「何かしたでしょ」
四日目には、約束通り如月家との対話の席が設けられた。
広間のテーブルを挟み、如月ひよりと妹の陽菜が座っている。
「何かって?」
「急に美弥と早苗が謝ってきたから。他の人も、ころっと態度が変わってる」
「そっか。もう伝わったんだね」
瑞樹とひよりの会話に、陽菜が不思議そうな表情をする。
「陽菜ちゃん、わからない話ばかりしてごめんね。これ食べる?」
テーブルに置かれていた茶菓子を押し出すと、陽菜はおずおずと受け取った。
その間に、ひよりが小声で言う。
「……ありがとう」
「ううん、もっと早く動くべきだった」
「別に……私の自業自得だから」
話している間に陽菜がもぐもぐと咀嚼する。
微笑ましい光景に、思わず頬が緩んだ。
「美味しい? 全部食べていいよ」
「ちょっと。虫歯になるでしょ」
「そ、そっか。ごめん」
瑞樹は謝ってから、クス、と笑った。
「如月さん、家だとちゃんとお姉ちゃんしてるんだね」
「……まあね」
「陽菜ちゃん、お姉ちゃんは家だと怖いの?」
「ちょっと!」
ひよりが慌てたように声を荒げる。
陽菜は少し考えるように首を傾げた。
「いつも勉強教えてくれるけど……たまに怒ります」
「陽菜、やめてよ。私が怒るのは陽菜がサボってる時だけでしょ」
どうやら姉妹の仲は良いらしい。
「陽菜ちゃん、成績が学年一なんだっけ。お母さんが言ってたね」
「うちのお母さん、結構な教育ママだから」
だからね、とひよりは瑞樹に視線を向けた。
「私、最初は瑞樹様のやり方が正直よくわからなかった」
「……うん」
「コロニーなんて、党員の数が物を言うでしょ。だから、首席クラスを目指すわけで。なんでKクラスの原住民なんかに優しくしてるんだろうって」
それがひよりの紛れもない本音なのだろう。
始国十八家の北条家に近しい立場にあり、自らも上位クラスに配置されたひよりの価値観は、瑞樹にも何となく想像できた。
「でも、特別プログラムでようやくわかった。あのAクラスが最下位に落ちたことも含めてね」
「……」
Aクラスがどのようなクラスだったのか、瑞樹は知らない。
どういう経緯で転げ落ちたのかも知る術はなかったが、信頼関係の構築に失敗したのだろう、と推測することはできた。
「あの地区担当官、倫理監察局の出身だったよね。私のやり方だったら、多分通じなかった」
その横では、陽菜が物欲しそうに残った茶菓子を見つめている。
ひよりは呆れたように茶菓子を一つ渡してから、ぽつりと呟いた。
「これからは、瑞樹様に全面的に従うから」
「思うところがあったら全然言って欲しいんだけど……」
「そう、じゃあ言い方を変える。余計なことはしない。これでどう?」
「うん。皆、仲良くしてね」
瑞樹が微笑むと、ひよりは何か言いたそうな顔をした。
「……できるだけ努力する」
如月家に用意された時間は十分ほどだった。
ひよりたちが出て言った後、さらに何組かの女性と雑談を繰り返し、夕方にはすべての予定が終わった。
広間を出たところで、声をかけられる。
「瑞樹様、よろしければ少し散歩に行きませんか?」
廊下で待っていたのは、東雲由香里だった。
◇◆◇
「北条家のお庭をまだちゃんとご覧になっていないのでは、と思いまして」
夕暮れの中、池にかけられた橋を渡りながら由香里が薄い笑みを浮かべる。
瑞樹は彼女の少し後ろを歩きながら、気まずそうに口を開いた。
「……東雲さんにはちゃんと謝らないといけないのに、ずっと先延ばしにしててごめんね」
「謝る、とは?」
由香里が首を傾げる。
「……乃愛のこと。別れたのって、ボクのせいでもあるよね」
「ああ……いえ、瑞樹様のせいではありません。きっと、遠からず破綻していました」
