文化祭が終わっても、総武高校の秋はまだ“激戦区”だ。体育祭、修学旅行──イベントが途切れない。
そんな未来を脳内に並べた結果、霜月澪は深いため息を落とした。
(修学旅行は嬉しいけど……人混みはきらいなのよね……)
群れの中で生気が削れていくタイプの女子高生である。それでも奉仕部は文化祭明けの今日から通常運転。つまり逃げ場はない。
(帰りたい……)
心の中では全力で家に向かってダッシュしていたが、現実の霜月は魂の抜けた足取りで扉を開けた。
「しもっち、やっはろー!」
由比ヶ浜の元気が爆発した声が、部室に弾ける。それは朝からエネドリンク5本飲んだレベルのテンションだった。
「……うす」
霜月より先に返事したのは比企谷だった。声が湿度100%で、呼吸音と区別がつかない。霜月はその横を通り、気だるそうに手をひらひらと振る。
「やっはろー由比ヶ浜と比企谷、雪ノ下」
テンションだけ由比ヶ浜を模倣してみたが、覇気はゼロ、元気はマイナス、意欲は絶滅危惧種。まるで“由比ヶ浜の劣化コピーを自覚したうえで投げた挨拶”みたいな声だった。彼女は苦笑しつつも嬉しそうに振り返る。
「しもっち、それ絶対やる気ないよね!?ね!?」
「眩しい……」
比企谷が弱々しい目つきで二人を交互に見た。光属性に弱いモンスターのようだ。一方、雪ノ下は優雅にティーポットを構えていた。紅茶の香りを漂わせながら、霜月へ微笑む。
「こんにちは、霜月さん。今、紅茶を入れるところよ」
「どうも」
相変わらずの礼儀正しい女子高生と、相変わらず礼儀が三割くらいしか残っていない霜月の返し。霜月は椅子に腰を下ろした。その動作だけで“今日もう帰りたい”という感情がだだ漏れしていた。
奉仕部室には、文化祭の喧噪が嘘のように落ち着いた空気が流れる……落ち着いた空気のはずなのに、どこか当然のようにカオスでもある。
比企谷が紅茶を受け取りながらぼそっとつぶやく。
「文化祭終わっても結局イベントだらけって、なんの罰ゲームだよ……」
「罰ゲームじゃないわ。行事よ。あなたにとってはそうかもしれないけど」
雪ノ下が即座に修正を入れる。
「内容がちょっと体育会系なだけで、罰ゲームみたいに見えるだけだよね~」
由比ヶ浜が笑いながらフォロー……してるのかどうかは微妙だ。霜月は雪ノ下から貰った紅茶をひと口飲みながら、無表情でつぶやく。
「……体育祭、雨で中止にならないかしら」
「しもっち!悪い気が流れてるよ!?」
由比ヶ浜が慌て、雪乃が眉をひそめ、比企谷が“まぁ霜月だし”と納得した。こうして文化祭後の奉仕部は、今日も平常運転だった。
奉仕部は今日も平常運転だった。
つまり──
由比ヶ浜がくっちゃべり、比企谷がスマホをいじり、雪ノ下が本を読み、霜月が「帰りたい」という念を周囲に撒き散らす、
という、ある意味いつも通りの“有意義(?)な活動”である。
(こんな事してる暇あるなら帰らせて)
心の声が気づけば口から漏れかけていた。いつものことで誰も突っ込まないが、本人としては“魂と肉体の乖離”が年々ひどくなっている。そんな霜月の願望を粉砕するかのように、雪ノ下雪乃がノートパソコンを静かに取り出した。
(……待って、なんでノーパソ?嫌な予感しかしないんだけど)
由比ヶ浜が身を乗り出す。
「ゆきのん。どしたの、それ?」
「平塚先生に渡されたのよ。新しい“活動内容”だそうよ」
雪ノ下は淡々と答えながら電源を入れる。どうやら、内容は彼女にもまだ分かっていないようだ。だが霜月には、電源が入る前から結末が見えていた。
(ぜってーろくなやつじゃない……!絶対に……!)
起動画面が点灯し、デフォルトの味気ない壁紙の上に、ぽつんと置かれたテキストファイルが輝く。
『Read me!』
嫌な予感しかしない命令形のファイル名。雪ノ下が何の迷いもなくクリックする。
⸻
■Read me!
