雪ノ下雪乃は、陽乃への対抗意識からか、明らかに労働時間を増やしていた。その働きぶりはもはや企業戦士。だが皮肉なことに、組織はまだ回っている。
それは雪ノ下のハイスペックと、生徒会執行部の尽力、そして——“たまにふらっと来て仕事を爆速で片づけて帰る厚化粧”のせいである。
「やるならちゃんとやりなさいよ、あの厚化粧……!」
霜月はExcelのセルを睨みつけながら、誰にともなく呟いた。その瞳には、社会の荒波を乗り越えた者だけが持つ悟りの光があった。
霜月は永遠とも言える会計監査の仕事をしていた。そう、“全くの無関係”なはずの会計監査である。
にもかかわらず、その手の動きは神業。電卓を弾く速さは、まるで競技タイピングのそれ。しかもミスがない。完璧。人間というより計算 機。ただし、その精密さには代償があった。
(……あれ、私、さっき何してたっけ?)
気づけば一仕事終わってる。記憶が飛んでる。理性の糸をギリギリで保ちながら動いているせいで、もはや自動運転モードだ。
もはや“社会人ごっこ”を超えて、“経理地獄の修行僧”である。
そんな霜月が、ふと手を止めて鞄をごそごそ。
そして取り出したのは、一本の小瓶。そう、ファイト一発系の栄養ドリンクだ。
「……頼むぞ、私の最後の理性」
その声はまるで決戦前の戦士。キャップをひねる音が妙に重々しい。
このドリンク、実は家から持参している。
母・綾の教え曰く、「エナジードリンクなんかより、こっちの方が効くわよ」とのこと。
霜月はその“母の社畜知識”を、ありがたく受け継いでいた。
(……嫌な仕事の知恵、ってこういうの言うのね)
そう呟きながら、霜月は一気に飲み干す。目が冴え、思考が戻る。理性が……ちょっとだけ復活した。
ちなみに霜月、エナジードリンク自体を否定しているわけではない。あれは“眠気覚まし”というより“味を楽しむ嗜好品”と捉えている。
特にお気に入りは、某有名『
……が、今はそんな可愛いことを言ってる場合ではない。
——カタカタカタ。
——Enter。
再び霜月の指が動き始める。完全にカフェイン補給済み、再起動完了の音である。
会議室には、霜月のキーボード音と、比企谷のため息と、が響いていた。
そして、誰も気づかない。霜月の瞳に、ほんの一瞬だけ“社会人一年目の悟り”みたいな光が宿っていたことを——。
そんな彼女が瓶を机に置いた、その瞬間——会議室の扉が開き、生徒会長が姿を見せた。
「お疲れ様、霜月さん、比企谷くん」
にこりと笑うその顔は、普段の柔らかい笑みではなく……どこか、悟りを開いた修行僧のような穏やかさを纏っていた。霜月と比企谷は反射的に立ち上がる。
「お疲れ様です、会長」
「お疲れ様です」
「うん……みんな本当に大変ね。人手が足りなくて……」
そう言いつつ、会長の笑みの奥には疲労の影。
「で、でも明日には増えるだろうし!」
生徒会長の言葉に霜月は、思わず失笑する。
「会長、もし明日1人でも増えたら、出席してる人全員分の飲み物奢りますよ」
その発言に、会長は「アハハ……」と乾いた笑いを漏らすしかなかった。誰もが“そんな奇跡は起きない”と知っていたからだ。
──そして翌日。
「やっぱり......更に人が減ってるッッ!!」
霜月の叫びが、放課後の会議室にこだまする。もはや怒りのエネルギーで稼働しているようなものだった。だが愚痴っても仕事量は減らない。現実は非情だ。霜月は電卓を叩き始めた。
そんな中——比企谷の隣に、なぜか迷惑イケメンが立っていた。
「なんだか、人が減ってるみたいに見えるけど……人手、足りてるのか?」
「お前、何しに来たんだよ……申込書出すだけだろ」
霜月は内心、静かに毒づく。
(アンタら、雑談する暇があるなら手を動かしなさいよ、手を……!)
