テニスコートに響くのは、ボールの弾む音と――なぜか場違いなリア充オーラ。
その空気の温度が一瞬で変わった。まるで誰かが「青春濃縮スプレー」を散布したように。
そして、現れたのは人類の縦ロール担当、三浦優美子。
金色の髪が太陽光を反射してまぶしく輝き、取り巻きたちを従えての登場である。
彼女の登場は静かな午後のコートに、唐突に開いた学園ドラマの挿入シーンみたいだった。
「えー、なに? テニスしてんじゃん、テニスー!」
その明るすぎる声が響く。が、その瞬間、霜月澪の表情はピクリとも動かず。いや、動いた。確かに動いた。口角がわずかに引きつり、眉がピクピク震える。
それはまるで「今、虫の鳴き声が耳元で永遠にリピートしてる」ような顔だった。
「……ああ、厄日確定」
霜月はラケットを地面に立て、空を仰ぐ。まるで“神よ、なぜ私を試す”のポーズである。
あの声、あのテンション、そしてあの知性を感じさせない明るさ。目を閉じなくても、誰だかすぐわかる。そう、三浦優美子。
霜月が命名した“縦ロール”。だが比企谷にとっては“災害級の金髪”でしかない。
「三浦さん、僕たち別に遊んでるわけじゃなくて……」
戸塚が控えめに声をかけた。だがその声は、リア充の笑い声にかき消される。彼の天使のような繊細な声質は、残念ながらこの“陽キャ圧”の中では完全にノイズ扱いだった。
「えー? なに? 聞こえなーい!」
いや、聞こえてる。絶対聞こえてる。鼓膜が存在していれば、確実に聞こえている。あれは聞こえないのではなく、聞く気がないタイプだ。
比企谷は目を半分閉じ、心底面倒そうに息を吐いた。
「いや、だから……練習してんの。コートは戸塚が予約して――」
「は? だから?アンタ部外者じゃん」
「いや、まぁ……アウトソーシングってやつで――」
「はぁ? なにそれキモい」
出た。語彙より声量、論理よりテンション。この会話、もう知能戦じゃなくて“音圧戦”である。
⸻
そして、その瞬間、霜月が動いた。カツ、と地面に靴音を響かせ、静かにラケットを立てる。その姿勢は一切の無駄がなく、まるで剣士が抜刀する前の構えのようだった。
「テニスの練習してるから、お前らは帰れって言ってんのよ」
声のトーンは低く、冷ややか。空気がピキリと凍った。砂の舞うコートが、一瞬で冷凍庫になったかのようだ。
「そんなことも理解できないの?あっ、縦ロールだから?縦ロールだから理解できないのよね?」
第一撃、脳天直撃。理性ダメージ。三浦の顔がみるみる赤くなる。
「そんなんだからアンタはいつまでも金髪縦ロール女なのよ、三浦優美子」
第二撃、クリティカルヒット。致命傷。まわりの取り巻きが半歩下がった。空気が真空になったかのように静まり返る。
「な、なにそれ!意味わかんないし!」
「いいのよ、理解しなくて。縦ロールだから」
「ちょ、ちょっと!?縦ロール関係ないし!」
「関係しかないでしょ。物理的にも、精神的にもね」
会話の応酬が完全に一方的。霜月の言葉は、的確に急所を刺していく。
もはやこれは言葉のラリーではない。“社会的トリックショット”である。
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その空気を切り裂くように、間の悪い救世主(?)が現れた。
「まぁまぁ、あんまケンカ腰になんないでさ。ほら、みんなでやった方が楽しいしさ」
太陽のような笑顔、黄金比の表情。青春の象徴、葉山隼人、ここに降臨。
だが今の状況に限って言えば、その光はガソリンよりも危険だった。彼が笑うたびに、霜月の目の奥の温度が下がっていく。
(あー……南無葉山)
比企谷は心の中で静かに手を合わせた。
ちなみに、読者諸君の中にはこう思った人もいるかもしれない。
