マルゼンスキーとトレーナーの「支え合い」

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第1話

 疲弊した体を必死に動かし、やっとの思いで到着した扉に手を掛ける。

 そして、わずかに残った力で人1人入れる程度の隙間を開けてヨロヨロと入って行った1人のトレーナー。

 その室内には、もう1人のトレーナーとその担当バが話をしていたがバタッと倒れる音に振り向く。

 

「…………」

 

 センターわけに目立ったピアスをつけたトレーナーは、倒れた彼に呆れて駆け寄る。

 

「まーたダメだったのか〜?」

「……はぃ…」

 

 弱々しい返事に、もっと呆れた目をして腕を掴み上げた。

 だが、完全に力が抜けた彼の身体は腕だけで全身が持ち上がり、またため息をついた後にそのままソファへ横にさせる。

 すると青ざめた表情が見え、2人はドン引き。

 

「おい!今すぐなんか飲み物取ってきてくれ!?」

「はっ、はいっ!」

 

 担当バは大急ぎで水を。

 

〜数分後〜

 

 数杯目の水を飲み干し、机にコップが置かれる。

 先程から変わらない青ざめた表情に、見守っていた二人にはまだ心配が残っていた。

 

「先輩……、やっぱりおれじゃ無理ですってぇえええ!」

 

 好青年で、完璧と言えそうな見た目からはありえない涙目にへっぴり腰。

 彼は副トレーナーとして働いており、普通よりは経験も多く、知識も豊富な側だ。

 

「なのになーんで、お前は……」

「どうしましょう先輩……、このままじゃおれっ……死んじゃうっ」

「バカっ、縁起でもねーこというな。それに、担当ができないだけで死ぬわけじゃないんだよ」

「そ〜ですよ副トレさん! きっと見つかりますって」

 

 先輩トレの担当からも慰めの言葉を貰う副トレ、だが彼の目から涙が拭われることはなくゾンビのように担当バの肩に手を伸ばした。

 それに「え゙?」と声を漏らすが、ぐっと近づいてきた副トレは泣きじゃくる。

 

「わぁあぁあぁあ〜っ、こんなこといってくれるの、先輩ときみだけだよぉおぉお! 」

「あはは…、副トレさんどーどー」

「お前は年下に慰められて、恥ずかしくないのかっ」

「ったァ!」

 

 先輩トレは額にデコピンをくらわせ、床に倒れる様子をみながら胸ポケットから一枚の紙を取り出した。

 それを広げ、副トレへ手渡すと大きく目を開く。

 

「こういう時は、レースを見るに限る。今度は付き添ってやっから明日の選抜レース行くぞ! 目玉はなんといっても”マルゼンスキー”だ。」

「マルゼンスキー……!」

 

 参加するウマ娘たちの名前を上から見ている中の中盤、その名前を見つける。

 

 

 そして翌日、快晴の空の下で液溜まりのように溶けた副トレに先輩トレはため息を吐いた。

 

「はぁ…。そろそろ始まるってのに、なんで溶けてる?」

「だってぇ……わかってはいたんですけど、マルゼンスキーを狙ってるトレーナー陣が多すぎるんですよ……。しかもおれよりも、優秀な人達ばっかりで、もう帰りたい……」

「はあ? お前はなぁ、人と比較する癖を治せって何度もいってるだろーがよ。ほら立て」

「うぅ……」

 

 溶けた体を掴み上げ、構えるマルゼンスキーの姿を見せる。

 そしてゲートが開き、ウマ娘たちが走り出した。

 

「凄い綺麗な走りですね」

「ま、俺の担当には及ばんかな〜」

 

 先ほどとは打って変わって興味津々に走る姿を見つめる副トレを、先輩トレは横目に見て視線をレースに戻す。

 

(レース見ると凄い”楽しそう”にするくせに、なんで素はあんなんになるんだか)

 

 と心のなかで呟きながら、静かにレースを眺めるのだった。

 

 

 

