やさぐれ女と時々奉仕部   作:レゾリューション

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今回長め


効率ってのは“指標”であって、“人を切り捨てる理由”じゃない

三日目の朝。霜月はホテルを出て、京都特有の少しひんやりした空気を肺いっぱいに吸い込みながら歩いていた。

 

由比ヶ浜の提案で、今日の朝食はホテルではなく喫茶店。送られてきた地図と店名を確認しつつ、霜月は迷いなく進む。

 

(自由行動なのは分かるけど、朝食まで自由ってどうなのよ)

 

体育祭の一件を思い出しながら、心の中で軽く毒づく。

 

(総武高校って、もっと管理主義じゃなかった?)

 

だが現実は驚くほど放任主義だった。教師も、規則も、今はどこかへ観光に出かけているらしい。

 

「……ここね」

 

控えめな看板の喫茶店。扉を開けると、すでに中には見知った三人が揃っていた。

 

「おはよー、しもっち!」

 

由比ヶ浜が元気よく手を振る。

 

「……うす」

 

それに対し、比企谷は起き抜けみたいな声で短く返す。

 

「おはよう、アンタら……思ったより早いわね」

 

「ちょっと前に来たんだ」

 

由比ヶ浜はそう言い、雪ノ下はメニューを新聞のように静かに閉じ、軽く会釈する。

 

「おはよう、霜月さん。迷わず来られたようね」

 

「人を方向音痴みたいに言うなっての……」

 

霜月は小さくぼやきつつ席につく。注文は由比ヶ浜が代表して済ませ、しばらくすると運ばれてきたのは、いかにも“モーニング”という顔をしたプレートだった。

 

ハム、スクランブルエッグ、サラダ。湯気の立つコーヒーに、オレンジジュースまで付いている。

 

「おおー、なんかちゃんとしてる!」

 

「朝からちゃんとしてると、逆に落ち着かないんだけどな……」

 

比企谷はそう言いながらも、フォークはすでにスタンバイ状態だった。

 

「見た目も悪くないわね。盛り付けが雑じゃない」

 

雪ノ下の評価は相変わらず厳しめだが、どこか満足そうだ。

 

「じゃあ、まずは……」

 

由比ヶ浜の声に合わせるように、四人が自然と手を合わせる。

 

「いただきます」

 

食べ始めて数秒、静かな時間が流れる。霜月はスクランブルエッグを一口運び、目を伏せた。

 

(……美味い)

 

派手さはないが、ちゃんとした味。朝の胃にちょうどいい塩加減と温度だ。

 

「ね、当たりでしょ?」

 

由比ヶ浜が得意げに言う。

 

「うん、これは正解だな。朝から重すぎない」

 

「ええ。観光地価格にしては、かなり良心的ね」

 

珍しく三者三様の評価が一致する。

 

霜月はコーヒーを一口すすり、ぼそっと呟いた。

 

「……こういう普通の朝、結構好きかも」

 

「あ、しもっちが前向き」

 

「今だけよ。あと一時間も人混みに放り込まれたら、たぶん無口になる」

 

「それはいつもじゃない?」

 

「アンタよりは喋ってるつもりだけど?」

 

軽口を叩き合いながら朝食は進み、やがて雪ノ下が本題に入った。

 

「今日の予定だけれど。まずは伏見稲荷大社に行きましょう」

 

「千本鳥居か」

 

「テレビで見たことあるやつだ」

 

由比ヶ浜が言うと、雪ノ下はこくりと頷く。

 

「定番といえば定番ね」

 

「……人、多そう」

 

霜月は率直な感想を漏らす。

 

「それから東福寺。伏見稲荷から戻る途中で寄れるわ」

 

比企谷はあまりピンと来ていない様子だったが、社会科が得意な霜月はすぐに思い出す。

 

(通天橋から見る紅葉、有名だったわね)

 

「それから、北野天満宮」

 

