冨岡義勇は無惨討伐一周目を思い出した   作:高橋夏帆

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(番外編)栗花落カナヲと胡蝶しのぶ

「人の決意も知らないで」

 

 しのぶは義勇を振り切って部屋から飛び出した。部屋の外には炭治郎がいた。炭治郎と一瞬目があったが、しのぶはそのまま素通りした。

 

 冨岡さんって人は……。私がどれだけの思いで、苦い藤の花を飲み続けていると思うのか。一周目の時だったら、同じような言葉をかけられたとでもいうのか。冨岡さんがあんな簡単なことを言えるのは、一度無惨を倒しているからだ。

 

 でも……。

 

 自分の気持ちを否定するように、しのぶは廊下を踏み締めて歩いた。

 

「カナヲ」としのぶは呼び止めた。

 

「こちらへ」

 

 そういうと、しのぶはカナヲを部屋に招き入れた。

 

「カナヲ、私の作戦を知った上で黙っていてくれたのですね」としのぶは言った。カナヲはハッとした顔をした。

 

「ありがとう」としのぶ。

 

「師範は止めてもやめないと思って……それに……はっ、なんで師範は知っているのです?」

 

「冨岡さんに先ほど作戦をやめろと止められましてね。おそらく私がカナヲに話してトドメを託したのだろうと思ったのですよ」

 

 カナヲは裾を握りしめた。

 

「冨岡さんのこと、師範はどう思っているのですか?」とカナヲ。

 

「どうって、同僚です」しのぶはカナヲから視線を外した。

 

「無惨を倒した後、冨岡さんに、師範がどう死んだのか聞かれて答えました。その時冨岡さんは、師範のことを……」

 

「カナヲ」しのぶは首を横に振った。

 

「冨岡さんは、その後すぐに妻を娶ったんです」

 

「そう」

 

「でも冨岡さんは、妻を愛することはなかった。命を繋ぐことが目的だったんです。不死川様は開口一番に妻と子がその後息災だったか聞いてきました。だから冨岡さんにその後を尋ねられたらなんて言おうかと悩みました。しかしながら冨岡さんは聞いてこなかった。冨岡さんが死に際の時、奥様が私の家を訪ねてきたんです。奥様は泣いていました。朦朧とする意識の中で私の名を呼ばないと。私はすぐに気がつきました。奥様のお腹に子がいることに」

 

 しのぶは、え?と言った。

 

「そのことを冨岡さんは?」

 

 カナヲは首を横に振った。

 

----

 あれは冨岡義勇が倒れたとの知らせが入ってから数ヶ月は経った時のことだった。門前の落ち葉を掃除していると、見知らぬ女性がやってきた。裾に紋の入った美しい水色の着物。丁寧に結い上げられた紙に上品なかんざし。カナヲがそう会うことのない類の女性だった。

 

「あなたが胡蝶さん?」と女性はゆっくりと言った。

 

「いいえ、私は竈門です」とカナヲ。女性はみるみるうちに悲しそうな顔をした。

 

「胡蝶は姉です」とカナヲは付け加えた。

 

 聞くと女性は冨岡義勇の奥方だという。カナヲは義勇の祝言の日、お産が近くて伺えなかったことを思い出した。

 

 カナヲは家に女性を通した。

 

「その後、ご主人のおかげんのほうは?」とカナヲ。

 

「芳しくありません。もう25ですから仕方がないのでしょう。いつ命の灯火を落としてもおかしくない。最近はよく、朦朧する意識の中でとある方の名前をよく呼ぶのです」というと、女性は涙を一筋流した。「胡蝶……と」

 

「胡蝶……」その言葉がカナエではなく、しのぶを指していることはすぐにわかった。義勇は一度カナヲにしのぶの死に様を聞いたことがあった。そして、しのぶのことが好きだったと打ち明けたからだ。

 

「私の名前は呼んではくれない」そういうと女性は持ってきた手拭いで涙を拭いた。「私が主人に一目惚れをしたのがいけなかった。そこからすべてがはじまったんです」

 