 数時間後トレーナー室へ戻ってきた二人。

 そこに待っていた担当バは、目をキラキラさせながら副トレに目を輝かせながら聞く。

 

「スカウト、できました!?」

 

 昨日の事があったからなのもあるが、内心には心配もあった。

 あんなヘタレな人が、ずっと副トレとしていて、担当が着くかどうか。

 

 そして副トレは、回答を待っている前で笑って答える。

 

「無理だった」

「は? 座れよ。」

「へ?」

 

 副トレの肩を掴み、強制的に正座させる。

 仁王立ちで怒りの感情を密かに宿した瞳で見下ろし、尋問を開始。

 

「トレーナーさんが、目玉って言ってたマルゼンさん。どうしたんですか?」

「……その、むりで…」

「レースみたんですか? 」

「見たよ、ただ…あの走りに見合う器じゃないって思ったし……。あと、いっぱいスカウトされてたから諦めた」

 

「他にいましたよね? その娘たちには話しかけなかったんですか?」

「もうスカウト来てたみたいで……、拒否られた」

「……本当ですかトレーナーさん」

 

 担当バは、後ろでコーヒーを飲む先輩トレに投げかける。

 口にしていたコップを離し、手元の資料を見ながら「日和ってた」と軽く返した。

 

「おい。」

 

 鬼の形相で、副トレに視線を移す。

 だがそのタイミングでトレーナー室の扉が開いた。

 

 

 

「ここに〇〇トレーナーっているかしら?」

 

 

 

「「「!!?!?」」」

 

 見覚えのある栗毛、その場にいた全員が息を飲む。

 なんせ、この場に現れたのがマルゼンスキーだったのだから。

 

  麦茶が淹れられたガラスコップが3つ、机に置かれる。

 その1つが置かれた席にいるのがマルゼンスキー。向かいには副トレ、隣は先輩トレ。端には担当バが。

 

「急にごめんなさいね、それに取り込み中だったなんて私思ってなくって」

「いえ。逆に来てくれて嬉しいです。こいつとちょうど、マルゼンさんの話していたところだったので!」

「……ハイ。」

 

 副トレを笑顔で見る担当バだったが、隠しきれていない圧に押されて副トレは視線を逸らす。

 

「あ゙……?」

 

 話の話題になっていたマルゼンスキーがいるのからなのもあるが、視線を逸らされた事にキレて血管が一部吹き出てくると、すかさず先輩トレが話を切る。

 

「ところで、どうしてここへ? それに貴方は沢山の人にスカウトされてたはずですし……」

 

 あの選抜レースでは、マルゼンスキーが大目玉だった。

 そのため彼女をスカウトしようとしていたトレーナー達が多かったのだ、それは隣で青ざめた顔をする副トレだってそうだ。

 

 マルゼンスキーは「そうね」と呟きながら、麦茶を一口飲むと可愛らしい笑顔で答えた。

 

「全部断っちゃったわ♡」

 

 

「「「えっ!?」」」

 

 

 数十人ものトレーナー陣がいたはずだというのに、それをすべえて断った。

 あまりの驚愕すぎる言葉に、三人は声を揃えてしまう。

 

「あ、あの…っ、あの中には優秀なトレーナーだっていたはずですよね……」

「そうね〜、でもなにか響かなかったの。」

「響かなかった……?」

「そう。だって、レース中に楽しそうに見てる君を見つけちゃったから♪」

 

「ほう」

「へぇ〜……」

 

 嬉々として語るマルゼンの視線の先、副トレの隣にいる二人が追って彼を見る。

 

「えっ、おっ……おれですか!?」

 

 何故か自分だとは思っていなかった副トレは、声を上げるがこの場にいる三人が縦に頷いて困惑した表情へ変わった。

 そして何故かまた青ざめた表情になり、頭を抱えだす。

 

「いや…まってください、これってもしかして……」

 

「逆スカウトってやつよ♡」

 

「ですよねぇ!? いやいやいや、おれよりもっといい人いますって! だから考――」「おい副トレっ!」

「アダッ!!?」

 

