ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
春シーズン第一週の五日目、
〈フレイムリット亭〉でのアリスとの食事から、一夜明けた。
自室のベッドの上で、俺はカナメの返事を反芻する。窓の外は白み始めているというのに、俺の意識はまだ、夢のような昨夜から戻ってきていない。
『我は──モブと組みたい。それでも、その契約は成立するか?』
カナメの声が、いまも耳の奥に鮮明に残っている。
そのひと言だけでも頬が緩む。
続きの言葉を思い出し、俺は身をよじった。
『……私と役割が被るから難しいわね。彼が役割を変えるなら構わないけど』
『──そうか。ならば、いったん保留させてもらおう』
『なぜ?』
『我にとって、一番の案内役はモブだからだ。それに、アリス。我はお前の実力をよく知らぬ。命を預ける相手なら、慎重に見定めるのが道理であろう?』
「……んん~~~~っ!!」
頬から耳まで、一気に熱くなる。
毛布を体に巻き付け、緩んだ頬を枕へ押しつけた。そのまま右へ左へ、俺はベッドの上を転がる。
部屋に残る明け方の冷気だけでは、火照った体は冷めそうになかった。
(だ、駄目だ! 冷水でも浴びなきゃ、カナメに会えそうにない!!)
俺はベッドから跳ね起きる。
寝間着のまま、浴室へ駆け出した。
◆□◆
春シーズン第一週の五日目、朝。
湿った髪を押さえつけながら、俺は教室へ駆け込んだ。
あっちぃ~~。
直前まで冷水を頭からかぶっていたというのに、頬の熱はちっとも引いていない。むしろ風邪ひきそう。失敗したわ、くそったれ。
教室中の視線が、一斉に俺に集まる。
濡れた髪に赤い顔。息まで切らしている俺を見てか、女子生徒が数人、ぎょっと目を見開いていた。
見なかったことにして、自席へ向かう。
歩き方まで怪しい。油断すれば、右手と右足を同時に出しかねなかった。
「おはよう! モブ!」
自席のそばで俺は立ち尽くす。弾んだ声に、俺の肩は跳ねた。
朝日を弾くカナメの銀髪が、やけにまぶしい。
氷のように澄んだ藍の瞳が、まっすぐ俺へ向けられる。
目が合った瞬間、『一番の案内役』が耳の奥で蘇った。
俺は反射的に視線を逸らす。
「お、おはよう、カナメ!」
「?」
声が半拍遅れた。
椅子を引いて座るなり、俺は机に突っ伏して顔を隠した。
(ぞ、造形がよすぎる……!)
額を机へ押しつけても、鼓動はなかなか鎮まらない。
この火照りが引くまで、カナメの顔をまともに見られそうになかった。
いかんいかん。頬をつまみ、俺は昨夜のやり取りを思い起こす。
『──カナメ。ひとまず、学校を通じて冒険者ギルドから融資を受けるのはどうだ? 和国の統治者になるなら、他国での資金調達を経験しておいて損はないぞ』
『おお、そんな手段があるのか! たしかに、お前の言うことも一理ある』
『ああ、やり方なら俺が教えるよ。──というわけで、アリス。後援契約はいったん……』
『……ええ、保留でいいわ。またの機会に。──カナメがその気なら、いつでも受け付けているわよ?』
『うむ! かたじけない!』
……別れ際にアリスの口元がわずかに吊り上がったことだけが、気にかかる。
とはいえ、笑みだけで問い詰めるわけにもいかない。俺はその違和感を、いったん頭の隅へ置いた。
自分のレベル回復も重要だが、いまはカナメの刀が先。
あそこまで言われたからには、力になってやりたい。
俺の手持ちの装備や道具を担保にすれば、刀代くらいはすぐに工面できるが、それではカナメ自身の経験にはならない。
今日は申請用紙を受け取り、カナメと必要な数字を詰める。まずは、そこからだ。
俺は緩んだままの両頬を、ぱんと叩く。
それから、やっと姿勢を正した。
◆□◆
春シーズン第一週の五日目、正午。
午前の座学を締めくくるメイリーナが、教壇から声を張り上げた。
「──来週の四日目から五日目にかけて、お前らは郊外ダンジョン〈試しの山〉へ遠征することになる! 新入生恒例の、実力テストというやつだ!
〈水の王国における税金の申告方法〉と〈クエスト後の収支帳簿のつけ方〉という地味な授業が二つ続いた後だけに、教室中が一斉にわいた。机を叩く音と歓声が、そこかしこから上がる。
背後から、俺をつんつんとつつく者がいる。
かわいさで俺を殺す気か?