 そういうと女性は昔話を始めた。

 

 なんとか義勇とのお見合いにこぎつけた女性は、家伝の総絞りの振袖を着て縁談に臨んだ。仲人のお館様が席を外した後、女性は義勇と産屋敷邸の庭を共に歩いた。

 

「聞いてはいると思うが、俺は25で死ぬ。この縁談、断ってもらって構わないんだぞ」と義勇は言った。

 

「私は、義勇さんがいいんです」

 

「そうか」

 

 見合いからほどなくして、2人は祝言をあげた。

 

「いや!まさか義勇さんが祝言をあげることになるなんて!めでたいめでたい!」と炭治郎は言うと、義勇に酒を注いだ。

 

「これで俺も命を繋げるな」と義勇は炭治郎に向けてつぶやくとお酒を飲んだ。女性はその言葉を複雑そうに聞いていた。

 

 ある夜、背を向けて寝る義勇の凛々しい背筋をなぞりながら女性は聞いた。「錆兎さんって、誰ですか?」

 

「なぜ知っている」

 

「よく寝言で仰っているから」

 

「錆兎は俺の親友だ。鬼に喰われて死んだ」

 

「そうでしたか。それは申し訳ございませんでした。」

 

「謝ることではない」

 

「ねぇ、あなた。私もっと鬼殺隊について知りたいんです。あなたがどんな覚悟でどのような任務にあたってきたか知りたい」

 

「……。考えておこう」

 

 その翌日、義勇は炭治郎を家へと連れてきた。義勇は炭治郎に講師を頼むとそそくさと家を出て行ってしまった。女性は義勇の後ろ姿を目で追うことしかできなかった。

 

 炭治郎さんの講義は面白かった。

 

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!……って言われちゃいました。それで〜」

 

 でも、私は炭治郎さんではなく、主人の話を主人の言葉で聞きたかった。

 

 女性はクスッと笑った。

 

「どうしたんですか?」と炭治郎はキョトンとした顔をした。

 

「だって遊郭に女性のフリしていくなんて。流石に男性ってすぐバレますよ」ふふふ、と女性は笑った。

 

「よかったぁ。さっきからずっと悲しそうなニオイをしていましたから、やっと笑ってくれた」と炭治郎はニコりと笑った。

 

 義勇が25の夏。女性は義勇と初めて花火大会に訪れた。義勇は腕を組んで無言で歩くばかりで、振り返ったり手を繋ごうとしたりはしなかった。女性は義勇の3歩後ろを早足で追いかけた。

 

 花火がドンと鳴る音が夜空に響く。

 

「あっ、あなた……」と女性が勇気を出して言うと義勇は足を止めて、顔を少しだけこちらへ向けた。「らっ、来年も行きましょう」

 

「俺に来年はない」

 

 その時、「あっ、義勇さーん」と炭治郎が駆け寄ってきた。「こんにちは!」

 

「主人がいつも……」と女性は挨拶をした。

 

「炭治郎も来ていたのか」というと義勇は笑った。そんな風に穏やかに笑う主人を見たのは初めてだった。

 

「カナヲは?」と義勇。

 

「あっちにいます。綿菓子をねだる息子と喧嘩中です」というと炭治郎は頭をかいた。

 

 花火のドンとなる音が再び聞こえる。

 

「義勇さん、綺麗な花火ですね!まるで、猗窩座の血鬼術みたいだ」

 

「炭治郎もそう思うか。俺もそう思った」

 

 そういうと2人は夢中で花火を見始めた。

 

「炭治郎さんが教えてくださったので、猗窩座が上弦の参であること、煉獄杏寿郎という方の仇であること、主人と炭治郎さんが共闘して首を斬ったことを私は知っていました」と女性はカナヲに言った。「でも……なぜ既に鬼を倒したと言うのに猗窩座を今だに思い出すのか、なぜ美しい花火を見て連想できるような相手に対して自らの命を縮める痣を出してしまったのか、私にはわからなかった。置いて行かれたような気持ちになりました。もっと今を……私を見て欲しかった。きっと理解できなかったのは、私が鬼に大切な人を奪われたわけでもなく、鬼殺隊として共に戦っていたわけでもなかったからでしょう。ですから、今、主人が死の淵を彷徨っているこの時に、なんて声をかければ戻ってきてくれるのか、おかえりなさいと言ってあげられるのか私にはわからないのです。実はお願いがあって今日はきました。その胡蝶さんという方に、最期に主人に会って欲しいと思っています」