 ネガティブ発言を始めた寸前、頭の後ろからスパンッと叩かれる。

 すかさず先輩トレが肩を捕み、耳打ちをする。

 

「生徒が選んだ選択にとやかくいうのは、あとに戻れない道を取ろうとしたときだけだ。」

「で、でも……」

「いい加減にしろ。お前は選ばれたんだ、あの優秀なトレーナーたちよりもお前を選んだんだ。答えは1つしかないだろ?」

 

 先輩トレは、副トレの優秀さを知っている。

 ヘタレでもやれるときはやれる人であると、近くに置いた時からそう思っていた。だからこそ頑張ってほしい、その思いで背中を押す。

 

 そんな思いを完全にとは行かないまでも、感じ取れた副トレは深呼吸をしてマルゼンを見る。

 

「ぜ、是非っ……よろしくおねがいしますッ…!」

「本当!? じゃあこれからよろしくねっ、トレーナー君!」

 

 マルゼンスキーは彼の手を取り、ギュッと握手。

 その様子を、二人は見合って安堵した表情で眺めるのだった。

 

 こうしておれは、マルゼンスキーの専属トレーナーとなった。

 先輩はたまに頼ってくれてもいいって優しく言ってくれたけど、今まで面倒を見てくれてくれた以上これ以上負担をかけるわけにはいかない。ここからは巣立った小鳥として頑張っていくのだと、そう奮い立たせる。

 

 だけど怖い。いつか壊れてしまうんじゃないか、と。

 

 

 翌日、おれはトレーナー室でマルゼンとお茶をしていた。

 

「契約をしてはじめがお茶だなんて、変わってるわね」

「そうですかね、おれが先輩の下に就いた初日はこんな感じでしたよ? お茶を飲んで、ゆっくり話をして相手のことを少しでも理解する時間になるんだって」

「まあ! あの娘のトレーナーは、いい人ね〜……ならあたし達も少し話をしましょう♪」

「いいですよ」

 

 僅かに緊張して震えた手を隠し、マルゼンの方を向く。

 

「あなたは、何か大きいことをしたいと思ってる?」

「大きいこと……ですか?」

「そう! 例えば、そうね……三冠無敗とか?」

「……」

 

 三冠無敗。その言葉に背筋が凍った。

 それは誰もが望み、挑むもの。でも……自分じゃそんなことできない。

 

「なにもないですよ。ただ、ウマ娘たちが楽しそうに走る姿をみれたら特になにも……。」

 

 何もない自分が、そんな高みを目指せるはずがない。

 そう思っての言葉だった。

 マルゼンスキーは、静かに微笑みながら「そっか」と返す。

 

「実はあたしはね、楽しく走れたらいいなって思ってるの。だから大きな事に挑戦するなんて、考えていないし、設定する気もない」

「先輩の担当バとは、大違い……貴方がこれからも楽しめるように努力します。」

「……ふふっ、いい顔ね! じゃあ握手!」

 

 強く握った手と手。

 柔らかい笑顔にぎこちない笑顔で返してしまうことになってしまったが、自分がここからどうすればいいかが定まった。

 

(努力を怠らない、そうしないと――)

 

 

 鏡に映る彼の後ろ姿は、何かに憑かれたかのように重くなった。

 

 

 そのことに本人は気づかないまま、時間は瞬く間に進んでいく。

 

 マルゼンスキーが良いコンディションでいられるようにトレーニングを行い、時には数あるレース映像を見返してみたり。

 体に負担がたまり続けるものばかりをたった一人で行ってきた。

 

 食事も一日三食だったのが、一日二食へ。

 

 気づけば隈が浮き出てしまうほど、自分がすべき事を人並み以上に行っていた。

 

 

 だがどんなに頑張っても、体がただの一般人。

 永遠に続くわけもなく、ガタが来てしまった。

 

 ある日の外トレーニング中のこと。突然の目眩により倒れてしまったのだ。

 

「トレーナー君!!?」

「う……ぅ…」

 

