ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
アリスたちが山頂に着くまでの予測残時間、二十分──。
細い
冷気が鼻腔を抜け、苔の青臭さが肺へ刺さった。
レンとシモンの姿はすぐ見つかった。
洞穴の奥。開けた空間の一角で、レンが粗い麻布の上に横たえられていた。
ヒカリゴケと、彼らが傍らに置いた火晶ランタンが光を放つ。
そんな中、レンは眉を寄せたまま天を仰いでいる。
遠目からでも、目尻から涙をこぼしているのがわかった。
俺は胸をなで下ろす。意識があるなら〈
だが、なぜレンは泣いているのか。
俺はレンたちに急ぎ足で近づいた。
入口側の気配に対し、シモンは身構えている。
背後に横たわるレンを視線からかばうように、彼は手を横に差し出した。
片手には濡れた布を持つ。
彼の側には、空のポーション瓶が二本転がっている。
「ア、アイカータ様!」
やっと俺に気づいたようだ。
シモンが声を震わせる。
彼の瞳は、焦燥で濡れていた。
(俺を見て、焦る? なんでだ?)
俺は目を細める。
土のついたレンの外套──肩口が裂け、泥がこびりついている。
その脇に半壊した〈雨の杖〉が転がっていた。水晶の杖頭が割れ、霧の魔力が哀しげに漏れている。
壊れた後も、大事に持ち運んできたのだろう。
「も、申し訳ございません……。ワイルドボアと交戦した際に、吹き飛ばされて……」
シモンが唇を噛む。声がかすれ、懺悔のように床へ落ちる。
その振る舞いの端々に、俺はどことなく違和感を覚えた。
不審に思ってレンを『視る』。
生命力は全快。魔力は残っているが、〈飛行術〉で三人を山頂まで運ぶには心
状態異常は〈トラウマ(戦闘)〉だけ。〈念話〉に応じられないほどの肉体的な障害は見当たらない。
「──どうして応答しなかった?」
問いが、唇からこぼれた。
□
俺は踏み出す。水溜まりを踏んだ靴底がぱしゃりと跳ね、洞穴に激しい足音が反響した。
〈念話〉に応じなかったのは、肉体のせいじゃない。
ワイルドボアに吹き飛ばされた失態も、弱さも、俺に知られたくなかったのだろう。
シモンの焦りと、返事を避けるレンの反応をつなげれば、そう考えるのが自然だった。
この隠しエリアで、時間切れを待つつもりだったのか──。
『──私は、このパーティを勝たせたい』
カーラの頬に触れたとき、手袋越しに感じた震えが右手に蘇る。
震えを抱えたまま、それでも彼女は仲間のためにひとりで進んだ。
カーラの覚悟が踏みにじられた心地になる。
腹の底が煮える。俺は口を強く結び、拳を握り締めた。
大股で、ふたりに近づく。
「たった一回、やらかしただけでふてくされるなよ……」
俺の硬い声が岩肌に響く。
自分でも驚くほど、抑制のきいた声が出た。
うっすら開いたレンの
怯えと悔恨の色が、ヒカリゴケに反射して揺れた。
「違います、レン様は……!」
青筋を浮かべたまま、俺は歩みを止めない。
いったい、何が違うと言うのか。
こっちがどれだけ心配したと思っている? 返事をしなくていい理由が、どこにあった?
反論が次々と喉元までせり上がる。だが、俺は口を挟まず、歩き続けた。
「レン様は、何度も喉元に手を──」
シモンが肩を震わせ、なおもなにか言いかける。だが、レンが片手を上げて制した。
俺は彼らの手前で足を止める。
「……うるさい」
横たわるレンは、ゆっくりと上体を起こす。
潤んだ翡翠の虹彩が俺を射抜く。
予測残時間、十八分──。
問答している暇はない。
だが、急げと命じるだけじゃダメだ。無理に山頂へ連れ出しても、ヌシを前にまた足がすくむ。レン自身が、もう一度進むと決めなければならない。
(……意地に火をつけるしかねえ)
俺はレンを見据え、あえて語気を強めた。
「落ち込んでないで、とっとと行くぞ。上で、カーラが待ってる」
ランタンの光が互いの影を濃く塗り、青と
レンが歯噛みし、俺をにらみ返す。
「──もういいだろうっ! 分断された時点で、もう勝負はついてたんだ! いまさら上へ戻ったって、マーケッタたちはとっくにいるに決まってる! 負けた後のことなら、どうにかするっ。お婆様に掛け合って……!」
「それで満足なのか、レン?」
俺は
「……まだ、勝負は終わっちゃいない。ここへ来る前に『視た』時には、アリスたちは五合目付近にいた。レンの〈
情けない言葉を、これ以上は聞きたくなかった。
傷口を抉るとわかっていても、レンが目指してきたものを俺は突きつける。
