男女比が壊れた世界でギスギスする話   作:月島しいる

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19話

「こういう所ってあまり来ないけど、すごく賑やかだね」

「会社帰りに飲みに訪れる方が多いのでしょうね」

 

 通りには労働者向けの安い居酒屋が多く目立った。

 薄汚れた雑居ビルも多く、瑞樹(みずき)は物珍しそうにそれを眺めた。

 やがて、一つの店舗の前で立ち止まる。

 

「ここって何?」

瑞樹(みずき)様……その……」

 

 言い淀む(れい)を見て、何となく察する。

 ガラス越しに中を覗くと、怪しげなアダルト商品が見えた。

 

「へえ……入ってみようよ!」

「み、瑞樹(みずき)様……」

 

 (れい)に止められる前に、瑞樹(みずき)は手動の扉を開いた。

 中にいた数人の女性がギョっとしたように振り返る。

 

「わ、色々あるね」

 

 棚には、女性向けのアダルト映画が並んで販売されていた。

 と言っても、パッケージを見る限り、男装した女性による疑似的な行為のようだった。

 

(れい)さんもこういうの買ったりするの?」

「……まさか」

「本当?」

「……はい。誓います」

 

 言葉とは裏腹に、(れい)が気まずそうに視線を逸らす。

 瑞樹(みずき)は不安定になった精神を誤魔化すように、店の中をじっくり見て回った。

 

「色々な道具もあるんだね」

「み、瑞樹(みずき)様……このような場所はあまり……」

 

 (れい)の慌てる様子を見て、クス、と笑いながら吊り下げられた性具たちを眺める。

 その中の一つから、変な形をしている張り型を手に取った。

 

「これは何でトゲトゲしてるの?」

「……さあ……私もさっぱり……です」

 

 パッケージには刺激的な売り文句がデカデカと書かれていた。

 このトゲトゲしているのが女性にとって理想の形なのだろうか、と考えながら商品を戻し、更に店の奥に踏み込む。

 

「……これは?」

 

 レジ前の透明なショーケースに、男性用の下着が飾られていた。

 顔写真とともに、高額の値札が書かれている。

 

「……下着、買ってもらえるんですか?」

 

 レジに立っていた店主らしき女性に声をかけると、彼女は不愛想な顔で、まあね、と頷いた。

 

「もちろん、合意の上だよ。盗品とかは取り扱ってない」

「へえ……」

 

 飾られてる下着の値段はまちまちだった。

 高額の値札に、視線が吸い寄せられる。

 頭の中は、ひどく冷めきっていた。

 反対に、腹は鉛を詰め込まれたように重かった。

 

「いくらですか?」

「どれが?」

「ボクだったら、いくらになりますか?」

「瑞樹様ッ! これ以上のお戯れは……!」

 

 (れい)が悲鳴のような声をあげるのを、手で制する。

 

「いくらで売れますか?」

 

 真剣な顔でもう一度問いかけると、冷やかしではないと悟ったのか店主がまじまじと瑞樹(みずき)を上から下まで舐めるように見つめた。 

 

「あんたなら……80万……いや、90万……100万だな」

「現金ですか?」

「ああ、写真も必要だけど」

 

 瑞樹(みずき)は短く息を吐き出すと、その場でベルトに手をかけた。

 (れい)が慌てたように瑞樹(みずき)の腕を掴む。 

 

瑞樹(みずき)様いけません!」

「じゃあ(れい)さんが買ってよッ!」

 

 反射的に叫び声が出た。

 (れい)と店主が驚いたように後ずさる。

 

瑞樹(みずき)様……」

 

 呆然とする(れい)を置いて、瑞樹(みずき)はその場でズボンごと下着を脱ぐと、戦々恐々している中年店主に下着を手渡した。

 

「き、金庫を見てくる。待ってろ……」

 

 店主が奥に現金を取りに行く間、辺りを気まずい沈黙が満たした。

 瑞樹(みずき)がズボンを履き直し、ベルトを締める金属音が響く。

 店内に流れるラジオの明るい声が、どこか寒々しい。

 

「写真も……いいか?」

 

 奥から紙袋を手に戻ってきた店主が、その場で現像できるカメラを見せる。

 

「はい」

「じゃあ……そこの壁の前に立って」

 