 

「姉は死にました。無限城で上弦の弍と戦った時に」とカナヲ。

 

 そう言った時、女性の、悲しいような、勝ち誇ったような、ほっとしてしまった自分を責めるような、複雑な表情をカナヲは今でも忘れることができていない。

 

「胡蝶さんはどんな方だったのですか?」と女性は聞いた。

 

「どんな方?」

 

「主人の魂を繋ぎ止められるのだとしたらなんでもしたいのよ。教えていただけないかしら」そういうと女性は視線をカナヲから外した。

 

「姉は、胡蝶しのぶは、優しい人でした。どんな時でも笑顔を絶やさず、慈愛に満ちて、大勢の隊士から慕われる柱でした。自分の身に死が迫る時でさえ、私の体のことをずっと心配していた」

 

「胡蝶しのぶさんは、主人のことをなんと呼んでいたの?」

 

「冨岡さんと」

 

「冨岡さん……」そういうと女性は視線を泳がせ、ふとカナヲの髪飾りに目を止めた。「何か、胡蝶さんの遺品のようなものはないかしら」

 

「ありません」カナヲから咄嗟に出た言葉だった。なんだか嫌な予感がしたからだ。

 

 それから女性は礼儀正しく御礼を言って去って行った。所作の美しい気品のある女性だった。

 

 数日後、義勇危篤の報が冨岡のカラスの寛三郎から入った。カナヲは子供をアオイに預け、炭治郎と共に急いで冨岡邸を訪ねた。

 

 息も絶え絶えな義勇を前に、医師と義勇の奥方と村田さんが座っていた。枕元には義勇が鬼殺隊当時の任務で着ていたあの羽織が丁寧に折りたたまれて置かれていた。

 

「義勇さん!」というと炭治郎は義勇に駆け寄った。義勇は細かく肺を震わせていた。「凪だ」と炭治郎はつぶやいた。

 

 そこへ禰豆子が冨岡邸に到着した。

 

「不死川さんも、危険な状態。今は、善逸と、伊之助さんが不死川邸にいる」と禰豆子はカナヲに耳打ちした。

 

「義勇さん、どうして禰豆子を庇ってくれたのかまだ教えてくれてないじゃないですか。義勇さん、目を開けてください」と炭治郎は必死に義勇に呼びかけた。

 

「天元さんに連絡は?」と炭治郎は奥方に聞いた。

 

「もちろんです」

 

「鱗滝さんには?」

 

「先ほど」

 

「えっと、えっと、あと、お館様と愈史郎さんは?」

 

 奥方はハッとした顔をした。「気が回らず申し訳ございません」

 

「それなら俺から連絡しておきます。寛三郎は老齢でよくない」

 

 これ以上は、と言うと医師が部屋を出て行った。奥方の表情はあの日と同じように曇っていた。

 

「村田さん、禰豆子さん、そして炭治郎。あちらの部屋へ行きましょう」とカナヲ。

 

「でも……」と炭治郎。

 

 カナヲは首を横に振って合図をすると無理矢理部屋の外へと連れ出した。

 

「2人きりになりたがっていたでしょう」とカナヲ。それであんな複雑な匂いが……と炭治郎は言った。

 

 夜になった。真っ暗な部屋に蝋燭が一つ輝いている。誰も何も話さず部屋はシンとしていた。

 

「そういえば村田さん、ここに来るの早かったですね」と炭治郎は言った。

 