葉山は机に視線を滑らせ、雪ノ下のほうを見た。
「でも、見る限りじゃほとんど雪ノ下さんがやってるように見えるけどな」
雪ノ下は一瞬、顔を上げたが、葉山の穏やかな視線に押されて口を開く。
「……ええ、そのほうが効率がいいから」
「でも、そろそろ破綻する」
その言葉に、場が一瞬静まり返った。葉山の口調は優しいままだが、確かに“突き放す”響きを持っていた。雪ノ下は返す言葉を見つけられず、無言で再び手元へ目を落とした。城廻先輩はオロオロしている。
「そうなる前に、ちゃんと人を頼ったほうがいいよ」
「そうか?俺はそう思わないけどな」
比企谷がぼそりと反論する。葉山が振り向き、彼を真っ直ぐ見つめた。
「実際、雪ノ下一人でやったほうが早いことも多い。ロスが少ないのは一つの強みだろ。任せる側のストレスも減るしな。能力差がありすぎると余計に」
「……なるほどね」
霜月は無表情のまま、心の中で小さく頷く。
(雪ノ下と比企谷って、人を信じるのが出来ない人間よね。……まぁ、私が言えたもんじゃないけど)
霜月はパソコンの画面を睨みながら、カタカタとキーを叩く手を止めない。心の中ではため息混じりの毒舌が飛び交っていた。
彼女自身、人間不信の気がある。裏切られるくらいなら最初から期待しないタイプだ。だが——それでも、霜月には二人にはない長所があった。
「人の能力を信じる」
人格は信用できなくても、能力は信じられる。性格がゴミでも、結果を出すなら任せる。それが霜月流、実にドライで現実的な信頼論である。
霜月は雪ノ下を見るが彼女は理解していた。
(いつか体壊れるわね...アレ)
彼女は肘をついて頬杖をついたまま、冷ややかに呟く。
「キャパ超えてるわよ、アンタ」
その言葉に、雪ノ下は眉をわずかに動かしただけで答えない。
しかし霜月の眼差しは鋭い。ペンを握る手のわずかな震え、浅く乱れる呼吸、指先の血色、すべてを観察して、彼女は判断していた。限界は、すでに見えている。
「雪ノ下、アンタは休むか誰かを頼りなさいよ。もう一回言うけど、体のキャパ超えてんのよ」
淡々とした口調の中に、あえて突き放すような響きがあった。その一言に、比企谷が顔を上げる。彼の瞳には迷いと苛立ちが混ざっていた。
その表情を見て、霜月が口角をわずかに上げる。
「比企谷。アンタ、今“どうして今まで1人で頑張ってきた人間が否定されなきゃいけないんだ”とか思ってたでしょ?」
比企谷は少し息を呑み、目を逸らした。彼の口から、抑えきれずに言葉が漏れる。
「一人でやることは悪いことなのか?どうして、今まで一人でも頑張ってきていた人間が否定されなきゃいけないんだ?」
声には、かつての自分への弁護にも似た響きがあった。静寂が会議室を包む。霜月は短く息を吐き、天井を見上げるようにして言葉を返した。
「違うわよ、比企谷。雪ノ下が”1人”になるのは問題じゃないの。雪ノ下が“独り"になることが問題なのよ」
「......同じこと二回言ってるけど?」
「.....文脈から察しなさいよ、高二病末期患者」
霜月の声音は皮肉っぽく響いたが、その奥には確かな真剣さがあった。優しさではなく、冷静な現実感。彼女らしい現実主義の言葉だ。
「私が言いたいのはね、雪ノ下が“1人"で動くのは彼女の性格として普通な事よ。でも、“独り"で動く....つまり誰にも理解されない状態で勝手に潰れていくのは違うのよ」
雪ノ下が顔を上げた。その瞳は、相変わらず理路整然としていたが、強い光の奥にかすかな揺らぎが見えた。それでも、彼女は首を横に振る。
「.....私は、無理なんてしてないわ」
霜月はその言葉に、ゆっくりと目を細めた。机の上に肘をつき、皮肉げな笑みを浮かべながら、まるで解剖するように指摘する。
「ヘぇ〜じゃあ、アンタが化粧で隈を誤魔化してるのも、呼吸がいつもより浅いのも、手が微かに震えてるのも......全部気のせいなのね?」
霜月は机の上でペンを指先で転がしながら、まるで雑談でもしているような軽い調子で言葉を放った。しかしその声音の下には、鋭く研ぎ澄まされた意図が潜んでいる。
「雪ノ下、アンタはなんで“独り”でそこまで頑張るの?」
唐突な問いに、雪ノ下は目を細め、霜月をじっと睨みつけた。その視線は氷のように冷たいが、霜月はまるで春先の陽だまりのような無頓着さで受け止める。
「相模さんの依頼があったでしょう?それに……副委員長としての責任があるからよ」
雪ノ下の声は静かで、理性的。だが、その中に隠された疲労と焦燥を、霜月はすでに見抜いていた。
彼女の口元に浮かんだ笑みは、優しさとは程遠い。まるで人の心を正確に切り裂く外科医のメスのようだった。
「そうなの?」
そして、間髪入れずに追撃する。
「私には、
その瞬間、空気が凍りついた。会議室を包んでいた微かな紙の擦れる音、蛍光灯の唸り、すべてが遠のいたように静まり返る。雪ノ下の瞳が一瞬だけ揺れ、頬の筋肉がわずかに強張る。
だが、霜月はその沈黙さえも想定済みのように、ゆっくりと目を伏せ、短く息を吐く。
「だからこそ、人の能力を信じるくらいの余白を作んなさいよ。そうじゃないと——ほんとに壊れるわよ、アンタ」
その声音は、皮肉でも挑発でもない。現実を見据えた者が持つ、淡々とした重みがあった。
みなさんはどのエナドリが好きですか?
私は最近、モンスターからZONEに浮気してました