男女比が壊れた世界でギスギスする話   作:月島しいる

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26話

 蝉の鳴き声が木霊する中、最上飛鳥(もがみ あすか)紅葉院(こうよういん)の校庭を一人で走っていた。

 一年生の時から続けている習慣で、夏季休暇の間も欠かすことはなかった。

 

「……朝でもこの猛暑とは、気が滅入るな」

 

 流れ落ちる汗を拭いながら、思わず愚痴が零れた。

 始国十八家に連なる最上(もがみ)家は、北方軍の統帥権を預かる名家である。

 東北の雪国で生まれ育った飛鳥(あすか)は、紅葉院で三年を過ごした今でも関東の夏に馴染めていなかった。

 一通りの日課を終えると、飛鳥(あすか)は暑さにぐったりしながら寮へ向かって歩き出した。

 

「おはようございます!」

 

 途中、各所で朝の清掃をしている下級生たちが元気よく頭を下げた。

 紅葉院は神道系の全寮制で、厳しい上下関係が敷かれている。

 

「ああ、おはよう」

 

 飛鳥(あすか)は下級生に軽く言葉を返しながら、長い木造の廊下を進んだ。

 その時、後ろから見知った声が届いた。

 

「モップがけもまともに出来ないんですかぁ?」

 

 飛鳥(あすか)は思わず立ち止まり、振り返った。

 一人の一年生が、三年生の集団に叱責されているところだった。

 

「何ですか、この拭き残しは」

「ご、ごめんなさい」

 

 三年生は五人グループで、いずれも飛鳥(あすか)のクラスメイトだった。

 

(またか)

 

 不思議なものだと思う。

 飛鳥(あすか)たちも新入生の頃は、上級生から数々の嫌がらせを受けて不満を漏らしたものだった。

 それが今は、同じことを新入生相手に繰り返している。

 

「それくらいにしておけ」

 

 新入生を取り囲んでいる同級生に声をかける。

 五人が怪訝そうに振り返り、飛鳥(あすか)を見て露骨に嫌そうな表情をうかべた。

 

「おや。無指名の最上(あすか)さんじゃないですかぁ」

 

 リーダー格の少女、蓮実睦月(はすみ むつき)が眉をつりあげ、嫌味を言う。

 天御原(あまのはら)大社の長女である睦月(むつき)は、紅葉院の中で特に強い影響力を持っていた。

 

「こんなところで油を売っていて良いんですかぁ? 未だに誰からも指名されていないのでしょう?」

 

 その言葉に、取り巻きの少女たちがクスクスと笑い声をあげる。

 全員が天御原(あまのはら)大社に属する巫覡(ふげき)たちだった。

 彼女たちはいずれも、始国十八家である飛鳥(あすか)とは別の世界で生きている。

 各地の大社から神祇院(じんぎいん)を目指す彼女たちに、十八家の権力は通用しない。

 

「あら、もしかしてまた走り込みでもしていたとか? 筋肉ダルマなど、ますます指名されなくなりますよぉ?」

 

 紅葉院では指名制と呼ばれる制度が採用されている。

 各クラスに配属された男子が気に入った女子を指名していき、クラスを形成していくという制度である。

 飛鳥(あすか)は三年生になった今でも男子に指名されることなく、女子だけの候補クラスに留まったままだった。

 

「これがオレの役割だ。北方軍の(おさ)になる立場として手を抜くわけにもいかん」

「まあ、立派な志ですね。しかし、今日の縁巡りが最後のチャンスでは? 他に優先すべきことがあると思いますけど?」

「それはお互い様だろう。クラスに指名されながら、コロニー入りを逃したお前たちだって、こんなことをやってる場合ではあるまい」

 

 飛鳥(あすか)の言葉に、睦月(むつき)の顔が歪んだ。

 

「クラス指名すらされない筋肉ダルマと私たちが一緒なわけがないでしょう」

 

 紅葉院でしか通じない価値観だな、と飛鳥(あすか)は呆れた。

 全寮制という閉鎖環境が引き起こす視野狭窄に、彼女たち全員が陥っている。

 一年生の頃に受けたいびりが、学校や寮でのカーストを過大視させたのだろう。その誤認が、過去の上級生と同じことを繰り返す悪循環を生み出している。

 

「外の男子からすれば、クラス指名などどうでもいいことだと気づいたほうがいい」

「負け惜しみを。今日の縁巡りが楽しみです」

 

 睦月(むつき)は最後に笑って、取り巻きとともに去っていった。

 振り返り、怯えている下級生に声をかける。

 

「大丈夫か?」

「あ、あの……ありがとうございました」

「またあいつらに絡まれたらオレに相談してくれ。ああいう三年生になるなよ」

 

 飛鳥(あすか)の言葉に、一年生の少女は顔を輝かせた。

 

「はい! 最上(もがみ)先輩のように公平で強い女を目指します!」

「……そうか」

 

