雪ノ下裁判長による有罪判決が下されたあと、奉仕部は再び“日常の審問モード”へと切り替わった。彼女は椅子に背を預け、冷静に視線を中学生男子川崎大志へ向ける。
「それで、川崎大志くん。具体的に事情を聞かせてもらえるかしら」
大志は少し緊張気味に頷き、ぽつりぽつりと話し始めた。
「姉ちゃん……は、見た目はちょっと怖いけど、本当は昔から優しくて面倒見のいい人だったんすよ。俺が忘れ物したら届けてくれるし、怒るときもちゃんと理由があったし……。でも、高二になってから、急に変わっちゃって」
「変わった?」
「夜帰ってこなくなって、朝方.....それも5時ぐらいに帰ってくることもあって……。話しかけても『あんたには関係ない』って言うだけで、まともに取り合ってくれなくて……。それに、姉ちゃん宛にエンジェルなんとかっていうところから電話がかかってくるようになって……」
部室の空気が一瞬、重たくなった。由比ヶ浜が「え、なにそれ……」と眉をひそめ、比企谷が無言で腕を組む。
「アンタね……」
霜月は顔を引きつらせながら、ため息混じりに深呼吸。そして、いつもの毒舌が炸裂する。
「そんなゴリゴリの家庭の事情持ち込まれても、『アンタには関係ない』の一言で終わる気がするんだけど?」
案の定、現実主義者のストレートな言葉に大志の肩がストンと落ちた。中学生二人の空気は一気に沈み込む。
ただ、霜月に悪意はない。むしろ彼女なりの“現実的な助言”だった。家庭の問題は外野が首を突っ込んでも限界がある。
相手が「関係ない」と言い切るなら、それ以上は踏み込めない。霜月はそれを経験則で知っていた。
要するに、彼女は未来のある若者に「適材適所」を教えてあげたのである。……言い方が少々鋭利すぎただけで。
沈黙が落ちたその瞬間、空気を変えたのは小町だった。
「まぁ、そういうわけだから、どうしたら元の優しいお姉さんに戻ってくれるかって相談を受けてたんだけどさ。どう考えても手に余る内容だったから、近いうちにお兄ちゃんにお願いしようと思ってたんだ。だからちょうどよかったよ」
「……丸投げかよ……」
比企谷が頭を抱える。
「やっぱお前は俺の妹だよ。遺伝子レベルで他力本願だな……」
「お兄ちゃんだって人の依頼いつも嫌々受けてるでしょ?」
「ぐっ……! 反論が……できねぇ……!」
そんな兄妹の漫才に、由比ヶ浜がクスクス笑い、霜月も口元をわずかに緩めた。その光景を見て、雪ノ下が小さくため息をつく。
「では、奉仕部の新たな案件、“川崎沙希さん更生計画”、開廷ね」
比企谷と霜月、同時に呻く。
「「また地雷案件だろ、これ……」」
奉仕部に、今日も平穏は訪れない。
放課後、奉仕部の部室にて。
夕日が差し込む窓際で、雪ノ下が紅茶を一口すすると同時に口を開いた。
「では、始めましょう」
その一言で、空気が妙に“会議モード”に変わる。一昨日のファミレスで出会った小町の同級生・川崎大志からの相談を受け、翌日から奉仕部+戸塚による“川崎沙希更生プログラム”が発足したのである。
……とはいえ。
(帰りたいなぁ……)
霜月のやる気メーターはすでにゼロどころかマイナスであった。
そもそも彼女は、「部外者が首突っ込んでも“関係ない”で終わる」と言い放った張本人である。いまさら“更生プログラム”とか言われても、内心ツッコミしか浮かばない。
だが、この部の決定権はすべて雪ノ下にある。霜月に拒否権など存在しない。
(……平塚先生の拳よりはマシだけど)
そんな彼女の内心をよそに、雪ノ下の声が響く。
「少し考えたのだけれど、一番いいのは川崎さん自身が自分の問題を解決することだと思うのよ。自分の力で立ち直ったほうがリスクも少ないし、リバウンドもほとんどないわ」
「まぁ、そうね」
霜月が無感情に頷く。だがその目は「だから帰してくれ」というメッセージを発していた。
「で、具体的な方法論はどうすんだ?」
比企谷が腕を組み、いつもの死んだ魚の目で尋ねる。
雪ノ下は、少し間をおいて答えた。
「アニマルセラピーって知ってる?」
「は?」
その場にいた全員が一瞬、思考を停止する。
アニマルセラピーつまり、動物と触れ合うことでストレスを軽減し、情緒を安定させるという、一種の精神的治療法。
しかし、当然ながら疑問は山のようにあった。
まず、その“アニマル”をどこから調達するのか?ペットショップ?動物園?まさか近所の野良猫ではあるまい。野生動物は色々と危ないのだ。
さらに、そもそもアニマルセラピーに本当に効果があるのか?という根本的な問題。
極端な話、やさぐれ界隈で有名な女子こと、霜月澪にアニマルセラピーを施したとして、性格が良くなるのか?
