試合はついに始まった。比企谷・由比ヶ浜(ウェア着用)ペア対、葉山・縦ロール(三浦、念のためテニスウェア着用済み)。
始まったはいいが、霜月には誤算があった。
(縦ロールがテニスで県選抜に選ばれてたとか、無理ゲーでしょ……)
あの金髪縦ロールは伊達ではなかった。葉山の的確なフォローと相まって、序盤の1ゲームはあっさり奪われてしまう。さらに由比ヶ浜が転倒。状況は絶望的……となれば、代役を立てるしかない。
そう、我らが主人公霜月澪の登場である。体操服姿である。ウェア?そんなもの、あったら邪魔だ。託すべき人に託す。
「霜月、あーし手加減できないの。転んでも恨まないでね」
縦ロール、なんとも微妙に丁寧な忠告を放つ。
「人の心配できるなんて感心したわ、縦ロールのくせに」
霜月の冷静なツッコミに、縦ロールの頭に青筋が浮かぶ。
比企谷は内心で戦慄する。
「お前、大丈夫か?アイツを煽らせて……めっちゃ睨まれてるんだが」
「大丈夫よ、比企谷。私には策がある」
霜月のサーブ。ルールはスリーゲームマッチで部外者仕様で簡略化、サーブミスもノーカウント。つまり、何をしても自由だ。
霜月はボールを高く上げるフリをして、わざと空振り。観客の葉山は完全に油断し、次の瞬間アンダーで返球されるボールに対応できず、まさかのツーバウンド。
比企谷は目を丸くする。
「まじか……」
由比ヶ浜も思わず吹き出す。
「しもっち……」
縦ロールは怒りと驚きが入り混じった表情でラケットを握り直す。
霜月は冷静に構え直し、次のサーブを思案する。
2回目のサーブ。霜月は再びボールを上に上げるフリをする――かと思いきや、ボールは上がり切る前に不意打ちのオーバーハンドサーブ。速さも角度も絶妙すぎて、葉山は完全に反応できず、ボールは無慈悲にコートに落下した。
観客はシーンとなった。
次は比企谷のサーブ。ここから普通のラリーに入る。縦ロールも本気で応戦、ネット際でのギリギリプレイが続く。コート上ではボールが飛び交い、汗と緊張と圧の混ざった独特の空気が漂う。
しかしその均衡は長くは続かなかった。葉山がボレーで霜月のラリーを遮ろうとする。だが霜月はまったく動じず、見上げるかのような高いロブで打ち返す。
その時、霜月は小声で呟いた。
「こんな天気のいい日は、女子の天敵だね〜。特に縦ロールの女子は……」
比企谷は瞬時に気づく。霜月の策略、その真意に。
「……ああ、やっぱり……」
葉山の隣、縦ロールの目に青筋が浮かぶ。ラケットを握る手が微かに震える。
「眩し……!」
太陽の光が、無慈悲に縦ロールの視界を奪ったのだ。これはテニス経験者なら誰しも一度は泣かされた“天敵太陽光”。しかも霜月は、太陽の位置、角度、時間まで計算してこの瞬間を狙っていたのだ。
比企谷は口を半開きにして呟いた。
「この女、絶対悪魔だな……」
葉山は苦笑しつつも、必死にフォローする。
「優美子、空振りは太陽のせいだから、焦らず行こう」
縦ロールは太陽に向かって手を伸ばしながら、眉を寄せて唸った。
「いや、認めないし、私のプライドを返せ……!」
霜月は冷ややかな笑みを浮かべる。
「太陽、ありがとう。今日は君と一緒に仕事ができて楽しいわ」
コート上にはもはや、テニスボールよりも霜月劇場の支配力の方が強く輝いていた。観客の戸塚や由比ヶ浜、比企谷ですら、思わず拍手しそうになる始末である。
「……カーストで1番危険なのはそもそもカーストに組み込まれてない人間かもな……」
比企谷のつぶやきに、由比ヶ浜は頷く
「しもっち、カッコいいけど、優美子可哀想……」
霜月の活躍により、奉仕部チームはついに1ゲームを取り返した。
ギャラリーがざわめく。誰もが「まさかあの霜月がここまでやるとは」と思っていた。
