──サンタクロースが赤いのは、悪いことをした子供を喰った返り血で服が染まっているからだ。クラスの友人にそんなことを言ったら、「おかしいだろう、それ」と適当に返されて、流されてしまった。普通に考えておかしいのだ、サンタクロースは大人たちにバレないようにこっそりとそれぞれの家に入り込み、子供たちにプレゼントを贈るのが仕事なのに、一番目立つ赤色の服なんか着ているのはおかしい。
そうなると、あの服が赤いのは、悪いことをした子供を喰って付いた返り血で染まったから、だという風に考えるのは、そこまでおかしい話でもないはずだ。サンタクロースとあったことの無いオレが、推論を働かせてこう考えることに、不条理なところは何も無い。だと言うのに、クラスの友人たちはそう考えるオレの頭はどっかイカれてる、と一笑に付す。
「前見て歩けガキ!」
「……サーセン」
友人たちへの反論を頭の中で考えていたせいで、周りを見ることを失念していたオレは通りがかったオッサンと肩がぶつかってしまう。思ってもない謝罪の言葉を口にして、オレは通り過ぎていったオッサンを一瞥する。40代くらいだろうか。萎れたブラウンのコート、ネクタイもシャツもよれていて、カバンも少し汚れが目立つ。対するオレは、黒のコート、黒のコーデュロイパンツ、黒のリネンシャツ。下にヒートテックを着てるから、案外寒くない。
見てくれだけ見たらオレの方がカッコイイと思うけど、あのよれたオッサンは多分、嫌な思いをしながら家族のために必死に働いていると思うし、そうすると、オレの方がよほど不出来で不義理な、社会の爪弾きものということになるだろう。
「あーあ、お袋になんて謝ろうかなー」
今頃家で帰りを待ってる母親のことを考えながら、オレはズボンの右ポケットから取り出したラッキーストライクの、最後の1本に火をつける。サンタクロースはまだ死んじゃいなくて、とにかく憂鬱で、肌のひりつく12月の寒さがイヤだった。
親父は千葉の国立大で大学教授をやってる。専攻はデカルトで、博士論文はパンテオン・ソルボンヌ大で書いたらしい。中学生の時、普通フランス哲学って言ったらもうちょい他に居そうなもんだけど、と親父に訊いてみたら、「デカルトが分からなきゃ何も分からないよ」と返されたのを覚えている。もう52だって言うのに、いつまでデカルトをやってんだろう。デカルトから一向に進んでなくねーか。お袋の方は普通の専業主婦だ。毎週水曜日には近所のひとたちと自治会館でヨーガに精を出している。呑気なもんだな、と思うけど、40すぎまで大学に安定したポストを貰えなかった親父を支えて、オレを育ててるんだから頭は上がらない。でも思うんだが、働かないと毎日がつまんねぇ気がするんだよな。オレはグレッチのテネシーローズを中古で20万で買って、その借金を返すためにバイトに励んでるんだが、これが意外と楽しい。コンビニってもっとキツイしやりがいの無いもんだと思ってたけど、細かな気遣いが相手を喜ばせた時にはいい仕事したな、って気持ちになれる。毎日家にいて、ドラマ見て料理して、そりゃあ家事が大変なのは分かってるけど、でも飽きる飽きないは別だ。だからパートのひとつでもやりゃあいいのにってよく思う。変化のない毎日って退屈だろ。
「
「おん、聞いてる聞いてる。出席日数がヤベーって言われたんだろ、富山センセーに」
「だからそれをどうやって改善するか言いなさいよ!」
なんでこんなどうでもいいことを考えてたかって言うと、お袋にめちゃくちゃ説教されててイヤな感じだったからだ。怒られてる時ってマジメに聞くだけソンつーか、いや聞いた方がいい時もあるけど、学校関連の説教はもう分かりきってることで言われるから、余計なことを考えて左から右へと垂れ流すのが最善策なんだよ。
「出席日数はヤバいかもしんねぇけどさ、テストの点は別に悪くないし、留年するような成績じゃないじゃん」
「その出席日数が問題なんでしょ!」
「あと何日サボったらヤバいかくらいはわーってるから大丈夫だって。上手くやるよ」
「上手くじゃなくて、ちゃんとやって欲しいの!お母さんは!」
「だーっ、わかったよ。わかった、明日は行くから」
「ちょっと謙二!」