心臓に悪いからやめろ、という言葉を呑み込み、俺はゆっくり振り返った。口角を上げる銀髪の剣士に、話を切り出す。
「──遠征に間に合わせるなら、週明けには新しい刀を買いに行きたいな」
「うむ! 昨夜話していた融資は、間に合うのか?」
「マリン先輩に確認したところ……審査は最短でも二日。明日の朝に出せば、来週の頭にはぎり間に合う」
「よし! 善は急げという。さっそく教えてくれ!」
「まあ待て。午後は男子の必修があるから、それが終わってからな」
「……男子の、必修」
こぼれた声は、遠征にわく教室のざわめきに融ける。
カナメが、女子制服のスカートのひだを所在なげにつまむのを、俺は見つけてしまう。
「カナメ……」
俺が言葉を探す間に、カナメはスカートから指を離した。
ゆっくり、彼女は顔を上げた。
「……まあよい! なら我は窓口で申請書類とやらを貰ってくるか」
「ああ。……任せた。用紙だけ頼む。記入は、俺が戻ってから一緒にやろう」
「うむ!」
昼食後、カナメと別れた俺は、〈冒険者パーティにおける男性の役割~女性の喜ばせ方~〉の教室へ向かった。
原作ゲームでは設定資料集にだけ載っていた授業だ。不穏な裏設定を律儀に拾わなくていいだろうにと、俺は内心で愚痴る。
まあ、こんな授業ならカナメも参加する気は無くすだろう──。現に、同じクラスのレンとシモンは仮病でサボっている。
それとなく、あとで授業の実態を教えてやろうと、俺は思った。
◆□◆
春シーズン第一週の五日目、放課後。
男性講師を相手に、言葉選びとボディタッチの実技を延々こなした後。
俺は、西日の差す教室でカナメと合流した。下校途中の生徒が、まだ数人残っている。
合流直後、俺は泡を吹いて倒れそうになった。
ありったけの声を絞る。
全身を、震わせた。
「もう申請してきたぁ!?」
得意げにカナメが腕を組んでうなずく。
授業で消耗したところへ、さらなる心労がのしかかる。全身から血の気が引いていく。
「うむ! 窓口へ向かう途中でアリスに会ってな。申請用紙と書き方の見本をもらったのだ。書き終えた後、保証人欄に固有魔法陣印まで押してくれたぞ。それで、お前の手を
「な、内容は!? 俺、用紙だけって言ったよな!? 記入は一緒にって!」
「む? ま、まずかったか? アリスが『モブは忙しいようだし、ひとりで申請まで済ませたら、きっと喜ぶし、驚くわ』と言っておったから、その……」
「ファー!?」
教室に残っていた生徒たちの足が止まる。
視線が一斉に、俺に突き刺さった。
その中に、ひとつだけ肌へまとわりつくような気配が混じっている。
開いた戸の向こうに、俺は目を向ける。
アリスの虎金色の瞳がこちらをうかがっているのを、見つけた。
俺と目が合うと、アリスは深いブロンドの髪をかき上げる。
満足げな笑みを残し、そのまま
(あんのクソガキャァ~~~~ッ、やりやがったな……!?)
「──カナメ、控えはあるか?」
「こ、これか?」
カナメがジャケットの胸ポケットからふたつ折りの紙を取り出した。
薄灰色の魔力紙で作られた申請控え。
角には〈受付番号0421〉の朱印が刻まれている。
嫌な汗が背を伝った。
俺はひったくるように受け取り、一行目から目を走らせる。
〈担保:剣士の誇り〉
〈収支見通し:素材売却次第〉
〈保証人:アリス・マーケッタ〉
〈返済開始:出来次第〉
……
「
俺は申請控えを机へ叩きつける。天板が悲鳴を上げた。
偽の記入例でも手渡したのか? そう思えるほどに、
「担保が剣士の誇り、収支も返済も『次第』!? はぁ!? 窓口もすぐ叩き返せよ!? うちの母親にこんなん出したら一族追放もんだぞ!!」
「な、そこまで言うか!?」
「そこまで言うわバカたれ!! 金の貸し借り舐めてんのか!!」
「うっ……!」
本来なら、計画の不備を校内窓口で指摘され、その場で差し戻される内容だ。
だが、保証人欄にはアリス本人の固有魔法陣印がある。その信用で、冒険者ギルドの本審査まで回されてしまったのだろう。
一度受理された申請は、結果が出るまで差し替えも、同じ名目での再申請もできない。
通れば、カナメは保証人のアリスに借りを作る。
落ちれば、俺たちは審査にかかる二日を失う。
