六月上旬。
日本列島全域に、強い雨が降っていた。
御倍美弥は雨の中、藤堂瑞樹のマンションに走って駆け込んだ。
「今日は御倍さんが一番だね」
「そ、そうか」
扉を開けて出迎えた藤堂瑞樹が、ニコりと言う。
美弥はつい、と視線を逸らした。
「どうぞ」
「あ、ああ」
中に入ると、奥のリビングから監視するように見つめている御門玲と目が合った。
頭を下げ、いつも通り手前の寝室に向かう。
「御倍さん、いつも早いよね」
腰を下ろすと同時に、瑞樹がタオルを持ってくる。
美弥はそれを受け取ると、濡れた髪を拭った。
タオルから瑞樹の香りがして、思わずドキりとする。
「所属している清華団が近いせいだろう」
半分、嘘だった。
こうして二人きりの時間を作りたいが為、いつも走って一本早い電車に乗っていた。
「そ、そろそろ特別プログラムの時期だな」
「そうだね。結局、何をやるんだろう」
「地区担当官がどこの出身かで内容が左右されるらしい。元軍人なら、軍事系のプログラムになる事が多い」
「そうなると、御倍さんたちが活躍できるね」
屈託のない笑みを向けられ、美弥はそわそわと視線を泳がせた。
「わ、私は剣を修めているだけだ。軍事全般に明るいわけではない」
「そうなの?」
「そうなると、頼りになるのは乃愛だろう。統帥権を預かる次期当主として、様々な知識を授かっているはずだ」
「そういえば御倍さんは乃愛と付き合いが長いんだっけ?」
「ああ……乃愛とは幼少からの付き合いだ。私が一番、古いと思う」
言いながら、タオルで髪を拭う。
もう拭う必要もなかったが、なんだか手持ち無沙汰だった。
「そっか。じゃあ乃愛の本家って行った事あるの」
「もちろんある」
「夏休みに行く事になってるんだけど、どんなところなの?」
「昔ながらの大きい屋敷だ。大きさには少し驚くかもしれない。ご当主様は厳しい方だが、瑞樹様に対してはお優しいだろう。それほど緊張する必要はないと思う」
夏休みには、美弥も同行する予定となっている。
泊まりで何かを期待している自分が恥ずかしくなり、美弥は目を背けた。
そこで、チャイムが鳴った。
「あ、誰かきた。ちょっと出てくるね」
「ああ」
瑞樹が立ち上がり、玄関へ向かう。
残された美弥は手に持ったタオルを、そっと鼻に近づけた。
瑞樹と同じ柔軟剤の香り。
足音が聞こえ、慌ててタオルを離す。
「こんばんは」
入ってきたのは神成寧々だった。
「お茶もってくるね」
「ああ、すまない」
そのまま瑞樹がリビングに消え、寝室に寧々と二人きりになる。
玄関で貰ったのだろうタオルで髪を拭いながら、寧々は何も言わずテーブルの対面に座った。
「……」
気まずい沈黙が落ちた。
所属しているグループも異なる事から、学校でも話す機会はない。
それに何となく、寧々側から仲良くしようという意思を感じなかった。
既にコロニー入りしている神成寧々からすれば、こちらはただの警戒対象でしかないのだろう、と考える。
「雨ばかりで嫌になるな」
「うん……」
やはり、会話は長く続かなかった。
無言のまま、瑞樹を待つ。
「おまたせ」
三人分のコップを持った瑞樹がやってくる。
それでようやく、張りつめていた空気が解けた。
「ありがとう」
瑞樹が腰を下ろすと、すぐに寧々が身体を寄せた。
肩を並べ、そのまま体重を預けるように密着する。
「……」
美弥は小さく息をつき、鞄から教科書を取り出した。
「時間がもったいない。先に始めるとしよう」
「うん、そうだね」
瑞樹もいそいそと勉強会の準備を始める。
しかし、寧々は動かず、ただ瑞樹に身体を寄せるだけだった。
「寧々ちゃん、練習で疲れてない? ベッドで横になってても良いよ」
