奉仕部の午後は、いつにも増して不穏な空気に包まれていた。霜月澪は、もう帰りたかった。心の中では「さっさと依頼を終わらせて帰らせろ」と考えていたが、それを口に出すことは前代未聞の暴挙をやらかした。
奉仕部は新たな歴史を間違いなく刻んだだろう。しかし、霜月の怒涛の八つ当たりも虚しく葉山隼人は依頼の話を始めることとなった。
葉山はさも自然な様子で携帯を取り出し、画面をこちらに見せる。そこには現代的な陰湿さが凝縮されていた。
『戸部は稲毛のカラーギャングの仲間でゲーセンで西高狩りをしていた』
『大和は三股をかけている最低の屑野郎』
『大岡は練習試合で相手のエースを潰すためにラフプレーしていた』
霜月は心の中で軽く舌打ちした。
(今時、こんなくだらないことする人もいるのね……)
葉山は少し微笑みながら説明を続ける。
「これが出回ってから、クラスの雰囲気が悪くてさ。友達のことを悪く書かれてれば腹も立つし」
その微笑には、チェーンメールにうんざりした空気が漂っていた。霜月の目には、先ほど携帯を弄りながら顔をしかめていた由比ヶ浜の姿が重なる。
「止めたいんだ。犯人探しがしたいわけじゃなくて、丸く収める方法を知りたい。頼めるかな」
葉山の笑顔は気持ち良さそうだが、霜月フィルターを通すと全てが嫌味に変換される不思議な現象が起こる。前にも言ったが別に葉山のことが嫌いなわけではない。性格的に合わない部分があるだけで、そこはまだ許容範囲だ。しかし、奉仕部が帰る寸前に依頼に来る葉山のタイミングは許せなかった。
雪ノ下は冷静に問い返す。
「つまり、事態の収拾を図ればいいのね?」
「うん、まぁそういうことだね」
「では、犯人を捜すしかないわね」
「うん、よろし、え!?あれ、なんでそうなるの?」
葉山のリアクションは、少し困惑を含んでいた。雪ノ下は依頼人の意向を、早くも軽やかに無視し始める。
「チェーンメール、あれは人の尊厳を踏みにじる最低の行為よ。それが善意であれ悪意であれ、結果的には悪意を広げ、拡大し続ける。止めるならその大元を断つしかないの。ソースは私」
「お前の実体験かよ……」
比企谷が小声で呟くと、霜月は目を細めながら、心の中で「また始まった」とつぶやく。雪ノ下によるどうでもいい実体験トークは、この後、奉仕部の午後を少し長引かせることとなった。
霜月は机に頬杖をつき、目を泳がせながら遠い目をする。
(……なんで私、まだここにいるんだろう)
奉仕部の空気が、再び一段と重くなった。葉山の依頼を聞いているはずが、気づけば部室はもはや「帰りたくても帰れない地獄会議」と化している。
雪ノ下が、葉山に冷静な視線を向ける。
「先週末から突然始まったわけね。由比ヶ浜さん、葉山君。先週末クラスで何かあった?」
「特に、なかったと思うけどな」
「うん・・・いつも通り、だったね」
そこに霜月が待ったをかけた。
「あるわよ、原因。来週職場見学があるでしょ。でグループ分けするって事が原因よ、それ」
由比ヶ浜も納得した。
「葉山君、書かれているのはあなたの友達、と言ったわね。グループは?」
「あ、ああ……そういえばまだ決めてなかったな。とりあえずはその三人の誰かと行くことになると思うけど」
葉山がそう言った瞬間、由比ヶ浜の表情がピタリと固まった。
「……あ、犯人、わかっちゃったかも……」
そのゲンナリとした声に、霜月も同調するようにため息をついた。理由は簡単だ。察しがついてしまったからだ。
来週は職場見学。グループは三人一組。だが葉山の“仲良しトリオ”は三人、そして葉山を加えると四人。つまり、誰か一人が弾かれる。
(人間関係クラッシュ直前イベント。高校あるあるじゃん)