どちらへ転んでも、次の交渉でアリスが優位に立つことになる。
手の込んだ囲い込みである。
いますぐに、俺は用紙を引きちぎりたくなった。
「か、書き方の見本どおりに──」
俺は顔を上げてカナメを見る。
藍の瞳が揺れていた。震える手で、カナメは見本だという紙を俺へ突き出した。
〈担保:担保となるものを記載してください〉
〈収支見通し:収支の見通しを記載してください〉
〈保証人:保証人の氏名を記載してください〉
〈返済開始:返済を開始する時期を記載してください〉
……
上から下まで二度見する。
正気か? 具体例も、必要な数字も載っていない。
見本ではなく、いいとこ記入案内である。
「……これを、アリスが見本だと言って渡したのか?」
「う、うむ。空欄へ、我に合う答えを書けばよいと……。剣士の誇りは命にも代えがたい。魔物を討てば素材も売れる。ゆ、ゆえに、偽りはひとつも書いておらぬ」
神は死んだ!! 俺は、膝から下の力が抜けそうになる。
ふざけて書いたわけではない。
カナメなりに、見本の字面へひとつずつ答えた結果がこれなのだ。
「か、貸す側が知りたいのは、覚悟じゃねえんだぞ……? 担保なら換金できる品目と評価額、収支なら予定収入と経費、返済開始なら具体的な日付だ……。書いた後、記入欄がスカスカとは思わなかったんかオメー……?」
「ど、どうりで、余白が……!」
先ほどのアリスの笑みが俺の脳裏に蘇る。
人の無知につけこんで、ここまでやるかフツー?
……いや、名うての商人なら絶対やる。アリスもその一員だったってだけだ。騙されたほうも悪い。俺は頭を抱えそうになる。
休日を挟むため、この申請の結果が出るのは、早くて来週一日目。
却下後、二日目に出し直しても、次の結果は遠征当日になる。
「くそっ、却下されるかされないかギリギリわからんのが腹立つ……!! こしゃくな真似しやがってあの女……!!」
「も、モブ?」
「カナメもカナメだ! お前、アリスからこれ渡されて何も思わなかったのか!? わからないなら、俺を待てって!!」
「な……!?」
俺の声が教室に響いた。
残っていた生徒たちの視線が、今度はカナメへ集まる。
カナメは頬を赤くし、スカートのひだを握り締める。
「アリスから話を聞いて、わ、我ひとりでもできるかもと、やってみたいと思ったのだ。融資の手続きも、統治者になるための勉強だと、お前が言ったではないか。それに、お前は男子の授業で忙しかったから……」
痛いところを突かれ、返す言葉が一瞬だけ喉につかえた。
それでも、煮えたぎった感情は収まらない。
「だからって、相談もせず出すな! 用紙だけって言っただろ! 俺が手助けしたかったのに、簡単にアリスになびきやがって!!」
「ッ!!」
俺は髪をかきむしる。
うつむくカナメを見ないまま、勢いに任せてまくし立てた。
「もう今回はいい! 刀代の足りない分は俺が工面する! いまから店に話をつけに行くぞ!」
カナメの喉が、小さく動いた。
藍の瞳が一度だけ俺を射抜く。けれど、言葉は返ってこなかった。
彼女の視線が、机上の申請控えへ落ちる。
西日を受けた〈受付番号0421〉の朱印だけが、いやに赤く見えた。
スカートのひだを握っていたカナメの指が、ゆっくりとほどける。
カナメは唇を震わせ、勢いよく
見本の紙を握り締めたまま、カナメは出口へ走る。
残っていた生徒たちが、驚いた様子で道を開けていた。
「あ、おい!」
「──モブの阿呆っ! 頑固者っ!!」
言い放つなり、カナメは廊下へ駆け出した。
俺も反射的に机の間を抜け、教室を飛び出す。
夕映えの廊下を、カナメの足音が遠ざかっていく。
伸ばした手は届かず、カナメは角の向こうへ消える。
角の向こうから、押し殺した
(くそっ……言い過ぎた……。やらかした……)
昨夜、十金より俺を選んでくれた相手に、俺はアリスになびいたと吐き捨てた。
腹を立てていたのは、アリスにだ。
嫌な予感を見過ごした自分にだ。
その怒りまで、俺はカナメへぶつけてしまった。明日の朝、顔を合わせたら必ず謝ろうと、俺は心に決める。
鮮やかな橙色の陽が、廊下に影を落とす。
廊下に伸びた自分の影を、俺はじっと見つめる。
カナメのこぼした嗚咽の残響を、俺はしばらくの間、苦々しく噛みしめた。