 店主に言われたまま、壁際に立ってピースサインを取る。

 上手く笑えなかった。

 それでも、店主は何も言わずに黙って紙袋を差し出した。

 受け取り、中に札束が入っている事を確認する。

 

瑞樹(みずき)様……一体何を……」

「戻るよ」

 

 隣で呆然と立ち尽くす(れい)に短く言って、瑞樹(みずき)は紙袋を抱えたまま踵を返した。

 

「ど、どこにですか」

「施設に戻らないと」

 

 店を飛び出し、早足で元来た道を戻る。

 夜に輝くネオンの光が、視界の端で瞬いた。

 くらくらと眩暈がする。

 思考がバラバラな自覚があった。

 得体のしれない焦燥感だけが、瑞樹(みずき)を突き動かした。

 

瑞樹(みずき)様、どうか一度ご冷静に」

 

 制止しようとする(れい)を無視して、古びたペンシルビルに真っすぐ入る。

 歓楽街の中で、そこだけが死んだように静かだった。

 エレベーターに乗り込むと、不安になるほどのモーターの駆動音が響いた。

 

「どうなさるおつもりですか?」

「……」

 

 すぐにエレベーターが到着し、扉が開く。

 受付の女性が不思議そうな顔をした。

 

藤堂(とうどう)様?」

「忘れ物をしました」

 

 短く告げて、5部屋しかない個室の1つに向かう。

 扉を開けると、老女は変わらずベッドで横になっていた。

 

「あら、何か忘れ物?」

 

 驚いた顔を見せる彼女の元に向かい、瑞樹(みずき)は傍にしゃがみ込んで紙袋を差し出した。

 

「手術代、これで何とかならないですか?」

 

 老女が紙袋を受け取り、中身を覗く。

 彼女は困ったような笑みを浮かべ、ただ無言で瑞樹(みずき)を見つめた。

 

「押しつけがましくて迷惑なのはわかってます。でもお願いします。ボクの為に使ってほしいです」

「だめよ。自分の為に使いなさい」

 

 紙袋がそっと返される。

 

「だって!」

「どうせ先は長くないもの。この年になるとね、色々な持病があるのよ」

 

 優しい笑顔だった。

 

「ありがとうねぇ。長く生きたけど、こんなに親身になって良くしてもらったこと、初めてかもしれないわ」

「……」

 

 老女の笑みが、遠い記憶の誰かと被る。

 霧がかった記憶の向こう。

 死の境界を越えた先。

 いくつもの影が蘇り、そして形を捉える事も出来ず消えていく。

 

「お願いします……もらってください」

「ダメよ。こんなお金の使い方をしてはだめなの。しっかりしなさい」

 

 嗚咽が止まらなかった。

 零れ落ちる涙を拭いながら、お願いします、と繰り返す。

 

「ほら、泣き止んで」

 

 逆に抱きしめられ、更に誰かの記憶が浮かぶ。

 もはや、顔も名前も思い出せない。

 それが悲しかった。

 

「受け取って……ください」

「あらあら、困った子ね」

 

 本当に困ったように言って、優しく背中を叩かれる。

 

「いい? 私以外にもこんなことしたらだめ。終わりがないから」

 

 何もかもがぐちゃぐちゃだった。

 ダムが決壊したように感情の全てが溢れ、流れ落ちていく。

 

「優しい子なのよね。他人の不幸を見ているのが辛いのよね」

 

 幼子に諭すような声とともに、そっと頭を撫でられる。

 

「でもね、これは駄目な事なのよ」

 

 瑞樹(みずき)はただ頷くしかできなかった。

 

「あなたの周りの、大事な人に使ってあげなさい。ほら、あそこにいるお姉さんとおいしいものを食べるといいわ」

 

 中村はそう言って、瑞樹の背後に視線を向けた。

 釣られて振り向くと、居心地悪そうに壁際で佇む(れい)の姿があった。

 

「約束して。誰かの為にお金を渡してはいけないの。それは、とても良くない結末になるから。私と、最後に約束してくれる?」

「……ごめんなさい」

「さあ、面会の時間はもう過ぎてるわ。特に男の子はもう、おうちに帰らないと」

 

 終わりを告げるように、中村が瑞樹(みずき)の背中をポン、と優しく叩く。

 瑞樹(みずき)はよろよろと立ち上がると、涙を袖で拭って頭を下げた。

 

