男女比が壊れた世界でギスギスする話   作:月島しいる

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22話

「つまり、あらゆるものは地球の自転の影響を受けるわけですね。例えば30キロメートル先を砲撃する場合、コリオリの補正を怠れば数十メートルの着弾誤差が生まれてしまいます。ちゃんと数学を勉強していれば、敵を木っ端みじんにできるわけですよ」

 

 黒板の前で、数学教師が物騒な雑談を始めていた。

 緋村梨々花(ひむら りりか)は話半分に聞き流し、藤堂瑞樹(とうどう みずき)の席をチラチラと見つめていた。

 瑞樹(みずき)はずっと、真面目にノートを取り続けている。

 

「このように数学というものは、あらゆる分野で使います。あるいは、もっと簡単な話をしましょう。そうですね、オームの法則はどうでしょう。皆さん良く知ってますね?」

 

 蒸し暑い梅雨のせいか、最近の瑞樹(みずき)はブレザーを脱いでシャツで過ごしている事が多い。

 華奢な身体のラインに、自然と視線が吸い寄せられた。

 

「人体を黒焦げにするのに、電気がどれくらい必要なのか気になった事はありませんか? 実際に計算すれば簡単にわかるんですよ」

 

 髪や肌の色素が薄いせいか、目を離したら消えてしまいそうな儚さが特に梨々花(りりか)の興味を煽った。

 じっと見つめている間に、他の女子も瑞樹(みずき)を見ている事に気づく。

 特に、下川杏(しもかわ あんず)が熱の籠った視線を時折向けているのが気に障った。

 

「人体の電気抵抗をご存じですか? 約5000オームと言われています。ではこれをオームの法則にあてはめてみましょう」

 

 数学教師の雑談がどんどん物騒なものになっていく。

 しかし、梨々花(りりか)の耳にはもう届いていなかった。

 無防備な瑞樹(みずき)の姿と、彼に視線を向ける他の女子の存在が意識を占有していく。

 

「おっと、時間ですね。では、人体を黒焦げにする方法は次回のあまった時間に話すとしましょう」

 

 古びたチャイムが鳴り、数学教師が出ていく。

 瑞樹(みずき)も片づけを始め、前屈みになった拍子に襟元から胸元が見え、梨々花(りりか)は慌てて視線を逸らした。

 

瑞樹(みずき)様ぁ! ちょっと良い~?」

 

 不意に、桃原奈緒(ももはら なお)が席を立つ。

 教室中の視線が集まるが、奈緒(なお)は気にした風もなく瑞樹(みずき)の元へ歩いていく。

 

「うちら、夏休みの予定立ててるところなんだよね。それで、瑞樹(みずき)様もどうかなと思ってぇ」

 

 脈絡なく始まった誘い方に、思わずギョっとする。

 

(……馬鹿。人のいない時にもっと上手くやってよ)

 

 細かいところは奈緒(なお)に任せる手筈だったが、もう少し詳細を詰めれば良かったと今さら後悔する。

 そんな梨々花(りりか)を置いて、奈緒(なお)はいつも通りの様子で話を進めていた。

 

「夏と言えば山じゃん? でもキャンプは男の子だと危ないから、グランピングならどうよって思って! ほら、見て見て。こういう所! 楽しそうっしょ!」

 

 スマホを見せる奈緒(なお)と、それを覗き込む瑞樹(みずき)

 互いの距離が近いせいで、更にイライラが募った。

 

「近くに川もあるの? 景色も良さそうだね」

「でしょ! どう? 一緒に行かない?」

 

 手応えを感じたのか、奈緒(なお)が押し出していく。

 瑞樹(みずき)はニコニコと、本当に何気ない様子で言い放った。

 

「うん、こういうの行ってみたかったんだ。何泊予定なの?」

 

 時間が止まった気がした。

 梨々花(りりか)たちとしては当然、日帰りの予定だった。

 しかし瑞樹(みずき)の言い方はまるで、泊まりを前提にしたような雰囲気がある。

 

「え……えっとねぇ、瑞樹(みずき)様は何泊したい? うちらはいくらでもいけるけど」

 

 想定外の答えに一瞬止まった奈緒(なお)が、壊れたロボットのようにぎこちなく再起動する。

 

「せっかくだから二泊くらいしたいけど山奥だし、やる事なくなっちゃうかな?」

「いや! 都会から離れて、やる事ない状況を楽しむのも醍醐味だから! うん! 二泊しよっか!」

「日程とかってどうしよう。全員の空いてるところ出してから決める?」

「あー、うん、そう、そうする。うん」

 

