ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
「モブ、くん。立てるか?」
背後のカーラが問う。
肩越しに俺は彼女を見た。
彼女の煤を帯びた頬に残るのは、乾き切った汗の跡。
琥珀色の瞳が、俺の目を捉えていた。
〈転輪の写盾〉の持ち手を互いに握り合っている。
彼女の空いた片手が俺の肩を支える。
カーラに包み込まれるような格好となり、俺は気恥ずかしさと安心感を一挙に覚えた。
俺はうなずいた。盾の持ち手をカーラに譲る。
立ち上がって、炭化した外套の裾を払った。
焦げ臭いにおいが鼻をかすめていく。
ブレスを吐き終えた〈エンバークロウ〉が、俺たちの頭上で翼を張る。
一度の羽ばたきで黄塵が吹き飛ぶ。
喉袋が脈動し、嘴の先へ溶岩色の光が集束――二度目のブレスを撒き散らそうとしていた。
「来るぞ!」
カーラに短い警告を送る。
俺は彼女の後背に回る。焦げた背鎧に肩を預けた。
〈エンバークロウ〉の口から火炎の息が放たれる。
灼熱の奔流が地面を舐める。そのまま広域に伸びて、俺たちに襲い掛かった。
「はぁああああ……!!」
カーラが盾を突き出す。水位相ルーンがきらめいた。
俺とカーラの二人を隠すように、水の透明壁がそびえ立つ。
〈転輪の写盾〉の水位相ルーンが生み出した膜が噴気と化す。
俺が握った時と明らかに違う。
カーラの盾スキルの高さが、魔力盾の大きさとして表れていた。
カーラを起点に火束は左右へ割れた。
俺の横を走る火炎が土を焦がす。
焦りはない。タンク職が稼いだわずかな間に、俺は魔法の携帯袋へ手を突っ込んだ。
半月弓と氷矢筒を引き抜く。
矢羽についた霜が即座に蒸散し、白煙となって舞い上がった。
【モブ、仕掛けるぞ! シモンの動きを見ろ!】
「――!」
こめかみに鈍痛。
脳裏にレンの声が突き刺さる。
通信魔法で短く、彼は意図を伝えてきた。
素早く左へ視線を振る――霧と熱の揺らぎ越し、シモンが片腕で顔を覆っている。
そして空いた右手で、俺が初手に示した狐の印を形づくった。
「カーラ、左側に移動! 閃光準備!」
張り上げる声が山頂を抜けていく。
呼応したカーラが走り出す。足元の焼けたつぶてを蹴飛ばしながら彼女は駆けた。
俺もその背へ貼りつくように並走。
焦げた外套が擦れ、炭の粉を撒いた。
滞空する〈エンバークロウ〉が赤金の双眸でこちらを追う。
羽ばたき一度、灼熱の気流が地表をなぎ払い、黒砂が砂嵐のように舞い上がる。
熱気が頬を打ち、鼓膜の裏で血流が脈打った。
風切り音をまとい巨鳥が滑空に転じる、その瞬間――。
シモンの手から離れた白い球体が光を放った。
カーラはそれに合わせて盾に隠れ、俺は腕で目を覆う。
〈閃光弾〉の白い閃きが山頂の闇を裂く。
〈エンバークロウ〉が顔を背けるも、黄金瞳に白膜が走り、羽ばたきが失速した。
炎羽から
シモンが稼いだ数秒。
十分すぎる時間だ。
俺は弓を半弧に構える。
氷属性の矢を二本、指の股で挟む。
レベル2スカウトスキル――〈二本打ち〉。
溶けた岩盤が不規則に灯るなか、弦を引き絞る。
肺に残った熱風を吐き捨て、狙いを定めた。
氷矢の一つは左翼の根元、もう一つは胸部を狙う。
手先がわずかに震える。
指を離すと蒼い双閃が火花を切り裂き、巨鳥の影へ吸い込まれていった。
その反対側では、レンが〈エンバークロウ〉にめがけて魔法を放つ。
『――
「ギャアァアアアアアアアアアッ!!!??」
魔法の氷矢と共に、俺の矢も命中する。
放った矢は一本外れ、もう一本は腹部に突き刺さっていた。
氷花が咲き、灼けた羽軸に青霜が爆ぜる。
巨鳥の悲痛な金切り声は山頂の岩壁を震わせた。
(一本は外れた……けれど)
赤い目でステータスを走査――〈エンバークロウ〉の生命力は二割を切った。
畳みかけようと、残りの矢をつがえようとした時。
俺は視界の端で走る銀の流星を視認した。
□
(――カナメ!?)
