屋上へ続く階段は、文化祭で使った荷物の一時置き場になっていた。段ボールや木材の切れ端が無造作に積まれ、普通なら走って駆け上がれる環境ではない。だが、その雑然とした中に1人ひとりが慎重に通ったような、妙に都合よく空いた隙間がある。
霜月澪はそれを見ただけで、鼻で笑った。
(……相変わらず分かりやすすぎるのよ、歩く地雷女)
階段を上り切り、踊り場へ出ると、屋上の扉には錆びた南京錠がぶら下がっていた。鍵は壊され、役割を失ったまま金属音を微かに立てて揺れている。
フェンスにもたれかかっていた相模南は、その異音に反応してゆっくりと振り向いた。目に映ったのは……霜月。瞬間、彼女の表情はみるみる歪む。
「なんで……あんたが……」
声はかすれ、怯えと嫌悪が入り混じっていた。相模は明らかに状況を理解していない。いや、理解しようとする前に心がパニックになっていたのだ。霜月は、相模が自分に見つかってほしいと思っていた“誰か”とは違うことを瞬時に見抜いた。
「アンタみたいな歩く地雷の性格は分かりやすいのよ。地雷女」
その言葉に相模は固まる。だが、霜月の表情は気だるげで、半分寝起きのような、半分ヤル気満々の絶妙なラインにあり、その酷いあだ名も、いつもの調子で口にする。
霜月は近づくことなく、必要最低限の距離から乾いた声で続けた。
「エンディングセレモニーが始まるから、さっさと戻って」
言葉は簡潔に、無駄なく、要件だけを伝える。霜月の視線は相模の行動を淡々と追い、感情の揺れは一切表に出さない。しかし、相模はそんな警告を逆手に取るかのように、不快げに顔を歪めた。
「別にうちじゃなくてもいいでしょ……? 雪ノ下さんがやればいいじゃん。あの人、何でもできるし」
皮肉交じりの言い訳に、霜月の目が細くなる。予想通りの反応で、返ってきたのは躊躇のない、露骨な皮肉だ。
「そうやって雪ノ下に全部押し付けた結果、雪ノ下は身体壊したの忘れたわけ?」
図星を突かれ、相模は小さく眉をひそめた。その瞬間の表情の変化も、霜月にはすでに計算済みだ。
「……エンディングセレモニー、もう始まってるんじゃないの?」
「分かってるなら早く戻って……言いたくもないけど、アンタのために言ってる」
冷たく、淡々とした声。霜月の目は相模をただの“面倒な存在”としてしか捉えていない。だが、その一言で相模は妙にニヤリと口角を上げる。嘲笑うような、歪んだ笑みだ。
「アンタみたいな、やさぐれがうちの何を知ってるのよ?」
その歪んだ笑みが霜月のスイッチを入れた。
「知ってるわよ?」
鋭い声が、屋上の乾いた風を切る。言葉そのものに圧があり、相模の心臓が小さく跳ねる。霜月の視線は冷たく、感情を排除した精密機械のように正確だ。
「アンタが歩く承認欲求の塊の地雷女で、F組で三浦に負けてスクールカースト2位に甘んじてストレス溜めまくってること。欲を満たす為に実行委員長になっただけだから責任感は当然ゼロで仕事は丸投げ」
さらに霜月による事実確認は続く。
「結局自分で無理だって分かっていたから奉仕部に面倒事押し付けて、そしたら雪ノ下に実質、支配権奪われて、さらに姉の陽乃に“意見を認めてもらえた”と勘違いして浮かれたら、危うく文化祭実行委員が破綻しかけて、ただの噛ませ犬扱いで終わって、スローガン決めで私や比企谷に盛大に皮肉られて恥かいて、スピーチで挽回しようとしたら盛大に滑って、ただでさえ脆い心が見事に折れて、最後はここで“自分を肯定してくれる
その一言一言が、相模の胸に鋭利な刃物のように突き刺さる。相模の顔が青白くなり、肩がわずかに震え始めた。まるで、自分の心の中を全て見透かされ、赤裸々に読み上げられたような感覚。
霜月の視線は冷たい。相手を突き放すというより、人間としての“甘さ”を正確に把握し、言語化して突きつけているだけだ。相模は唇を噛み、ワナワナと震えていた。逃げ場のない現実を、鋭利に、容赦なく突きつけられたからだ。
相模は屋上の柵にもたれ、霜月を見下すように肩をすくめた。
「分かってるなら知ってんでしょ。私が戻る気ないの」
霜月は深く息を吐き、面倒そうに髪をかき上げる。
「知ってるわよ。でも奉仕部の依頼があんの……はっきり言うけど、委員長として務め果たせって言ってんのよ。アンタの持ってる集計結果の発表とか色々必要なのよ。“地雷女”」
その単語が刺さった瞬間、相模の眉がピクリと跳ねた。しかし次の瞬間には、わざとらしく興味の欠片もない態度で紙束を放り投げた。
「だったらこの紙だけ持ってけばいいじゃん」
紙はひらりと地面に落ち、風に揺れた。霜月はゆっくりそれに目を落とし、そして相模に向き直る。
「ここまで拗れたら拍手したくなるわね。おめでとう。アンタは歴代最低の実行委員長よ。誇っていいわよ――誇れる内容かどうかは別だけど」
パチ、パチ、とわざとらしい音が屋上に響く。
「う、うっさいな!」
さっきまで涼しい顔だった相模が、霜月を睨みつける。余裕は完全に吹き飛んでいた。霜月は地面に落ちた紙を拾い上げ、軽く手で払った。
「そうね。アンタ、委員長としての務め果たす気無さそうだし――私が代理でやるほうが早いかもね。アンタと違って」
淡々とした嫌味。それが一番効くタイプの相模に、確実に刺さった。
「……っ、何それ?」
「けどね、私がやったらアンタは一生後悔して生きることになるわね」
「は?なんでよ?」
霜月は紙を指で弾き、視線だけ相模に向ける。その目は氷のように冷えていた。
「だってアンタ、“文化祭で失敗した”って思い、ずっと引きずるのよ。おまけに――見下してた私や比企谷に皮肉られた。アンタからすれば屈辱以外の何ものでもないでしょうね」
相模の喉がひゅっと鳴る。霜月はそれすらも計算していたように、気怠げに肩をすくめた。
「だから戻りなさいよ、地雷女。後悔したくないなら」
その声音は静かだが、相模の逃げ道を完全に塞ぐ“現実”そのものだった。