霜月の頭の中では、今にもチャイムが鳴りそうだった。
「人生で一番めんどくさい人間模様の授業が始まります」みたいなナレーション付きで。
とはいえ、彼女の推察は的確だった。今回のチェーンメールの動機は、間違いなく「椅子取りゲーム」である。誰かを蹴落とすために、メールという最悪な手段が使われたのだ。
由比ヶ浜もその線を説明し、雪ノ下は顎に手を当てて静かに頷いた。
「……では、その三人の中に犯人がいると見て、まず間違いないわね」
葉山の顔がわずかに引きつる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺はあいつらの中に犯人がいるなんて思いたくない。それに三人をそれぞれ悪く言うメールなんだぜ?あいつらは違うんじゃないのか?」
「ハッ、俺ならあえて誰か一人だけ悪く言わないで、そいつに罪を被せるけどな」
比企谷の捻くれた発言に、由比ヶ浜が絶句する。
「ヒッキー……すこぶる最低だ……」
「そもそも比企谷に、そんなことするほど親しい相手いんの?」
霜月が刺すように毒を吐く。完全に帰れないストレスの八つ当たりである。
「おい、言葉は刃物なんだぞッ!」
比企谷のツッコミを、霜月は華麗にスルー。
(知ってる。でも研ぎたい気分なのよ、今)
そんな修羅場の中でも、雪ノ下は淡々と次の手に移る。
「では、各々の人となりを把握するために、葉山君。あなたの友人たちについて教えてもらえる?」
「えっと……戸部は“ノリの良いムードメーカー”、大和は“寡黙で慎重な性格”、大岡は“上下関係にも気を配って礼儀正しい気のいい性格”。……まぁ、みんないいやつだよ」
雪ノ下は軽くため息をついた。
「つまり、騒ぐだけしか脳のないお調子者、反応が鈍い上に優柔不断、人の顔色を伺う風見鶏、ということね」
(雪ノ下フィルター通すと全員クズになるの不思議だわ……)
と霜月は内心で毒づいた。
葉山はその評価を聞いて、ちょっと泣きそうな顔をしていた。由比ヶ浜は「ひ、酷くない!?ゆきのん、それ酷くない!?」と慌てていたが、雪ノ下はページをめくるようにさらりと言う。
「事実を述べただけよ」
霜月は腕を組み、冷めた表情で呟いた。
「……ま、今日も平常運転ね。奉仕部」
比企谷が遠い目で言った。
「平常運転っていうか……軽く事故ってんだよ、毎回」
最終的に、議論の果てに出た比企谷の提案は、意外にも実にシンプルだった。
「葉山を別枠にすればいい。グループの構成に葉山がいなきゃ、誰も争わん」
その場に沈黙が訪れる。雪ノ下雪乃は唇をわずかに噛み、眉をひそめた。
何か言いたげではあるが、どうも言葉が出ない。一方で霜月は、ページをめくる手を止めて小さく頷く。
「……まぁ、確かに迷惑イケメンを無関心の領域に放り込めば、争いの火種も消えるわね」
その一言に由比ヶ浜結衣は目を丸くした。
「え、そんな雑な解決でいいの!?」
少し不安そうだ。だが霜月は、まるで歴戦の戦略家のように胸を張って答える。
「雑じゃない、合理的よ。迷惑イケメンがいなくなれば、醜く“底辺争い”する必要がないし」
「言い方ァ!」
由比ヶ浜が声を荒げるが、霜月の顔には微塵の後悔もない。むしろ目がキラリと光り、内心で“理不尽さを合理的に処理する天才”と自画自賛しているかのようだった。
霜月的は議論の時間と労力が少しでも減ったなら、それで万々歳だ。
(……まぁ、結果的に平和ならいいか)
そしてさらに、心の奥底で“迷惑イケメン二度と来るな”と念を込め後で神社にも行こうと決めた霜月の行動を止める人はいなかった。
こうして、葉山の依頼“チェーンメール”の問題は、**「葉山、別枠送り」**という、地味に酷い形で幕を下ろしたのだった。