見た目幼女な提督と付き添う艦娘の情景 作:葉洩陽透
夜明け前に時雨が降った。誰もが寝静まっている中、時雨は起きた。時雨は外に出た。
(雨後の湿った土の匂い。濡れた建物。……雨上りの鎮守府も、僕は好きだな。落ち着く……)
時雨。
秋から冬にかけて、降ったり止んだりを繰り返す、移ろい易い気象現象。よく「女心と秋の空」というが、まさしくその通りであろう。ただし、「女心と秋の空」というのは大正時代から言われ始めたもので、本来は浮気する男性を指して「男心と秋の空」と呼ばれていたそうだ。余談である。
雨が降ったため、濡れて重くなったアスファルト。中庭の花壇も心なしか萎れている。それらを見ながら、駆逐艦娘の時雨は鎮守府を散策する。
セミロングの鴉濡れ羽色をした髪。後ろで三つ編みにし、結び目で赤いリボンをしている。瞳はスカイブルー。生憎、空は曇で時雨の瞳のみにその色を見る。服装は白露型共通の紺に白のラインが入ったセーラー服。
鎮守府の建物の間から鉛色の空が見える。雨は今、止んでいる。湿気が重さを齎し、空気がずっしりと重い。そして、冷たい。
白いコンクリート壁は、今は灰色の涎を垂らし、情けない様を見せ付ける。昼間は騒がしい港も、早朝の静けさにまだ眠っている。陽は、いまだ感じられず。
「あ」「ん」
建物の角を曲がると、黒髪ロングの少女がいた。少女は空を見上げていた。時雨がつい声を出すと、それに釣られて少女も振り向く。髪と同色の瞳が時雨を捉える。
背中に流した髪が一瞬だけ、ふさっと浮き、肩から羽織っているだけの白い軍服上着の袖が弧を描く。時雨は、絵になるな、と改めて思った。美少女。彼女は時雨達、この鎮守府の司令官であった。
「時雨か、早いね」
少女が時雨を見上げて言う。鈴のように綺麗な、それでいて芯の通った安定した声。しかし、口調は威厳のある軍人のそれ。時雨はこの声を聴くと、どこか理由のない安心感を覚えるのだった。
「提督こそ、朝早いんだね。何してたんだい?」
時雨が訊くと、「散歩」とだけ言って、提督な少女は歩き出した。時雨は数歩で追い付き、歩幅を合わせるように並んだ。
「提督。僕も一緒に付いて行っていいかい?」
「いいよ」
提督は迷いなく歩を進める。時雨はそれに従う。辺りは二人だけ。食堂の方で、排気管から湯気が上がっている。今日の炊事担当の艦娘が仕事を始めているらしい。湿気の多い、少々寒い外は、潮の香りで満ちていた。
「提督は、いつもこの時間に散歩をしているの?」
「いや、いつもじゃない。たまにこうして歩くだけ。朝食まで暇な時とかはね」
「そうなんだ」
「時雨は?」
「僕? 僕は……僕も同じかな」
「そう」
会話が一度途切れる。二人は黙って並んで歩いた。アスファルトが欠けてできた小石を踏む。じゃりっ、じゃりっ、と音を鳴らす。遠くで海鳥の鳴き声が木霊する。
提督は少女と言っても差し支えない程の見た目をしている。駆逐艦娘の時雨と並んで、時雨より年下に感じる。背丈もそうだが、幼い顔立ち、声の質、などなど。
殆どの者はその階級章を見るまで、ただの子供だと勘違いするだろう。これでも大佐。熟練の指揮官。年齢も成人を超えている。たまに、階級章を見ても、下に見る者もいるが気にしない性格。
「夜中の内に、雨が降ったみたいだね」
「うん。季節的に時雨……自然現象の方ね? 時雨だから、降ったり止んだりする。昨日も降ったし、この後も降るかもしれない。気まぐれな雨だね」
「ふふ……僕は気まぐれかい?」
時雨が微笑んで訊く。いやいや、と提督は手を振る。
「時雨の話じゃない……いや、時雨の話か……あれ?」
あごに手を置いて、考え込む提督。時雨はまた、ふふっと軽く息を吐くように笑う。
「わかってるさ。雨の話なんでしょ? ただちょっと訊いてみたくなっただけさ」
「そうそう、雨の話。気象現象。艦娘の時雨は、雨の時雨と違って、きまぐれじゃない。どちらかと言うと、命令を忠実に守り、堅実な戦い方をする。……忠犬ハチ公満たない存在だよ」