瑞樹の予想とは違って、由香里はあっさりした反応を見せた。
「未練がないとは言いません。今でも乃愛様を想う気持ちがあります。だからこそ、乃愛様が私に対して本気でなかったことも理解してしまいました」
「……」
由香里はそこで言葉を切って、整備された石畳の上を進んだ。
「大きな庭です。何故、これほど大きな庭があるか、ご存じですか?」
「……セキュリティのため、とか?」
「そうですね。敷地内には多くのセンサーが設置されており、侵入者が広大な敷地を横断して屋敷の内部に到達するまで時間を稼ぐことができます。反対に、屋敷から抜け出すことも難しい」
庭を進んでいくと、林が見えた。
古い木々のせいか、どれも樹冠が高い。
「あれらは屋敷林といいます。こうして孤立した家で、風をしのぐために必要となります。それに、外部からの視線を遮る役割も」
そこで由香里は瑞樹に向き直った。
「どれも機能的な面がありますが、一番の理由は男性が気軽に出歩ける自由な空間を与えるためです」
「……」
「ですが、この屋敷には長く男性がいませんでした。乃愛様のお父様は……他所で過ごされているので」
そして、由香里は頭を下げた。
「乃愛様のことをどうか、よろしくお願いいたします」
「東雲さん……」
「申し訳ありません。本来、私が言うべき資格などないのですが……」
由香里はそう言って、頭を上げると恥ずかしそうに笑った。
「ひよりのことも、気を配っていただきありがとうございました」
「うん……」
「乃愛様も少し、一度振り上げた拳をどう下ろせばいいのか迷っていたのだと思います」
ところで、と由香里は話題を変えた。
「ひよりを気にかけていたようなので、お手付きをすると思っていました。しなかった理由をお聞きしても?」
「乃愛が頑なだったら、保険として考えてはいたんだ。でも、一度でも立場を利用すると、対等な関係に戻れないと思う」
「なるほど。それは一理あります」
由香里は頷いて、さらに踏み込んだ。
「では、七月の遺伝子提供はどなたに?」
「えっと……」
普段なら人に言わないことだったが、乃愛の元恋人という由香里の立場が特殊なせいか、瑞樹は素直に考えを口にした。
「……御倍さんにお願いしようかと」
「少し堅物すぎるところがありますが……寄騎の中でも群を抜いて真面目な者です。よろしいかと」
「うん。それに、乃愛が一番気を許してる相手みたいだし、勉強会で寧々ちゃんともそれなりに話してるからバランスがいいかなって」
「……男性もあちこちに気を遣って大変なのですね」
そして、由香里は背後の植栽に向かって声をかけた。
「美弥、そういうことらしいですよ」
「え?」
瑞樹が驚いている間に、植栽の影から顔を赤くした御倍美弥が現れた。
「……そ、その、散歩に出かけたと聞いて、護衛として一応だな……」
「私が乃愛様を取られた怨みで、何かするとでも思っていましたか?」
由香里が呆れたように言うと、美弥は言い訳するように両手を前に出した。
「い、いや、そういうわけではなく、しかし念のために……」
「もういいですよ。では、邪魔者の私はここで失礼します」
由香里はそう言って、ひらひらと手を振って屋敷のほうに一人歩いていった。
後には、瑞樹と美弥だけが残された。
「……」
「……」
遠くからカラスの鳴き声が響く。
それ以外の物音はなく、ひどく静かだった。
「あの……聞いてたと思うんだけど……」
「あ、ああ」
「遺伝子提供の補助、御倍さんにお願いしてもいいかな……?」
静かに庭園灯が灯る。
真っ赤になった美弥の顔が照らし出された。
少しの沈黙の後、美弥はこくりと頷いた。
「も、もちろんだ」