「え? 霜月と三浦の最初の言い争いのとき、葉山出てこなかったよね?」と。
そう、それには理由がある。
あの日、葉山は確かに仲裁に入ろうと一歩前に出た。だが、その瞬間、霜月と目が合った。
その瞳は、明確に語っていた。
「私の会話を止めてみろ。止めたら、お前の命を止める」
……葉山、即座に沈黙。その日、“葉山を空気にした女”という伝説が奉仕部に刻まれた。
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だが今回は違う。霜月が三浦への罵倒に夢中になり、葉山の存在を一瞬忘れていた。
(チッ……めんどい奴がいるのを忘れてたわ)
霜月の目がスッと細まる。その眼光は、砂漠のスコーピオンよりも冷たく、電気椅子よりも即効性がある。そしてその瞬間、葉山の笑顔が一瞬だけ引きつったのを、誰も見逃さなかった。
そんななか、比企谷がぴくりと反応する。霜月はすぐに察した。
(あ、比企谷が『みんな』に反応したわ。トラウマか)
比企谷は謎理論で反論し、途中からなぜか材木座も便乗していた。霜月は内心で溜息をつく。
「ねー、隼人ー。あーし、いい加減テニスしたいんだけど」
ついに縦ロール、いや三浦優美子が口を開いた。霜月は小声で毒を吐く。
(めんどいことになった……)
葉山がにこやかに提案する。
「じゃあこうしよう。部外者同士、君と優美子で勝負だ。勝った方が今後休みはここを使える。もちろん練習にも付き合う。強いやつと練習した方が、戸塚のためにもなるし、みんな楽しい」
あの瞬間の葉山の笑顔。あれは確かに“太陽のような微笑み”だった。
だが、霜月から見れば“燃え広がる業火の始まり”にしか見えなかった。
(葉山......よくも
熱狂と混沌を伴い、第三フェイズに突入した瞬間だった。
つまり、
(.....流石に二次はないと信じたい)
そう思った霜月だった。
葉山グループはもちろん、どこから聞きつけたのか他の生徒も続々集まってきた。二年生中心だが、一年生や三年生も混じり、ちょっとした学園祭状態。
霜月が独り言のように呟く。
「葉山友人、多すぎ……」
途端、ギャラリーから声が飛ぶ。
「HA・YA・TO!フゥー!HA・YA・TO!フウ!」
ウェーブまで始まり、もはやコートはアイドルライブ会場と化す。霜月が比企谷に小声で訴える。
「……アイツら黙らせてくれない?お金あげるから」
「お前、俺がそんなことできるわけないって分かってて言ってるだろ」
「バレた?」
そこへ縦ロールの苛立ち混じりの声。
「ねぇ、早くしてくんない?」
霜月は心の中で軽く舌打ち。
(うっせーな、このパツキン……)
しかし、縦ロールのラケットを握る手つきを見た瞬間、霜月だけでなく葉山も動揺したらしい。
「え? 優美子やるの?」
「はぁ?当たり前でしょ。あーしがテニスやりたいって言ったんだから」
葉山は説得を試みる。
「でも、向こうに男子出てくるかもしれない。ほら、ヒキタニくん……」
霜月、即座に内心ツッコミ。
(誰だよヒキタニくん。ヒキガヤくんが出るはず……たぶん)
縦ロールが閃いたように目を輝かせる。
「あ、じゃ、男女混合ダブルスにすればいんじゃん?うそやだ、あーし頭いいー!」
「うぜー、何あの縦ロール」
霜月がシンプルに毒を吐いた。結局、戸塚は部外者ゆえ参加できず、比企谷のパートナーは霜月が組もうとしたが、由比ヶ浜が先に手を挙げてペアに決定。彼女も奉仕部の一員として、参戦意欲満々である。
こうして、三浦&葉山 vs 比企谷&由比ヶ浜。観客数50名超。実況も解説もいないが、ボルテージはすでにプロ試合級。
霜月はただ静かに呟いた。
「なんでこうなった?」
その声は、まるで青春という名の地獄を見下ろす哲学者のようだった。