元来、漢語の
そんな話をしていると、埠頭に出た。海が見える。
海は灰色に濁っていた。遠近共に、白波が高く上がっており、風も強い。潮の香りは冷たさを伴って、鼻腔を痛くさせる。突堤が浪を二分していた。
「まるで中原中也の『北の海』みたいな情景だな。まさしく〝浪はところどころ歯をむいて、空を
と提督。続けて時雨。
「〝海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。海にゐるのは、あれは、浪ばかり。〟かな?」
提督は隣の時雨を見る。少々驚いた顔。
「なんだ、知ってたのか?」
「うん。前に提督の本棚で読ませてもらったんだ。勝手に読んでもいいんだよね?」
うん、と提督は頷いて海を見る。遠くで一つ大きな白波が立つ。
「あの書棚は、誰でも勝手に本を取り出しても良い風にしている。そもそも、私にはもう必要がないものだからね」
時雨は首を傾げる。「必要がないの?」と訊く。
「ああ、あそこにある本の内容は、全て暗記してる。すらすら出て来るよ」
時雨は感心したように提督を見つめる。
「暗記してるって、あそこの本棚、百冊は普通に超えてたよね? やっぱり提督ってすごいんだね」
「すごくはない。私は軍学校でも成績は上位の方だったけど、上には何人かいたし、上の奴らは悍ましいレベルの猛者ばかり。今考えただけでも、怖気が走る」
そう言って、両腕で肩を抱く仕草。少しばかり誇張が入っていそうだ。時雨は、へぇ、と続ける。
「提督の軍学校時代って、話あまり聞かないね。そう言えば、霞とはその時から知り合いなんだよね?」
霞とは、この鎮守府の秘書艦を務めている駆逐艦娘のことだ。右サイドテールの銀青色髪に琥珀色の瞳、勝気そうな眼つき。容姿に違わず、物言いは強烈で激烈。相手が上官だろうが、理屈に合わないことは認めない。口論で負かすまで罵詈雑言を止めない。強い艦娘。
ついでに、秘書艦とは、鎮守府での司令官を補助すると同時に、司令官不在の時は艦隊運営を実行する鎮守府のNo.2のことである。
時雨は続ける。
「よかったら、軍学校時代の話を聞かせてくれないかい?」
「……まぁ、また今度ね。そろそろ朝食ができる時間だよ」
そう言って、腕時計を時雨に見せる提督。時刻は0600。時雨は少し眉を八の字にする。明らかに肩を落とす。
時雨の反応に提督は笑い出す。
「そこまで聞きたかったの?」
「うん……ダメかい?」
耳の垂れた子犬を連想させるほど、こちらの様子を伺っている時雨。提督は頭を掻いて、じゃあ話すか、と諦めたような感じで言う。時雨の顔が一息に華やいだ。
「あと、朝食まで15分ある。その間に、話せることと言えば……ああ、あれがあったな」
そう言って、提督は軍学校時代の話を始めた。
~~~~~
軍学校では司令官候補に必ず一人、担当の艦娘が就く。それが私の場合、霞だった。
霞との最初の顔合わせの時、私は気を張っていた。
容姿や背丈、声質からよく幼く見られがちで、よくなめられたり、見下されたりした経験があったからね。
それに両親が共に軍人で、どちらも海軍。当たり前のように、私も海軍のエリートコースを進むよう強要されていた。男社会で生きて来た母は私によく、「女だからとなめられてはいけない。男以上の成果を出しなさい」と言われ、父からも「上位成績は当たり前。首席で卒業できなければ我が家の恥だ」と。
それだから、私は周り全てが敵のように眼つきを鋭くさせていたんだ。そのためか、今でも眼つきが少々悪い。まぁ、気にしてないけど
え? 今の私からは想像できない? ……まぁ、若気の至りというやつだよ
そんな私と、時雨も知っている霞。顔を合わせた直後から大変だった。
霞から最初に言われた言葉は、「あなたに艦隊は任せられないわ」だった。もちろん私は意味が分からないから理由を訊いた。しかし、霞は「それが分からないというのが理由よ」と逸らすばかり。それから毎日喧嘩ばかり。一度は担当艦を変えてくれ、と教官に訴えたくらい。まぁ、「担当艦とすら上手くできないのなら、司令官の素質はないわね」と霞に言われ、撤回したんだけどね。