「ううん。瑞樹くんの隣にいたい」
「……」
美弥はノートを開くと、黙々と復習を始めた。
そこでまた、チャイムが鳴る。
「出てくるね」
瑞樹が玄関に向かう。
渋々といった様子で寧々が勉強の準備を始めた。
「音無さんだった。お菓子もってくるね」
瑞樹に連れられて、音無凪がぺこりと頭を下げて部屋に入ってくる。
また、沈黙が落ちた。
音無凪と神成寧々は互いに一言も発さず、雑談を試みる事すらしない。
(このグループ、意外と仲良くないんだな)
美弥が見る限り、凪と寧々の間には距離があった。
お互い、口数が少ないタイプなのもあるのだろう。
皆木鈴や相原由良がグループの潤滑油となっているようだった。
(もしも今回の試験で相原が落ちれば、空中分解するかもしれないな)
相原由良には、明確な強みがない。
勉強はできないし、体育祭でも大した活躍はしなかった。
元は北海道の名家らしいが、没落していて家格も高いとは言えない。
しかし、グループにとっては欠かせない存在となっている。
「……」
藤堂瑞樹は、果たしてこれに気づいているだろうか。
そう考えた時、瑞樹が戻ってきた。
「はい、どうぞ」
お茶菓子がテーブルに並べられる。
その時、再びチャイムが鳴った。
瑞樹が再び、玄関に向かう。
部屋の中はやはり、沈黙が続いた。
◇◆◇
「そういえば、六月の遺伝子提供の補助は決められましたか?」
勉強会の休憩中、一色雫が不意打ちのように爆弾を投げた。
美弥は思わず、手にしたお菓子を落としそうになった。
「えっと……」
瑞樹が、慎重に周りを見渡す。
一色雫は、何かを期待するようにニコニコと瑞樹を見つめている。
寧々は不安そうな顔で、皆木鈴や相原由良はあまり関心がなさそうにしながらも、内心では期待しているのが筒抜けだった。
「試験結果が出てからにしようと思ってるんだけど……」
「なるほど。公平性を期すには一番かもしれません」
一色雫が納得したように頷く。
確かに、公平性の面で見れば、正しい選択だった。
お手付きをされた者は、順位に関係なくトレードの候補から外れる。
ルールが発表された後にお手付きをすれば、不和が生じる。
(しかし……相原由良を守らないのか?)
補欠合格だったことを明かしている相原由良。
現状、トレード候補としては最も危うい立場にある。
近しいグループにいる由良を瑞樹が守らないのは、美弥にとっては意外だった。
「公平性って言っても、男子がする事に異議を唱える者はいないと思うが」
皆木鈴が、さらりと言う。
「だから藤堂がそれほど気を遣う必要はない」
「うん……でも、出ていきたい人もいるかもしれないから」
ああ、と納得する。
以前、乃愛とも似たような話をした事があった。
藤堂瑞樹は、他の男子の情報を持っていない。
クラスから出ていきたい女子が一人もいなかった事も、まだ知らない。
現状、Kクラスから"自主的に"出ていく予定は如月ひよりだけだ。
そして試験の下位5人が、自主的な選択なのか実力なのか、瑞樹が判断する術はない。
「相原は私が責任をもって、下位5人には入れないよう指導する」
相原由良は、必要な存在だった。
今後、コロニーには北条グループ以外にも何人かの生徒が入るだろう。
その時、間を取り持つ人物が必要で、美弥が見る限りでは相原由良が適任だった。
美弥自身がコロニー入りした際の時も考え、出来るだけ動きやすい人間を残さなければならない。
「御倍さん……お手柔らかにお願いします」
相原由良が情けない声をあげる。
「だが、その前に特別プログラムも頑張らなければな」
党員適正を測る特別プログラム。
例年とは異なり、まだ詳細が明かされていない。
それが、間近に迫っていた。