だがその本人は、どこか首を傾げていた。
(……なんかさっきから気になるのよね。縦ロールの打ち方、どっかで見たことあるのよ)
そして霜月は、深呼吸をしてラケットを構える。そして唐突に宣言した。
「比企谷、私……封印解くわ」
「お前、材木座の厨二病うつったのか?」
「違うわよ。私、中学のときテニス部だったの。その時、ある先輩に技を伝授されたの」
「……その技って、まさか……」
「そう、
⸻
次の瞬間から、霜月澪の“嫌がらせテニス”が始まった。
縦ロールが打ったボールを、わざとロブで返して延々と走らせる。
走らされて、転ぶ。また打っても、またロブ。観客席からどよめきが起こる。
「な、なんか……しもっちのラリー、性格悪くない!?」
由比ヶ浜が思わず言うと、比企谷は心の中で答えた
(相手が三浦だからだな)
さらに霜月は、強烈なスマッシュを何度も打ち続け、最後の一撃だけネットぎりぎりに“ポトン”と落とす。葉山が必死で走っても届かない絶妙な位置。
「くっ……届かない!」
「ドンマイ葉山。あと2センチ成長してから出直しなさい」
霜月は平然と放言。葉山の爽やかフェイスに一瞬、ピキッとヒビが入った。
だが彼女の“嫌がらせ”はまだ終わらない。次のラリーで、霜月は相手の目線を惑わせるようにフェイントを仕掛ける。
目線は右。体の向きも右。しかし、腕を一回転させ、背面から左方向へスイング....
「なっ、なにそれ!?」
三浦が声を上げる。ボールは誰も予想できない方向へ飛び、ネットのすぐ裏に落ちた。
比企谷は冷静に言う。
「……あれ、試合でやったら嫌われるやつだ」
「いや、もう嫌われてるし」
霜月は涼しい顔で返した。
縦ロールこと三浦優美子の顔が、見る見るうちに険しくなる。笑顔ゼロ。目は怒りに燃え、ラケットを握る手がプルプル震えていた。
観客の誰かがぽつりと呟く。
「……あれ、もう試合じゃなくて復讐劇だよな?」
比企谷がぼそっとまとめた。
「ま、霜月が“封印”とか言い出した時点で、勝負は終わってたな……」
そんなこんなで今は少しばかりの休憩タイム。
霜月は汗をぬぐいながら、対面の縦ロール、三浦優美子をじっと見つめていた。その目には、戦況分析でも緊張でもなく、**純粋な「既視感」**が浮かんでいる。
「うーん……なんか見たことあるのよねぇ、あのムカつく打ち方」
比企谷が横でポリポリ頭をかきながら、ぼそりとつぶやいた。
「お前、テニス部だったんだろ?大会とかで見たんじゃねぇの?」
霜月は腕を組み、眉間にシワを寄せる。
「いや、もっと近い……なんていうか、生理的に覚えがある顔なのよねぇ」
「生理的って言うな、生理的って。怖ぇよ」
縦ロールが打ち返すボールを、霜月は思い出しながら軽く首を傾げる。ネット際で髪をわざとらしく揺らす仕草、気取ったスイング、そして負けそうになると眉を吊り上げる、あの極端な表情……。
「……あ」
霜月の中でパズルのピースがガチンと音を立てた。
「思い出した。あの縦ロール、私が泣かせた奴だ」
「え?…いや、どゆこと?」
比企谷が目を丸くする。
「中学の時よ。髪はまだ茶色で、巻きも入ってなかったけど……間違いないわ。あの顔、私が“初めてトリックショットを披露した時”の被害者だもの」
「お前、それ……一生忘れられないトラウマを提供してるんじゃね?」
霜月は肩をすくめ、薄く笑う。
「かもね。でも、あの時ガチ泣きしそうだったのに、よくまたラケット握る気になったわねぇ。根性あるじゃない」
「お前が言うなよ……加害者が被害者を称賛するな……」
比企谷は思わず頭を抱える。
霜月はにやりと笑い、ラケットを片手でくるくる回す。その所作は、もはやテニスのプレイではなく、完全に“悪役の余裕パフォーマンス”であった