そんなある日。深海棲艦が軍学校近くの海域に出没したの。
その日は上官や教官は多くが休みか遠征、出張だった。そのため、学生の担当艦も出撃することになった。この機会だから、と訓練の一部として教官の立ち合いの元、学生が担当艦娘に指令を出すの。成績上位者は結構自由に指揮をしていたわね。
その時、私は成績上位とはいえ、首席ではなかったの。なかなか成績が上がらないため、ここで良い戦果を出せば教官からの評価が上がると思って、進撃に次ぐ進撃を霞に強いた。
もちろん、霞は命令の欠点を指摘したんだけど素直に命令に従ってくれたわね。他の学生から心配されていたけど進撃される霞本人が、大丈夫、だと言ってね、進撃が続いた。そうして順調に深海棲艦を沈めて行って何度目かの進撃の時、霞は深海棲艦の大軍に囲まれていたの。
まぁ、今もこの鎮守府にいるから、助かったのは助かったのよね。ただ、大破。それも轟沈寸前。私は戦果を焦って、敵の誘導に気がついてなかったの。教官も何度か止めてくれたのに、それを無視して大丈夫だと慢心して。……担架に運ばれていった霞が今でも脳裏にちらつくわ。
入渠後、霞に会うのが怖かった。何を言われるのか、どういう目で見られるのか、そう言うのは問題じゃなくて、ただただ、自分の命令で誰かの命が消えそうになった。その一点が、ただひたすらに怖かった。
一度、軍学校を退学しようと思ったの。自分じゃ無理、提督は務まらない、と思った。命を預かることの意味を知って怖気づいた。教官に退学届けも出したわ。そしたら、教官から「担当艦と話し合え」と言われてね。退学届けだけ預かってもらって、入渠後の部屋にいる霞に会いに行ったの。
会いに行ったはいいけど、部屋のノックすらできずに扉の前でうろうろしていると、霞が扉を開けて、入りなさい、と言ってそのまま何も言わずに部屋に入った。
何を言われるのか、どう思われるのか、そればかりを考えるようにして、自分からは何も言えなかった。
するとね、
「次は、ないわよ」
って言われただけ。後は、出て行け、みたいな顔をするばかり。
私は自嘲気味に「もう次はないよ」って言ったら、霞が変な顔して理由を訊いて来たから、退学届けを出した、って言ったら鬼の形相になってね。私の首根っこを掴んで教官室まで引き摺って、教官室に着くとすぐに教官から私の退学届けを奪って破くの。
あれには呆然としたな。そして、粉々の紙屑を床に撒き散らした霞は私にこう言ったの。
「一度の失敗でくよくよしなさんな! 私に啖呵切ったあんたはどこ行ったわけよ!」
その一度の失敗で死にかけた者の言葉じゃない、って思ったよ。私はどうも言うべき言葉が見つからないで、しばらく床を見つめていると、
「確かに、私は死にかけた。あんたのミスでね。でも、いつも通りのあんたなら失敗しなかった。それは今まであんたを見て来た私が保証するわ!」
~~~~~
時雨は提督の話を聞いて、黙ってしまった。提督は続ける。
「いや~、あのセリフを聞いて、私、泣いちゃってね。……親の目ばかり気にしてた自分が馬鹿らしくなったのも霞のセリフを聞いてからかな? もっと真摯に私を見てくれる存在に出会って、今みたいな時雨も知ってる、のほほんとした私になったのですよ」
そこまで提督が言って、頬に雨粒が落ちた。それは一滴二滴だったのだが、瞬く間にしっかりと降り出した。銀色の斜めに降り敷く雨。
「雨が降ってきたね。そろそろ食堂へ行こ。朝食もできる頃合いだし」
そう言って、小走りになる提督。時雨はそれを見送る。
時雨が追って来ないのに気がついて、提督が振り向く。時雨が提督を見て、微笑む。
「僕も、提督が僕の司令官で良かったと思ってるよ」
気ままに雨が降り続けた。食堂の煙突から湯気が空へと昇っていく。とある鎮守府の朝の情景。