「北条の奴、意外と大人しいな」
放課後の校庭。
体育祭の練習の為に集まったKクラスの女子たちはジャージに着替え、数人ずつ100メートル走のタイムを計っていた。
黒崎蓮は集団から離れたところで適当に順番を待ちながら、本音を零した。
「藤堂に派閥政治を注意されたのが効いたんじゃない?」
隣でスマホを弄りながら、緋村梨々花がどうでも良さそうに言う。
「ふうん。十八家でも男には尻尾振るんだな」
「じゃないと白雪に来た意味ないでしょ」
「そりゃそうだ」
話している間に、スタートラインに皆木鈴と数人の女子が立つ。
蓮は自然と黙り込み、それを観察した。
「よーい」
体育委員の佐倉早苗が腕を振り上げる。
同時に、皆木鈴の身体が沈んだ。
「どん!」
合図とともに土が跳ねた。
小柄な身体が弾丸のようにスタートラインから飛び出し、綺麗なフォームで駆け抜けていく。
「ありゃ経験者だな」
「ふうん、陸上の?」
「少なくとも、ちゃんとした指導者から仕込まれてる奴の動きだ」
ゴール地点で迎えた相原由良が大袈裟な拍手をしているのが見えた。
遠目にも、走り終わった皆木鈴にバテた様子はない。
「よォ、やってんなァ」
不意に男の声が届いた。
振り返ると、Cクラスの白川健斗が数人の女子を連れて見物にやってきていた。
「藤堂、社会奉仕うまくやれたかァ?」
隅で神成寧々と談笑していた藤堂瑞樹の元に真っすぐ向かっていく。
「……あんまり……だったと思う」
「まァ、最初はそんなもんだ。なんなら今度、一緒のところに行くか?」
「本当? すごく心強いよ」
「おう、任せろ。奉仕先の選定は俺がやっていいかァ?」
「うん」
男子同士の珍しい絡みに、周囲の女子たちが会話をやめてそれを眺め始める。
それに気づいた健斗が、手をひらひらと振った。
「悪ィ、練習の邪魔してるな。じゃあまた連絡すっからよォ」
「わかった。ありがとね」
去っていく白川健斗を見送る藤堂瑞樹は、どこか元気がない。
蓮は眉をひそめた。
「……なんか、今日の藤堂の様子おかしくねえか?」
「学級会で変な通達あったし、それが原因でしょ」
「……ああ、あれな」
トラックでは、北条乃愛が駆け出したところだった。
彼女の寄騎たちが黄色い声援を送っている。
蓮は早朝の学級会で引っ掛かっていた事を思い出した。
「藤堂ってさ……金に困ってんのかな」
「さあ」
「……金が欲しいなら、私らでも入り込む余地あるよな」
「……本気で言ってる?」
梨々花がスマホから目を離し、じっと蓮を見つめた。
「北条と一色がいて、既に神成がお気に入りになってる。正攻法じゃもう無理だ」
「……まあね」
梨々花が油断なく周囲を警戒する。
「……一色がわざわざ金品のやり取りを禁止するなんて言い出したのは、相当な理由があるよ」
「だろ? 攻めるならそこしかない」
「……どうするつもり?」
スタートラインには丁度、話題の一色雫が立っている。
いつもの仮面のような微笑を浮かべ、その真意はわからない。
彼女はしなやかな筋肉を生かし、優雅に駆けていった。
「一色の逆鱗に触れるかもしれない」
「人助けみたいなもんだ。金に困ってるやつに金を渡す。別に悪い事するわけじゃねえ」
「……どこまで?」
「とりあえず飯に行くだけだ。きっかけになりゃあいい」
「まあ……それくらいなら……」
渋っていた梨々花が徐々に傾いていくのがわかった。
蓮は周囲を警戒しながら、ダメ押しとばかりに言葉を続けた。
「……卒業したら、もう可能性なんてないんだぞ」
「……」
