雪ノ下への誕生日プレゼント探しは、前回――由比ヶ浜のプレゼントを買いに来た時と、まったく同じ結末を迎えていた。気づけば、霜月は一人だった。周囲を見回しても、見覚えのある顔はない。比企谷も、小町も、由比ヶ浜も、きれいさっぱり消えている。というより自分から離れた。
「……まあ、一人は楽でいいけど」
人混みは嫌いだが、目的が明確なら話は別だ。霜月は無駄な寄り道をせず、雪ノ下の性格・好み・生活スタイルを脳内で整理しながら、淡々と店を回る。
(派手すぎず、実用的すぎず、でも安っぽくない……めんどくさ)
そうして悩みに悩んだ末、ようやく「これなら文句は言われないだろう」という無難かつ上品な一品を購入。ミッション完了である。
ベンチで一息つき、紙袋を足元に置いたその時だった。
「あれ、しもっち先輩?」
聞き覚えのある、やけに軽い声。
「……一色」
顔を上げると、そこに立っていたのは総武高校生徒会長・一色いろは。クリスマスイベントを共に地獄のように乗り切った、いわば“元・戦友”である。
「……あー、あけおめ?」
「なんで疑問形なんですか……とりあえず、あけおめです」
新年早々、安定の温度差だった。
「一色は何の用でここに?」
「いやー、お年玉もらったんで、何か買おうかな〜と思いまして。しもっち先輩は?」
「雪ノ下の誕生日プレゼント」
「あ、そうなんですか~」
一色はにやりと笑い、
「じゃあ、私のも渡してもらえます?」
「……へ?」
霜月の思考が一瞬フリーズする。
「プレゼントあるの?」
「今から買うんで、ついてきてください」
有無を言わせぬ即答だった。
「……はぁ」
霜月は深いため息をつき、スマホを取り出す。
《ちょっと時間かかりそう。何かあったら連絡して》
短文を送信。これで罪悪感はゼロだ。
その後――。
一色の「これどうですか~?」と「それは微妙ですね~」を延々と聞かされ、最終的に「一色らしい」無難かつ計算されたプレゼントを選ばされ、ようやく解散。
精神的HPはそこそこ削られていた。そして、ちょうどそのタイミングでスマホが震える。
《駅のカフェに来て~》
由比ヶ浜からだった。指定されたカフェに向かうと、由比ヶ浜と比企谷がすでに席を確保していた。小町は受験勉強で帰ったらしい。
「遅かったねー」
「色々あってね」
霜月が腰を下ろした――その瞬間。視界の端に、見覚えのある存在が映る。いや、“見覚えがありすぎる”存在だ。雪ノ下陽乃。通称・厚化粧。しかも隣には、安定の迷惑イケメン•葉山隼人付き。完全に“面倒ごとのセット”である。
「やっはろ~。相変わらず仲良しさんだねぇ?」
案の定、揶揄うような口調。比企谷のHPが音を立てて削れていくのが、霜月にも分かった。
(……コイツ)
霜月の中で、静かにストレスゲージが溜まっていく。追い打ちをかけるように、陽乃はさらっと電話をかけて雪ノ下(妹)を呼んだ。数分後に雪ノ下が到着し空気が一気に重くなる。
(最悪……)
場の温度が二度ほど下がった、その時。カフェの入り口から、一人の女性が入ってきた。着物姿。背筋は真っ直ぐ、歩き方に一切の無駄がない。視線、所作、佇まい――すべてが整いすぎている。なぜか、霜月は本能的に警戒した。
(……何、この完成度)
そして、その女性がこちらに気づき、柔らかく微笑んで口を開く。
「――陽乃」
呼ばれて、厚化粧が振り返った。
「あ、お話はもういいの?」
その声音は軽く、場の空気など気にも留めていないようだった。
「ええ。この後、食事に行くから呼びに来たの。隼人くん、お待たせしちゃってごめんなさいね」
そう言って、陽乃の隣に立つ婦人が柔らかく微笑む。年齢を感じさせない整った顔立ちに、隙のない所作。声は穏やかなのに、なぜか場の温度が一段下がったような錯覚を覚えさせる人物だった。
「いえ、お気になさらず。みんなのおかげで退屈しませんでしたから」
葉山がいつもの人当たりのいい笑顔で応じ、視線を霜月たちへと向ける。それに合わせて、婦人の視線も自然と流れてきた。
(……怖)
霜月は内心で即座にそう判断した。理由は分からない。ただ直感的に「関わりたくない」と警鐘が鳴っている。婦人は霜月たちを認識すると、わずかに目を見開き、弾むような声で小さく息を漏らした。
「まあ」
驚きは一瞬で、すぐに柔和な笑顔が張り付く。
「雪乃、来てくれたのね。よかった……」
「母さん……」
雪ノ下雪乃が、呆然としたように、あるいは諦めたように呟いた。
こうして並べて見れば、確かに似ている。端正な顔立ち、背筋の伸びた立ち姿、無駄のない所作。年を重ねれば、間違いなく瓜二つになるだろう。それでも一目で母親だと気づけなかったのは、この婦人が放つ圧のせいだった。
軽々しく声をかけることを拒む威厳。社会的な立場や経験の差を、無言のうちに突きつけてくる種類の人間だ。霜月にとっては、絶対に近寄りたくない人種である。
「ひゃー……めっちゃ美人……」