「それ、俺が言ってたやつか」

 

「ええ。覚えていたから」

 

雪ノ下は淡々と言うが、比企谷はなぜか少し気まずそうに視線を逸らした。

 

朝食を終え、会計を済ませて店を出る。

 

修学旅行三日目。この先には確実に人混みと疲労が待っているが

少なくともこの朝だけは、穏やかで、少しだけ心地よい時間だった。

 

「……さて、覚悟決めるか」

 

霜月はそう呟き、人波の予感がする方向へ歩き出した。

 

 

伏見稲荷、東福寺、北野天満宮。定番と言えば定番、だが外せば「京都に来た意味とは?」と問い詰められそうな名所を順に巡り、四人は最後に嵐山へと足を伸ばした。

 

途中、葉山たちのグループと鉢合わせるという修学旅行名物イベントも発生した。

 

「……」

 

「……」

 

縦ロールこと三浦と雪ノ下が視線を交わした瞬間、周囲の気温が二度ほど下がった気がしたのは、きっと比企谷の錯覚ではない。

 

「寒っ……なんで今、冷房入った?」

 

「気のせいじゃない?」

 

誰も正解を言わないのが、この手の現象への正しい対処法だった。その後、天龍寺へ向かう分岐をあえて曲がらず、由比ヶ浜の提案でさらに奥へ進んでみることになる。

 

すると、左手側から、ざざっ、と乾いた音が流れてきた。

 

見上げれば、青々と、そして鬱蒼と茂る竹林。風が通るたびに、無数の葉が擦れ合い、一定のリズムで鳴っている。

 

(……人が少なくて、落ち着く)

 

霜月は無意識に肩の力を抜いた。

 

テレビや観光ガイドで何度も見た、嵐山の竹林の道。写真では伝わらない、静けさと空気の冷たさがそこにはあった。

 

「すごいね……ここ……」

 

由比ヶ浜が思わず立ち止まり、上を見上げる。

差し込む光を受け、目を細め、そのままそっと閉じた。

 

「ええ、それに……足元」

 

雪ノ下が静かに歩み寄り、地面を指差す。

 

「灯籠か」

 

比企谷が言うと、雪ノ下は小さく頷いた。

 

「そう。夜になると、この竹林自体もライトアップされるそうよ」

 

昼の静寂と、夜の幻想。その対比を想像し、由比ヶ浜は「見てみたいなぁ」と小さく呟いた。

 

そうして一日の観光を終え、夜。

 

場所は再び、竹林の道。昼間とは違い、周囲は静かで、空気が張りつめている。戸部は、見て分かるほど緊張していた。肩は強張り、呼吸は浅い。

 

「いけるって!」

 

「そうそう!男だろ!」

 

大岡と大和が背中を叩いているが、励ましというより追い込みに近い。少し離れた場所で、奉仕部の三人と霜月は様子を伺っていた。

 

比企谷は一度、戸部の元へ行き、短く何かを言って戻ってくる。

 

「ヒッキー、いいとこあるじゃん」

 

「どういう風の吹き回し?」

 

雪ノ下と由比ヶ浜は、どこかからかうように微笑む。霜月だけは、表情を変えなかった。

 

「そういうんじゃないんだよ。マジで」

 

比企谷がそう言い返すと、二人の笑顔はわずかに曇る。

 

「一応……丸く収める方法はある」

 

その言葉に、由比ヶ浜が身を乗り出した。

 

「どんな方法?」

 

雪ノ下は一瞬考え、短く息を吐いてから言った。

 

「……まぁ、あなたに任せるわ」

 

由比ヶ浜も「うん」と頷く。その直後、霜月が比企谷の袖を引いた。

 

「ちょっと来て」

 

二人は周囲の喧騒から少し離れ、竹林の奥へと数歩進む。霜月は肩の力を抜き、視線を逸らさずに比企谷を見据えた。

 