炎熱と灰煙しかなかった空間に、突如ひらめく銀の流星。
一呼吸の間に、藍の小袖をまとう影と、巨鳥との距離が目に見えて縮む。
着地の音はほとんど無かった。
溶岩の照り返しが銀髪を撫で、残り火の中で刃紋のように輝く。
和装の侍は膝を沈めると同時に前へ疾走する。
草鞋の裏が黒曜片を踏み砕く。舞い上がった橙の火粉が後方へ光の尾をひく。
左手は赤鞘を握り締め、右手はまだ柄頭に触れていた。
この場にいる人間は五人。
モンスターの保有するスキル〈群衆補正〉は機能しない。
〈群衆補正〉でヌシにバフがかかることを嫌ったのだ。――まさに、最後の一撃をかっさらおうとする動きだった。
アリスとの賭けの条件は
ルールルーの魔法〈
カナメの姿勢が一拍で消える。
白い残像を残して高く跳躍――銀の弧が溶岩色の大気を横切り、天頂で一度脈動する。
レンも、シモンも反応が遅れる。
俺自身も、飛び上がったカナメを視線で追うだけ。
――間に合わない。
静止しかけた時間のなか、俺の正面――カーラだけが動いていた。
「はあああぁぁぁああっ!!」
カーラが盾の縁を片手で掴み、焦げた靴裏で黒曜の岩床を蹴る。
焼けついた腕を振りかぶり、全身の慣性を載せて盾ごと放つ。
“ゴゥッ”
レベル2盾スキル〈
水位相ルーンが藍光を噴き、鏡面に薄蒼の水膜が走る。
〈転輪の写盾〉は円盤状に高速回転しながら火粉の海を裂く。
蒸気の尾を引いて、弾丸のように射出される。
「行けぇええええええっ!」
カーラのしゃがれ声が黒土を震わせる。
焦げたつぶてがわずかに跳ねた。
溶岩の照り返しを鏡面が拾い、橙と藍のストロボが山頂の闇を走る。
〈エンバークロウ〉の頭上の位置。
上段に構えたカナメが目を見開いている――。
降り注ぐ流星と飛翔する銀盤の軌道を、俺は両の目に焼き付けた。
□
カナメが黒曜の岩床へ膝をしずめて着地する。
ゆっくりと刀を払う。
音もなく、彼女は赤鞘に刀を納める。
一瞬の静寂。
息を荒げながら、カナメは言い放つ。
「お見、事」
カーラが投げた盾が〈エンバークロウ〉の胸元にめり込んでいる。
血の華が破裂。
鳴き声が噛み潰れた金属音に変わった。
巨大な影は裂けた岩棚へぶつかる。
砕けた羽根を撒き散らしながら、〈エンバークロウ〉は崩れる。
カナメは先に盾が絶命させるのがわかったのだろう。
彼女が途中で刀の軌道を変えたのを、俺は見た。
数拍の沈黙のあと、黒焦げの尾羽がぱさりと落ちる。
〈エンバークロウ〉が赤い粒子に姿を変えた。
〈転輪の写盾〉がこぼれ落ちる。岩肌で音を立てた。
赤い粒子は焔立つ気流に乗り、無数の火の蛍となって天へ昇っていった。
熱風が凪ぎ、山頂に柔らかな光が射し込む。
薄灰の雲間から澄んだ青空が覗く。
空域を支配していたヌシがいなくなり、魔素が霧散したのだ。
〈転輪の写盾〉のひび割れた鏡面に空の蒼光と、ダンジョン核の橙の光と、〈固有品〉の黄金光が映る。
盾を囲うように〈固有品〉とドロップアイテムが散らばっていた。
俺は息を止めたまま、立ち尽くしていた。
燃え残る羽根がぱちぱち弾ける音だけが、終幕を告げる余韻として耳に残る。
前に立つカーラが、ゆっくりとこちらへ振り返る。
琥珀色の瞳が茫然と揺れている。
俺と目が合った途端、彼女は唇をぎゅっと内へ噛み込み、肩を小さく震わせる。
「う゛う゛ぅ……」
煤で汚れたカーラの頬に、涙が白く筋を引いている。
俺は衝動にかられ、地を蹴った。
手放した弓と矢が、音を立てて岩肌を跳ねた。
「っしゃぁあっ!!」
「っ!?」
「やったなカーラ!」
俺はカーラの背へ飛びついた。
両腕を首に回す。
カーラのささやかな抵抗も、すぐにやんだ。
俺の抱擁を受け入れ、彼女はさめざめと泣き続ける。
パーティを勝たせたい――カーラの願いを俺は思い返す。
鼻の奥がつんとする。
彼女の肩に顎を乗せ、俺はそっと囁いた。
「ほんとに、ありがとう、カーラ。勝ったのはカーラのおかげだ。君が、勝たせたんだ」
「……っ」
カーラの喉がひく、と震える。
肩が上下するだけで声が出ていない。盾を投げた腕がだらりと落ちていた。
「モブ、カーラ!」
「皆様っ」
掠れた呼び声と同時に、軽い足音が重なる。
レンとシモンが横合いから俺たちに抱きついてくる。
俺とカーラの腰に、彼らはそれぞれ腕を回していた。
「う、うぅ……」
二人はこらえ切れない嗚咽を漏らす。
肩伝いに伝わる鼓動は速く、泣きじゃくる声が俺の鼓膜に響いた。
「う゛~」
カーラもまた、声にならない声をあげる。
俺もつられて涙ぐむ。
仲間たちに揉まれ、張り詰めていた緊張は一気にほどけていく。
にじむ視界の端に、俺はもう一つの気配を捉えた。
斜光を反射する銀髪、藍の小袖。
唇をとがらせ、黙然とたたずむカナメの姿を、俺は確かに見た。
微かな山風が吹き抜ける。
しばらくの間、俺は勝利の余韻をいまの仲間と共に味わった。
そしてひとしきり感情を絞り切った後。
山頂の奥で明滅する橙色のクリスタル――〈ダンジョン核〉に俺は目を向けた。