由比ヶ浜が、思わずといった様子で小声を漏らした。その声を聞き取ったのか、雪ノ下の母親は霜月たちに軽く会釈をし、陽乃へと視線を戻す。
「陽乃。お友達?」
「そ。八幡とガハマちゃんと、霜月ちゃん」
紹介は驚くほど雑だった。
「……霜月澪です」
霜月も一応、最低限の礼儀として名乗る。
(つーか、友達になった覚えないんだけど……アンタの友達扱いとか冗談じゃないわ)
気怠げな視線を陽乃に向けるが、当然のように気づかれもしない。
「まあ、そうなの……」
雪ノ下の母親は微笑みを保ったまま、穏やかに続けた。
「隼人くんくらいしか、雪乃の同級生を知らないものだから……。これからも仲良くしてあげてくださいね」
「はい!」
由比ヶ浜が元気よく返事をすると、母親は満足そうに頷き、軽く頭を下げた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「はーい」
陽乃が立ち上がり、葉山も伝票を手にして続く。だが、比企谷の前に座っていた雪ノ下だけは、動かなかった。その様子に、母親は少しだけ表情を緩め、穏やかな声で問いかける。
「雪乃、あなたも来るわよね?」
「私は……」
言葉に詰まる雪ノ下に、母親は慈しむような眼差しを向け、優しく言葉を重ねた。
「あなたのお誕生日祝いでもあるのよ」
声は優しい。表情も柔らかい。それでも、その場にいる全員が理解した。これは提案ではなく、決定事項だと。
(……さすが雪ノ下姉妹の親。圧が別格)
霜月は内心思う。母親は少し困ったように首を傾げ、こめかみに指を添えると、ふと霜月達へ視線を向けた。
「そうだわ。ぜひお友達も一緒に……どうかしら?」
にこり、と完璧な微笑みが向けられる。その瞬間、霜月は一歩前に出た。この居心地の悪い空気を、これ以上引き延ばす気はなかった。
「せっかくのお誘いですが、遠慮させてもらいます」
淡々と、しかしはっきりと。
「あなた方のパーティーじゃ、この服装は浮きますし」
皮肉をほんの少しだけ混ぜて。
「そう……。もしよかったら、と思ったのだけれど」
引き留める様子もなく、母親はあっさりと引いた。
「……じゃあ、これで」
雪ノ下は霜月たちに続いて立ち上がり、母親へと視線を向ける。母親はわずかに顎を引き、了承の意を示した。店の前まで見送ってきた雪ノ下は、外に出ると俯き、小さく呟いた。
「……ごめんなさい。気を遣わせてしまって」
その声は、いつもより少しだけ弱々しかった。俯いたまま、視線は地面の一点に落ちている。声音もいつもの凛とした調子ではなく、どこか硬く、距離を取るようなものだった。その様子を見て、霜月は一瞬だけ言葉を選ぶ。が、次の瞬間には選ぶのをやめた。
「別に?」
あっさりとした声だった。
「私が勝手に断っただけだし。雪ノ下が謝る筋合いはないわ」
「でも……」
「それに」
霜月はちらりと店内の方へ視線を向ける。すでに陽乃と葉山、そして雪ノ下の母親の姿は奥へ消えていた。
「正直、あの場に残る方が地獄でしょ」
即断即決。一切の迷いも遠慮もない。比企谷が小さく頷いた。
「同感だな。俺もあの空気で飯食えって言われたら、味どころか咀嚼すら怪しい...」
「えーでもケーキとか出るんじゃないの?」
由比ヶ浜が少し惜しそうに言うと、霜月は即座に切り返す。
「あの圧の中で食べるケーキは、ただの拷問よ」
「うっ……確かに……」
由比ヶ浜は納得したように肩を落とした。雪ノ下は少しだけ目を見開き、それから――ほんのわずかに、肩の力を抜いた。
「……ありがとう」
その声は、先ほどよりも幾分柔らかい。霜月はそれを聞いて、軽く鼻を鳴らす。
「礼を言われるほどのことじゃないわ。単に私が空気に耐えられなかっただけ」
「それを気遣いと言うんですよ、しもっち先輩〜」
いつの間にか合流していた一色が、どこか楽しそうに言った。
「……一色、いつからいたのよ」
「さっきからです。修羅場ってましたね〜」
「見てたなら止めなさいよ」
「いやー、止めたら余計こじれそうだったので」
相変わらずの小悪魔ムーブに、霜月は軽く頭を押さえる。その一方で、雪ノ下は小さく息を吐き、視線を上げた。
「……改めて、ありがとう。霜月さん」
霜月は一瞬だけ眉を動かす。
「……どういたしまして」
それだけ返して、視線を逸らした。由比ヶ浜が空気を察したのか、ぱっと明るい声を出す。
「じゃ、じゃあさ!せっかくだし別のとこでお茶し直そ!」
「賛成。あの店、もう精神的に満腹」
そんな軽口を叩き合いながら、一行は店を離れていく。背後に残るのは、格式と威圧と、少しの後味の悪さ。だが、それを引きずる者はいなかった。霜月は歩きながら、ふと横にいる雪ノ下を見る。その表情は、いつもより少しだけ柔らかい。
(……まあ、プレゼント渡す前に胃がやられなくてよかったわ)
そんなことを考えながら、霜月は人混みの中へと足を進めていった。
10巻の内容はもう1〜2話で終わります。