見た目幼女な提督と付き添う艦娘の情景 作:葉洩陽透
よく、「雷」と「電」の違いを英語の“
が、本来は日本語の中で論じるべきものであり、英語と容易に比較して良いか賛否があるそうだ。
そもそもの話、「雷」と呼んで“thunder and lighting”と訳される場合もある。「電気」と書くが必ず光っている訳でもない。そもそも「電気」は“
雷と電。二つの語源は、
そんな思考で現実逃避を行っていた提督だが、今現在、集中できていない。
長い黒髪に軍帽を載せ、黒い瞳は心配で翳んでいる。背丈は駆逐艦娘の平均より低い。もちろんのように、司令官机の椅子で両脚をぶらぶらさせている。それでも本人は身長を気にしていない。子供扱いされるのだけは我慢ができないが気にはしていないと本人は言う。ついでに、成人している。
溜息が聴こえた。やはり、と提督は秘書艦机の方を見る。右サイドテールの銀青色髪。勝気そうな目は吊り上がり、琥珀色の瞳を填め込んでいる。その少女、駆逐艦娘の霞が不機嫌そうにしていた。
普段からツンツンしたり過激な発言が多かったりする霞だが、今日は朝の挨拶以外の会話を一切していない。何か事ある毎に提督を責め立て、何かなくても細々とした事を見つけては提督を責め立て、やっぱり何もなくても取り敢えずの様に提督を責め立て、そんなことをしている霞が、今日はしおれた
これは何かあったのでは、今日は体調がすぐれないのでは、と心配する提督。
心配すればするだけ、執務に集中できないのも当然で、未処理の書類の山は午前と同じ高さ。このままではいけない、と提督は一度咳払いして、霞に話し掛けた。
「ね、ねぇ、霞?」
「何? 司令官」
秘書艦机で淡々と作業をしながら、背中で返事をする霞。提督は驚く。いつもの霞であったならば、「この、クズ」と振り向いて目を怒らせるのに、今回は「司令官」とだけで済んでいる。これはやはり具合が悪いのではないか、と提督は思うのであった。
注意されたいのは、ここで述べている霞は提督の中での霞であり、本来の霞は意味もなく怒ったり蔑んだりしない。あしからず。
提督はもう一度咳払いをする。
「か、霞。具合が悪いのなら、今日はあがっても良いよ?」
「? 何? どういうこと?」
きょとんとした顔で提督へ振り向く霞。かなりレアな霞の表情に提督は心のシャッターをきる。言動に圧があるといえ、霞は他の艦娘同様、美少女。可愛い娘を嫌いになれるほど、提督は非情でなかった。
しかし、霞は提督の発言に一切の理解を示していなかった。提督は思う。これは自分で自分の体調が分かっていない証拠だ、と。
普段から体調管理を口酸っぱくして周りと自身に言っているが、それでも体調が悪い時はある。特に、霞は自他ともに厳しく接している艦娘。自分の体調を気の緩みだと断じて、無視している可能性は否定できない。
これは彼女の司令官として、しっかりと注意しなければならない、と提督は思うのであった。
「霞、体調が悪いなら無理しないで? 霞が自他に厳しいのは分かってる。だけど、それでいざという時、行動できなければ意味がない、と私は思うんだ」
何を言い出したんだこのクズ、とでも言いたげな表情で提督を見る霞。これは自分の体調に本格的に気がついていない、と思って続ける提督。
「霞、今日おかしいよ? 挨拶以外は何も喋らないし、いつもなら罵詈雑言が飛んでくるのに大人しいじゃない? だから、体調が悪いと思ったんだけど……」
沈黙。そして、霞が溜息を吐く。
「別に。……体調不良じゃないわよ」
「じゃ、じゃあ、何か悩み? 話聞くくらいしかできないけど、相談に乗るよ?」
「悩み……いや、悩みでもないわね。ただ、少し……最近気になることがあっただけよ」
そう言って、霞は机に向き直る。PCキーボードの打ち込む音が響く。続く言葉はなかった。提督は、ヤキモキした感情で自身の身体を揺する。再び霞の背中に言葉を投げかける。
「き、気になることって、何?」
「別にいいでしょ」
「いや、気になるし」
「気にしなさんな」
「いや、気になって執務に集中できないから」
「集中しなさい」
「集中できない」
霞は呆れたように振り返って、喝を入れる。「集中できないと思うからできないのよ! いいから黙って仕事しなさい!」
「だが、無理だ」
提督の断言に霞は流石にイラッとしたようで眉根を痙攣させた。もう一度言葉を吐き出そうとして、止める。大きな溜息を吐き、そのまま執務に戻る霞。
沈黙が訪れた。バンバンとガラス窓が鳴る。雷鳴も遠近ともに響く。
「………………いやちょっと! 無視しないでよ!?」
「集中できないから黙ってなさい、このクズ!」
「あっ。安心した。いつもの霞だ」
「……いや、罵倒されて安心するって。……司令官って変態だったのね」
霞が汚物を見る目で提督を見る。何か大事なものを失いかけた提督は慌てる。
「ち、違うのよ! 罵倒されて安心したんじゃなくて!
