スエズ運河を抜けた瞬間、海の色が変わった
紅海の閉塞感は背後へ消え、地中海の水面が広がる
両岸の圧迫から解放され、艦隊の隊形にもわずかな余裕が生まれた
それでも、誰一人として警戒を解こうとはしなかった
「各部、異常なし」
淡々とした報告が続く
CAPは定時で交代し、ホークアイは高空を回り続ける
衛星からのリンクも安定していた
その日のうちに、いくつかの接触があった
低空を横切る従来型の深海棲艦航空機
散発的に現れる水上艦隊
いずれも、戦闘と呼ぶには短すぎた
『ろっくおん。ふぉっくすつー』
CAPがミサイルを発射し、接近する航空機を撃ち落とす
艦隊側に損害はない
弾薬の消費も最小限
報告はそれだけだった
軽すぎる
誰も口には出さなかったが、同じ感覚を抱いていた
『……引き際が早いな』
レイがぽつりと呟く
追撃する前に退く
こちらを深追いしない
数も増えない
勝っているはずなのに、戦っている実感が薄い
夜になっても、海は静かだった
「異常なし、ですか」
状況整理のため今は真横を航行するピーターの確認のように繰り返される言葉に、キティは頷いた
「うん。異常なし」
だが、続けて言葉を足す
「でも、嫌な予感がするんだよね」
ジブラルタル海峡が近づくにつれ、海図の線が再び狭まっていく
進路は限られ、回避の余地は減る
「次は、また通路ね」
誰にともなく向けた言葉だった
地中海は穏やかだ
航路は順調
損害もない
それでも、艦隊の空気は軽くならなかった
無事に進んでいる…
それが、いちばん気にかかっていた
『水上レーダーに感あり!艦影6!こちらに接近中!』
レイからの突然の報告に、艦隊に緊張が走る
「総員、対水上戦闘よーい!警戒レベルを1繰り上げて!」
キティの発した号令に全員が返事をする
その時、無線から雑音が聞こえ呼びかけの音声が流れ出す
『こちらはイタリア海軍、マエストラーレ級2番艦グレカーレ。地中海中央海域を航行中の不明艦隊に呼びかける』
一拍間を置いて、同じ調子で続く
『貴艦隊は現在、イタリア共和国の警戒監視区域に接近している。国籍、所属、航行目的を回答せよ』
緊張しているのか若干声が上ずっている
しかし、言葉の選び方は慎重だった
『繰り返す。こちらはイタリア海軍。貴艦隊の意図は敵対行動とは見なしていない。しかし、身元不明のままの接近は容認できない』
少しだけ、声のトーンが下がる
『速やかに応答されたし』
最後に、付け加えるように一言
『回答なき場合、こちらは必要な措置を取る』
「こちらは日本国海軍、トラック泊地所属のキティホーク。現在、イギリスからの救援要請を受け急行中」
キティは外部通信でそう応答し、隊内通信で全員に集合するよう伝えた
『応答感謝します。しかし、現在ジブラルタル海峡は通行できません。……艦隊への接近を許可願います』
「許可します」
『感謝します。こちらは方位013より接近します。通信終わり』
通信が途切れる頃には、キティ周りに全員が集合していた
「海峡が通れないってどういうこと?」
ましゅう が首を傾げる
「詳しい話は彼女たちから聞けばいいだろう」
そう言ったトリブツが視線を向けた先に灯火が確認できた
「イタリア海軍のグレカーレです。応答感謝します」
キティの前に立つ小柄な少女は律儀に敬礼をしてくる
「トラック空母打撃群旗艦キティホークです」
キティも敬礼を返した後に握手を交わす
「それでジブラルタルが通れないってどういうことですか?」
ピーターが握手が終わったのを確認し問いかけると、グレカーレは困り顔をする
「詳しい話は基地でしませんか?ここは目立ちすぎます」