑞樹様、お時間です」
「あら、あら。もうそんな時間? 今日は本当にありがとうね」
「すみません、そろそろお
「ええ、ええ。おかげで気持ちが楽になったわ。お気をつけてね」
最後に頭を深く下げて、
中村は最後まで手を振っていた。
「ありがとうございました」
受付の女性が頭を下げ、
「
心に重たいものが引っ掛かったように落ち込んでしまっていた。
ただやるせなくて、どうしていいか分からなかった。
「……」
エレベーターが一階に到着し、二人してそのままビルを出る。
途端に広がる歓楽街の喧騒が、まるで別世界のようだった。
「
どこか身体がふわふわして、不安定だった。
呼吸の仕方を忘れてしまったように、息が苦しい。
いつも通りに振る舞おうとして、妙に明るい声色になった。
「
「少し、風に当たりたい気分なんだ」
辺りはすっかり暗くなっていた。
大通りを歩く女性たちが、じろじろと