……いや、ならない。絶対にならない。
(よくなる訳ないっての......ついでに言うと、よくなる気もないけど)
霜月は机に頬杖をつきながら、心の中で即答していた。むしろ、触れ合った動物のほうがストレスで寝込む未来すら見える。
「そのへんの鳩でも使えば?」
霜月は早く帰りたいが為に適当に言うと、すかさず雪ノ下がピシャリと返した。
「野生動物は危険よ」
「危険なのはどっちかって言うと依頼内容のほうだけどね」
霜月がぼそっと毒を吐く。
雪ノ下の強い提案で猫を連れてくることになり、比企谷の妹・小町が校門の近くにダンボールを設置。中には比企谷家の猫、カマクラ。モフモフとした毛並みが可愛い。
比企谷と霜月は隠れて川崎が猫を見る瞬間を確認する係である。
「……というわけで、セラピー開始だ」
比企谷がスマホを片手に呟く。
「ねぇ比企谷、そもそも猫って“アニマルセラピー用”じゃないわよね」
霜月が真顔で突っ込む。
「細けぇこと言うなよ。癒されりゃそれでいいだろ」
「癒される前に引っかかりそうだけどね」
彼女はぼそりと毒を吐いた。しかし、それでも一縷の望みをかけていたのだ。川崎沙希が猫を見て「かわいい……」なんて呟く未来を、ほんの少しだけ期待していた。
が、現実はいつも非情であり残酷である。
比企谷のスマホが鳴り、通話を終える。相手は大志だった。
「川崎、猫アレルギーだから拾わないってよ」
一瞬で静まり返った。
「本末転倒もいいとこね……」
霜月が冷めた目でつぶやく。
今回の成果は
①雪ノ下雪乃が猫好きであること。
②川崎沙希が猫アレルギーであること。
③カマクラが校門前で謎の人気を集め、写真を撮られまくった。
④そもそも、この作戦に意味なんて無かった。
雪ノ下のアニマルセラピー作戦が、猫アレルギーという壁により見事に粉砕され奉仕部+αの面々は、次なる作戦“エンジェルなんとか”という謎の店の特定に取りかかっていた。
だがその前に、ひとつ事件があった。
「川崎さんの説得は、教師である平塚先生に任せればいいと思う」
そんなエンジェル戸塚の提案により、暴力装置……じゃなかった、奉仕部顧問・平塚静が派遣されたのだ。
――が。
その説得は、開始五分で地獄絵図と化した。
「親の気持ちなんて知らない。ていうか先生も親になったことないから分かんないはずだし。そういうの、結婚して親になってから言えば?」
その一言で、平塚のHPバーが赤く点滅した。
(致命傷だ……ッ!!)
比企谷は心の中で実況していた。だが川崎は止まらない。追撃が入る。
「先生、あたしの将来の心配より、自分の将来の心配したほうがいいって。結婚とか」
会心の一撃。
(もうやめて! とっくに平塚先生のライフはゼロよ!)
霜月も思わず内心ツッコミをいれた。
平塚静(27)、完全沈黙。
その場にいた全員が、息を呑んだ。誰も助けに入れない。下手に動けば巻き添えになる。そして、ようやく口を開いたのは当の平塚先生だった。
「……ぐすっ……今日は、もう帰る……」
その声が、静まり返った廊下に虚しく響いた。誰も何も言えなかった。唯一、霜月だけがぽつりと呟いた。
「……アニマルセラピーより、まずヒラツカセラピーが必要ね」
そんな悲しみと笑いが交錯する空気の中、奉仕部は“エンジェルなんとか”特定作戦へと移行したのである。