 飛鳥(あすか)はくすぐったいものを感じながら、(きびす)を返した。

 それから自虐を込め、心の中でぼやく。

 

(いつまでも公平でありたいものだが……十八家はそうもいかん)

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

『聞け。白雪学園で掘り出し物を見つけた』

 

 久しぶりの祖母からの電話は、そんな言葉から始まった。

 飛鳥(あすか)は困惑した。紅葉院に進んだ飛鳥(あすか)にとって、白雪学園の話など関係がない。

 

「白雪? 一体何の……」

『あそこの最下位クラスにコロニーを形成したての男子がいる。ワケアリ品だが、既に問題はほとんど解消されていると考えて間違いない。縁巡りの交流先としてねじ込んでおいたから、後はうまくやれ』

 

 あまりにも都合のいい話に、猛将として知られた祖母もついに耄碌(もうろく)したか、と飛鳥(あすか)は呆れた。

 

「なら、上位クラスに食い尽くされて終わりだろう。そんなうまい話があるとは思えん」

『そうだな。現に、Aクラスから一色(いっしき)北条(ほうじょう)の娘がすぐに動いておる。細かな事実関係はあいつらが全て調べあげているはずだ』

「……一色(いっしき)北条(ほうじょう)が?」

 

 両家の次期当主とは何度も顔を合わせたことがあった。

 一色(いっしき)家の長女はいつも仮面のような笑みを浮かべている品行方正な娘で、秩序の守護者を体現したような存在である。

 北条(ほうじょう)家の長女も中学生の時には既に大勢の寄騎(よりき)を引き連れ、北条(ほうじょう)家の特色を色濃く継いだ少女だった。

 いずれも、一時の感情に流されるタイプとは思えない。

 

『どうだ、興味が出てきただろう? 一色(いっしき)北条(ほうじょう)がいるだけで、並みの女では近づくこともできんはず。まるでお前のためにお膳立てされたような状況だ』

「それは……そうだが……」

『なんだ? 何が気になる?』

「縁巡りの交流先を白雪に変えたとは……どういうことだ? まさか賄賂でも……」

 

 飛鳥(あすか)が懸念を口にすると、電話口の向こうから祖母の溜め息が聞こえた。

 

『いいか、言うことを聞かせたい時だけ金を渡すと問題になるが、普段から寄付という形でばら撒いておけば問題にもならんのが世の常だ。身体ばかりデカくなりおって。いい加減、(まつりごと)も学ばんか』

「……そういうのは好かん」

『何を世迷言を。政であろうと軍務であろうと九割はこうした下準備で決まるものだと知れ。まあ、実物を見れば気持ちも変わるだろう。最下位クラスの男子だ。覚えておけ』

 

 それが、夏休みが始まってすぐに交わした電話の内容だった。

 祖母にはああ言ったものの、いざ縁巡り当日を迎えると『掘り出し物』という言葉が何度も頭をよぎった。

 飛鳥(あすか)はもう三年生で、紅葉院を卒業すれば軍学校に入校しなければならない。

 そうなれば、もう出会いは望めない。自分で相手を見つけられるのは、今日が最後の機会だった。なんの成果も得られなければ、母や祖母が探し出した空きのあるコロニーに押し込まれ、肩身の狭い思いをすることになるだろう。

 

「……なあ、オレの身だしなみっておかしくないか?」

 

 縁巡りの会場となる体育館で、ルームメイトに問いかける。

 紅葉院の茶色いセーラー服に、動きやすいように後ろでまとめて編み込んだ髪。

 いつも通りの姿のはずなのに、周りの同級生たちがお洒落をしているせいで落ち着かなかった。

 

「自信なくすくらいなら、髪だけでもお洒落したらよかったのに」

「いつものオレを気に入ってもらわないと意味がないだろう」

「うーん……まあ飛鳥(あすか)らしいけどね」

 

 そう言うルームメイトは、朝から時間をかけて髪を巻いていた。

 彼女もまた、飛鳥(あすか)と同じく誰からも指名を受けていない状態である。

 

「……なんだか吐きそうだ」

「ゲロなんて絶対やめてよ」

 

 紅葉院の古びた体育館は、まるでパーティー会場のように飾り付けられていた。

 縁巡りは二日かけて行われる予定で、一日目は立食形式で昼食を楽しみながら各々が気になった異性に声をかけて親交を深める形になっている。

 参加希望の女子は時間前に集められ、あとは男子を待つだけだった。

 飛鳥(あすか)が落ち着きなく前髪を触っていると、睦月(むつき)が嫌な笑みをうかべて近づいてきた。

 

最上(もがみ)さん、顔色が悪いですけど大丈夫ですかぁ?」

「悪いが、いまは相手をしてやる余裕がない」

 

 飛鳥(あすか)が軽くいなすと、睦月(むつき)は肩を竦めてそれ以上は何も言わなかった。

 それを見て、睦月(むつき)も緊張しているのかもしれない、と思う。

 

