やさぐれ女と時々奉仕部   作:レゾリューション

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そもそも、依頼を個人で受けた時点で詰みかけてんのよ

保育園、小学校での打ち合わせが終われば、帰れる。そんな甘い話は最初から存在してなかった。むしろ、そこからが本番だ。

 

総武高校の生徒会室。夜になりかけても灯りは落とされず、長机の上には資料が山のように積み上がっていた。総武側でまとめた最低限“回る”現実的草案。そして、海浜総合高校から提出された「小学校を率いる案」の改訂版。

 

夢は削られ、だいぶ現実に寄せられてはいる。だが、まだ足りない。霜月が指摘したのは明らかに無理だと判断したものであり、細かいのはこれから見ていく。

 

霜月は椅子に深く腰を下ろし、半目のまま資料を一枚ずつめくっていく。ページを送る指の動きは淡々としていて、迷いがない。

 

「……人数、足りてないし当日の動線が完全に被ってる」

 

低く、抑揚のない声。だがその一言一言が確実に急所を突く。場の空気が、ぴんと張り詰めた。隣では一色がタブレットを操作しながら、霜月の指摘を次々と書き込んでいく。

 

「はい、そこ私が修正します」

「この部分は保育園側と再確認ですね」

「この企画、残すなら条件つけます?」

 

一色の質問に霜月は

 

「条件つけても無理なら切るわよ」

 

言い切った。

 

「ですよね」

 

一色も即答だった。彼女に迷いはない。夢を守る段階はもう過ぎている。守るべきなのは、当日、誰も泣かせないことだ。総武の新生徒会メンバーも、最初こそ緊張していたが、次第に霜月の指示の出し方に慣れていく。

 

「じゃあ、このブロックは午前中のみ運用で」

「人員は二年生を二人追加」

「トラブル対応の窓口は一本化で」

 

「了解です」

「確認取ります」

「すぐ修正します」

 

返事が早い。動きも早い。霜月はその様子を一瞥し、内心でだけ評価を更新した。

 

(……悪くない。鍛えれば使える)

 

海浜側の案については、やはり容赦しなかった。生徒会メンバーが、

 

「この演出、時間オーバー確定してます」

 

と言えば、

 

「じゃあ、削っていいわよ」

 

と返ってくる。

 

「“子どもたちの自主性に任せる”って書いてあるけど...」

 

と言えば、

 

「善意前提で組むのは無しよ。事故るから」

 

と返ってくる。

 

ペンが走るたび、資料はどんどん現実に引きずり落とされていく。派手さは削られ、ロマンは消え、代わりに残るのは確実に回る計画だけ。しかも、総武案と海浜案を矛盾なく統合するため、細かい調整が延々と続く。

 

「……比企谷、必ず、絶対に説教してやる」

 

霜月の低い呟きに、一色が即座に乗っかる。

 

「いいですね、それ。たっぷりお礼しましょう」

 

2人の口元に浮かぶ完全に悪い笑顔。生徒会メンバーは一瞬で理解した。

 

(あ、これ触っちゃいけないやつだ)

 

気づけば、時計の針はすっかり夜を指していた。

 

「……今日はここまでにしましょうか」

 

一色がそう言って、ぐっと伸びをする。

 

「みなさん、お疲れ様でした」

 

霜月は椅子から立ち上がり、肩を軽く回した。疲労は確かにある。だが、それ以上に――やるべきことをやった感覚が残っていた。生徒会室を出て、昇降口で一色と別れる。

 

「しもっち先輩、今日はありがとうございました」

 

「お互い様よ。……無茶しないことね」

 

「先輩もですよ」

 

軽く手を振り合い、それぞれの帰路につく。

 

そして。霜月は一色と別れ、夜の住宅街を一人で歩いていた。街灯は等間隔に並び、どれも頼りない光を路面に落としている。昼間から夜まで、横文字と責任放棄と現実の重さを浴び続けた後では、この静けさすら、やけに耳障りだった。霜月は小さく息を吐き、ポケットに手を突っ込む。

 

(……ほんと、ロクな依頼じゃない)

 

だが、その足取りは止まらない。止まるわけがなかった。もう、ここまで来てしまったのだから。

 

 

そのとき、ポケットの中で携帯が震えた。画面を見なくても分かる。こういうタイミングでかけてくる人間は一人しかいない。表示された名前を確認して、霜月は深く息を吐いてから通話ボタンを押した。

 

「はい、こちら代理で地獄の会議に放り込まれて、精神的に摩耗した女子高生ですが?」

 

第一声から全力で殴りにいくスタイルだった。

 

『第一声がそれかよ……普通に出ろよ』

 