謝ったのに無限に説教が続くのが面倒くさいので、怒鳴るお袋を遮ってオレは2階の自室に駆け込む。家に帰ってきてそのまま説教が始まったので、着たまんまになっていたコートを掛けて、ベットに倒れ込んだ。無性に煙草が吸いたくなって、窓を開けてから火をつけるとたちまち、ラッキーストライクの香ばしい、タバコらしい匂いが部屋中に立ち込める。値上げして高校生の財布事情じゃ常喫にするのが厳しい銘柄になってしまったが、オレの憧れ・シバユウイチは生涯ラッキーストライクだったから、変える訳にもいかない。ままならないぜ。
壁にもたれかかって煙草を吸ってると、考えたくない色んなことが脳裏によぎってきた。せっかく説教をくぐり抜けたというのに、頭の中で色々反省するとイヤな感じが長続きしちまう。それが嫌だから、レコードボックスから適当な1枚を取り出してプレイヤーにセット。針を落とすと音楽が流れ始める。
クラップとベース音、ついでジャジーなギター。やがて来るボーカルは、ゴスペルやブルースにルーツのあるディアンジェロらしい、粘り気のある歌声。
適当に選んだ1枚のアルバムは、Voodooからの長い沈黙を経て、突如としてリリースされたディアンジェロの「Black Messiah」だった。オレが一番好きなのはストレートなロックンロールだけど、R&Bとか日本語ラップとかジャズとか、聴く幅は結構広い。未だにソウルとかR&Bの明確な区別は付いてないけど。いい音楽はいい音楽だ。批評みたいなのも読むけど、大体がよく分からねーノスタルジーの反復でしかないから、オレはそういうヤツらみたいにならないために直観を大事にしてる。「やっぱ、相変わらずいいアルバムだなー」とか思いながら散らかった勉強机のゴミ山から明日持っていく教科書類を取り出していく。
「お、懐かし」
ホントにしばらくいじってなかったせいで、何かの時に引っ張り出して眺めてた小さい頃のアルバムの写真が何枚か教科書やらワークやらの山の中から出てきて、懐かしい気持ちになる。オレがロックンロール・ボーイになる前の、至って平々凡々な、可愛げのある子供だった頃の写真たちだ。椅子に腰掛けて写真を眺めてると、6枚目くらいに1人の女の子とオレが仲良さげに写ってるツーショット写真が出てきた。
───朝比奈まふゆ。
高校生になってからめっきり会わくなったけど、幼稚園から中学まで同じだった、一応オレの幼なじみの女の子。家が近所だったのもあって、小さい頃はよく一緒に遊んでた。向こうの家にだってよく泊まってたし、一緒に家族旅行みたいなのに行ったこともあった。なんで会わなくなったかって言うと、単にオレが大した高校に行かなかったからだ。向こうの親御さんは俗に言う「教育ママ」ってヤツで、まふゆが付き合う相手の学力とかを結構気にするタイプの人で、偏差値60ちょいの高校に滑り込みで入学した挙句、ロクに高校に行かないで遊び呆けてるオレみたいなやつと娘が仲良くするのは嫌だったらしい。
まぁヒトを学力で測る上に娘の交友関係にも口を出してくるってところに思わないところがない訳でもないが、他所様の家だし、オレがまふゆの母親だったとしてもオレみたいなのと娘がつるむのはよく思わないのは違いない。
「元気してるかなー……」
オレだって高校に入った最初から学校をサボってたワケじゃない。確かに、髪は長かったし、煙草も吸い始めたくらいだったけど、ちゃんと隠してたし、マジでマジメな高校生って感じだった。終わっちまったのは軽音部で話の最高に会う友達に出会ってから。ガキの頃、音楽番組に出てた「The machine gun etiquette」っつーバンドに脳みそを焼かれて以降、オレはロックンロールフリークになったんだけど、アイツらも似たようなクチで、途端に仲良くなったオレらはだんだん学校をサボって昼間から河川敷で音楽を聴いたり、煙草を吸うようになった。トリュフォーとかゴダールとか、あとはジム・ジャームッシュなんかを教えてくれたのもアイツら。ソニック・ユースとかダイナソーJrとか、オレが全然知らなかったカッコイイバンドを教えてくれたのもアイツら。大人から見ればオレたちは落伍者で、ロクな未来なんてないクソガキなんだろうけど、大人は何にも判っていやしない。大体、普通に普通な高校に通って3年間過ごしたら大学とか専門に行く既定路線をなぞって何が楽しいんだよって、オレはいっつも毒づいてる。ぜってーなんとかなる。多分。