「いやぁ、こういうのをむしの知らせっていうのかな。実は今日たまたま近くできのこ狩りをしていて、たくさん取れたからお裾分けついでに冨岡の顔を見にきたんだよ。そしたら冨岡の呼吸が止まっていることに気がついて急いで医者呼んでもらったんだ。それから君たちに連絡してと大忙しでさ。医者のおかげで今は少しだけ回復したけどな……。冨岡、名前を呼びかける度に水の呼吸しようとするから笑っちゃったよ」というと村田は頭をかき、「俺とは随分差ついちまったな。柱ってすげえな」とつぶやいた。

 

 しばらくすると宇髄の声が聞こえてきた。

 

「おーい、俺だぁ」

 

 カナヲが奥方にことわって玄関先へと出て行くと、善逸、伊之助も一緒にいた。カナヲは奥方に言われた通り3人を炭治郎たちのいる部屋に連れて行った。

 

「義勇はどうだ?」と天元。

 

「もういくばくか……。今は奥様と2人きりに」とカナヲ。

 

 3人が部屋に入ってくるなり、「実弥さんは?」と炭治郎は焦った表情で聞いた。

 

「たった今、亡くなった。あいつは本当によく頑張ったよ。奥方や子、それに皆に看取られあいつらしくもねぇ穏やかな最期だった」と天元が言った。

 

「実弥さん……」というと炭治郎は泣き出した。村田さんも呆然とした様子だった。

 

「まだ禰豆子を刺した仮、返してもらってないじゃないですか」というと炭治郎は嗚咽した。「ありがとうございました……あなたがいないと無惨は倒せなかった」

 

「見たかあいつ。実弥のやつ、息を引き取る直前まで風の呼吸使いやがっていたぞ。もう戦わなくてもいいって言ってもやめねぇんだ」と天元。

 

 それを聞いた瞬間、村田が泣き出した。

 

「待ってください、村田さん!義勇さんはまだ死んでません!天元さん、実は義勇さんもずっと水の呼吸を……」と炭治郎。

 

「まじかよ!あいつらやっぱすげえやつらだな!才能ある柱はちげぇな!」というと天元は座った。

 

「え、ってことは俺は死に際に雷の呼吸使うのかな」と善逸。

 

「お前は痣も出てなければ柱でもないからな、無理だろ。せいぜい霹靂一閃で足ぴくぴく動くくらいじゃねぇか」と天元。善逸はギリギリと怒った。

 

「俺は、死に際に使うなら、ヒノカミカグラと水の呼吸、どっちになりますかね」と炭治郎は言った。

 

「だからお前も柱じゃねぇって……」

 

「宇髄様、私、冨岡さんの様子を見てきます」とカナヲは天然の言葉を遮るようにして言った。

 

「おお頼んだ」と天元は答えた。

 

 カナヲが廊下を踏み締めるミシミシという音が屋敷中に響く。廊下はとてつもなく広く見えた。今でも鬼がでそうなほど、恐ろしい暗がりがそこには広がっていた。

 

 義勇のいる部屋の前まで行くと、何やら奥方が義勇に話しかけている声が襖越しに聞こえてきた。蝋燭の火が揺れる。カナヲは耳をそばだてた。

 

「冨岡さん、聞こえますか?」と奥方がゆっくりという声が聞こえてきた。

 

「冨岡さん……?」とカナヲは訝しんだ。

 

「冨岡さん、私は胡蝶しのぶ」と奥方は囁くように言った。「ほら触って。あなたは命を繋ぎました。もういいの。もういいのよ。一緒にいきましょう」

 

 その瞬間、家中の蝋燭の火が消えた。

 

 奥方が襖を開けて部屋を出てきた。カナヲは奥方と目があった。

 

「カナヲさん、皆を呼んできてくださらない。主人は今、息を引き取りました」と奥方が言った。

 

 義勇の死を悟った炭治郎と禰豆子が走ってやってきた。カナヲの悲しそうな目を見ると、2人は急いで義勇のいる部屋の中へと入っていった。

 

 ふと外を見ると雪が降っていた。美しい初雪の風情だった。11月にしては珍しく、その夜は日が昇るまで吹雪となった。

 