電話越しの比企谷の声は、まだ少し鼻にかかっている。

 

「普通に出たら普通にキレるだけよ。どっちがいい?」

 

『選択肢が地獄しかねぇ……』

 

霜月は歩きながら、街灯の影を踏み潰すように言葉を重ねる。

 

「アンタさ、個人で依頼受けておいて、風邪で倒れるって何考えてんの?」

 

『……』

 

「そのせいで誰が何をやる羽目になったと思ってんの?代理で横文字飛び交う意識高い系会議に突っ込まれて、責任の所在不明な“みんなで頑張ろう”を現実に引きずり下ろす作業して、保育園、小学校の打ち合わせして、それが終わったら生徒会と企画まとめたのよ?」

 

一息。

 

「普通に拷問なんだけど?」

 

『……すまん』

 

今回は言い訳も反論もなかった。それが逆に腹立たしい。

 

「謝れば済むと思ってる?」

 

『思ってない』

 

「でしょうね」

 

霜月は鼻で笑う。

 

「で、用件は?まさか“まだ治ってないから頑張ってね”とか言わないわよね」

 

『いや風邪は治ったから、その報告。後、代理してくれた礼を言おうとな...』

 

「それ、昨日言ってくれたら、私は“横文字会議地獄”に行かずに済んだのよね」

 

『皮肉が重い....』

 

「軽くする理由がないもの」

 

一瞬、沈黙が落ちる。夜風が冷たく霜月はコートの前を少しだけ寄せた。

 

「……で、私からも言っとくわ」

 

『やっぱりあるのかよ』

 

「あるに決まってるでしょ」

 

霜月の声が、少しだけ低くなる。

 

「そもそも、依頼を“個人で”受けた時点で詰みかけてんのよ、このアホ」

 

『....秒で核心突くのやめてくれ...響く』

 

「核心だから言ってんのよ」

 

彼女は歩みを止め、街灯の下で立ち止まる。

 

「クリスマスイベント、外部施設。園児と高齢者。調整先は学校、保育園、小学校、地域。どう考えても一人で背負う規模じゃない」

 

『……そうだな』

 

「そこに“本人不在”が重なった」

 

霜月は淡々と、だが容赦なく続ける。

 

「責任者不明、判断不能、代理は裁量不足。会議は空中分解寸前だった。これ、最悪の役満よ?」

 

『役満て……』

 

「しかもアンタがいないから、“個人依頼”って前提が宙ぶらりん。由比ヶ浜達は関われない、でも仕事は進めなきゃいけないって...マジで何なの?」

 

『……』

 

「私がやったのは、破綻しない最低ラインまで引きずり戻しただけ。ここから先は、個人じゃどう頑張っても無理」

 

霜月はきっぱりと言い切った。

 

「奉仕部全員で参加しなきゃ確実に失敗する」

 

『平塚先生に似たようなこと言われたな....』

 

電話の向こうで、比企谷が小さく息を吐く音がした。曰く平塚先生が見舞いがてらに来たそうだが、風邪が治っていたので何故かドライブに付き合わされ、平塚先生と話をしたそうだ。

 

『……明日、アイツらにちゃんと話す』

 

「ええ、話しなさい」

 

霜月は歩き出しながら、最後に一言付け足す。

 

「ちゃんと口に出すのよ。察してもらう前提で動くと、また詰むから」

 

『……了解』

 

通話が切れ、夜道に静けさが戻る。霜月は携帯をポケットに戻し、ぼそりと呟いた。

 

「……最初から団体戦にしなさいよ、ほんと」

 

毒は多めだが、結論はいつも現実的だった。

 

 

 

 

 

そして、次の日。霜月はいつもより少しだけ早い足取りで、奉仕部の部室へ向かっていた。電話であれだけ言ったのだ。皮肉八割、正論二割、優しさゼロ。あれで何も感じないなら、比企谷八幡という人間はもはや石像である。

 

(……まあ、多少はメンタルに刺さってるでしょ)

 

刺さっていなければ困る。代理で地獄を見た側としては、最低限の報酬が欲しいところだ。そんな霜月だが今日は会議が無いためゆっくり出来る。廊下は静かで、放課後特有のだるい空気が漂っている。部室の前に立ち、いつものようにノックもせず扉に手をかけ――その直前、内側から声が漏れ聞こえた。

 

『言ったからわかるっていうのは、傲慢なんだよ』

 

霜月の手が、止まる。

 

『言った本人の自己満足で、言われた側の思い上がりで……いろいろあってさ。話せば必ず理解し合えるなんて、そんな都合のいい話じゃない』

 

比企谷の声だった。いつもの投げやりさは薄く、代わりにやけに生々しい。

 

