「では、4~5人でグループを作り、討論会をしましょうか」
政治学の授業で老教師が宣言すると、教室が騒がしくなった。
東雲由香里は北条乃愛に声をかけたいのを我慢して、周囲の様子をうかがった。
「藤堂、組もうぜ!」
黒崎蓮が真っ先に立ち上がった。
脱色した髪と、着崩した制服のせいで、クラス内でも一際目立つ存在だった。
彼女のグループはいつも騒がしく、緋村梨々花や青山遥のような派手な面々が周りを固めている。
由香里はそれを見て、内心で舌打ちした。
黒崎蓮たちは最近、藤堂瑞樹に積極的に接触している。
更衣室での一件以来、御倍美弥たちの失態を好機と見て、勢いを増しているようだった。
「よ、よければ私たちと……」
それまで静観していた地味なグループも動いていた。
四月が終わろうとしている中、どこも焦りを見せ始めている。
由香里は乃愛の様子をちらりと見た。
乃愛は席に座ったまま、静かに状況を観察している。以前の乃愛なら、すぐに声をかけていたはずだった。
「瑞樹くん、うちも空いているけど、どうかな?」
北条乃愛もようやく控えめに言葉をかけにいく。
乃愛の姿は一見すると普段通りだったが、いつもの自信が見られない。
瑞樹は少し困ったように微笑み、首を振った。
「えっと、ごめんね。今回は寧々ちゃんたちと組むから」
瑞樹が選んだのは、隣の席の神成寧々のグループだった。
遺伝子提供の補助に選ばれてから、瑞樹が所属する場所は固定化しつつある。
「音無さんもいいかな?」
神成寧々、相原由良、皆木鈴に加えて、最近は孤立していた音無凪も加わるようになっていた。
クラス内のグループ分けと格付けは、この一か月で殆ど完了していた。
北条乃愛は諦めたように、素直に席に戻る。
由香里はそれを、何とも言えない表情で見ていた。
北条乃愛は弱くなった。
藤堂瑞樹に出会ってからその傾向はあったが、御倍美弥たちの失態を知ってから更に酷くなった。
入学後、僅か三日で最大派閥を築いた勢いは既になくなり、有利な状況を失いつつある。
「じゃあ、由香里、美弥、早苗、綾乃、私とグループを。他は適当に組んで」
乃愛の指示は淡々としていた。
机を移動させながら、由香里はちらりと周りを見た。
御倍美弥と佐倉早苗は意気消沈している。
寄騎の中でも重用されてきた彼女たちが明確な失態を犯したのは、今回が初めてだった。
特に、問題の要と思われた如月ひよりはここ数日、乃愛から遠ざけられている。彼女の姿を探すと、別のグループに追いやられ、苛立った表情を浮かべていた。
「じゃあ、適当にやろうか」
乃愛にはいつもの活力が見られない。
討論のテーマは「英帝の植民地政策の秩序合理性について」だった。
グループ内で肯定派と否定派に分かれ、議論を始める。
由香里は乃愛の顔を観察しながら、意見を述べた。
だが、乃愛の反応は薄い。ただ頷くだけだった。
美弥と早苗も、普段の精彩さが欠けている。
グループ全体に良くない空気が漂っていた。
原因は、はっきりしている。放置すれば取り返しがつかなくなる予感があった。
授業が終わり昼休みになると、乃愛に進言することを決めた。
二人きりになるタイミングを狙い、中庭へ誘う。
他に人がいないベンチで弁当を広げながら、由香里は慎重に切り出した。
「提案しても良いでしょうか」
「うん、何かな」
由香里は深呼吸した。
「藤堂瑞樹のことです」
「……続けて」
「藤堂瑞樹は……十八家向けの男ではありません。彼が好んでいるのは神成寧々や音無凪のような庶民出の子たちばかりです。無理に取り入るより、外で他の男を探されるべきではないでしょうか」
乃愛は箸を止めた。
少しの沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「そうだね。その分析は当たってると思う。家格に興味はなさそうだ」
「では……」
由香里は希望を抱いたが、乃愛の次の言葉で凍りついた。
「で、十八家向けの男を見つけてどうするのかな」
「え?」
思わぬ返答に、由香里は言葉に詰まった。
乃愛の意図がよくわからなかった。
「どうする……とは?」
「十八家向けの男を見つけて、手籠めにして結婚するのかな? それで、その後は?」
「……」
「北条家を無事に次世代に繋げるかもしれないね。それで、その後は?」
「……乃愛様」
乃愛が時折見せる、空虚な表情がすぐそこにあった。
胸がざわついた。
「私が自分で決められる事は少ない。だったら、男くらい好きな人を選んでも良いじゃないか」
そう言う乃愛は、遠い目をしていた。
整った横顔が、まるで人形のようだった。
由香里は言葉を選びながら、慎重に言った。
「最近の乃愛様は……らしくありません。無理をされているように見えます」
「私らしい?」
乃愛から表情が消える。
「まるで、本当の私を知っているような口ぶりだね」
声に抑揚がなかった。
危険な雰囲気を感じ取り、由香里は口を閉ざした。
「私らしい……私らしいね。いつもの、自信に満ちていて、中性的な、十八家の娘の事かな」
「……」
「求められているからそうしているだけだ。北条乃愛らしさなんて、元からどこにもないよ」
「……乃愛様、どうか落ち着いてください。今のお姿こそが乃愛様です」
「私はね、別に今の姿に拘りなんかないんだ。皆が私を通して男という夢を見られるようにしてあげているだけだよ」
そして、乃愛の目が由香里に向けられる。
冷たい目だった。
「君もそうだろう。私が瑞樹くんの為に少しでも女の子らしい恰好をすると露骨に嫌がる。私を男の代替にしているだけだ」
「わ、私は……ッ」
言葉は、どこにも繋がらなかった。
違う、と断言できなかった。
乃愛は興味がなさそうに、視線を正面に戻す。
「寄騎の娘たちをまとめ、北条の当主を引き継ぎ、党員資格を得て一等市民となり、関東軍を統制して次の世代へ受け継ぐ。私はそれだけの存在だ」
その目はもう、何も映していない。
由香里が言葉を挟める空気ではなかった。
「全て決まっている事だ。こんなの、誰でもいいじゃないか。私である必要はない」
そう言って、乃愛は立ち上がった。
表情も、仕草も、背筋も、由香里が知る北条乃愛ではなかった。
「本当に嫌になる」
呟きを残して、乃愛が去っていく。
由香里はその後ろ姿を、ただ見つめる事しか出来なかった。