緊張と混乱が、空調の止まった空間にゆっくりと解けていく。
鈍く沈んでいたはずのギアドラゴンの瞳に——再び赤い光が灯った。
「——っ!?」
アルスが反射的に身を引く。
金属の関節がガチャンと音を立てて動き出し、停止していたギアドラゴンの胴体が震えるように起き上がった。その巨体が床を軋ませながら、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ向き直る。
「うそ……動力切れたはずじゃ……!」
エルの声が震える。だがそれをかき消すように、ギアドラゴンの脚部が地を叩いた。
ズンッ!
次の瞬間には、その鋭利な爪がアルスたちに振り下ろされようとしていた。
「っ……! みんな避けて!」
エルが魔具の銃を構えるが間に合わない——と思ったそのとき、機械の鳥たちが再び舞い上がった。狼型の猟犬も、床下から這い出るようにして並び立つ。
「……待てっ、なぜ貴様らがっ!?」
エルが咄嗟にサルゴンを振り返る。
「お前、やっぱり……!」
だがサルゴンは困惑したように首を振った。
「知らん! 本当に知らんぞ! この反応、制御外じゃ……!」
それでも彼は、杖の先を機械たちに向け、低く唸るような声で魔導式を唱えた。
「我が手に応えよ、猟兵たちよ——ギアドラゴンから“あのふたり”を守れ!」
命令に応じ、機械の鳥たちは翼を翻してギアドラゴンの視界を攪乱し、猟犬たちは地を蹴って脚部に噛みつくように突撃した。
「よくやった……!」
エルが叫ぶ。しかしその希望は、数秒しか保たなかった。
ギアドラゴンの尾が薙ぎ払われる。
鉄の獣たちは一掃され、鳥は空中で切断され、狼たちは壁へと叩きつけられ、火花を散らして沈黙した。
「そんなっ……!」
「くそっ……!」
アルスはすでに魔石を握っていた。
「ごめん、サルゴン!! ——壊すね!」
彼女の手に、五つの琥珀が握られる。魔力の奔流が爆ぜ、彼女の足元に広がる魔法陣が幾重にも展開される。
轟音。
放たれた爆炎は巨大な竜を呑み込むほどの火柱となって襲いかかる。圧縮された魔力が爆ぜ、熱と光が空間を歪める。
しかし——
ギアドラゴンは、びくともしなかった。
その鋼鉄の鱗には傷一つつかず、赤く光る瞳は無表情なまま。かえって、その顎がゆっくりと開かれる。
「っ……やば……!」
次の瞬間、蒼い焔が吐き出された。
それはただの火炎ではなかった。魔力の逆流すら思わせるその熱は、空間そのものを灼き潰すような異質な輝きを放っていた。
「ひっ、アルスぅっ!!」
「こっちっ!」
二人はとっさに横に跳ねる。爆風が床を抉り、蒸気管が次々に破裂して、火花が周囲に飛び散った。
崩れた鉄骨の影から顔を出したサルゴンも、その焔を見て目を剥いた。
「……馬鹿な……! ギアドラゴンに“火炎放射”など付けとらんぞ!!」
その言葉に、アルスとエルは顔を見合わせた。
「えっ、じゃあ……じゃああれ、なに……?」
ギアドラゴンの体内で、何か異質な光が脈動していた。まるで「本来の制御」とは異なる意志が、内側から機構をねじ曲げているかのように——
顎から放たれる蒼い焔が、空間を切り裂くように唸りを上げた。
「くっ……また来るっ!」
アルスは歯を食いしばりながら、横に跳ねた。着地と同時に滑り込むように地を転がり、蒸気管の影へ飛び込む。
すぐ脇では、エルがギリギリで背をかわし、蒼炎の端をマントの裾でかすめながらも、地面に転がり込んでいた。
「うっ……熱っ……これ、普通の火じゃない……!」
彼女のマントは焦げ、淡い桃色が黒ずんでいる。その熱は皮膚すら焼かずに、魔力の流れそのものを焼き尽くすような感触を伴っていた。
ギアドラゴンの動きはゆっくりだが、確実で重厚だ。脚部が地を打つたび、鉄骨が軋み、床が振動する。蒼炎の軌道は蛇のように不規則にうねり、完全な回避を困難にしていた。
「……この魔力、やばすぎ……!」
アルスは唇を噛み、ぎゅっと握った琥珀の魔石を額に当てるようにして集中する。
感じる。体内——その中心に、異常な“核”がある。
そこから漏れ出す魔力は、灼熱と氷結、爆発と静寂、生命と死が同時に押し寄せるような、理解不能な波動だった。
「……誰の魔力でもない……」