 それから鱗滝さんがやってきて、愈史郎がやってきた。不死川邸にいた宇髄の奥方も弔問に訪れた。

 

 翌日には輝利哉様が慣例を破ってお参りに来たとのことだった。

 

 義勇の葬式が終わったあと、奥方が参列者に料理を振る舞った。

 

「いやそれで、生殺与奪の権を他人に握らせるな。惨めったらしくうずくまるのはやめろ。そんなことが通用するなら……」と炭治郎。

 

「ほらもうお兄ちゃんそれ何度目?一字一句覚えてるなんて……。宇髄さんももうこれ以上飲ませないで」と禰豆子。

 

「わりぃわりぃ」と天元は笑った。

 

 突然、大雨が降り出した。

 

「ほら、お兄ちゃん義勇さんが怒ってるよ!!勝手に話すなって!」と禰 豆子は炭治郎に言うと、お酒を取り上げた。やめてよ〜と炭治郎は言った。

 

「いやでも義勇がそんな喋るなんて笑っちまうな!それも初対面のやつらに!だいたい禰豆子をそこで生かそうとするってどういう頭してたらそういう発想になんだよ」と天元。

 

「奥さーん、なんで義勇さんは禰豆子のことかばってくれたんですか〜?」と炭治郎。

 

「え、あ、いえ、わかりません。主人はあまり多くを語りませんでしたので」奥方は顔を俯けるとさっと立ち上がって部屋から出ていった。

 

 その一瞬の動揺をカナヲは見逃さなかった。奥方は炭治郎からしか無惨討伐の話を聞いていない。おそらく、なんで兄思いの優しい禰豆子を殺そうという発想が出てくるのか、その殺意を禰豆子が受け入れているのか頭でわかっても心で理解できないのだろう。

 

「愈史郎も実弥の稀血でも飲むか!」と天元。

 

「お前、頭から酒をぶっかけてやろうか」と愈史郎は牙を剥いた。

 

「それなら煉獄さんにしてやれ。お、不死川のガキか!大きくなったなぁ!いくつだ!」と天元は話を逸らした。

 

「天元様〜、つい昨日会ったばかりじゃないですか」と宇髄の奥方は笑った。

 

 帰り道。

 

「ほら、もう、あなた、飲み過ぎです」とふらつく炭治郎にカナヲは言った。

 

「なぁカナヲ。奥様、妊娠している?」と炭治郎は言った。

 

「なんでわかったの?」とカナヲは驚いた。

 

「カナヲも気づいていたのか!」と炭治郎は驚いた。

 

「だいたいわかる」とカナヲは言った。

 

「俺は体を透き通ってみることができるんだ。それでわかった。もしカナヲがよければだけど、奥様とお子さんのこと、面倒見ないか?」

 

「それはダメ」とカナヲは言った。炭治郎は、え?と驚いた。「意地悪で言ってるわけじゃない。奥様は自分の妊娠に気がついている。その奥様自身が私たちに妊娠の事実を隠そうとしているのよ」

 

「でも、義勇さんには俺も禰豆子も助けられたし、語り尽くせない恩があるし……」

 

「今日だっていつでも言うことができた。それでも言わなかったの。尊重してあげて。」

 

「でも……せめてお金だけでも……」

 

「相手にも矜持がある」とカナヲは言った。

 

 その後奥方は実家に戻っていった。冨岡邸は売りに出されていた。

 

 数年後、愈史郎が竈門家を訪ねてきた。

 

「浅草で冨岡の奥方を見かけたぞ」と愈史郎は炭治郎とカナヲに言った。「隣に男性がいた。子供の手を2人で引いていた」

 

「そうですか……」と炭治郎は言った。

 

「冨岡の奥方の腹に冨岡の子がいただろ」と愈史郎。

 

「愈史郎さんも気づいていたんですか?」と炭治郎。

 

「そりゃわかる。冨岡の子、今頃どうしてんだろうなぁ」

 

「愈史郎さん、こっそり探ってきてはくれませんか?」と炭治郎。

 

「わかった」

 

