そんな彼女を、まだ愛している。   作:ぶーく・ぶくぶく

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骨は朽ち、銃後は朽ちても

ローゼンクロイツの老鬼 ─ 極東監察官・神宮司大佐

 

/*/ ユニオン・ローゼンクロイツ 極東ノード地下壕 /*/

 

 山をくり抜いたコンクリートの空間だった。

 

 厚い装甲扉、配管の走る天井。

 壁一面の真空管機器と、隣り合う最新型の監視端末。

 

 昭和の軍事施設と現代の情報戦が、同じ棺の中で無理やり共存している。

 

 その中央に、一際異様な“箱”が鎮座していた。

 

 鋼鉄と黒檀で組まれた棺。

 側面に刻まれた、歪んだ菱形の紋章――ローゼンクロイツ。

 

 

 

「内部温度、三十六・五度。脳波、覚醒パターンへ移行」

 

 

 

 白衣の技術者が、喉を鳴らしながら報告する。

 

 棺の天板に埋め込まれた小窓の向こうで、青白い液体がゆっくりと揺れた。

 重い振動が、床を伝って鼓動のように響く。

 

 

 

「解除コード、最終確認」

 

「コードネーム《クリムゾン・ロータス》。

 ユニオン・ローゼンクロイツ極東監察官――神宮司大佐、起動許可」

 

 

 

 最後のレバーが倒される。

 

 油膜が剥がれるような音を立てて、棺の蓋が横にスライドした。

 

 

 

 白い冷気があふれ出す。

 その中から、ひとりの男が、ゆっくりと上体を起こした。

 

 

 

 黒く塗りつぶされた旧日本軍の詰襟軍服。

 金糸で縫われた階級章。胸には見慣れぬ意匠の勲章が並ぶ。

 

 男は、細い目を開いた。

 

 琥珀色の瞳は、ガラスのように濁りも揺らぎもない。

 

 

 

「……今は、西暦いくつになっている」

 

 

 

 低く擦れた声。

 だがそこに老いぼれ特有の弱さはなく、乾いた鉄の硬さだけがあった。

 

 

 

「神宮司大佐。前回の覚醒から六年三か月と二十一日経過。

 西暦二〇××年です。大佐の暦齢は――」

 

 

 

 技術者が言い淀む。

 

 

 

「一三〇年。分かっておる」

 

 

 

 神宮司は、自分で答えた。

 

 顔には深い皺が刻まれている。

 だが皮膚は老人のように弛んではいない。

 

 首から顎にかけて、金属光沢を帯びた筋が走っていた。

 皮膚の下は、もはや人間の肉ではない。

 

 

 

「報告を」

 

 

 

 ごく短い命令に、空気が強張る。

 

 技術者の一人がタブレット端末を差し出した。

 

 

 

「ユニオン・ネットワークに、同時多発的な“損耗”が発生。

 この二週間で、幹部および主要シンジケート構成員、計三十一名が死亡、あるいは行方不明です」

 

 

 

「三十一か」

 

 

 

 神宮司は数字を一度転がすように呟き、薄く笑った。

 

 

 

「戦争なら、初動の損害にすぎん」

 

 

 

「しかし、今回の問題は分布と手口でして……」

 

 

 

 別の男が、おずおずと続ける。

 

 

 

「国内では、警察庁公安部の非公開作戦とみられる拘束が八件。

 海外では、米軍特殊部隊による“テロ関連作戦”が四件。

 

 残りは――手口不明の焼灼死です。

 密室、あるいは人混みの中で、標的だけが高温で焼かれた痕跡を残して死亡。

 火器・爆薬では説明しづらいケースが多く……」

 

 

 

 室内が、しん、と沈黙に包まれる。

 

 古い空調モーターの音だけが、やけに大きく響いた。

 

 

 

「国内の損耗に、冥神の名は含まれているか」

 

 

 

 神宮司が問う。

 

 

 

「……はい。一件。

 冥神薬品工業 本社取締役、阿摩鬼 勲――ユニオン極東連絡役。

 社内では“会社のNo.2”として機能していた人物です」

 

 

 

 神宮司の瞳が、ほんのわずかに細くなった。

 

 

 

「死因は」

 

 

 

「高温による組織損傷。

 オフィスビル内の一室で、本人のみが焼灼されて死亡していました。

 火災警報の発報もなく、周囲の設備にも延焼はありません」

 

 

 

 誰かが生唾を飲み込む音がした。

 

 

 

「ただし――」

 

「続けろ」

 

「冥神薬品工業そのものは健在です。

 社長、兵頭勇は襲撃に巻き込まれたものの、軽傷で生還。

 

 その後、臨時取締役会を掌握し、

 ユニオン側の痕跡を帳簿・人事の両面から“綺麗に”処理しつつ、

 表向きの企業活動はむしろ好調を維持しています」

 

 

 

 神宮司は、かすかに口端を吊り上げた。

 

 

 

「そうか。阿摩鬼は死に、兵頭は生き残ったか」

 

 

 

 満足そうな声だった。

 

 

 

「あやつは、元から“そういう生き残り方”をする男だ。

 部下を盾にして逃げるという意味ではないぞ」

 

 

 

 神宮司は軽く顎を撫でた。金属フレームがきしりと鳴る。

 

 

 

「組織の“第二脳”を失ったとき、

 自分で第三、第四の脳を作り直せる奴だけが戦後を生き延びる。

 冥神の社長の椅子に座らせたのは、間違いではなかったということだ」

 

 

 