「ごめんなさい。ご迷惑を……おかけしました」

「大丈夫。それでいいのよ。こんな場所、平気な顔をしてられる方がどうかしてるもの」

 

 中村はそう言って、最後に笑った。

 

「元気でね」

 

 明日には死を迎える老女に返す言葉が見つからず、瑞樹(みずき)はただ「ありがとうございました」としか言えなかった。

 部屋を出て、受付に一言かけてからエレベーターに戻る。

 

「……瑞樹(みずき)様」

 

 二人きりになった途端、玲が心配そうに瑞樹の肩を抱いた。

 瑞樹(みずき)は紙袋をぎゅっと抱きしめ、隣の彼女を見上げて弱弱しく笑った。

 

「ごめんね。ちょっと動転しておかしくなってた」

「……いえ。私がお止めするべきでした」

 

 鈍い音を立ててエレベーターが開く。

 行きとは違い、瑞樹(みずき)(れい)に連れられるようにビルの外に向かった。

 歓楽街はやはり、別世界のように賑やかだった。

 人混みの中、(れい)の手を頼りに無言で歩く。

 左腕で抱きしめた紙袋が、鉛のように重かった。

 

「どうぞ」

 

 停めてあった車に戻り、(れい)が扉を開ける。

 瑞樹(みずき)は倒れこむように後部座席に腰掛け、札束の入った紙袋を投げやりに隣に置いた。

 ひどく疲れていた。

 

「帰るまで時間がかかります。一度、お眠りになってください」

 

 運転席に回った(れい)がミラーを調整しながら言う。

 

「うん」

 

 ゆっくりと動き出す景色をぼんやりと見つめる。

 そして霧がかった記憶の、いつか、どこかの世界を想った。

 

「安楽死って……必要なのかな」

「……重要な自己選択の一つです。尊厳ある死を選び取る事は、最も尊い権利でもあります」

「うん……そうだね……」

 

 痛むのだ、と言っていた老女の言葉を思い出す。

 彼女にとっては、間違いなく一つの救いだった。

 けれど、自己選択という表現は一種の欺瞞なのではないか、とも思った。

 貧困が、彼女にその選択肢しか与えず、追い込んでしまったのではないかとの思いが頭から離れなかった。

 

 ――少なくともボクは、死にたくなかった。

 

 喉まで出かけた言葉を、呑み込む。

 中学三年生の冬。

 立ち並ぶ無機質なマンション。車道。迫るヘッドライト。

 寒い夜の出来事が、脳裏に何度もリフレインする。

 それから、白川健斗(しらかわ けんと)の顔が思い浮かぶ。

 人懐っこい笑みが歪み、壊れて、泣き笑いのような顔を作って、叫び声をあげる彼の姿が記憶に焼き付いて離れなかった。

 そして、小学校時代の友人、小糸椿(こいと つばき)がびしょ濡れの状態で女子トイレから出てきて、瑞樹(みずき)を前に無理に笑う光景。

 いくつかの嫌な記憶が、蘇っては消えていく。

 どこか、全てが壊れかけているような気がした。

 

「首席クラスで卒業すれば……党員資格が得られるんだよね」

「……はい」

 

 隣の座席に転がった紙袋からはみ出た札束をじっと見る。

 結局、お金では何も変えられない。

 必要なのは、もっと根本に影響を与える力だった。

 

「党幹部になれば、変えられる事もあるのかな」

「……政治の事は私にはわかりません」

 

 歪みの根本は何だろう、と考える。

 死の淵に見た世界は、こうではなかった。

 正視に耐えない戦争や悲劇も多くあったが、歪み方が違った。

 問題の根源となっているのは恐らく男女比で、それが人の営みをおかしくしている。

 

「今日は……少しだけ……本当に少しでいいから……今よりマシな世界になって欲しいと思ったんだ」

「……はい」

 

 一人で出来る事は恐らく殆ど何もなくて。

 生物学的な問題に由来する全てを変える事など、ありえないと分かっていた。

 ただ、今より少しでも良くなって欲しいと願う。

 それが、偶然生き残った意味にも思えた。

 

「だから……本気でAクラスを目指してみようと思う」

 

 男女比が壊れたこの世界で、誰もがほんの少しの安らぎを得られますように。

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