声が震えた。アルスはこれまで、さまざまな魔法使いの“魔力の癖”を感じ取ってきた。モーガンの古く重い魔力もそうだが――それらとはまるで違う。
「……これ、ほんとに“誰か”の魔力なの……? なんかもっと……ぜんぜん違う……」
「アルス!」
叫ぶ声に振り返ると、エルがしゃがみ込んでいた。銃の魔具をかばったせいか、手には擦り傷があり、少し魔力が乱れている。
「いまの“核”から出てる魔力……もしそれに、逆向きの魔力ぶつけたら、相殺できるかも!」
「逆……って……」
「たとえば、“引く”に対して“押す”、静に対して動。波の動きが合えば打ち消せる! でも……」
エルの瞳が揺れる。
「その“正体”がわかんないと、逆も作れないんだよね……」
アルスは俯き、ひとつ息をついた。
「……魔力のベクトルが複雑すぎて……ただ反転させるだけじゃダメ……。うまくいかないどころか、跳ね返って私たちが消し飛ぶかも……」
そのとき——
ギアドラゴンの尾が空気を切り裂いた。
「っ——来るっ!!」
アルスが叫ぶより早く、尾が地面を薙ぎ払う。鋼のような風圧が走り、床の金属板が巻き上げられた。
アルスは咄嗟に展開した氷の盾で衝撃をいなしたが、氷は瞬時に蒼炎で蒸発した。
「だめだ、これ……防御が間に合わない……!」
「でも止まらないっ……!」
次の瞬間、ギアドラゴンの胸部装甲が左右に開く。
内部に——灼熱のような、しかし**音のない“心臓”**が脈動していた。
ブゥゥン……
鼓動のような低周波が空間を震わせ、アルスの視界が一瞬だけ歪んだ。
「っ、今の……!」
「魔力だけじゃない……っ、空間が、圧されてる……!」
その心臓のような動力源。色も音も匂いも“感知できない”はずのものが、存在だけで空気をねじ曲げている。
アルスの手が、無意識にもうひとつ魔石へ伸びた。
「……どうにかして、“感覚”だけでも反転させられれば……!」
彼女は目を閉じ、魔石を砕く。手のひらの内で、淡く光る水の粒子が生まれる。
「でも、それって……下手したら、死ぬかも……」
「でも、やるしかない……でしょ?」
エルは隣で銃を構え、血がにじんだ手で笑ってみせた。
蒼炎の唸りが再び高まる。顎が、今まさにふたりを照準に捉えようとしていた。
蒼い焔が、再び顎の奥に集まり始めた。
その色は、炎のはずなのにどこか冷たい。熱を感じる前に、皮膚の奥にじんわりと痛みが広がるような、体の芯から魔力を凍らせていく感覚。
アルスは膝をつきながら、息を詰め、手のひらを床につけた。
(この魔力——)
目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。
周囲の音が消え、空気が重く沈む。
そこにあるのは、**異常なほど澄みきった“冷たい力”**だった。
まるで蒼い焔そのものが、その魔力の本質であるかのように。
——いや、違う。
アルスの額に汗がにじむ。
(この魔力は、“火”じゃない。……“火の形をした密度”……)
魔力の波動を読み取るごとに、それが“灼熱の力”ではなく、“絶対の密閉性を保つ構造体”であることが浮かび上がってくる。
(こんな扱い方、普通じゃない。……制御できるとしたら、あのモーガンみたいに、魔法を熟知してる人……しかも、炎の特性を正確に理解して、圧縮して、揺らがせずに使える人じゃないと……)
でも——
だからこそ、アルスは悟る。
(密度が高すぎる。逆に、少しでも異質な魔力が混ざれば、不安定になって、弾けるように崩れる)
炎ではなく、もはや一点の曇りも許さない結晶のような魔力。その中に、針の先ほどの“ズレ”を差し込めば、全体が崩れる。
アルスはそっとポーチから、一粒の小さな琥珀を取り出した。
それは彼女が、常に最後の手段として残していたもの。
「……ここで、使うか……」
そっと掌に包むように持ち、微弱な魔力を——あえて、波長の違う魔力を注ぐ。
火でも水でもない、あえて「中途半端」な揺らぎを。明確な属性を持たない、ただ“存在”するだけの、混ざり物のような魔力を。
——それが、“不純物”として、核に揺らぎを与えるはずだ。
「……いってこい」
アルスは小さく呟き、琥珀を弾くようにギアドラゴンへ向けて投げる。
