義勇は翌日、しのぶのいる診察室へと訪れた。もうとっくに日は落ちて、夜空には月が浮かぶ時刻のことだった。庭にはたくさんの蝶が待ち構えたように待っていた。義勇はその様子をじっと見つめると、部屋のドアを叩いた。
「冨岡だ」
「どうぞ」
義勇は部屋に入ると扉を閉め、しのぶの前にある椅子に座った。重々しい沈黙が部屋の中に横たわった。
「あの……」「昨日は」と2人は切り出した。
「先に話せ」と義勇。
「いえ、冨岡さんの方からどうぞ」としのぶは言った。
「昨日はすまなかった。君の心も知らず尊厳を踏み躙った……それに俺は上弦の弍と戦ってすらいないというのに、戦い方を考えるだなんて……笑止千万。大それたことを言って悪かった」
「いえ、謝らなくてはならないのは私の方です。私はあなたの心を踏み躙った。あなたの心配する心を……口下手なあなたがあれだけ必死に説得してくれたと言うのに」としのぶは言った。「でも……私の決意が変わることはありません」
義勇はしのぶの目をじっと見つめると「そうか……」とつぶやいた。
「俺はお前のことを尊重する」
「ありがとうございます。でも昨日私、冨岡さんから話を聞いて嬉しかったんですよ。だって、私の作戦が功を奏すと未来の人からお墨付きを得られたわけですから」そう言うとしのぶは笑った。これまでに見たこともない微笑みだった。「私の毒は上弦に効く。首をとって仇を取れる。その保証が得られた。こんなに嬉しいことはありません。私の決断は間違っていなかったのだ。そう思えると私は安心して毒を接種できる」
「……そうか」そういうと義勇は俯いた。
「冨岡さん、心配なさらなくても、きっと無惨にも勝てますよ。」
義勇はハッと頭を上げた。「無惨に勝てる?」
「だって一度無惨に勝てたわけじゃないですか。カナヲに聞きました。人も鬼も生死だけは変わっていないって。やり遂げられる。私がこの身を持って保証します」そういうとしのぶはくるりと後ろを向いて立ち上がると、窓から夜空を見上げた。しのぶはしばらく黙り込み、静かに月を見ていた。
「冨岡さん、夏目漱石読まれますか?」としのぶは言った。
「ああ、読む」
「月が綺麗ですね……義勇さん」
その言葉を聞いた義勇は静かに微笑みを浮かべた。
「そうだな」
優しい月光が窓から差し込み、2人を照らした。
「あっ、そういえば昨日カナヲに聞きました。奥さん泣かせちゃダメですよ」
しのぶはくるりと振り向くと義勇の目をじっと見つめたあと、小指を出した。
「約束です」
「ああ」
そういうと、2人は指切りをした。(完)