 限界を迎えていたことでほぼ気絶、マルゼンスキーは早急に彼を運んでいくがその様子に各トレーナー陣は、嗤っていた。

 

 

 

――お前はこの家の中で一番の落ちこぼれだ。

 

 そう幼い頃から父親に言われていた。

 兄や姉ができていたことを、自分はできない。それなのに周りにも根詰めしないと並ぶことすらままならなかった。

 自分にはなにができるのだろう。と考えるようになったが、結局答えよりも結果を優先して見失い続けた。

 

 気づけば自分に残るものはなくて、

 周りと比べることしかできなくて、

 どこに居場所があるんだと探すことすらできなかった。

 

――生きていられることに感謝することだな。

 

 もうあるのは、一日一日を生きることだけだ。

 

 

 

「――くん、ト――くん!」

 

 

 うっすら聞こえた声に、夢から目が覚めた。

 

「よかった、トレーナー君。君はさっき倒れたの、だからあたしが保健室に運んできたわ」

「そう……。じゃあトレーニングに戻ろう。せっかくの時間が、無駄になっちゃう……」

「……ちょっと待って、その体で動いちゃダメよ!? 労りましょう? 自分の体は、大事にしないと……」

「そんなことしなくていい、大事なのはマルゼンの走りだ。おれよりずっと……だいっぅ……」

 

 頭に血が登っていたせいが、視界が大きく傾いて倒れ込む。

 

「いいから休んで? そうだ、あたしから理事長にお願いして丸一日おやすみにしてきてもらうから……休みましょう?ね?」

「で…も……デビュー戦が近いのに……」

 

 まず通らないといけない門。

 そこをくぐらないと次に進めない、自分が彼女を見てあげないといけない。

 

 そうだというのに、壊れた体に苛立ってしまう。

 

「お願い。お姉さんの話を聞いて。」

「っ……、わかった」

 

 本当は頷きたくはなかった。

 だけど、必死に心配するマルゼンを見てそうすることはできなかった。

 

 やり場のない悔しさに、グッと右手を握りしめる。

 力いっぱい、気が済むまで。

 

〜〜〜

 

 あれからしばらく経った。

 重い足を動かし、なんとか家の扉の前に到着。

 ドアノブに手を伸ばそうとした時点で、体はもう悲鳴を上げている。だけど、楽しい。なんだかマルゼンと出会ってからは不思議と、毎日明るく過ごせている気がしていた。

 

「ただいま」

 

 扉を開けて、鍵を閉める。

 靴箱の上にある器へ鍵を置いて、靴を脱いだ。

 体がぎゅーっと悲鳴を上げそうな状態で、屈みながら靴を揃えたあとリビングへ。

 

「……疲れたな」

 

 何度も駆け回って、マルゼンの為に必死で頑張った。

 今日は金曜日。久々に好きな飲物でも飲もうと、冷蔵庫へ。だが不意に足が止まる。

 

『まだ頑張れるはずだろ?この程度のことで、何を満足している!』

『お前は人並み以下だ。努力を怠れば、すぐに落ちる。』

 

「うるさいよ……」

 

 幼い頃、それも結果だけを求める頑固な父親から言われた言葉。

 それを何故か思い出してしまい、心臓の鼓動が早まって全身が冷たく感じる。

 

「おれは……おれは、そっか……」

 

 人並み以下の自分は、努力を続けなければ並べない。

 

 マルゼンが優秀なだけであって、自分はまだ未熟なんだ。

 

 それなのに、頑張ったように満足して……傲慢な勘違いをしている。

 

「おれはまだ、足りてない……周りに劣れてる…っ」

 

 まるで取り憑かれたかのように、顔入りを変えて自室へ駆け込もうと早足に。

 だが、靴下だったのが悪かったせいで滑ってころんだ。

 

 痛い、頭をぶつけた。

 でもすぐに立って、勉強をしなければ……誰からも認められない。誰にも届かない。

 

「まるぜんに、も……っ! 浮かれてる場合じゃないのに……」

 

 部屋に向かおうと立ち上がる。

 すると突然視界が傾くが、壁に手を置いて踏みとどまるその時だった。

 

「なら壊せばいいだろ?」

 

(――え?)