 男子とのお泊まりがとんとん拍子で決まっていく光景に、梨々花(りりか)は思わず(れん)を見た。

 (れん)も信じられないといった顔で、梨々花(りりか)を見つめ返していた。

 

(……これ、まずいかも)

 

 梨々花(りりか)が危惧した直後、天城久遠(あまぎ くおん)のグループに所属している脇坂藍(わきさか あい)が立ち上がった。

 便乗するように、瑞樹(みずき)の席に真っすぐと向かっていく。

 

「失礼します。実は、私たちも旅行を計画しておりまして。そうですよね、久遠(くおん)?」

「い、いきなり何を言うのだよ。そんな話はこれまで一度も――むぐ」

天城(あまぎ)グループはいくつかホテルも持っていまして。親睦を深めるために久遠(くおん)が招待してくれるそうなんですけど、瑞樹(みずき)様も如何でしょうか?」

 

 何か言いかけた天城久遠(あまぎ くおん)の口を押さえながら脇坂藍(わきさか あい)が話を続ける。

 

「えっと……ホテルってどこに行くの?」

「どこにしましょうか。久遠(くおん)はあちこちにホテルを持っているので。そうですよね、久遠(くおん)?」

「むぐ……ホ、ホテルは確かに持ってるのだよ」

桃原(ももはら)さんたちが山なら、私たちは海の近くにしようかなぁ、なんて思ってるんですけどまだ詳細は決まってなくて。とにかく瑞樹(みずき)様もどうですか?」

「楽しそうだね。詳細決まったら教えてくれるかな?」

 

 瑞樹(みずき)が微笑む姿に、梨々花(りりか)は胸のざわつきが止まらなかった。

 追い討ちするように、下川杏(しもかわ あんず)も立ち上がる。

 

「あ、あの! 私たちも皆で遠出しようって考えていて!」

 

 下川杏(しもかわ あんず)

 クラスの地味な余りものをまとめている女子。

 藤堂瑞樹(とうどう みずき)にどう見ても釣り合わない存在までが擦り寄ろうとしている姿に、苛立ちが増していく。

 

「あの、川はどうかなって考えてたんですけど……」

「……私たちと被ってるし」

 

 思わず、ぽつりと言葉が零れた。

 苛立ちの感情が乗った言葉に、下川杏(しもかわ あんず)がびくりと身を震わせる。

 

「だ、だから、他に何か……お祭りなんてどうですか?」

「あの、お祭りは私たちが既に行く約束をしていて……」

 

 瑞樹(みずき)の隣から、おずおずと神成寧々(かみなり ねね)が話に入る。

 想定していなかったのか、下川杏(しもかわ あんず)は俯いて固まった。

 

「え……あ……えっとじゃあ……」

 

 神成寧々(かみなり ねね)たちとお祭りに行くという話は、梨々花(りりか)たちの耳にも入っていなかった。

 知らない間に夏休みの約束を取り付けている者はもっといる可能性がある。

 それが更に梨々花(りりか)の苛立ちを煽った。

 

(……もう諦めたら良いのに。下手なクッキーだってしつこいし)

 

 クラス全体の勉強会でも、下川杏(しもかわ あんず)はクッキーを焼き続けていた。

 梨々花(りりか)からすると、対抗しているように見えて不快だった。

 

「じゃあ、どこに行くか一緒に考えよっか」

 

 瑞樹(みずき)が助け舟を出すように微笑む。

 途端、沈んでいた(あんず)の顔が明るくなった。

 

(あんな奴にまで優しくしなくていいのに)

 

 面白くない、と思った。

 瑞樹(みずき)と親しそうに話している下川杏(しもかわ あんず)を見ていられず、視線を逸らす。

 

「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくるね」

 

 瑞樹(みずき)が立ち上がって、教室から出ていく。

 それを待っていたように、くふ、と篠宮聖華(しのみや せいか)が小さく笑った。

 

「煩悩ばかりの愚か者どもめ。夏休みの事より、試験の心配でもしたらどうですか。これで落ちたら笑いの種ですよ」

 

 心から馬鹿にするような声色だった。

 教室に重い沈黙が落ちる。

 一色雫(いっしき しずく)北条乃愛(ほうじょう のあ)は、我関せずといった様子で、ずっと静かだった。

 

(……まあ、確実に何人かはいなくなるわけだしね)

 

 無言の教室に、視線が交錯する。

 梨々花(りりか)は息をつくと、次の授業の教科書を引っ張り出した。

 ページを捲る指先が重かった。

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