「どっちもあまり変わらないったら」
「いーーーーやっ! 変わる!!」
「はいはいはい。分かったから仕事しなさい」
「はーい」
霞が視線を書類に向ける。紙面を確認しながらPCに打ち込む。提督も未処理の書類を確認して、サインと判子を押す。互いに執務を再開した。
「…………」
「…………」
「…………ところでさ。気になることって何?」
「怒るわよ?」
「で、でも~~、気になって木になって黄になって~~」
駄々を捏ねだす提督。霞は、子供かよ、と心の中で思う。直接本人に言えば、もっと面倒臭いことになるのは目に見えていた。子供扱いすると子供のように怒るのだ。
霞は呆れて、この短時間で何度したか不明な溜息を、また一つ増やした。
「はいはい、分かったわよ。話すから話し終わったら、仕事。しなさいよ?」
はーい、と手を挙げる提督。まるで注意事項の確認を求められた幼稚園児みたいだ、と霞は思ったが以下略。
霞は腕を組み、提督の机に向く。半眼であった。
「司令官は、最近の雷の様子。気にならない?」
「ん? 雷? 雷がどうしたの?」
雷とは駆逐艦娘の雷のことだ。
癖っ毛の茶髪ボブヘアー。左前髪にヘアピン。側頭部から飛び出した髪の房が輪を描くように後頭部へ流れている。そして何より、八重歯と笑顔が特徴の元気な娘。制服は暁型駆逐艦の水兵セーラー服。
活発でおしゃま。押しと気が強いが、それ以上に面倒見も良い。初対面の時から提督に好意的で、何か事ある毎に世話を焼こうとして来る。以前の鎮守府では、秘書艦を交代制にしていたが、雷担当の時に、提督はその神髄を見た。提督の仕事がサインと判子すら、なくなったのは色々と不味かった。ダメ人間製造機ならず、ダメ提督製造機。ロリママ、ばぶみを感じた。
霞に言われて、雷のプロフィールと最近の様子を思い出す。いつも通り、活発で好意的で元気で、何の不安もない戦果。霞が言及する程、様子が気になる点はなかった気がする。
「えっと……霞は雷のどんなところが気になったの? 具体的に」
「この間、用事があったのよ。雷は駆逐艦寮の代表になったでしょ? それで寮管理の変更点があったから、それぞれの寮の代表にプリントを配ってたの。そしたら、雷だけ挙動不審だし、顔を赤くするし、どもるし……。気がつくところは全ておかしかったわ。まるで私から逃げたがっているような、そんな感じ」
「……その時だけ?」
「いえ。少し前からよ。私が雷と一緒に出撃して深海棲艦に囲まれた時があったでしょ? あの時から。……司令官は気がつかなった?」
「私には、普通だったよ。いつも通り元気で明るくて困るくらい」
霞は眉根を寄せた。
「やっぱり、私だけなのかしら? ……まぁ、それならそれで良いのだけど」
提督は霞の考えていることが分かった。
軍学校時代に、霞は提督の担当艦だった。その時から、かれこれ10年の付き合い。それで分からないことも多々あるが、それでも今は分かった。
〈慣れているけどね〉
言外の言葉。霞がそう思ったのを提督は確信した。
自他ともに厳しい霞。自分にも厳しいが、他人にも厳しい。もちろん、それに付いて行ける者や霞の本心を理解している者はいる。それでも付いて来られない者や反発する者もいる。時には霞を、毛嫌いしたり、憎んだり、恨んだり、罵ったり、陰口を言ったり、いじめをしたり、色々と負の感情を向けてくる者もいた。霞はそれらを全て受け止め、時に受け流し、時に反撃した。だから、〈慣れている〉、と。
慣れとは怖い。自分が傷ついていることすら、わからなくさせる。
提督は溜息を吐いて、内線を押した。女性の声が聴こえる。大人しい落ち着いた声。
『どうかしましたか? 提督』
「大淀、雷を呼んできてくれない? 放送じゃなくて、直接ね。訊きたいことができたの。できるなら早めにね」