 

 隣に立てかけられた鏡。

 そこに写る自分が、ありえないことを口にした。

 何かの勘違いだ。そう思っていたのに、体が言うことを聞かずに鏡に向かって口を開く。

 

「どうせお前が認められることはない。だったら、今すぐその関係を断てばいい。」

 

 何故だろう、目の前の自分が言っている言葉に少し腑に落ちてしまう。

 

 だけど心がソレを否定する。

 

(いやだ、そんなこと……したくないッ)

 

「嘘つくなよ。本当はそう思ってること、オレにはバレバレなんだよ。」

 

 鏡に至近距離で立ち、煽るように言ってきた。

 おれは、そんなことを思ったことはない。

 彼女と契約を組めて、嬉しかった。周りのトレーナーたちから注目を浴びていたマルゼンが、おれを選んでくれた。

 はじめて、自分が認められたような気がして……心の底から嬉しかった。

 

 

 あの時の笑顔が、目の前のオレに泥を塗られたような気がして自然と手が強く、握りしめていた。

 

 そしてそのまま、叫び声を上げて鏡を殴りつける。

 

 

「おれがっ……、おれがそう思うわけないッ!」

 

 

 否定したかった。

 

 自分がこんなにも醜くて、哀れで、弱い人間だってことを。

 

「違うッ! ちがうッ!! ちがぅちがう――違う!!」

 

 何度も叫び続けて、無心に拳を振り下ろし続ける。

 すると鏡には大きくヒビが入り、何度も殴り続けたことで真っ赤に染まっていく。

 

(無駄だ、オレはお前。否定しても意味がねーぞ?)

 

「うるさい……うるさいんだよ!!」

 

 鏡の縁を握りしめ、力任せに床に叩きつける。

 そして大きな音共に、割れる音が部屋中に響き渡った。

 だがそんな音を気にすることはなく、鏡へ馬乗り状態になり、写る自分に向かって殴ることをやめなかった。

 

 

「おれが…マルゼンと、契約を解除するなんて思うわけないッ! 思うわけないんだッ!!」

 

 

 それだけを呟き続ける。

 

 手を止めたのは痛みに限界を感じた時ではなく、真っ赤に染まった手を見たときだった。

 

 小刻みに震える手を一瞥し、粉々に砕け散って部屋に飛び散った破片を見て息を吐く。

 

 月明かりが窓から差し込み、それを破片が反射して輝く。

 それが綺麗で、幻想的に見えて乾いた笑い声が漏れる。

 

「はっ……ははっ……ぁ………」

 

 もう何も考えたくない。

 その一心で、床に寝転がる。

 

(いたい……)

 

 肉に破片が突き刺さる。もちろん頭にも。

 だけど、そんな痛みを気にしていられるほどの精神ではなかった。

 

 ただぼーっと、天井を見上げて、静かな空間に響き渡る自分の息遣い。

 しばらくして横を向き、体を少し丸める。

 そして、落ちていく瞼が最後に映した、スマホのロック画面にあるマルゼンとのツーショット。

 

「まるぜんの声が、ききたいな……ぁ…」

 

 どうしてそう思ったんだろう。

 彼女の笑顔が思い浮かんだかから? 彼女の明るい言葉や姿を思い出したから?

 

 

 ――自分を認めてくれたから?

