――「リストの運用」
/*/ 冥神薬品工業・本社ビル 深夜フロア /*/
静かなオフィスほど、残酷な計画には向いている。
最上階の社長室。
窓の外には東京の夜景。
机の上には、まだ温もりの残る一束の紙――ユニオン構成員リスト。
勇は、その束を三つに分けていた。
一つは、日本語のカナ順に並んだ原本。
一つは、ランダム化した英語版。
残りの一つは、名前を伏せて“事件ファイル”に変換した匿名リストだ。
「慶子は、あいうえお順に行く」
勇は自分に言い聞かせるように呟く。
名前の頭文字から消えていく――それは、彼女なりの律儀さであり、儀式でもある。
だからこそ、利用価値があった。
(だったら俺は、別の順番で世界を動かす)
モニタには暗号化された通信ソフトが開かれている。
表向きは海外の製薬学会向けの回線。
だが実際は、米軍情報部と日本の公安の“裏回線”だった。
勇は、英語版リストの一部を切り出し、「化学兵器拡散ネットワークの疑いあり」というレポートとともに添付する。
送信先は、
・米軍のある特殊部隊の情報窓口
・警察庁公安部の、ごく限られた担当者――過去に冥神薬品の不正を見逃した“借り”のある男。
「“この数名が危険だ”とだけ伝えればいい。あとは彼らの職務が動く」
勇はキーボードを叩きながら、淡々と優先順位をつけていく。
慶子が今、旧冥神邸から動き出したタイミング。
彼女が最初に狙う「あ行」の連中は、比較的“末端寄り”だ。
リストの奥にいる重鎮たちを、先に軍と公安にぶつける。
(お前は、名前の頭から。“儀式”を守ればいい)
(俺は、構造の根元から切る)
画面の右下に、「送信完了」の表示が浮かぶ。
同時に、もう一つ別回線で暗号化メールが走った。
宛先は、公安の秘密部隊。
本文にはこうある。
【国内某所にて違法生物兵器実験の兆候あり。
添付ファイルの人物が関与。
証拠隠滅を防ぐため、早急な身柄確保を推奨する】
添付された「人物」は、ユニオン幹部のうち、日本国内に潜伏している者たちだ。
勇は椅子の背にもたれ、ゆっくりと息を吐いた。
「……これで、少なくとも“彼らだけ”が死ぬ」
慶子の復讐は止められない。
止める気もない。
だったらせめて、その炎の届く範囲に、別のガソリンを撒く。
より黒い燃料だけを選び抜いて。
/*/ 某国軍事衛星通信ログ(抜粋) /*/
〈…TARGET LIST UPDATED. CHEMICAL WEAPON SUPPLIERS SUSPECTED…〉
〈…PRIORITY ALPHA: NEUTRALIZE OR CAPTURE…〉
モニタの向こうの誰かが、勇の流したリストを「軍事情報」に変換する。
そこには、冥神薬品の名は出ない。
ただ、“化学兵器ネットワーク”というラベルだけが踊る。
米軍は、国家安全保障の名のもとに動く。
公安は、国内治安維持の名のもとに動く。
そして慶子は、“奪われた家族”の名のもとに動く。
(名目なんて、どうでもいい)
(ユニオンの連中が、一人残らず表から消えれば、それで)
/*/ 旧冥神邸近郊 深夜の山道 /*/
月光に照らされた山道を、一台の車が滑るように走る。
運転席の慶子は、膝に置いたリストを指でなぞっていた。
「あ行から、順番に……ね」
そこには、既に赤いインクで何本もの線が引かれている。
“処理済み”の名前たち。
彼女は知らない。
自分が今から向かおうとしている「か行」のターゲットの一部は、すでに別ルートで“消えている”ことを。
高速道路の別の場所で、
・公安の覆面車両が急襲し、
・米軍の特殊部隊が、第三国で密売人を“拘束”していることを。
それでも、慶子の手帳のペンは止まらない。
月光の下で、あいうえお順に名前が斜線で消されていく。
/*/ 冥神薬品工業・地下実験棟 /*/
勇は、通信ログを静かに見つめていた。
ある国の空港で、「事故」に見せかけて起きた銃撃戦。
郊外の倉庫で、“化学薬品の違法保管”という名目で行われた急襲。
ニュースには決して出ない類の作戦だ。
「……いいぞ。こっちも『あいうえお順』で消えていく」
勇はモニタの隅に表示されたマップに印をつける。
日本、アジア、中東、欧州。
各地で、ユニオンの名が一つ、また一つと、灰色に変わっていく。
「慶子の手は、全部には届かない。世界は広すぎる」
「だからこそ、手を貸すんですよ、社長」
背後から、伊郷瑠の声がした。
「お嬢様は“月光の刃”で、目の前の相手を切る。
あなたは、“醒めた手”で、世界地図の上から摘み取る」
勇は苦笑した。
「綺麗に言うな。やってることは、誰も彼も同じだ」
「そうでしょうか?」
伊郷瑠はモニタの一つを指先で弾いた。
そこには、培養槽の中で静かに脈動する、人間の脳の波形が映っている。
「少なくとも、社長は“誰でもいいから殺せばいい”とは思っていない。
ユニオンの中でも、一番深く汚れている者から消していく。
これは立派な選別です」
「褒め言葉には聞こえないな」
「くひひ、私なりの敬意ですよ」
/*/
モニタの隅で、国内向けニュースサイトが無音のまま更新される。
“暴力団関係者による抗争事件か”
“化学薬品の違法な保管容疑で複数名逮捕”
“外国人グループの不審死、他殺の可能性も”
そのどれもが、ユニオンという単語を持たない。
ただ、表層だけをかすめ取った結果だ。
「慶子の復讐は、きっと止まらない」
勇は、夜景を背に立ち上がった。
「だが、彼女が刃を向ける“相手の数”は、俺が減らせる」
それが赦しになるとは思わない。
贖罪と呼ぶには、あまりに自分勝手だとも思う。
それでも。
「最低限、無関係な奴にまで炎が飛び火しないように――
俺は“あいつら”を、世界の裏側から狩り尽くす」
窓の外、月が雲間から顔を出す。
その光は、復讐の炎よりも冷たく、
だが、どこか“目を覚まさせる”ような白さを帯びていた。
──月光の醒めた復讐は、こうして世界のあちこちで、静かに進行していった。