 技術者たちが、一瞬顔を見合わせる。

 そこには、安堵とも恐怖ともつかない表情が浮かんでいた。

 

 

 

「では……大佐は、冥神側からの情報漏洩はないと?」

 

 

 

「冥神からローゼンクロイツのリストが流れた、という線か」

 

 

 

 神宮司は鼻で笑った。

 

 

 

「もし兵頭が寝返るなら、“もっと綺麗に”やる。

 冥神の名を一切表に出さず、ユニオンの枝だけを折り続けるようなやり方だ。

 

 こういう雑な損耗の仕方は、

 国家とテロ屋の喧嘩か、あるいは別の“無能な第三者”だ」

 

 

 

 タブレットの画面には、

 公安の拘束情報、米軍の対テロ作戦ログ、そして“得体の知れない焼灼死”の列が並んでいる。

 

 

 

「もっとも――」

 

 

 

 神宮司は焼灼死の項目を指先でなぞった。

 

 

 

「この“得体の知れん火”だけは、少し面白い」

 

 

 

「大佐は、何者と?」

 

 

 

「知らん。まだ知らん」

 

 

 

 淡々とした返答だった。

 

 

 

「冥神の武器庫の中身かもしれんし、

 どこぞの狂った研究所の産物かもしれん。

 

 ただ、一つだけ言えるのは――

 《わしの知っている戦場の火》とは違う、ということだ」

 

 

 

 彼はライターを取り出し、小さな炎を灯した。

 

 かつて極寒の前線でも、焼ける密林の夜でも消さなかった火。

 人間であることをやめてウェポノイドになった今も、唯一変わらぬ“基準”。

 

 

 

「この火は、燃やせば煙が出る。匂いも残る。跡もつく」

 

 

 

 炎を見つめながら呟く。

 

 

 

「それすら残さぬ火で人を焼くというのなら――

 そいつは、戦争ではなく“実験”の火だ」

 

 

 

 ライターの火を吹き消す。

 

 

 

「報告を続けろ。

 ユニオン全体で、兵頭勇と冥神薬品の立ち位置はどうなっている」

 

 

 

「……現時点では、“被害を受けた側”として扱われています。

 阿摩鬼 勲の死により、一部の取引ラインは停止しましたが、

 冥神本体の信用は損なわれておらず、

 ユニオン側の一部からは“兵頭社長を通じて体制を立て直すべき”との意見も」

 

 

 

「ふむ。良い傾向だ」

 

 

 

 神宮司の声は愉快そうだった。

 

 

 

「部下を一人殺されたくらいで椅子を手放すようなら、

 わしが目をかける価値はなかった。

 

 兵頭勇がまだ“辣腕を振るっている”なら、

 一時的な損耗は、むしろやつの覚醒を促す薬になる」

 

 

 

 そして、琥珀の瞳を細めた。

 

 

 

「問題は、兵頭ではない。

 あやつは、まだ“こっち側”の人間だ」

 

 

 

 神宮司は、壁に張られた地図の前に立つ。

 

 色あせた極東地図に、最新の衛星写真が重ねられ、

 赤いピンがいくつも打たれている。

 

 いくつかのピンは、最近黒く塗り潰されていた。

 

 

 

「公安と米軍が動くのは、それぞれの職務だ。

 だが、その二つを同じ方向へ誘導している“手”がある。

 

 未知の焼灼死も含めて、

 ユニオン・ローゼンクロイツの“構造”に沿って獲物が削られている」

 

 

 

 金属じみた指の関節が、ひとつ鳴る。

 

 

 

「全体像を理解している奴がいる。

 兵頭以外に、な」

 

 

 

 技術者が、恐る恐る問う。

 

 

 

「大佐は、それを敵と?」

 

 

 

「当たり前だ」

 

 

 

 神宮司は即答した。

 

 

 

「ユニオンやローゼンクロイツは、わしの“戦後処理場”だ。

 そこを勝手に整理し始める者は、

 兵頭だろうが、国家機関だろうが、得体の知れぬ火だろうが――すべて敵だ」

 

 

 

 軍服の襟を正し、ゆっくりと肩を回す。

 

 鋼と擬似筋肉が噛み合う音が、ぎしりと響いた。

 

 

 

「命令を」

 

 

 

 技術者が身を固くする。

 

 

 

「冥神薬品工業および兵頭勇の動きを継続監視。

 “信頼できる駒”として、むしろ情報と資金の流れを増やせ。

 阿摩鬼の穴をどう埋めるか、そのやり方を見ておきたい」

 

 

 

「は、はい」

 

 

 

「同時に、《得体の知れぬ火》の出所を洗え。

 名称も正体も、今はいらん。

 ただ、パターンと射程だけは、早めに把握しておく必要がある」

 

 

 

 神宮司は、ゆっくりと歩き出した。

 

 80年前の戦争から未だ降りていない男の足音が、

 地下壕の床をじわりと震わせる。

 

 

 

「冥神の“兵器”の詳細は、まだわしの耳には届いておらん。

 《メタルK》? そんな符牒も、今は知らん」

 

 

 

 ぼそりと付け加える。

 

 

 

「ならばよい。

 知らぬ敵は、いくらでも増えて構わん。

 そのぶん、戦場が広くなるだけだ」

 

 

 

 機械仕掛けの心臓が、軍靴のリズムと重なって鳴り始める。

 

 ローゼンクロイツの老鬼が身じろぎしたその瞬間、

 極東の地下に、ひそやかな「戦時体制」のスイッチが入った。

 

 

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