 

 

 

 不意にでた言葉の真相は、自分自身でもわからなかった。

 

 

 

 小鳥のさえずりと、バイブ音に瞼を開けた。

 ゆっくり体を起こし、手に痛みが走る。何事かと寝ぼけた目でその手を見る。

 粉々に割れた破片が、真っ赤に染まった手に刺さっている。

 

「……そっか、鏡わったんだった…」

 

 昨夜、自暴自棄になってリビング中は破片だらけ。

 太陽の光で輝く透き通った破片に、大きくため息をつきながら隣にバイブするスマホを取った。

 

「マルゼン……? ――もしもし」

 

 手に取ったスマホには、”マルゼンスキー”と表示されておりすぐに応答を押して耳に当てる。

 すると、早朝にしては元気な彼女の声が聞こえた。

 

「おはようトレーナー君! 今日の私は予定がないの、だから一緒にお出かけしない?」

「あぁ……そっか、今日は土曜日だね。」

「あら、せっかくの休日を忘れてたの? おっちょこちょいね〜」

「ごめん、少し疲れすぎてたみたぃ」

「そうなの!? なら、休むべきよね……君は私の為に頑張っていたし……」

「え――」

 

 マルゼンからの言葉に、目が覚めた。

 嬉しかったのかもしれない、言われてみたかった言葉なのかもしれない。

 じんわりと心が温かくなる感覚に、不思議と嫌な気はしないけれど謎の違和感。

 

「それじゃあ、また今度にしましょ――」「――まってマルゼンっ!」

 

 このままで終わらせたくない。

 せっかくマルゼンが誘ってくれたんだ、それに……彼女にいうべきことがあるはずだ。だから会いたい。

 

「さっきので疲れとれた。だから、出かけよう!」

「ふふっ、君っては不思議な子ね♪ いいわ、じゃあこのあとお迎えしにいくから準備しててね♡」

「ああ。それまでに準備しておくよ」

 

 プツンと切られた通話。

 スマホを耳から離し、目を閉じて深呼吸をする。

 

「頑張ってた、か……」

 

 先程言ってくれた言葉が、ずっと頭の中でぐるぐる廻る。

 心が温かい。

 ニヤニヤが治まらない。

 

「まずは片付けからか……」

 

 重い腰を上げて、スリッパと箒とごみ取りを取りに向かった。

 

 それから小一時間で自分で荒らした床を掃除し終え、出かける準備をしていた。

 傷口は包帯で巻き付け、上からアームカバーを着けて誤魔化すことに。

 

 自分ができる範囲のおしゃれな服で、外へ出て鍵を閉める。

 

 階段を降りていくと、車高の低い真っ赤な車が目の前に停車しており、運転席には見慣れた姿があった。

 

「マルゼン、おまたせ」

「トレーナー君…その指、どうしたの……?」

「少し包丁で切っただけだよ。気にしないで」

「そ、そう…。お料理は難しいものね、じゃあ助手席に乗って? あたしのタッちゃんでドライブデートよ♡」

 

 おれが助手席に乗り、シートベルトを締める。

 準備バッチリと視線を彼女に向けた。するとマルゼンはハンドルを元気に握り、言う。

 

「さ〜、かっ飛ばすわよ!!」

「かっ飛ばす……ってわぁああああ〜〜〜!?!?!?」

 

 

 普通の運転とは思えない爆走で、おれたちのドライブデートは幕を開けるのだった。

 

 

 

「はぁ……はぁあぁ……しぬ」

「いい風だったわね〜♪ さっトレーナー君行くわよ!」

 

 あれから小一時間。

 海が綺麗に見えると、学園の後輩から教えてもらったらしい飲食店に到着した。

 

 店内に入ると席は埋まっており、受付で注文だけ終えて外の席で待つことに。

 

 冷たい風が頬を優しく撫でる。

 それが気持ちよく、目を閉じて風に当たってしまう。

 

「ふふっ、可愛い一面もあるのね♪ 」

「かわいいって……、一応大人。歳に合わない言葉はやめてよ」

「でもそんなこと言って、ちょっと赤いわよ? 照れ隠しかしら?」

「ちょっ……」

 

 頬に手を伸ばされ、指先で輪郭をなぞられる。

 それが少しくすぐったく、ビクッと体が跳ね上がってしまった。

 

「ほら、こういう所。お姉さんは見ていて楽しいわよ♡」

「……こんな意地悪だったなんて、知らなかった」

「あら人聞きの悪い、からかい上手って言ってくれたほうが嬉しいのよ〜?」

 