「比企谷……また独りで勝手に自爆する気?」

 

比企谷は少し息を詰め、目を伏せるようにして答えた。

 

「……やっぱ、気づいたか」

 

霜月は淡々と続ける。

 

「本当は二人にも話したいけど、海老名の依頼はアンタに任せたからそこの筋は通すわ。でも」

 

言葉の切れ目で、霜月はわずかに間を置き、冷静に付け加える。 

 

「またやったら、高いツケ払うことになるのよ?」

 

それは脅しではない。事実の確認だ。比企谷は顔を顰める。

 

海老名の依頼は、ハイテンションなBL語りに包まれ、その真意は非常に掴みづらい。しかも霜月はクラスも異なり、接点も少ない。にもかかわらず、彼女は核心に辿り着いていた。

 

「……海老名が言ってた“友情問題”の真意ってさ」

 

霜月はゆっくりと言葉を続けた。

 

「戸部からの告白を断ってほしいってことでしょ」

 

比企谷の心臓が一瞬早鐘のように打つ。彼の知っていた情報は葉山たちの言葉と行動を通じてであり、霜月はその補助もなく、ほぼノーヒントで真意を理解していたのだ。

 

「……すげぇな、お前」

 

比企谷の呟きに、霜月は軽く鼻で笑った。

 

「今日に限って、嬉しくない褒め言葉ね」

 

竹林の夜風が二人の間をすり抜け、葉のざわめきだけが響く。霜月の表情には非難も軽蔑もなく、ただ事実を見据える冷静さだけがあった。

 

霜月は静かに比企谷のそばで立ち、夜の竹林を見やった。風が葉を揺らし、ざわりと音を立てる。月明かりに照らされた竹林の道は、幻想的でありながらもどこか厳かな空気を漂わせていた。

 

「そもそも戸部の依頼でもある告白のサポートは、あくまで“告白する自由”を整えるだけ。成功させる義務でも、失敗を肩代わりする義務でもない」

 

比企谷は黙って聞き入っている。霜月は一歩前に出るでもなく、背筋を伸ばしてその声を低く響かせる。

 

「それに、海老名の依頼は“誰かに傷ついてもらって解決する”タイプのものじゃない。あれは本人が選ばなきゃ意味がない問題よ」

 

視線を比企谷に戻し、霜月は言葉を続けた。

 

「アンタが勝手に前に出て、勝手に独りで全部引き受けて、悪者にして終わらせたら、それは確かに早いし効率的ね、でも」

 

一拍置き、静かに夜風が髪を揺らす。

 

「それは依頼を解決したことにはならない」

 

比企谷の口元がわずかに歪む。

 

「……相変わらず、手厳しいな」

 

「事実を言ってるだけよ」

 

霜月の声には、叱責も非難も混ざっていない。ただ淡々と、理を述べるだけだった。

 

「戸部が振られるかどうかは、戸部と海老名の問題。海老名が関係を壊したくないなら、その気持ちをどう伝えるかも、海老名自身の問題。奉仕部は“場”を用意することはできても、アイツらの選択の自由まで奪ってはならないのよ」

 

その言葉は比企谷の胸に静かに突き刺さる。これまで彼が選んできた方法、自分が嫌われ役になることで問題を終わらせるやり方を、霜月は否定しない。しかし肯定もしていない。ただし批判はする。

 

「アンタが自爆するのってさ」

 

霜月は言葉を止めず続けた。

 

「優しさでも自己犠牲でもなくて、単に“自分が一番早く終わらせられる”って思ってるから?それとも今回のケースだと葉山の考えに少し同情したから?」

 

比企谷は言い返せなかった。霜月の瞳は冷たくもなく、温かくもなく、ただ真実を映している。

 

「アンタがもしそれをするなら、自分の自由を捨てて、自分の自由を周りに押し付けることになるけど、それでも良いのよね?」

 

