「やあ、瑞樹くん。元気だったかい? 久しぶりに顔を見れて嬉しいよ」
七月も後半に入り、蝉の鳴き声が激しくなっていた。
北条家へ挨拶に向かう日がやってきた。
瑞樹のマンションの前で北条乃愛は車から降りると、すぐに瑞樹の元へ駆け寄ってきた。
「乃愛はずっと実家で過ごしていたの?」
「ああ。これでも次期当主の立場にあるからね。各所に顔を繋ぐ必要があるんだ」
乃愛の後ろには、二人の少女が遠慮がちに立っていた。
御倍美弥と緒方綾乃。
北条家に仕える寄騎であり、Kクラスに属するクラスメイトでもある。
「前にも説明したけど、今回の旅程はこの二人に護衛を任せてある。働きづめの御門さんにも良い休みとなるだろう」
「お心遣い感謝いたします。しかし、補佐官としての仕事を他人に任せるつもりはありません」
玲が静かに頭を下げる。
乃愛は困ったように曖昧な笑みを浮かべた。
「それなら仕方ない。車はこちらで手配した。せめて移動中はゆっくり休んでもらいたい」
「感謝いたします」
「さあ、瑞樹くん。外は暑いからね。中に入ろう」
ごく自然な動作で乃愛は瑞樹の手を取った。
エスコートされ、大型の護衛車に乗り込む。
「防弾仕様なんだ。ちょっとした衝突事故を起こしてもビクともしないから安心してほしい」
機嫌がよさそうに乃愛が手を繋いだまま説明する。
その間に後部座席に美弥と綾乃が乗り込み、前方席に玲という配置となった。
「御倍さんと緒方さん、大変だろうけどよろしくね」
「今回の逗留中、私たちがずっと瑞樹様のお傍におりますので。何かあれば遠慮なく申し付けてください」
そう言って、綾乃がニコリと笑う。
これまで綾乃とは接する機会があまりなかったが、温厚そうな性格が見て取れた。
「ああ。乃愛が所用で離れている時は私たちを頼ってほしい」
美弥とは学期末試験に向けた勉強会を通して、既にそれなりの関係を築いている。
見知らぬ土地で過ごす上で、彼女の存在は心強かった。
話している間に、護衛車が動き出す。
握ったままだった乃愛の手が、すりすりと瑞樹の手を撫で始めた。
「瑞樹くんは新鎌倉がどういうところか知っているかい?」
「山に囲まれてるイメージなんだけど、合ってるかな?」
「そのイメージで正しいよ。鎌倉は周りを山と海に囲まれた天然の要塞なんだけど、古くから土地不足に悩まされていてね。新たに北方の丘陵地帯を整備したのが新鎌倉で、今の北条家はそこに本家を構えているんだ」
乃愛の話を聞いて、ふと疑問が頭に浮かぶ。
しかし、聞いてはいけないことのような気がして瑞樹はうずうずと落ち着かない様子を見せた。
「なにか疑問があるなら言っていいよ」
すぐに瑞樹の様子に気づいた乃愛が優しく笑う。
瑞樹は少し躊躇したあと、おずおずと口を開いた。
「その……山と海に囲まれているのに、どうして鎌倉って一度落ちたんだろうと思って」
気を悪くするかもしれない、と思ったが乃愛はとくに気にした風もなく、なるほど、と頷いた。
「有名な説としては干き潮を利用したという話があるね。本来は通れない海岸線を突破し、背後から急襲したのだろう」
「そっか……山に囲まれていてもやっぱり抜け道みたいなのがあるんだね」
「海側は崖じゃなく砂浜だからね。いまの時期なら、もう海開きも始まっているだろう。丘の上にある本家からも海が綺麗に見えるんだ。きっと瑞樹くんも気に入ると思うよ」
海水浴、という言葉に瑞樹は目を輝かせた。
まだ人生で一度も経験したことがないイベントだった。
「海も入れるの?」
「いや……混雑していて男の子が近づくのは危ないかもしれない」
「……そっか」
しゅん、とした瑞樹を見て、乃愛は慌てて言葉を付け足した。
「そういえば天城さんのホテルに泊まるんだろう? 天城財閥ならプライベートビーチを持っているかもしれない」
「天城さんってそんなにお金持ちだったんだ」
「女子だけのトークグループがあるから、ちょっと聞いておくよ」
◇◆◇
「久遠……」
脇坂藍はスマホを眺めながら、恨めしそうに天城久遠を睨んだ。
「これはどういうことですか?」
「どうしたもこうしたもないのだよ。北条から瑞樹様とのお泊まりについて聞かれたから答えただけなのだよ」
クーラーの効いた部屋で、久遠はラフな格好でベッドに転がりながらそう答えた。
中等部の頃から、夏休みはこうして久遠の家に集まってダラダラするのが常だった。
「なんか北条グループが保安のために参加することになってますけど……」
「仕方ないのだよ。こういう貸しを作っておくのも大局的には大事なのだな。高度な政治的判断というやつなのだよ」
「周囲に厳戒態勢を敷くとして、一色さんまで参加を表明していますけど……」
「何かあったら責任を回避できるから悪くないのだよ」
「神成さんたちも参加することになっているのは……?」
「コロニーの人間関係は複雑なのだよ。とにかく全方面に媚びておくのが正解なのだよ」
藍はスマホをわなわな震えながら見つめた。
Kクラスの女子だけが集められたトークグループでは、次々と参加表明が続いている。
「このっ! ポンコツーッ!」
「ポポポポ、ポンコツ!? この聡明な天城をポンコツと侮辱したか!?」
久遠が驚いたようにベッドから跳ね上がる。
藍は肩で息をしながら叫んだ。
「これじゃあ瑞樹様としっぽりするチャンスがゼロじゃないですかー!」
「ふん、もちろんホテルは瑞樹様の隣の部屋を我々が取ったから大丈夫なのだよ」
「全然大丈夫じゃないですよ! どうせ変な音が聞こえてきて脳が破壊されるだけです!」
藍は頭を抱えて、ああああああああ、と唸り声をあげた。
それまで藍の隣で事態の推移を見守っていた井口伊織が宥めるように口を開いた。
「まあまあ。久遠ちゃんだって悪気はないんですから」
途端、久遠がベッドから降りて伊織にすり寄っていく。
「うう、伊織だけが味方なのだよ……」
「よしよし。久遠ちゃんは良い子です」
久遠の頭を撫でる伊織を、藍はジト目で睨んだ。
「伊織もそうやって甘やかすから良くないんですよ!」
「でも、久遠ちゃんはクラスのためになることをしていますし……」
「そうなのだよ。気前良く天城財閥の器を示すのも、時には大事なことなのだよ」
藍は溜め息を吐くと、仕方ありません、と切り替えた。
「せめて良い水着を買いにいきましょう。見劣りするのだけは避けなくては」
「ナイスバディを披露してやるのだよ」
「……」
藍は久遠をじろじろと見つめた。
悔しいことに素材は良いのだ。
中性的な雰囲気をもっていて、中等部の頃は後輩の女子から人気もあった。
実際、何度も告白に呼び出されていて、藍はその度に仰天したものだった。
「本当、黙っていれば顔は悪くはないんですけどね……」
「さっきからブツブツ何を言っているのだよ」
「口を縫い合わせるべきか……」
せめて見た目だけでも仕上げなくては、と藍は気合を入れる為に自らの頬を叩いた。