「ちょっと司令官?」
わかりました、と大淀が返事をして内線が切れる。提督は霞に向く。
「わだかまりは早めに解決した方がいいよ。仲間なんだから余計にね。大丈夫、雷はそんな娘じゃないよ」
~~~~~
雷が鳴った。
「え、えっと……司令官。何か、雷に用事?」
確かに、呼ばれて目の前に来た雷は、様子がおかしかった。
声も上ずっているし、ちらちらと提督机の脇に立つ霞に視線を向けるし、いつも元気溌溂とした雷ではなかった。どうも逃げたがっているような、そうでもないような様子。今まで気がつかなかったのがおかしいくらいに。
提督は安心させるように雷に微笑みかける。
「まぁ、そんな緊張しないで。とりあえず、隣に移ろっか?」
提督室は一つの仕切り壁で部屋が分けられている。一つは奥の司令官執務机が置いてある空間。普段報告や執務を行う場所。もう一つはテーブルと六脚の椅子がある空間。この小スペースはちょっとした作戦会議や休憩・談笑などのためにある。ついでに、二つの空間の間に、秘書艦机がある。
提督は立って、霞に紅茶を頼む。霞は頷いて、給湯室へ向かうため、執務室を出た。雷が大きく息を吐いた。
提督は席を移りながら、訊く。
「やっぱり、霞が原因なのね?」
びくり、と雷が肩を撥ね上げる。とりあえず、と提督は雷を隣のスペースに誘導させ、席に座らせる。向かい合う場所に提督も座る。二人とも足が床に付いていない。
「やっぱり、わかりやすかった、よね?」
「うん。すごくわかりやすかった。……単刀直入に訊くけど、理由は?」
雷は躊躇うように扉をちらりと見た。提督は笑う。
「今、給湯室にある湯沸かし器は壊れているのよ。新しいのは倉庫にあるし、取りに行くのに時間がかかるわ」
雷は安心したような、残念なような、複雑な顔で、提督に向き直る。
「まぁ、無理には訊かないけど、一つだけ答えて欲しいわ」
そう言って、脚をぶらぶらさせながら、提督は訊く。雨音が静かに音を響かせる。
「雷は、霞が……苦手?」
「! 違うわ! 苦手じゃないわ! そんなことは決してないわ!」
あまりにも喰い気味の返答。提督は驚くが、ひとまず黙って見守る。
「た、確かに、最初は厳しい人だな、って思ったわ。怖いし、怒るし、優しい司令官にも酷いこと言う人だと。口論になったこともあったわ。でも! ……今は苦手じゃない。か、かす、霞……ちゃんのことは、苦手じゃない。それだけは誓って断言するわ!」
「そう。……それを聞いて安心したわ」
そこで、提督へ乗り出していたことに気がつく雷。慌ててお尻を椅子に付けて俯く。そして、黙る。
突然黙った雷に、提督は焦らず、待つ。外では雨音も大人しくなってきた。遠雷は時々、疎らに聴こえる。
俯いていた雷が、口を開く。
「……司令官。司令官は、笑わない? 雷が何を言っても」
「笑わないよ。雷が本気で発言したことなら笑わない」
「間違ってる、とも言わない?」
間違っている。提督は座りを直す。少し顔を上げた雷と目を合わせるように、言う。
「そうね。……私は雷が優しい
雷は提督の目をじっと見る。そして、頷いて、視線をテーブルの木目に移す。
おもむろに、雷は話し出した。
「私……変なの。……か、霞を、見ると、……こう、胸が、きゅー―っと、なるの。……これっておかしいことかな?」
提督はそれだけでピンと来た。雷は自身の現象を理解している。ただ、どうして良いのか判らないのと、こういったことは言い出しにくいのがあるのだろう。
雷は元々、旧日本海軍の艦艇だ。特型駆逐艦23番艦。その艦艇に宿った、魂、と呼べるものが人の形に具現化した存在。艦娘とは、そういったものだ。
艦娘の中には、海域で時々顕現する第一世代、元は人間から改造された第二世代、鎮守府の工廠から建造されて産まれた第三世代、に分類される。艦艇の記憶のない艦娘も多い。
