そして次の日、霜月は作業をしながらカフェイン入り強炭酸ペプシコーラを“飲み物というより武器”みたいな勢いであおっていた。
やけ酒ならぬ、やけペプシである。
炭酸が喉を焼き、胃に落ちるたびに意識が一瞬だけ飛ぶが、それでも現実逃避にはちょうど良かった。
何故なら
霜月と比企谷はここ数日、入場門を作る由比ヶ浜の手伝いをさせられていたからだ。
「いや、おかしいでしょ。由比ヶ浜はともかく……私達、仕事違うっての……」
視線の先では、巨大な入場門の骨組みがそびえ立つ。その横で、由比ヶ浜が笑顔でペンキを混ぜており、比企谷は角材を持って死んだ魚の目で立っていた。
(……ことの発端は、あれよ。絶対あれ。)
相模が会議で遥とゆっこと話し合い、関係改善したかに見えたあの瞬間だ。ふたりは微妙にぎこちない笑みを浮かべていたが、一応“和解”という形だけは整った。そして、シフト表もつくられた。
建前上は完璧だった....紙の上では
(絶対こじれるじゃないの……)
霜月には、相模が取り巻き2人に言った「部活の方の負担にならないようにする」という言葉が、どう聞いても
“部活を理由にサボってもいいよ”
という解釈になると確実していた。
そして、その予想は残念ながら百発百中だった。
「……ほとんど文化祭の時と変わんないじゃないの……!」
案の定、部活を理由にサボる生徒が雪崩のように増え、結果的に“人手不足の仕事”が2人に流れ着いたのである。
霜月はペンキ刷毛を乱暴に叩きつけるように洗いながら、毒気をたっぷり含んだ声でつぶやいた。
「サボった奴……とりあえずでいいから一回死んでくれないかな。てか死ね、マジで」
由比ヶ浜は「うぇぇ……」と目を丸くする。
「し、しもっちが……今まで以上にやさぐれている……」
比企谷も角材を持ったまま遠い目をして言った。
「アイツ、けっこう直球で毒吐くよな。てか殺意高くない?」
その会話が、よりによって霜月の耳に全部入った。ゆっくりと振り向く霜月。
普段から気怠げな半目ではあるが、今日は明らかに“感情が乗った”目をしていた──冷えた刃のような、余計な一言で誰でもスパッと切り捨てる.....殺意を込めたタイプだ。
(あ、これ以上言うとこっちも巻き添え食らうやつだ……)
(絶対ツッコまれたくない時の雪ノ下くらい危険なんだけど……)
由比ヶ浜と比企谷は目で会話し、同時に小刻みに横に首を振った。
「ヒッキー……どうしたらしもっちの機嫌よくなる?」
「知らん。俺は関係者じゃない。俺は壁だから。背景だから」
しかし霜月は容赦なく、氷点下の声でボソリと言った。
「……なんか言った?」
「「い、いえ何も!!」」
瞬時に声を揃えて否定する二人。その速度は、もはや体育祭の短距離選手並みの反応速度だった。
そして再び作業に戻る三人。空気が重苦しいのは気のせいではなく、完全に霜月の機嫌が天気予報の豪雨マークみたいな状態のせいだ。
(あーあ、逃げ道封じられたらこうなるのよ……だから嫌なのよ……)
霜月は心の中でぼやきながら、強炭酸ペプシをもう一口飲んだ。喉に刺さる刺激が、現実逃避としてはちょっと弱い気がした。
由比ヶ浜の作業手伝いを終えた霜月は、雪ノ下に淡々と報告を済ませ、ようやく業務終了……のはずだった。
しかし翌日の会議室に集まった瞬間、霜月は空気の違和感に眉をひそめた。湿度でも温度でもなく――“人間のざわつき”の匂いがする。
(あー……絶対ろくでもないこと起こるわ、これ)
雪ノ下が資料を整え、姿勢良く席に着く。
その動作一つに、周囲の空気がぴんと張りつめた。
「女子の種目については――」
雪ノ下の言葉が終わる前に、会議室後方で大きなどよめきが起きた。ざわっ、と波のように広がる。
視線を向ければ、数人の女子がひそひそ声を交わしながら意味深に顔を見合わせている。
そのうちの一人――遥が控えめに手を挙げる。
雪ノ下が「どうぞ」と短く促す。
遥は視線を雪ノ下に合わせる勇気もないようで、ちらちらと隣の仲間の反応を伺いながら口を開いた。
「あの……その、騎馬戦? についてなんですけど……ちょっと」
霜月は既に悟っていた。
(はいはい、来たわね。“反対”タイム)
「その……危ないんじゃないかなって。ほら、大会近い部活もあるし……怪我したくない、というか……そんなに、やりたくない……かな」
最後はほとんど押し出すような声だった。
(……あーあ。最悪の形で的中するのはマジで勘弁なんだけど)