「もう少しで時間です」

 

 不意に、壁際に並んでいた教師の一人が声をあげた。

 辺りには百を超える三年生がいて、それぞれが不安そうに顔を見合わせている。

 

「今回、紅葉院にいらっしゃった一年生男子は九名です」

 

 ざわめきが波のように広がっていく。

 見知らぬ男子が九人も一か所に集まる機会は、生涯でも数えるほどしかない貴重な機会である。

 こうした機会を求めて多くの者が四大共学の狭き門を目指すのだ。

 

「皆さん、紅葉院を代表する者として、そして年上の者として恥ずかしくない行動をお願いしますよ」

 

 教師が注意事項を読み上げ始める。

 しかし、極度の緊張に陥った飛鳥(あすか)の耳には何も入ってこなかった。

 ふと立ち眩みを覚え、ふらふらと食事の置かれたテーブルに寄りかかる。

 

「ちょっと、大丈夫?」

「……大丈夫じゃないかもしれない」

 

 心配そうなルームメイトの声に、飛鳥(あすか)は正直に弱音を吐いた。

 すぐ近くから漂う食べ物の匂いで、さらに気分が悪くなる。

 

「人生かかってんだから、しゃきっとしてよ」

「……ああ」

 

 そうしている間に、教師が一際大きく声を張り上げた。

 

「では、白雪学園の一年生の皆さんです! 皆様、盛大な拍手でお出迎えを!」

 

 その声を合図に、割れんばかりの拍手が響く。

 会場の全員が、入り口に熱い眼差しを送っていた。

 飛鳥(あすか)だけが、その場にうずくまっていた。

 

「ちょっと最上(もがみ)さん?」

 

 拍手の音に混じり、睦月(むつき)の怪訝そうな声が届く。

 飛鳥(あすか)は顔をあげることもなく、無言で両手で口元を抑えた。

 その間に、会場全体から黄色い歓声があがる。どうやら、男子が会場に入ってきたようだった。

 

「……っ……う……」

 

 まずい、と思った。

 胃の奥から込み上げるものを、無理やり飲み込む。

 しかし、胃袋が飛鳥(あすか)の意思に反してポンプのように収縮する感覚があり、飛鳥(あすか)は慌てて立ち上がって壁際に向かって走った。

 

「……っ……ぐぁ……おえ……」

 

 そして、飛鳥(あすか)は壁際に吐瀉物をぶちまけた。

 周囲から小さな悲鳴が届き、異常に気付いたように拍手が収まっていく。

 気分の悪さのせいで、不思議と羞恥心はなかった。

 ただ、終わった、と思った。

 すべての音が、遠のいていく。

 

「ちょっと、嘘でしょ……」

 

 知らない誰かの声だけが、妙にクリアに聞こえた。

 

「ぐ……あ……げ……」

 

 飛鳥(あすか)の意思に反するように、胃が痙攣して再び吐瀉物を吐き出す。

 しばらくして嘔吐感は収まったが、飛鳥(あすか)はそのまま動けなかった。

 咄嗟に抑えようとした両手は吐瀉物まみれで、飛鳥(あすか)はただ、うずくまることしかできなかった。

 

「大丈夫?」

 

 優しい声がした。

 聞き慣れない、低く落ち着いた声だった。

 そして、そっと背中を擦るように手がかけられる。

 

「まだ出そう? 全部出したほうが楽になるかも」

「……悪い。ちょっと緊張で……もう……大丈夫だ」

 

 飛鳥(あすか)はゆっくり顔をあげ、そこでようやく自分の背中を擦っているのが男子であることに気づいた。

 彫刻のように固まった飛鳥(あすか)に、少年がハンカチを取り出して口元を優しく拭い始める。

 

「両手についてるの、ここでちょっとだけ落としていこうか。両手、出してもらってもいい?」

「……ああ」

 

 言われるがまま、ぼんやりと両手を差し出す。

 吐瀉物にまみれた手を、少年が嫌がる素振りもなくハンカチで拭っていく。

 

「す、すみません! あとはこちらでやるので」

 

 教師が駆け寄ってくる。

 

「先生は進行があるだろうし、ボクがやるので大丈夫ですよ」

「し、しかし……誰か……そこ、蓮実(はすみ)さん! 最上(もがみ)さんを部屋まで連れていってやってくれ」

「え、あ……わかりました」

 

 教師に指定された睦月(むつき)が嫌々といった表情で近付いてくる。

 その間も、飛鳥(あすか)はすぐ近くの少年を見つめたまま動けなかった。

 

 ――まあ、実物を見れば気持ちも変わるだろう。

 

 祖母の言葉が、頭によぎる。

 ああ、こういうことだったのか。

 確かにこれは掘り出し物という表現が相応しいだろう。

 そう思いながら、飛鳥(あすか)は小さくえずいた。

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