「レン。お前が目指してる高レベルの人間ってのは、つまずいても立ち止まらない。現実から目を背けず、辛くても積み上げ続ける。……お前は、そういう人間になりたかったんじゃないのか? 女子たちに『やっぱり男には無理』って言わせたままで、いいのか?」
「わかっている!!」
洞穴中に声が響いた。
「……ううぅ」
怒鳴り声は震えて崩れ、涙が頬を伝っていた。
レンは、同じ男の俺なら寄り添ってくれると、心のどこかで期待していたのだろう。
失敗したことも、それを言い出せなかったことも、「仕方がない」と受け止めてくれると。
この世界の男子同士にとって、それは互いを守る優しさであり、失敗を引き受けて立ち直る道を閉ざす檻でもあった。
だが俺は、そうしなかった。
黙り込み、時間切れを待ち、負けた後は祖母に任せる──その逃げ道を、俺は残らず塞いだ。
「わかっている」と口にした瞬間に、レンはやっと現実と向かい合った。
そして押し殺していた後悔と恥を、ようやく自分のものとして引き受けたのだ。
(ひとりで立ち直るには、早い、か)
俺は目を細めてレンを見る。追い込み過ぎたことを、自覚する。
アリスに立ち向かった時は、この世界の男らしからぬ男気を俺はレンから感じた。
だが、この極限状態のなかで
俺はかぶりを振ってから、レンへ一歩近づく。やり口を変えようと心に決める。
ブーツが水面を弾き、跳ねた水がレンたちの
予測残時間、十六分──。
「──アイカータ様、どうか、これ以上は……。レン様は何度も、〈念話〉に応じようとなさっていました。それだけは、わかってください」
シモンが震える声で割って入る。
レンをかばうように、黒革手袋をはめた手を横に差し出した。
返そうとはした。だが、失敗を俺に知られるのが怖くて、そのたびに踏み切れなかったということか。俺はほんの短い時間、目を閉じ、息を吐いた。
「失礼。……ったく」
俺は差し出されたシモンの腕へ触れ、静かに下ろさせた。
レンの真正面に立ち、その肩を抱き寄せる。
そのまま膝裏に左手を入れ、彼の体をすくい上げた。
途端、レンの頬が朱を差し、耳まで真っ赤に染まった。
濡れたまつげがぱちぱち
彼の軽く握った拳が、俺の胸板に当たった。
「な、なにをするっ……! お、俺は歩ける! 下ろせ!」
震えた声が洞内に跳ね返る。
レンの呼吸が、俺の首元に熱い霧を吐きかけた。
俺は苛立ちを隠さない。
力強く、言い返した。
「うるせーっ!! いま上じゃあな、カーラがヌシ相手に戦いに向かってんだ!! 俺たちが戻る時間を稼ぐためにな!! わかったら、わめいてないでとっとと魔法使え、バカ!」
「──ッ!」
カーラの状況を聞いた途端に、レンの顔が強張る。
腕の中で、細い肩が小さく震えた。
俺はレンの心情に寄り添おうとする。
震えごと包むようにレンを抱き直し、目線を合わせるように俺は顔を寄せる。
囁くように、言った。
「それと。……ふたりだけで不安だったよな? 任せきりにして、悪かった。俺のミスだ」
それはレンがいま欲しがっている言葉であり、俺が伝えるべき本音でもあった。
「もう、俺がついてる。──ここからは俺が先導する。一緒に取り返すぞ」
張り詰めていたものが切れたように、レンは顔をくしゃりと歪めた。
嗚咽を上げ、俺の首へすがる。
か細い腕が震えながらも強く締まり、レンの涙は俺の襟に浸みる。
予測残時間、十四分──。
十五歳の少年が突然、責任を負うことになった不安と重圧を、俺は軽視していた。
この世界の男子ならばなおさらだ。
……高レベルを目指すなら、独り立ちは必要だ。だが、重圧への耐性も闘争心も、これから養っていけばいい。
俺はレンの背中をさする。涙声がひときわ大きくなった。
□
予測残時間、十分──。
レンが青いマジックポーションと橙のスタミナポーションを飲み、呼吸が整うのを待つ間、俺は隠しエリア最奥の地面へシャベルを入れた。
土を除けて引き上げた鉄箱は、錆びつき、ずしりと重い。
蓋をこじ開けると土埃が舞い、油と金属の臭いが立ち上った。
俺は原作知識どおりの中身を確認し、シャベルとともに魔法の携帯袋へ〈
待ち時間の四分で、隠しアイテムも回収できた。これはヌシ戦の勝ち筋になる。
カーラが稼いでくれている時間を、ただの寄り道にはしない。
鉄箱を掘り出した地点の、ちょうど真上を仰ぐ。
ヒカリゴケの淡い光の先、遠い天井にショートカット出口の割れ目が口を開けている。
レンは半壊した〈雨の杖〉に代え、予備の樫杖を握った。
俺たちは、掘り返した穴の縁──出口の真下へ集まる。
「振り落とされるなよ、ふたりとも」
「あ、ああ」
「はいっ」
お姫様抱っこ──いや、この世界では王子様抱っこか。
