地下3階で一行を迎えたのは冷たい風だった。
「……不気味な気配が増したのう」
「居るだけで不安になるな」
エルモンとディランハルトがそれぞれの感想を述べている。
「奈落は地獄へと続いているとか、長時間いると心が壊される、なんて言われているけど、案外みんな慣れるものだよ。慣れる前に壊れちゃう人もいるけどね」
「じゃあダメじゃん」
メメント・コルのツッコミを無視して、ルルナーデは部屋の隅にふわりと移動した。
「ずいぶん古い遺体だね。ミイラ化してる」
「おい、まさか……」
「今は騎士たちが前を向いてる。アルバーノの監視もない。早くやって」
「へいへい」
メメント・コルはミイラに右手をかざし、魔術を発動させた。
ミイラが生気を取り戻し、男性となって蘇った。
「う……む。村が奈落に呑まれたところまでは覚えているんだが……君が助けてくれたのか?」
「まあな」
「なら、お礼をしないとな。こんなものしかないが、売れば金になる。使ってくれ」
メメント・コルは男から綺麗な小石を受け取った。
「この階段を登った先にハーケンがある。それで街まで戻るといい」
「うむ。ありがとう」
男は礼を言って階段を登って行った。
「うまくいったね」
ルルナーデは満足そうに笑った。
「あれほど古い遺体でも、死んだばかりの死体でも蘇る。けれどひき肉の状態では蘇らない……か。まだまだ謎が多いね」
「もしかしてキミは魔術師だったのか?」
「さて、どうだろうね」
ルルナーデは意味深な笑みを浮かべた。
部屋の先にある壁には血文字が書かれていた。騎士団はそれに気を取られていたようだ。
『どこにいても見られているぞ。気をつけろ』
背筋がゾッとするような言葉だった。
「奈落の中はあいつのテリトリーだからね。気づいてる? あいつの視線に」
「ああ、まとわりつくような、嫌な視線だ」
「……本当かな。あなたの言うことはいまいち信用できない」
「気をつけろよ。全部ウソかもしれない」
「自分で言うのか」
「相変わらず独り言の多い男じゃの。気をつけるのじゃ、この辺りは罠が多い。先遣隊もやられたようじゃ」
エルモンが指さした先には、罠によって命を落とした騎士の姿があった。
「アルバーノのことはすまなかったの。わしからも謝罪しておこう」
「最初は礼儀正しい青年だと思ったんだがな。ふたを開けてみればアレだ。ピザのトッピングにベーコンを頼んだらソーセージ乗っけてきたようなもんさ。詐欺だよ詐欺!」
「なんじゃとっ!? ベーコンよりソーセージの方が美味いじゃろうがっ!」
「キレるとこ、そこっ!?」
「まったく、そんな
エルモンはバシバシとメメント・コルの腕を叩いた。
その先では、ヴェルナンが立ち止まって一点を凝視している。
「どうしたのじゃ、ヴェルナン」
「ん? ああいや、ゴブリンの巣穴を見つけてな。今回の任務には関係ない。先に進もう」
「……そうじゃの。気にはなるが、優先順位を間違えるわけにはいかん」
ゴブリンの巣穴を横目に、一行は奈落を進んでいく。
「まって、あそこに何かある」
ルルナーデが部屋の上部を指差した。そこには、半分石壁に埋まった木製の看板があった。
「なになに、この先崩落地帯、音に注意されたし、か」
「ほぅ、おぬし目がいいんじゃのう。音か……団長殿に伝えておこう」
エルモンはテトテトとディランハルトのもとに駆け寄って行った。
さらに探索を進めていくと、妙な音が聞こえてきた。
「今、鳥の声が」
最初に気づいたのはエルモンだった。
その直後、奈落が揺れた。
「耳を塞ぐのじゃ!」
声に連鎖するように崩落が始まり、落石が帰路を塞いだ。
「あれは夜鳴鳥の声じゃ。凶事を運んでくると言われておる不吉な鳥じゃよ。岩食虫を操って、崩落を起こしたのじゃろう」
「器用な鳥だな」
「夜鳴鳥は身の毛もよだつ恐ろしい声を出す。その声にはどんな猛者も思わず足を止め、耳を塞ぐ」
北の鉱山では死神の使いとも呼ばれて恐れられているとエルモンは語った。
「ここは北じゃない。奈落にそんな鳥がいてたまるか!」
