男女比が壊れた世界でギスギスする話   作:月島しいる

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25話

 北条(ほうじょう)家での滞在、最終日。

 夜には大広間での食事が開かれた。

 瑞樹(みずき)の隣には乃愛(のあ)だけでなく、美弥(みや)の姿もあった。

 

「……これが終わったら帰ってしまうのか」

 

 美弥(みや)が残念そうに零す。

 昨日まで避けるように部屋に閉じこもっていたものの、今日は惜しむように瑞樹(みずき)に身を寄せていた。

 

「縁巡りがあるから、どうしても延ばせなくて。ごめんね」

 

 瑞樹(みずき)が申し訳なさそうに言うと、美弥(みや)は慌てたように首を横に振った。

 

「いや、すまない。我儘を言うつもりはなかったんだ。大事な行事なことはわかっている」

「縁巡りの交流先は紅葉院(こうよういん)だったかな? 山奥の辺鄙なところにあると聞いている。瑞樹(みずき)くんも大変だ」

 

 縁巡りは、どこのコロニーにも入れなかった三年生の女子と、コロニーにまだ空きがある一年生の男子を繋ぐ学外の交流行事である。

 交流は四大共学の間で行われ、担任の氷影(ひかげ)の話では交流先の調整に難航していたようだったが、夏休みに入ってから紅葉院に決まったと連絡があった。

 縁巡りは二日間に渡って行われ、紅葉院で一泊する予定となっている。

 

「紅葉院ってどんなところなのかな? 全寮制の神道系だって聞いてるけど」

「神道系の学校と言っても、神道学ばかりやってるわけじゃないよ。神職や神祇院(じんぎいん)を目指す人はむしろ少数派で、伝統的な教育理念が根付いている名門と思ったほうがわかりやすいだろう」

 

 乃愛(のあ)はそう説明してから、ただ、と警告するように声を落とした。

 

神祇院(じんぎいん)を目指す者たちは独自の価値観を持っていて、少し特殊な学校ではあるね」

「……独自の価値観って?」

 

 瑞樹(みずき)がたずねると、乃愛(のあ)は肩を竦めた。

 

「身近な例だと、クラスに篠宮(しのみや)さんがいるだろう。ああいう感じの価値観だ」

 

 篠宮聖華(しのみや せいか)

 泰平大社(たいへいたいしゃ)の一人娘で、始国十八家である一色雫(いっしき しずく)乃愛(のあ)にも物怖じせず、はっきりとものを言うところがあった。

 

「由緒ある大社や神祇院(じんぎいん)が序列を決めるという世界で生きている彼女たちは、少し世俗からズレているところがある」

 

 乃愛(のあ)が話している間に、一人の寄騎(よりき)の少女がやってくる。

 緒方綾乃(おがた あやの)だった。

 

瑞樹(みずき)様、お茶をお注ぎしてもよろしいでしょうか?」

「あ、ごめんね。ありがとう」

 

 瑞樹(みずき)が茶のみを差し出すと、綾乃(あやの)は注ぎながら微笑んだ。

 

「またお時間あれば、将棋のお相手をしてくださると嬉しいです」

「うん。ボクも久しぶりに遊べて嬉しかったんだ。またやろうね」

 

 茶を注ぎ終わった綾乃(あやの)が、顔をあげる。

 

「ところで、瑞樹(みずき)様はどなたから教えを受けたのでしょうか? 御門(みかど)さんですか?」

「えっと……ルールを教えてくれた人はいるけど、あとは本とかネットの独学で……緒方(おがた)さんみたいにしっかりやってたわけじゃないよ」

「独学……ですか」

 

 綾乃(あやの)の目が、すうっと細くなった。

 そこに美弥(みや)が割り込んでくる。

 

「ほお。瑞樹(みずき)様は将棋をやるのか。実は綾乃(あやの)の伯母は元プロ棋士なんだ。言えばいくらでも相手を用意してもらえるだろう」

「そうなの? じゃあ緒方(おがた)さんも小さい頃からやってたのかな?」

「……ええ。とても手厳しく」

 

 綾乃(あやの)はそこで立ち上がり、頭を下げた。

 

「長居しました。そろそろ失礼いたします」

 

 最後に美弥(みや)の肩を軽く叩いて、おめでとう、と一言を残して去っていった。

 話が終わった機会を見計らったように乃愛(のあ)が切り出す。

 

瑞樹(みずき)くん、食べ終わったら少し歩かないか」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「大昔の見張り台だ。海もよく見える」

 

 乃愛(のあ)が連れてきたのは屋敷の中にある塔だった。

 十階ほどの高さがあり、エレベーターが完備されていて簡単に上がることができた。

 

「わ、高いね」

 

 全方位が見えるようにガラス張りになっており、観光地の展望台のようだった。

 窓際にはベンチがあり、乃愛(のあ)と並ぶように瑞樹(みずき)は腰かけた。

 

「中々の夜景だろう? これを二人で見たくてね」

 

 乃愛(のあ)の手が、瑞樹(みずき)の手に重なった。

 それから甘えるように、乃愛(のあ)の身体が傾く。

 

「良い所だね」

 