レンは俺の両腕におさまる。
シモンには俺の背へ飛び乗ってもらった。衣服の金具が俺の背骨に当たり、鈍い圧が肩へのしかかる。
「始めてくれ、レン」
胸元で身じろぎしたレンが、こくりとうなずきを返す。
予備の樫杖を両手で握り直した。
『〈
短い詠唱が洞壁に溶け、レンの樫杖から翡翠色の魔力光があふれる。
光を帯びた風が、ふたりを抱えた俺の脚から腰へ巻き付いた。
ヒカリゴケの光粒が舞い上がり、湿った冷気が押し払われる。
両腕と背にかかるふたり分の重みごと、足裏がふっと地面を離れた。
俺たちは、掘り返した穴の上で宙に浮かぶ。
目指すのは、その真上に口を開ける割れ目。
原作ゲームでは、九合目から隠しエリアへ降りるための出入口だ。
いまはそのルートを逆向きに登る。
「いけぇっ!」
俺の叫びに応じ、レンが樫杖を握り込む。
翡翠色の魔力光がひときわ強まり、腰に絡んだ風が俺たちを一気に押し上げた。
地面が瞬く間に遠ざかる。
洞壁のヒカリゴケが青白い光の筋となって下へ流れ、風切り音が耳元を裂いた。
隠しエリア最奥の頭上──天蓋の割れ目が迫るにつれ、火口の熱を帯びた上昇気流が渦を巻く。
湿った冷気が熱風に押し流され、硫黄混じりの刺激臭が鼻腔を刺した。
俺が身に付ける緑の外套が、激しくはためく。
予測残時間、八分──。
閃光が視界を焼いた。
俺たちは頭上の割れ目を抜け、そのまま九合目の空へ飛び出す。
視界いっぱいに朱色の天空が広がった。
稜線の向こうでは溶岩流が遠雷のようにごうごうと鳴り、火山灰が雪のように舞っていた。
(た、たけえぇえええええ! 南無三!)
俺は恐怖を押し殺し、まず真下を確かめる。
二十メートル下。焦げ茶の岩盤に亀裂が走り、その奥で
視線を斜面へ滑らせる。岩盤は段々畑のように連なり、点在する噴気孔が白い息を噴き上げている。
灼熱の風が頬を撫でる。
頭上では、スカイスワローの群れが灰紺の円を描き、尖った笛声を撒き散らす。
斜面の下方では、ワイルドボアの巨影が鼻息で火山灰を巻き上げ、その足元で火花を散らしていた。
──ここが九合目、ヌシの縄張りへ続く最後の外輪。
背中のシモンが、俺の肩へ回した腕に力を込める。
腕の中では、レンが額に大粒の汗を浮かべ、〈
「──ッ! レン、このまま山頂へ!」
上昇気流が俺たちをさらに押し上げる。
視界が一気に開け、三つの光景が飛び込んできた。
ひとつ──眼下の九合目。アリスたちは、もう分かれ道から山頂とは反対側の道へ踏み込んでいる。予想より早い。
ふたつ──正面の山頂。橙に輝くダンジョン核のそばで、炎柱に囲まれたヌシ〈エンバークロウ〉が漆黒の羽翼を広げている。
そして三つ目。
その〈エンバークロウ〉が、カーラの構えた銀青の盾へ爪を叩きつけた。
盾が粉々に砕け、その衝撃で彼女の体が宙へ弾き飛ばされる。
「っ!? 急ぐぞ、レン!」
返事の代わりに、レンは樫杖を胸に引き寄せ、瞳を細めた。
次の瞬間、風向きが変わる。俺たちは山頂へ向けて滑空を始める。
背後からスカイスワローの群れが甲高い笛声を上げて追いすがってきた。
だが、俺たちを追って火口側の乱れた上昇気流へ入った途端、熱風に煽られ、翼列を乱す。
その隙に、俺たちは火炎と灰の渦巻く山頂へ突っ込んだ。
「だぁぁああああ!?」
地面すれすれで、レンを腕から下ろした。
靴底が岩盤を捉えた直後、翡翠色の風が途切れる。
シモンも俺の背から飛び降りた。だが、俺たちふたりとも勢いを殺しきれず、血まみれで横たわるカーラの側へ着地──いや、揃って横転した。
「カーラ様っ!」
シモンが跳ね起き、カーラへ駆け寄る。
俺も転がった勢いのまま身を捻り、体のばねで立ち上がった。
硫黄の臭気が鼻を満たす。
カーラを背にかばい、〈エンバークロウ〉の前へ出る。
肩越しに一度だけ戦況を確かめた。
シモンは薬瓶から赤い液を布へ垂らし、カーラの傷口へ押し当てている。
着地させた場所では、レンが肩で息をし、指先を震わせながら膝をついていた。
レンを『視る』。魔力は完全に尽きている。
前線を支えるカーラは盾を失ってぼろぼろ。
火力担当のレンの魔力は枯渇。
シモンもカーラの治療にかかりきりときた。
──笑えるほどの逆境だ。
だが勝ちの目はまだある。
俺は腰の革ホルダーからダガーを引き抜く。
〈エンバークロウ〉へ切っ先を向けた。
「カーラ、よく持たせてくれた」
ダンジョン核の前、溶岩の吹き溜まりで羽を休める漆黒の巨鳥。
その輪郭をレンガ色の火が走る。
黄金の
「あとは俺たちに任せろ」
アリスたちが山頂に着くまで──あとわずか。