「物知らずじゃのうヴェルナン。声真似かもしれんじゃろう? 北方の猟師は夜鳴鳥の声真似をして岩食虫を操り、獲物を追い詰める」
「そういえば、さっきの巨大異形も猟師の成れの果てみたいだったよね。ソーセージを作っていたのは、記憶の残滓……なるほどね」
ルルナーデがふわりと浮き上がり、納得したように頷いた。
「敵は崩落を起こせるということか。厄介だな。前回、王の救出に向かった先遣隊が分断され、壊滅したのは偶然ではなかったということか」
ディランハルトは忌々しそうに言葉を零した。
「上等だ。狩られる前に狩ってやる。用心を怠るな。進むぞ!」
騎士団が前進を始めた。だが数歩も進んだところで、再びあの声が聞こえた。
「崩落するぞ! 走れ!」
ディランハルトの号令で、全員が全速で駆け始める。
「ぐっ!?」
「ヴェルナン!?」
「オレに構うな! 走れ!」
「くっ、次の崩落に備えろ! 安全な場所まで移動する!」
ディランハルトは顔をしかめ、非情な決断を下した。
「崩れるぞ! くっ、こっちは駄目だ! 引き返せ!」
先頭を走っていたディランハルトが大きく手を振って進路の変更を示す。
「くそっ、装備が……」
「走れ走れ!」
「うわあぁぁっ!!」
「くっ、防御部隊が!」
ディランハルトが崩落に押しつぶされる防御部隊に手を伸ばしたが、到底間に合うものではなかった。
そこで一旦、崩落は治まったようだ。
「進む道を限定されたか」
「罠がありそうじゃのう」
「誘い込まれたね。この先は毒の床のようだ。気をつけて」
毒の床を抜けてさらに進むと、また崩落が始まった。
背後を落石に塞がれ、進路もまた落石に塞がれた。
「閉じ込められた……来るかっ!?」
「嫌だ……死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……」
ディランハルトが覚悟したように剣の柄に手をかけた。アルバーノは錯乱状態に陥ったのか、何度も死にたくないと呟き続けている。
「……おかしい。もう一回崩落させれば一網打尽なのに、崩落が止まった。何かを警戒している? もしかして、あなたの魔術……?」
ルルナーデはハッと目を見開いて、メメント・コルの右手を見つめた。
「ねぇ、あなたの魔術が"逆行"なら、あの崩落も戻せるんじゃないの?」
「ふむ。やってみるか」
「む? おぬし何をするつもりじゃ?」
「まあ見てろって」
落石に右手をかざす。発動した魔術は、時間を巻き戻したかのように石を天井へと戻していった。
「なんと!」
「君の魔術か!」
「できるなら最初からしろよ!」
エルモン、ディランハルト、アルバーノがそれぞれの感想を漏らす。
「無理を言うなアルバーノよ。相当負荷がかかる魔術のようじゃ。呼吸が乱れておる」
「対象が生物か無機物かで負荷が違うのかな? でもハーケンの時にはそこまでの疲労はなかったよね。興味深いな」
ルルナーデは相変わらずのようだ。
「君には大きな借りができてしまったな」
「こやつがいれば、ヴェルナンたちも助けられるかもしれん」
「ああ、急ごう!」
「無理を言うなと言ったわりには、あなたに無理をさせるつもりのようだね、エルモンは」
「言ってやるな。それほどヴェルナンたちが大切なのだろう。まずは防御部隊だな」
崩落を戻すと、そこに騎士たちの姿はなく、血痕だけが残されていた。
「どういう……ことじゃ?」
「奈落に呑み込まれたのだろうね。これじゃヴェルナンも望み薄かな」
ルルナーデの予想通り、ヴェルナンの姿もなく、血痕があるだけだった。
「嘘じゃろ。あやつが死ぬわけ……これは? 鉄靴か、壊れておる」
「鉄靴が壊れていたから、逃げ遅れたんだろうね。防御部隊も、もっと軽い盾なら逃げ切れたかもしれない。まあ、今さら言っても仕方ないけどね」
「こんな……こんな小さな不幸で命を落としたのか」
「先に……進もう。レディ・エルモン、我々の任務はまだ終わってはいない」
奥歯を噛みしめ、ディランハルトは唸るように言った。
奈落の闇はさらに濃くなっていく。