梨々花は何も言わなかった。
蓮はそれを了承と受け取った。
「私が声をかける。何人かで囲んだ方がいい」
「……わかった」
「その中に一人でも好みの女がいりゃあ……多分何とかなる」
すぐ近くの、比較的話すようになった女子たちに目をやる。
見た目が良い娘を何人か見繕って備えるつもりだった。
「次、まだ終わってない人たち準備して」
佐倉早苗が急かすように周囲を見渡す。
話は終わったとばかりに、蓮と梨々花は同時に立ち上がって、スタートラインに向かった。
「あとは……音無さん、まだじゃない?」
早苗が苛立った声をあげる。
「音無さん?」
早苗が何度か声をかけると、集団の中から音無凪が静かに立ち上がり、ゆっくりとスタートラインに立った。
蓮は隣の音無凪を胡乱そうに眺めながら、準備に入った。
「よーい」
身体を沈め、前方を睨む。
短距離走にはそれなりに自信があった。
「どん!」
早苗の合図とともに、力強く大地を蹴った。
すぐ隣の梨々花を抜き、一瞬でトップに躍り出る。
蓮はそのまま速度を落とさずトラックを駆け抜けた。
「どうだ」
振り返り、遅れてきた梨々花に笑みを向ける。
梨々花はあまり体力がないようで、息を切らせていた。
「……やるじゃん」
「へへ、体力には自信がある」
それから、音無凪がいない事に気づいて周囲を見渡した。
「……なんだありゃ?」
音無凪はまだスタートラインにいた。
佐倉早苗が遠くで何か言っているのが見える。
「……なに? トラブル?」
梨々花が怪訝そうに呟いた時、ようやく音無凪がよろよろと走り出した。
Kクラスの女子全員が見ている中、そのままのろのろとゴールラインに辿り着く。
「あの野郎……ふざけてんのか?」
あまりにもやる気が見られない態度に、連は苛立ちを隠せなかった。
問い詰めてやろうかと思うも、藤堂瑞樹が見ている事を思い出してやめた。
鼻を鳴らし、スタートライン付近の集団に戻る。
「計測、全員終わった? まだの人いない?」
佐倉早苗が周囲に呼びかけているところだった。
それから、どこか投げやりに言う。
「まあ、もうどうでも良いか。ビリは音無さんね」
そして、瑞樹に目を向ける。
「瑞樹様、どうしますか? 一番遅い人を二人三脚のペアにすると言われていましたが」
「うん。じゃあ……悪いんだけど、音無さんはボクとペアでいいかな?」
音無凪がぺこりと頭を下げる。喜んだ様子もない。
場に白けた空気が流れた。
何人かは剣呑な目を音無凪に向けている。
「今のボク、まともに走れないから……だから音無さんは気楽にやって大丈夫だからね」
沈黙を誤魔化すように、瑞樹が音無凪に優しく声をかける。
音無凪はやはり何も言わず、ただ静かに頷くだけだった。
(こいつ……わざと手抜いたのか?)
真意が見えなかった。
考えている間に、瑞樹が北条乃愛に向きを変える。
「北条さん、運動もできるんだね」
「ああ、役に立つと言っただろう?」
北条乃愛が得意そうに答える。
「一色さんも……皆木さんも凄かったよ」
順番に声をかけていく瑞樹に、何か違和感があった。
体育祭に対して、やけに意欲的だった。
黒崎蓮がこれまでに藤堂瑞樹に抱いていたイメージと、少しのズレを覚えた。
「寧々ちゃんも、やっぱりスポーツ得意なんだね」
「う、うん! リレーも任せてよ!」
ふんす、と珍しく胸を張る神成寧々。
それからも瑞樹がクラスの面々に順番に声をかけていくことで、音無凪から徐々に注意が逸れていく。
ただ一人、御倍美弥だけが怒りを隠そうともせず、音無凪を睨んでいた。