 愈史郎からのその後の報告によると、子どもは奥方の親戚に引き取られ、実子として大切に育てられているとのことだった。

 

 炭治郎が死んでからしばらく経ったある日、美しい青年が竈門家を訪れた。羽織を見てすぐにわかった。冨岡義勇の息子だと。

 

「僕は、冨岡の苗字を名乗ることになりました。育ての母が、僕には家を継がせたくないとの意向で。実の父は鬼殺隊の一員だった、と育ての父に聞きました。どんな人だったのか教えていただけませんか」と青年は言った。

 

「それはもう強くて、寡黙で、あなた似て凛々しい柱でした」とカナヲは言った。

 

「柱?」と青年は言った。

 

「お父様は、鬼殺隊でも群を抜く才能の持ち主だったんですよ」とカナヲは思い出話を青年にし始めた。

 

 それから数年後のある日、愈史郎が久しぶりに竈門家を訪れた。

 

「急にどうしたんですか、愈史郎さん」とカナヲは言った。愈史郎はずきんをかぶり、背に大荷物を抱えていた。

 

「空襲で家が焼けた。新しい家を見つけるまでしばらく泊めてくれ」と愈史郎は言った。「ついでに冨岡の奥方の様子を見てきたぞ。旦那と2人で手を繋いで死んでいた」

 

「そうですか……」とカナヲ。

 

「その表情はなんだ」と愈史郎。

 

「実は……」とカナヲは一連のことを話し始めた。

 

「ああ、それは冨岡が悪い」と愈史郎は間髪入れずに言った。

 

「え?」

 

「俺が珠代様にそんな仕打ちをするものか。だいたい女が呪いにかかる時は、男が悪いんだ。冨岡は最後の最後にとんでもない鬼を作ったってわけだ」

 

「鬼、、、?」とカナヲ。

 

「比喩表現だ」と愈史郎は怒って言った。

------

「私なら冨岡さんに怒りますね」としのぶは言った。「あの剣技しか取り柄のない脳筋バカ。私は命を繋ぐためだけの道具じゃないって」

 

「私も、あいつぶん殴ってやるって言ったら、炭治郎に止められました」とカナヲは真顔で拳を使った。

 

「まぁまぁカナヲがそんなことを言うなんて」としのぶは笑った。「ちなみに炭治郎くんは、結局亡くなる直前に、どちらの呼吸をしたのですか?」

 

「炭治郎は呼吸をしませんでした。お世話になった方、一人一人の名前を呟いて、ありがとう、と言った後に息を引き取りました」

 

「炭治郎くんらしいですね。そういえば、一つわからないことがありました。空襲ってなんですか?」としのぶは尋ねた。

 

「空からの爆撃です。鬼を倒した後、日本は諸外国と戦争になります。刃もそこでは無意味で、私の力で戦争を終わらせようもなく、爆薬や拳銃といった新型兵器により、鬼から必死で守った多くの人の命が失われました。不死川様のご子息も出征してそこで……。そして、日本は戦争に負けた。俺たちがやってきたことはなんだったんだって、天元様も……。日本を恨む国も出てきた。私たちが鬼を恨むように」

 

「それで鬼は悪者ばかりではないかもしれない、とカナヲは言っていたのですね」としのぶは言った。

 

「私には何ができるのかわからなくなった。何が正解なのかもわからなくなった。そんな時、炭治郎が、自分のやるべきことをやればいいって、周りまわって自分に返ってくるって言ってくれたんです。私はその言葉に救われました。師範の言った通り、みんなと仲良くしていたら助けてくれました。人の生死はどう頑張っても変えられなかったですけれど」

 

 しのぶはハッとした。「人の生死……それってつまり、鬼の生死も変えられないのでは?」

 

 カナヲは目を見開いた。

 

「そうですよ、きっと。私たちは勝てる」としのぶはニコリと笑った。「明日、冨岡さんに謝ろうと思います。心配してくれて、嬉しかったですし……」

 

「師範、やっぱり冨岡さんのこと……!」

 

「カナヲと私2人の秘密ですよ」

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