音もなく、琥珀は竜の胸の装甲の隙間へと吸い込まれた。
次の瞬間——
ギアドラゴンの瞳が、赤から蒼へ、蒼から白へと一瞬だけ色を変えた。
そのときだった。
ふっと、魔力が“ほどける”ように崩れていった。
耳鳴りのような圧が消え、空気が軽くなる。蒼い焔も止み、砲門も閉じ、胴体の装甲が緩やかに収縮していく。
ギアドラゴンは、再びその場で立ち尽くしたまま、沈黙した。
——今度こそ、本当に。
内部の核が、**“壊れた”のではなく、“構造を失った”**のだ。
アルスはゆっくりと立ち上がり、息をつく。
「……やった、の……?」
エルが恐る恐る銃を下げて、ギアドラゴンの目を見つめる。
動かない。
ただの、鉄の塊になった。
「ふぅぅ……っ」
アルスが膝に手をついて深く息を吐いたとき、後ろからサルゴンの声がした。
「……今のは……。あれだけ密度の高い魔力構造体に、“異物”を混ぜて崩したのか……。こやつ、どれほどの精度で……」
「すごいでしょ……うちのアルス、ほんとにすごいんだから……!」
エルがにっこりと笑い、すぐにアルスのもとへ駆け寄った。
「もう、よく無事だったね!? 最後のはちょっと本気で泣くかと思った!」
「……まだ、ちょっとだけ、泣いていいかも……」
アルスは苦笑しながら、そっと腰を落とした。
倒れたまま動かぬギアドラゴンが、その背後でまるで“幕を下ろした舞台装置”のように静かに立ち尽くしていた。
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夕暮れ時の静かな住宅街。風がそよぎ、木々の葉がわずかに揺れる。
その中を、ジャージ姿の女性がゆっくりと歩いていた。栗色の髪を後ろでまとめ、肩で呼吸するような浅い息。普段は凛とした気配を纏う彼女も、今はどこか疲れ切っていた。
家の前に立ち、軽くノックをして扉を開ける。
「ただいま、ミシェル……ちょっと、遅くなっちゃった……」
「おかえりなさい、フレンお姉ちゃん。……顔、疲れてるよ?」
部屋の奥から出てきたミシェルが、フレンの顔を覗き込む。眼鏡の奥の瞳が心配そうに揺れていた。
「あはは……ごめん。ちょっと、いろいろあってね」
フレンは無理に笑いながら靴を脱ぎ、居間のソファに崩れるように座った。ミシェルが近寄り、ペットボトルの水を差し出す。
「手紙、渡しておいたよ。あの子、ちゃんと受け取ったと思う」
その言葉に、フレンは小さく眉を寄せた。
「……そう、ありがとう。うまく伝わってるといいんだけど……」
静かに水を口に含み、しばらく言葉を探すように沈黙したのち、ぽつりと漏らす。
「……あの琥珀、盗まれちゃったの。私が預かってた、大事なやつ……」
ミシェルの表情が一瞬、驚きに変わる。
「それを探してほしくて、アルスちゃんに伝言を……。でも、あの子、気づいたかな……気づける子だけど……でも……」
言葉が濁る。責任感と自責の念が、彼女の表情を曇らせていた。
「そもそも……あの琥珀、もともとは私のじゃないのよ。私の知り合いが預かってて……で、その人も、ある人から受け取ったものだったの」
ミシェルは首を傾げた。
「その、ある人って……?」
「……精霊の森。あの場所で命を落としたって」
フレンは俯いて小さく息を吐いた。
「事故なのか、他殺なのかは、今もわかってない。ただ……その人が死んだあと、琥珀だけが戻ってきててね。それを、私の知り合いが預かってたの」
「……へんな話。なんでその人、そんな変なもの預かってたの?」
ミシェルが素朴な疑問を投げかける。フレンはソファに寄りかかり、視線を天井に向けながら言った。
「……その琥珀は、まだ年端もいかない“日本人の教え子”が、自分の魔力を込めて作ったものだったらしいの」
「魔法の……教え子?」
「うん。その“ある人”はね……魔法使いだったみたい。きちんと師弟として教えていたのか、ただ保護していたのかは分からないけど……」
フレンは手のひらを見つめながら、ぽつりと続ける。
「でも、私が持っていても……ただの石ころだったんだ。魔法使いじゃない私には、“重さ”だけしか感じられなかった」
しん、と室内が静まり返る。
ミシェルはソファの脇にちょこんと座り、フレンの横顔を見つめていた。