「オレ、アイツの連絡先消してないよな」
椅子をクルクル回しながら、無駄に連絡先の多いメッセージアプリの「友達一覧」をどんどん下に下っていくと、「朝比奈まふゆ」という表示の連絡先が出てくる。通話ボタンを押して、まふゆに電話をかけると、数コールのあとまふゆの声が聞こえてきた。
『謙二くん?どうしたの、急に』
「おー、久しぶり。いやさ、部屋整理してたら小学校の時の写真出てきてさ、懐かしくなって」
『…それだけ?』
「おん、それだけ。元気してた?」
『うん、私は元気だよ。勉強は大変だけど、クラスの子もみんないい子で、お母さんも優しいし』
「おー……」
久しぶりに聴いたまふゆの声は変わってなくて、小っ恥ずかしいけど、綺麗な声のままだった。けれど、なんか、気味の悪さみたいものをふと覚えてしまった。
『謙二くんは?なんか学校行ってないみたいな話聞いたけど…』
「サボってるだけだから心配すんな」
『えぇ!?ダメだよ、学校ちゃんと行かないと。久子おばさんも心配してるでしょ?』
「さっきも怒られてきたよ。だから、明日は行くつもり」
『そっか、なら良かった。明日だけじゃなくて、毎日ちゃんと行くんだよ?』
「おう」
『じゃあ、私は課題やらないとだから。もう切るね?』
「おー……あのさ、まふゆ」
『?』
なんとなく、ここで切ったらダメな予感がした。久しぶりに聴いた声は何一つ変わってなかったけど、俺が知ってる朝比奈まふゆじゃないような気がした。ここで通話を切って、またそれぞれの生活に戻るなんて当たり前のことだけど、そうしちゃダメだと、オレの第六感が告げてきた。
「明日、学校終わったら暇?」
『えっ?う、うん。予備校始まるまでの間なら……』
「宮益坂だよな、まふゆが通ってるの」
『そうだけど……』
「ならさ、学校終わったら新宿でちょっと会おうぜ。なんか、久しぶりに会いたくなったから」
すっげー恥ずかしいことを言ってる自覚はあったけど、それよりも「ここで終わりにしちゃダメだ」って感覚の方が強かったからか、言葉はつっかえずに出てきてくれた。ちょっとの間のあと、まふゆは『いいよ』とだけ短く答えた。
「うし、じゃあ5時に西口のきつ……じゃなくて、なんか金網のあるところあるじゃん、あそこのあたり集合で」
『うん、分かった、お母さんにも一応…』
「あー、言わなくていい。言ったら絶対ダメって言われんだろ」
『ふふっ、わかった。秘密にしておくね』
「まじで頼むからな。…じゃ。おやすみ」
『おやすみ、謙二くん』
そう言ってまふゆは電話を切った。しばらくボケーッとして、オレはとんでもない事実に気付いちまう。いくら幼なじみとはいえ、男と女が二人で会うってことは、つまり。
「これ、デートか……」
お袋に説教されて残ってたイヤな感じとか、まふゆの言葉に覚えた違和感みたいなものはすっかり抜けてきってて、明日何着ていこうかっていう、どうでもいい考えだけがオレの頭の中を支配していた。
・「The machine gun etiquette」…日本のロックンロール・バンド。ドクター・フィールグッドやイギーポップ、ハードコア・パンクに影響を受けたガレージサウンドでロックフリークたちを魅了した伝説的なライブバンド。キャリア通算でアルバム9枚をリリース、幕張メッセでのラストライブは32000人オールスタンディングで行われ、未だに日本ロック史に残る伝説のライブとして語り継がれている。元ネタは言わずもがなTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT。イギリスのパンクバンド、ザ・ジャムの「machinegun etiquette」を誰かがミッシェルガンエレファントと読んだのがバンド名の由来ということで、そこに乗っかった設定。
本作は未成年喫煙を推奨するものではありません。横文字がいっぱい出てきます。気になった名前は調べて、鑑賞してみてください。ロックンロールは世界を救う。