『だから、俺は“言葉”が欲しいわけじゃないんだ』

 

一拍置いて、今度は由比ヶ浜の声が重なる。

 

『……でも、言わなかったら、ずっとわかんないままだよ?』

 

少し震えた、けれど必死な声。

 

『言わなくてもわかるっていうのは、幻想だと思うし……』

 

比企谷が、静かに息を吸うのが聞こえた。

 

『……ああ、そうだな』

 

短い肯定。だが、その先が続かない。

 

『言わなくても伝わるなんてのは、幻想だ。けど……』

 

言葉を探している。珍しいほど、必死に。

 

『……それでも俺は……』

 

一瞬、沈黙。

 

 

 

『俺は——本物が欲しい』

 

 

 

その言葉は、重く、真っ直ぐで。廊下の空気まで、ほんの少し変えた。霜月は手を離し、壁に背を預けた。

 

(やっぱり、動いたわね)

 

電話で殴った甲斐はあったらしい。メンタルは無事ではなかったが、ちゃんと“前に倒れた”。霜月は小さく息を吐く。

 

(ここは、私の出番じゃないわね)

 

今この瞬間に踏み込むのは、野暮だ。これは、奉仕部(比企谷、由比ヶ浜、雪ノ下)の問題で、奉仕部の答えだ。

 

 

『私には、わからないわ』

 

雪ノ下雪乃はそう言い残し、椅子を引く音をはっきりと響かせて立ち上がった。一瞬たりとも振り返らず、そのまま扉へ向かい手をかける。

 

ガラッ。

 

扉が開いた、その瞬間。

 

「あ」

 

廊下側に立っていた霜月と、真正面から視線がぶつかった。ほんの一瞬だった。だが、その一瞬は妙に長く感じられた。雪ノ下の目には、驚きも、苛立ちも、責める色もない。ただ、静かで、遠い。

 

(あー……最悪のタイミング)

 

霜月は内心でそう呟く。今この瞬間に出くわすのは、正直想定外だった。

言い訳をする気もなければ、口を挟む資格もない。そもそも、何を言えばいいのかも分からない。

 

だが、雪ノ下は霜月に対して何も言わなかった。ほんの一瞬、視線を合わせただけで、そのまま何事もなかったかのように横をすり抜けていく。足音は一定で、感情の揺れを一切感じさせない。それが逆に、霜月には妙に重く感じられた。

 

「……」

 

霜月は小さく息を吐いた。

 

(一番気まずいやつ)

 

遅れて、由比ヶ浜と比企谷が部室から顔を出す。

 

「し、しもっち……ゆきのん、どこ行ったかわかる?」

 

由比ヶ浜は明らかに不安そうだった。視線が廊下を泳ぎ、声も少し上ずっている。霜月は事実だけを返す。

 

「目が合っただけで、何も話してないわ」

 

「そ、そっか……」

 

由比ヶ浜は唇を噛みしめ、雪ノ下が去った方向を見つめる。比企谷も同じ方向に視線を向けたまま、何も言わない。沈黙が、廊下にじわりと広がった。

 

(これは空気が重い...)

 

霜月が内心でぼやいた、そのときだった。

 

「あ、いたいた。しもっち先輩」

 

場違いなくらい軽い声が、その空気をぶった切った。一色いろはが、小走りで近づいてくる。いつもの調子で、いつもの笑顔。その存在だけで、空気が少しだけ現実に引き戻される。

 

「このあと、ちょっと打ち合わせいいですか?今後の動きの確認したくて」

 

「……今?」

 

霜月は一瞬だけ、比企谷と由比ヶ浜を見る。二人とも今にも追いかけたい顔をしていた。

 

「短くなら」

 

「十分です」

 

即答だった。一色は一切の遠慮もなく頷く。それから、少しだけ言いにくそうに視線を逸らす。

 

「あと……さっき雪ノ下先輩に会ったんですけど」

 

霜月の眉が、ほんの僅かに動く。

 

「何て?」

 

一色は一拍置いてから、告げた。

 

「雪ノ下先輩なら、上に行きましたよ」

 

「え、本当!?ありがとう!」

 

由比ヶ浜の顔がぱっと明るくなる。

 

「あ、しもっちも来てね。部員だから!」

 

部員、という言葉に霜月は一瞬だけ間を置いた。

 

「分かった」

 

短く答え、霜月は一色と視線を交わす。一色はひそひそと囁く。

 

「……大変そうですね、奉仕部」

 

「今さらよ」

 

霜月はそう返し、廊下の奥――雪ノ下が消えた階段の方を見上げた。ため息を飲み込み、霜月はゆっくりと歩き出した。

 

 

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