霜月はため息まじりに口を開いた。
「……雪ノ下。アンタのやり方、ちょっとやりすぎじゃない?」
雪ノ下はゆっくりと目を向けた。その視線は相変わらず氷のように静かだが、明確に“反論を許さない構え”を帯びている。
「何か問題があるのかしら。これは事実よ。相模さんが降りれば、私がやる。なら——」
「それを“あんたが決める”のが問題なのよ。正論女」
その瞬間、部屋の温度がさらに下がったような気がした。比企谷と由比ヶ浜が目を丸くする。めぐり先輩が苦笑いしながら空気を読むが、止めには入らない。
霜月は続ける。
「相模がバカで承認欲求の塊女なのは事実としても、『辞めてもいい』『責任は私がとる』って……あんた、それ本気で言ってる?」
相模が目の前にいるのに当然のように毒を吐く。雪ノ下の眉が僅かに動いた。
「当然よ。任命したのは私だもの」
「でも、その言い方だと——相模のこと最初から信じてなかったみたいに聞こえるけど?」
ピクリと雪ノ下の指が動く。図星だったのか、それとも侮辱と取ったのか。霜月はさらに踏み込む。ここで黙る方がよほど不誠実だ。
「アンタ、推薦したのよね? 中身はどうあれ、相模が文化祭の委員長を務めた経験を“評価した”ってことで」
「……ええ。だからこそ今回は——」
「じゃあなんで、逃げ道から提示して追い詰めるわけ?それって結局、相模を最初から“信用してない”のと同じよ。まぁ過去の行いからそう考えるの妥当だけど....」
その一言に、相模がビクリと震えた。雪ノ下の表情は動かない。だが声色が変わった。
「逃げ道を用意しないのは、甘やかしではないわ。相模さんは現実を見なければいけないもの」
「逃げ道を塞ぐのは、アンタの“正しさ”を押しつけてるだけよ」
霜月の言葉に、空気が一段冷え込む。
「……押しつけ?」
「相模の自由を、アンタが勝手に上限設定してる。“あなたはここまでしか耐えられない”“だから私が決めてあげる”ってさ」
雪ノ下はきっぱりと言い返す。
「私は彼女を助けようとしているだけよ」
「助けるって言って、手綱を握りっぱなしなのが問題なのよ。それ、助けるじゃなくて“支配する”って言うの」
室内の温度がまた一段落ちた。由比ヶ浜が気まずそうに視線を泳がせ、比企谷は息を殺す。雪ノ下はわずかに睨み返すように霜月を見据えた。
「あなたは、相模さんを信じているの?」
「少なくとも、“やる”って言ったなら信じてあげるわね。自分で選んだ責任なんだから。逃げるかどうかは本人が決めること。他者がそこに無理矢理介入するのは良い行いとは思えないわ」
霜月は淡々と続ける。
「アンタのやり方じゃ、相模が自分の意志で立つ前に、“雪ノ下雪乃の正しさ”で上書きされる」
「........っ」
刺すような沈黙が落ちた。真正面からぶつかった瞬間、火花は飛ばず、ただ空気だけが重く、冷たく張りつめた。二人の間に走ったのは怒号でも衝突でもない価値観そのものの“摩擦音”だった。
そしてその中心で、相模は唇を震わせていた。そして、
「……やります」
上擦った相模の声は、細い糸のようにかすれながらも確かに空気を震わせた。平塚先生は組んでいた腕をそっと机に置くと、肺の奥から安堵を吐き出す。
「……そうか。では、引き続き頼む」
(問題は……相模本人より、取り巻きと現場班のほうよね)
霜月は静かにため息を落とす。そんな彼女の横で、めぐり先輩が立ち上がり、相模のそばへ回り込む。
「じゃあ、まずはあの子たちとの関係修復、だね」
「……そう、ですね」
相模は伏し目がちに答える。完全に自信喪失した声だった。
「話せばわかってもらえると思うんだよ?」
めぐり先輩がやわらかく肩に触れ、励ますように言う。
(話して解決出来るなら、この世に戦争なんて起きてないわよ)
霜月は乾いたツッコミを心の中で投げ捨てた。
⸻
「現場班との調整は相模に任せるとして……」
雪ノ下が前に出た瞬間、空気が一段引き締まった。会議室は夕方の光が斜めに差し込み、長机の影を伸ばしている。薄い紙の擦れる音と、雪ノ下がページを繰る静かな気配だけが空間を支配する。
「私たちは各部活との調整。次回の会議までに割り振りをまとめて、説明できるよう準備します」
すでに手帳が開かれ、書き込みが始まっていた。
「各部の大会スケジュールの確認と……割り振りの最適化は私がやります」
「運動部の部長さんには、あたしが連絡するよ!」
がたん、と椅子を押し出して、由比ヶ浜が明るく声を上げる。その元気さは、この重い空気で唯一浮かない明かりだった。
「ええ、お願いね」
雪ノ下が柔らかく微笑むと、由比ヶ浜の表情は一気に輝く。会議室のテンションが一瞬だけ明るく跳ねた。
──そして。
「チバセンの作業量のコストカットの検討は……霜月さんと比企谷君が」
雪ノ下の視線が二人に向いた瞬間、比企谷はわずかに肩を落とした。
(はい出た、余り物コンビ)
霜月は無言で天井を見上げた。どう見ても「最後まで残ったから押しつけられた」枠である。ただ、文句を言っても変わらないとわかっているからだ。
「方針は固まったな。じゃあ今日はこの辺りで終わりにしよう」
平塚先生が椅子から立ち上がる。隣でめぐり先輩も席を離れ、穏やかに頷いた。
「城廻。鍵は私が閉めるから、もう帰っていいぞ」
「はい」
めぐり先輩は相模の肩を軽く押し、優しく退出を促した。委員長を名乗っていたはずなのに、今日の相模は一言も反論できなかった。ただおとなしく先輩の後ろを歩くのみだ。
鞄を手にしたメンバーが順番に扉へ向かう。パチン、と背後で照明が落ちた。薄闇の中、平塚先生の声だけがやわらかく反響する。
「君たちには、また面倒をかけるな」
教卓の方へ振り返ると、夕陽を背にした独身女教師が立っていた。逆光を受け、神々しくも見える──が、霜月の心はまったく揺れない。
(ホント、面倒しか持ってこないわねこの独身女教師……)
霜月は心の中で遠慮ゼロの毒を放つ。口にしたら確実に殴られただろう。
「あー、全然。あたし結構楽しいんで!」
由比ヶ浜が胸を張って返す。その声は、まるで部室の空気を明るく照らす懐中電灯のようだ。
「……そういう部活動でも、ありますから」
雪ノ下が静かに続けると、どこか誇らしげな空気が会議室に満ちる。そして、霜月はため息交じりにぼそっと言った。
「平塚先生って、面倒な仕事押し付けるのだけは得意ですよね?」
毒を千倍に薄めたつもりの言葉だったが、教師の耳にはしっかり届いた。
しかし──
「それも教師の仕事だからな」
平塚先生は朗らかに笑った。まるで霜月の辛辣な毒さえ、微風のように受け流すかのように。
比企谷は、「いや、受け流すなよ……」とぼそりと呟いた。