奉仕部各位
新たな奉仕部の活動内容として、
メールでの悩み事相談を開始します。
題して、『千葉県横断お悩み相談メール』
各自奮励し、悩み事解決に努めるようお願いします。
平塚 静
⸻
読み終えた瞬間。
「あの独身女教師ーーー!!!」
霜月の絶叫が、奉仕部室の天井板をビリビリ震わせた。由比ヶ浜がビクッとして机にペンを落とし、比企谷は「あー……うん……知ってた」と顔を覆い、雪ノ下は紅茶を置いて、深い深い、ため息。
こうして奉仕部はまた、平塚先生による“面倒ごとの押し付け劇場”の新章へと突入するのだった。
今日から勝手に始まった平塚先生プレゼンツ「千葉県横断お悩み相談メール」。送ってくる人なんていないだろう──そう霜月は思っていた。
(てか……こんな怪しさ満点の相談企画にメール送るなよ……先生に相談しなさいよ、先生に)
もちろん「それができないからメールなんだろう」という理屈は理解している。だが「理解する」と「納得する」は別問題である。霜月は後者を全力で拒否するタイプだ。
そして届いたメールの中に、異様な存在感を放つ相談があった。
【PN:yumiko☆ さんからの相談】
『なんか、相模がウザい』
あまりにもストレート過ぎる一文。
「縦ロールがウザがるって……やっぱ相当ね、アイツ」
「まあ……確かに」
霜月の辛辣コメントに、比企谷は妙に納得したように頷いた。メールにはさらに続きがある。
『落ち込んでるっつーか、暗くて雰囲気悪いんだけど。ウザい。』
「……つまり、“心配だけど言い方が雑”ってことかしらね」
「あはは……優美子っぽいね、こういうの」
由比ヶ浜が苦笑しつつ、どこか嬉しそうに微笑んだ。返答を書くのは霜月。文化祭実行委員で鍛えた高速タイピングが火を噴いた。
カタタタタタタタ――ッ!!
(……よし。送信)
⸻
【奉仕部からの返答】
『あの歩く地雷女がウザいという気持ちはよく分かりますが、あなたを地雷女と同じくらいウザいと思ってる人も絶対います。まずは他人のことを言う前に自分を見つめ直すことをおすすめします。一か八かですが、
⸻
送信した瞬間、比企谷は肩を震わせて笑いをこらえながら言った。
「お前がこれ起爆剤になるパターンだろこれ....」
「しもっち……それ、絶対優美子怒るやつだって……!」
「大丈夫よ、由比ヶ浜。私ならそこから縦ロールを泣かすことだってできるわ」
「変な自信だ!?ていうか泣かしちゃダメだよ!?」
由比ヶ浜が慌ててツッコミを入れ、雪ノ下は額に手を当てながら深いため息を落とした。
「……あなた、本当に問題を増やす方向にしか進まないのね」
「気にしないで、いつも通りだから」
そう言いながら、霜月は心の中で、そっと“退室ボタン”を押し続けるのだった。
数件のメール返信を終えて、奉仕部室にはそこそこ平和な空気が戻っていた。そんな中、雪ノ下が紅茶を置いて話題を切り替える。
「実際のところ、相模さんの様子はどうなの?」
「んー、そうだね……なんていうか」
由比ヶ浜が困ったように指先をもじもじさせる。言いづらそうに口ごもるあたり、察しはつく。代わりに比企谷があっさり言った。
「まぁウザいな」
「……短いけど本質的ね、それ」
雪ノ下の眉がぴくりと跳ねた。
「基本的には元気だが……周りの連中が相模を“気遣ってる風”なんだよな。で、その“気遣いの義務化”が周囲に波及してる感じで……まぁウザい」
「それは相当に煩わしいわね……」
「被害者面選手権なら優勝できるわね、あの地雷女」
霜月は淡々と、とんでもなく不名誉な称号を勝手に授与した。雪ノ下が呆れたように目を伏せ、由比ヶ浜は「わ、わかるけど言い方ぁ……」と苦笑いする。
話を聞いただけでこの反応である。もし霜月が相模と同じクラスだったら、舌打ち二連コンボは避けられなかっただろう。
「解決策はあるのかしら?」
「どうだろうな……今の状況は、相模の悪い噂が広がってるせいだし」
比企谷はだるそうに椅子にもたれ、ため息を吐いた。
(悪い噂、ね)
文化祭準備を崩壊させかけた件。エンディングセレモニーを放棄しかけた件。
どちらも“事実”である。
当初は「比企谷が悪い」「霜月がキツすぎる」など、見当違いな風潮があった。だが霜月の予想通り、“真面目に最後まで働いた側”の愚痴が一気に広がり──
誰が本当に悪いのか、あやふやになりつつも大体相模が劣勢という着地を迎えつつあった。
(人の悪口って、ほんと流れるの早いわね……)
霜月が心の中で肩を竦める。そんな空気の中、雪ノ下がきれいに話をまとめた。
「とにかく、相模さんたちの動向は……もう少しF組の内情を確認してから、適切な対処を考えましょう」
「そうだねー……」
由比ヶ浜がふわりと頷き、比企谷も「まぁな」と返した。霜月も頷きはしたが、内心では
(……知ったこっちゃないわよ)
と大変に率直な感想を抱いていた。だが決定権は雪ノ下にある。主に“暴走対策”である。
そんなこんなで、今日の奉仕部の活動は静かに幕を下ろした。