霜月は内心で頭痛を抱える。沈黙を破ったのは、意外にも相模だった。がたん、と派手な音を立てて立ち上がる。
「な、なんでいきなり、そんな……!」
言葉が続かない。遥とゆっこを見るたび、彼女の肩は怒りか動揺か判別できない震えを見せる。
「前から思ってたんだけど……」
「うちら部活もあるしさ……」
「間違ってると思うなら直すべきだよね?」
遥とゆっこが重ねる言葉は、まるで“待っていました”と言わんばかりだった。その背後から、さらに別の生徒たちが口々に声を上げる。
「衣装間に合わないよ?どうすんの?」
「怪我なんてされたらさすがに無理だって」
「責任って誰が取るんだろ?」
一つ、また一つと増える声。火種は瞬く間に炎となり、会議室中を包み込む。そして、その火は、霜月の心にも見事に引火した。
(は?何言ってんの、コイツら)
向こうが部活を理由にサボり、霜月たちが穴埋めし、結果全体の作業が遅れている。その現実から目を背けたまま、“危険だから”“時間がないから”と責任を他に押しつける発言。
霜月は、静かに、だが致死性の高いトーンで告げた。
「アンタらがサボったのを埋め合わせたから、こっちは満足に仕事できないのよ」
その一言で、周囲の時間が止まったように感じられた。続けざまに、淡々とした口調のまま毒が滑り落ちる。
「よくもまぁ抜け抜けと、責任だけ押し付けてくれるわね。大層都合の良い頭してんのね、アンタら」
炭酸の泡が弾けて飛ぶように、鋭い言葉が空気中に散った。
霜月の目は相変わらず気怠く半開きなのに、その奥に宿るのは紛れもない“殺意”だ。音の消えた会議室で、誰一人としてすぐに反論できなかった。
その沈黙は、雪ノ下が指を軽く組む音さえ聞こえそうなほど重く、冷たかった――。
沈黙が落ちた会議室の中で、霜月だけが涼しい顔をしていた。いや、顔自体は涼しいが、その言葉は火炎放射器レベルの温度だった。
遥たちは目をぱちぱちと瞬かせ、まるで今、自分たちが何を言われたのか理解しきれていない様子だ。
「えっ……その……私たち、サボってなんて……」
遥が震える声で反論しようとしたが、その横からゆっこが小声で袖を引いた。
「……遥、やめよ。これ以上言うと.....」
(賢いわね。アンタらがこれ以上喋ったら、マジで大火災になるわよ)
雪ノ下が静かに前へ一歩出る。冷え切った声で場を鎮めた。
「……霜月さんの言い分も理解できる。けど感情的な発言は控えて。今は議論の場よ」
雪ノ下の声音には、怒りではなく“調律した冷気”のような厳しさがあった。霜月は肩をすくめる。
「感情的?あぁ……そう見える?」
「ええ。少し」
「少しで済んでよかったわね。正直、三倍は言いたいけど我慢してる方なのよ」
それは宣戦布告ではなく、“本音を包んだ事務連絡”だった。比企谷が小さくため息をつく。
(おい……霜月、やめろ……この空気、胃に悪すぎんだろ……)
が、止まらない。
遥が意を決したように手を握りしめ、霜月へ向き直る。
「そ、そんな言い方しなくても……!部活だって大事なんだよ⁉︎本番前で――」
「へぇ、部活ね。立派な理由よ。で?」
霜月は遥の言葉を切り裂くように言った。
「じゃあ、アンタらが“部活があるから”って抜けた時間。その穴埋めしたのは誰?」
遥が何か言い返そうとしたが、その声は震えている。人数を背にして強気になるタイプは、個人で刺されると強い言葉が出ない。
「……生徒会メンバーと由比ヶ浜さんと……比企谷くん達が……」
「そう。由比ヶ浜と比企谷と、私と生徒会メンバーと一部の部活の人」
霜月の目が細くなる。
「
彼女の声は静かで、だからこそ鋭く響いた。
「……アンタらは責任って言葉を、どの口で言ったわけ?」
会議室が再び凍りつく。比企谷は目をそらし、内心で思った。
(怖ぇよ……この女、冷徹に毒撃ち込んでくるタイプじゃん……)
由比ヶ浜は震えながら比企谷の肩を揺らす。
「こわいよ……しもっち……」
霜月の皮肉にゆっこが思わず隣に助け船を求めるも、周りは“無理。今そこに触れたら自分も燃える”と判断したらしく誰も手を挙げない。その瞬間だけ、霜月の目は本当に冷たく、澄んでいた。
雪ノ下がそこで区切るように声を上げる。
「……議題に戻りましょう。女子の種目について、改めて検討します。このまま不満を抱えたまま進めるのは、最悪の結果を生みます」
全員がうなずくしかなかった。