それでも、艦艇があった頃の記憶や常識は染み付いている娘も少なくない。
提督は確認として訊く。
「その、胸の違和感はいつから?」
「……前に、私が無茶して深追いして、深海棲艦に囲まれた時に、……霞から助けられた時から」
提督は優しい目つきになる。少々吊り目だが、それは生まれつきだ。
「あの時は大変だったね。雷も霞も大破で、それも轟沈寸前。……二人とも無事で、本当に良かった……」
「本当にごめんなさい」
「もう二度としないってわかってるから、命令違反は許すわ。謹慎も与えたしね。まぁ、霞はあんなだから、張り合いたくなる気持ちも判るわ。私もそうだったし」
「司令官も?」
「そうよ。霞は最初っから私に罵詈雑言ばかり。霞が最初に私に言った言葉、わかる?」
「なにかしら?」
「『あなたに艦隊は任せられないわ』よ。もっと言い方ってないのかしらねぇ。まぁ、それが霞らしいと言えば霞らしいから、いいのだけど。そうそう、それと——————」
霞が扉を開けると、提督と雷は和気藹々とお喋りをしていた。霞にとっては久し振りに雷のそんな表情を見た。霞は一抹の寂しさを覚えた。
「あら、霞おかえり」
「え、ええ……」
その瞬間に、雷が明らかに緊張したようだった。霞は、いつものこと、気にしない、と何事もなかったかのように、紅茶を提督と雷と自分の前に置く。
「そう言えば、司令官。給湯室の湯沸かし器が壊れていたわ。気付いてたのなら交換する。前にも言ったわよね?」
「うげ。まぁーた、そうぐちぐちと」
「あなたがしっかりしないからでしょ?」
「ごもっとも」
しゅんとなる提督に、霞はまた言い過ぎた、と反省する。反省するが、謝るのは難しい。
素直に謝れないのは、ダメだ。それはわかっているつもりだが、実際その場になると、難しい。霞は、心の中で溜息を吐く。
すると、雷が立ち上がって、霞に頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。司令官から聞いたわ。避けるような態度をとってしまって、ごめんなさい!」
霞は目をぱちくりさせ、
「別に、いいわよ。私がキツイ言い方をするから、仕方ないわ」
「それは関係ないわ!」
喰い気味の反応に、霞は目を見開く。と、雷も霞に顔を近付けていると気付き、顔を赤くして離れる。
「え、えっと……私は……霞を嫌っていて、あんな態度を取ったんじゃないわ。……その、えっと、逆、というか、なんというか……」
霞は雷の台詞後半が聞き取れなかった。聞き取れなかったが、雷が霞を避けている訳ではない、と知った。それだけで、艤装を下ろした時のような開放感があった。
雷が目をぐるぐる回している。
「え、えっと! もう用事はないのよね!? わ、私は、失礼するわ!」
「雷」
扉へ向かう雷を提督が呼び止める。霞から受け取った紅茶を一つ啜って、片目を上げる。
「雷。今はどうして良いか判らないと思うけど、私はいつでも相談に乗るよ。まぁ、最後は自身で答えを見つけないといけないから、頑張ってね、としか言えないけど。私はあなたの味方よ」
「……………………う、うん。ありがと、司令官」
そう言って雷は出て行った。霞はそれを見送り、提督に向く。
「それで? 雷の原因は判ったのかしら?」
「うん。分かったよ」
「原因は?」
「まぁーー……、ひとまず、霞を嫌っている訳でも、苦手にしている訳でもなかったわ。それは安心していいよ」
それ以上はいつか雷が言うと思うわ、と紅茶を飲む提督。霞はもやもやした気持ちを抱えるが、先程の雷の様子から、なんとなく心配しなくて良い、と感じた。
外の雨はいつのまにか止んでおり、晴天が地表へと降り注いでいた。
とある午後の出来事であった。