「う、海沿いなんだね」
「な、中からも海が見えるかもしれないな」
鎌倉市内の遺伝子バンクは、海岸沿いの国道に建てられていた。
潮風が強く、思わず目を細める。
「入ろっか」
「……ああ」
海岸には、大勢の観光客がいた。
逃げるように遺伝子バンクに入る。
自動扉をくぐると、見知っている遺伝子バンクと似たロビーが広がっていた。
「予約されていた
受付を済ませると、いつも通り部屋に案内された。
「終わったら呼び出しボタンを押してください」
案内された部屋に、
気まずい沈黙が落ちた。
「……とりあえず、座ろうか」
「そ、そうだな」
緊張を解こうと、
そのまま二人でベッドに腰掛ける。
遺伝子提供は何度来ても落ち着かないものだった。
「……私は面白味のない女だ。実家の道場を継ぐ立場で、金銭的に裕福なわけでもない。道場も古くてオンボロだ」
突然の独白に、
繋いだ手が、強く握られる。
「こんな時すら、気の利いた言葉も思いつかない。自分でも、嫌になる時がある」
だが、と
真剣な目だった。
「言葉ではなく、剣で示すこともあるはずだと信じている。生涯の主君として仕えさせてほしい」
それから、
「そ、その……
「ありがとう」
「ああ……ちょっと待ってくれ……準備をしなくては」
「あった……これだな」
「……
凶悪な形に
「事前に調べたところ熟練者だけが使う道具らしいのだが、医学的に一番効率がいいらしい」
「……」
「今後も補助に来ることを考えると、これで練習するのが良いと思うのだが」
「……ま、待って。それ使ったことないし、なんか怖いかも」
「確かに、知らない道具をいきなり殿方に使うのは危険かもしれない」
「う、うん」
「では、私で一度試してみよう。幸い、調べたサイトでは男女関係なく使える道具と記載されていた」
「えっ」
「私のことなら心配ない。存分に安全性を確かめてほしい」
◇◆◇
「そろそろ
対面する
「やはり、落ち着きませんか?」
「正直に言うとね。
「
「……作法くらいは知っているだろう」
「どうでしょうか。
「……」
「王手です」
考え事をしている間に詰んだようだった。
「それで、
「あまり芳しくありません。残念ながら、その他大勢の女としか認識されていないと思います」
黒い髪は綺麗に手入れされていて、顔も整っている。おっとりした性格で、欠点らしい欠点もない。
何か取っ掛かりがあれば、
「共通の話題を見つけるのはどうかな」
「そうですね……料理をされるようなので、その辺りを探ってみようと思います」
「私も他に手がないか考えてみるよ」
「ありがとうございます」
その時、廊下から足音が聞こえた。
そして、客間の
「やあ、おかえり。疲れてないかい?」
「うん、大丈夫」
一緒に遺伝子提供に向かったはずの
「
「その……今は一人になりたいらしくて」
奥歯にものが挟まったような言い方だった。
「……遺伝子提供はちゃんと出来たのかな?」
「う、うん。ちょっと色々あったけど」
深く立ち入るべきか考えている間に、
「あ、将棋だ。
「おや、
「うん、ちょっとだけ」
初耳の情報だった。
「じゃあ
「本当? 好きなんだけど、やる機会がなかったんだ」
「こうして殿方と将棋を指すのは初めてです」
「そっか。やっぱり珍しいのかな?」
二人が話している間に、
「二人とも、ゆっくりやっていいよ。私はこうして
「では、
「えっと、じゃあよろしくお願いします」
パチ、と駒を指す音が届く。
一定のリズムで鳴る音がまるで子守歌のようで、
現実と夢の境界のような曖昧な状態で、ただ安心感だけがあった。
「
匂いを擦りつけるように、背中から全身を押し付ける。
そのまましばらく多幸感に身を任せていると、
「うーん……参りました」
意識が覚醒し、
「終わったのかい?」
「うん。
「……それなりに長くやっておりますので」
「終わってすぐにごめんなんだけど、ちょっとおトイレ行ってくるね」
「どうだい? 将棋で仲良くなれそうじゃないか」
「……ええ。思ったよりも将棋をお好きな様子でした」
そこでようやく、
「
「……」
「何かあったのかな?」
「……いえ」
言葉に迷っているような様子だった。
「将棋には定跡があります。特に序盤は、その知識が大きくものを言います」
「そうだね。それが一体どうしたのかな」
「
「最初は定跡をご存じないのかと思いましたが、不思議と最後まで筋が通っていました」
「……誰かから教えを受けていると?」
「わかりません。ただ……」
そこで、
「……まるで、まったく別の世界の将棋を垣間見たようで……奇妙な経験でした」