 瑞樹(みずき)は手を握り返すと、夜の街を静かに見つめた。

 海岸線を走る電車が、遠目からも見えた。

 夏の夜空は透き通っていて、満月が輝いている。

 

「こうやって月をじっくり見るのって久しぶりかも」

「少しは夏休みらしい時間になって良かったよ」

 

 乃愛(のあ)はそう言って、こてん、と瑞樹(みずき)の肩に頬を預けた。

 ふわりと甘いシャンプーの香りがする。

 そのまましばらく、無言の時間が流れた。

 軽く握った手だけが、互いの存在を確かめるように時折強く握られる。

 心地いい沈黙だった。

 

「こうして見るとよくわかるだろう。山と海に囲まれた狭い街だ」

 

 不意に、ぽつりと乃愛(のあ)が言葉を零した。

 

「ここでは、誰もが私を北条(ほうじょう)の次期当主だと知っている。それが私には、ずっと息苦しくてね」

「……乃愛(のあ)はここから出たかったの?」

 

 瑞樹(みずき)の問いに、そうかもしれないね、と乃愛(のあ)は囁くように言った。

 

「しかし、鎌倉は北条(ほうじょう)の一族にとって重要な意味を持つ場所だ。一度は失った故郷を取り戻したという物語を維持するため、ここから出ることは叶わない」

「……うん」

 

 体育祭の時に乃愛(のあ)が吐き出した本音を、瑞樹(みずき)は思い出していた。

 普段の乃愛(のあ)北条(ほうじょう)家の次期当主を演じているだけで、今の弱々しい姿こそが本来の乃愛(のあ)なのだろう。 

 

「まるで牢獄のようだ、とずっと思っていた」

 

 ぽつぽつと零れる言葉の間には、長い沈黙があった。

 次の言葉が零れ落ちるのを、瑞樹(みずき)は静かに待った。

 

「山と海に囲まれた天然の要塞。そして高い塀と気軽に外にも行けない広大な敷地。利害で結ばれる諸家。それらがいつの間にか北条(ほうじょう)家をここに押し込む枷となっている」

 

 乃愛(のあ)の話を聞いていると、夜景の外に広がる真っ暗な山々が高い壁のように見えた。

 幼少期の乃愛(のあ)にとって、ここはとても窮屈な場所だったのだろう。

 

「やぐらを見ただろう。洞穴の古い墓だ。私はこの屋敷で生きて、あの横穴の中で骨になるんだ。それだけのために生きるなんて、考えるだけでうんざりする」

 

 だから、と乃愛(のあ)は頬を瑞樹(みずき)の肩に乗せたまま視線を向けるように身じろぎした。

 

「この虚ろな気持ちを少しでも分かってくれる人を見つけたいと思っていたんだ」

「……うん」

「君の事故履歴を見た時、嬉しかった。同類だと思った」

 

 中学三年生の冬、瑞樹(みずき)は回送中のバスに身を投げ出した。

 公的には、ただの交通事故という扱いになっている。

 

「ただ、今は少しだけこの牢獄も良いかもしれないと思っているんだ」

 

 乃愛(のあ)はそこで小さく笑った。

 

「……それは、どうして?」

「この牢獄のような屋敷に大事なものを隠せば、誰も盗むことはできないだろう?」

「……」

瑞樹(みずき)くん」

 

 瑞樹(みずき)の肩に体重を預けていた乃愛(のあ)が起き上がり、正面から見つめる。 

 

「卒業後は、ここで一緒に暮らしてほしい」

 

 真剣な目だった。

 だから、瑞樹(みずき)も隠さず本音で語ることにした。

 

「……一色(いっしき)さんからも、同じようなことを言われたことがあるんだ。卒業後の家を用意するって」

「予想はしていたよ。財力がある者なら、誰でも同じような提案をするだろう」

 

 意外にも乃愛(のあ)はあっさりとした反応を見せた。

 

「コロニーの皆も、ここに住んでいいの?」

「空き部屋はいくらでもある。東京へも働きに出やすいだろう。都心でこれだけの土地を確保するのは難しいからね」

「……時間をもらってもいいかな?」

「ああ。返答は急がないでいい。なんなら卒業時までゆっくり考えてくれた上で返事をくれると嬉しいね。それまでに改築の要望があるなら聞けるよ」

「……待たせちゃうけどごめんね」

「君が謝ることじゃない。卒業時にどういうコロニーの構成になるかもまだわからないしね。我ながら気の早い話だ」

 

 乃愛(のあ)はそう言って笑ったが、瞳の奥に不安が見て取れた。

 

「じゃあ、そろそろ戻ろうか」

乃愛(のあ)

 

 咄嗟に名前を呼ぶと、立ち上がりかけていた乃愛(のあ)が振り返った。

 そこに瑞樹(みずき)はそっと顔を近づけて、唇を重ねた。

 それからゆっくりと顔を離す。

 

「後ろ向きな理由じゃなくて、前向きにここで過ごせるようにしよう」

「……ああ。そうだね」

 

 乃愛(のあ)は頷いて、それから屈託のない笑みを浮かべた。

 背後に見える満月と夜景にも見劣りしない笑顔だった。

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