比企谷はしばらく黙ったまま、竹の葉が揺れる音だけが耳に届く。やがて小さく息を吐き、肩をわずかに落とした。

 

「……元々腹括ってんだよ、霜月。もうこれしか方法は無い」

 

霜月は微かに頷き、淡い月光の中で視線を竹林に戻す。

 

「なら、私は止める事はしないわ」

 

そしていよいよ告白の瞬間がやってくる。戸部が海老名に告白しようとした瞬間、比企谷が歩き出し、空気が一瞬止まった。

 

「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」

 

言ったのは比企谷。海老名の目がぱちりと大きく開き、戸部も思わず言葉を飲み込む。いつ言うつもりだったかの台詞を、比企谷が奪ってしまった格好だ。霜月は小さくため息をつく。

 

海老名は比企谷の告白に戸惑うが、すぐに自分の意思を口にした。

 

「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら、私、もう行くね」

 

そう言い残すと、ぺこりと頭を下げ、小走りで去っていく。戸部たちも仕方なく解散し、残ったのは奉仕部だけ。雪ノ下は、鋭い眼光を決して緩めないまま傍に立つ。由比ヶ浜は困惑した表情で視線を下げているだけだった。

 

「あなたのやり方、嫌いだわ」

 

雪ノ下は短い距離を詰め、胸元に手を置き、比企谷を睨みつけた。瞳には抑えきれぬ感情が光っている。

 

「うまく説明できなくて、もどかしいのだけれど……あなたのそのやり方、とても嫌い」

 

そう言い残すと、雪ノ下は先にホテルへと戻った。由比ヶ浜も小さく息をつき、口を開いた。

 

「こういうの、もう、なしね」

 

霜月は二人の様子を見つめる。由比ヶ浜は辛そうで、ひどく痛々しくて、胸が締め付けられているように見えた。

 

「……あれが一番効率がよかった、それだけだろ」

 

比企谷は淡々と考える。効率、という言葉の便利さに、由比ヶ浜は少し苛立ちを覚えながらも口には出さない。

 

「効率とか、そういうことじゃないよ……人の気持ち、もっと考えてよ」

 

薄い息遣いが、比企谷の心の奥に響く。

 

 

 

 

「…なんで、いろんなことわかるのに、それがわかんないの!?」

 

 

 

 

比企谷は何も言わない。ただ、由比ヶ浜の言葉を飲み込むだけだった。

 

「ああいうの、やだ」

 

その言葉を最後に、由比ヶ浜も戻った。残されたのは霜月と比企谷だけ。

 

「ま、お疲れ」

 

短い労いの言葉のあと、比企谷は歩き出す。霜月も少しの間、沈黙を保っていたが、やがて口を開く。

 

「お前はなんか言わないのか?」

 

「アンタは自分で選択したから文句を言う筋合いはないわ。ただ……」

 

「ただ?」

 

霜月は静かに言葉を続ける。

 

「文化祭のときに雪ノ下にも言ったけど、効率ってのは“指標”であって、“人を切り捨てる理由”じゃないのよ。効率の二文字で人を切り捨てるなら、アンタはいつか、誰かを悲しませて、自分が一番傷つくパターンね。それも最悪な形で」

 

それだけ告げると、霜月は無言で歩き続ける。比企谷も、返す言葉を持たずに後ろをついていくしかなかった。

 

灯篭照らされる二人の影が、夜のアスファルトに細く長く伸びる。霜月の表情は見えないが、その背中からは、どこか諦めに近い冷たさが漂っていた。

 

比企谷の胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような感覚が残る。誰かを守るために選んだ行動が、結局誰かを傷つけることになってしまう。そんな現実を、無言で受け止めるしかない。

 

風が竹林の間を抜け、遠くで灯籠の明かりが揺れる。微かに聞こえる足音のリズムに、自分の選択の重みを噛みしめながら、比企谷はただ後ろ姿を見つめ続けるしかなかった。

 

 

 

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