 こんな他愛のない会話をするのはいつぶりだろうか。

 根詰めしすぎたせいで、堅苦しい会話ばかりをしていた気がして申し訳なさが心の中で芽生えてしまう。

 

「お待たせいたしましたお客様。」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます♪」

 

 料理を運んできた店員は、すぐに注文の品を置くとすぐに立ち去っていく。きっと忙しいのだろう。

 

「じゃあ食べようか」

「そうね、いただきます!」

「いただきま――、え」

 

 手を合わせ、料理を食べようとしていた所にマルゼンからスプーンに乗った料理が口元に運ばれてきた。

 何事かと凝視し、マルゼンを方を見ると彼女はからかうように笑って待っている。

 

「あ〜んしてあげるから、お口あけて?」

「…あ、あー……んっ」

 

 年下にこんな事をされると、なんだか言葉に表せない何かが折れそうな気がする。

 だが料理は美味しく、すぐに自分の分を食べ始めてしまう。その様子にマルゼンは笑って、食べ始めた。

 

「そうだトレーナー君、あたしきみのこと全然わかってなかったの。」

「……そぅ」

「君が、倒れちゃうまで頑張ってくれていたのに。気づいてあげられなくてごめんなさい。」

 

 そう言ってマルゼンは頭を下げる。

 彼女は何も悪くない、悪いのは自分で一人で傷ついた。

 

「マルゼンは何も悪くない。一人で、抱え込んでた……おれが悪いんだ。」

「そうだ、あなたの先輩が復帰後覚えてなさい! って鬼の形相で言ってたわよ」

「……甘んじて受けます。マルゼンからも、おれに言いたいことあるなら言っていいから……何でも受け入れる。」

「何でも?」

「何でも。」

 

「そうね、なら……まずは自分を大事にすること! あたしが君を逆スカウトしたのは、無理してあたしのために動いて欲しかったからじゃないのよ! 君が選抜レースで、子供みたいに輝かせた瞳であのレースを見ていたからなの。その輝きに嘘なんてなかった。きっと、あたしの走りに目を輝かせてくれるって直感的に感じたからだったの。」

「…そう、だったんだ……」

 

 今考えてみれば、マルゼンがおれをスカウトしたのは……レースを楽しそうに見ていたからだった。

 まさかあの言葉の裏には、言ってくれなかった事があったなんて思っていなかった。本当に…マルゼン自身が、おれであって欲しいと選んでくれたのだと凄く安心した。

 

「そう。だから、君がいないレースで走るなんて嫌。一人で抱え込まないで、あたしに相談して? これも担当とトレーナーがするべき支え合いだから。」

 

「――!」

 

 優しい女神の微笑み、それに心が温かくなる。

 心臓がうるさい。

 

 

 すると、手に持っていたスプーンが故意に落ちる。

 

 カランカランと床に落ちる音に、眠りに落ちる寸前に考えていた事の答えを見つけた気がした。

 

(そっか……、おれはマルゼンのこと――)

 

 だが言葉にしてはいけない。

 口にも、心にも。

 

 これ以上は越えてはいけない壁だ。

 

「と、トレーナー君どうしたの?」

「あぁ…ごめん、考え事しちゃってた。スプーン変えてもらってくるから待ってて!」

 

「ええ、行ってらっしゃい!」

 

 床に落ちてしまったスプーンを取り、店内へ入っていくのを見届けたマルゼン。

 すると両手を手で覆い、言葉にならない声を上げる。

 

「あぁあぁ〜……あたしったら、変に口走っちゃって…」

 

 トレーナーに掛けた言葉は隠しておくつもりだった本心。

 それをまさか言ってしまうとは自分でも予測していなかった為に、顔を真っ赤にしてしまったのだ。

 

(おばかさんね、あたしも……きみも……)

 

 

 二人の想いが実るのは、まだまだ先になるのかも?しれない

 


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