ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
山頂から西の尾根道を下ると、道が左右に分かれる小さな踊り場に出た。
乾いた岩肌が、昼の陽を白く照り返している。
原作ゲームでは、右手が袋小路だ。俺がカーラに指示し、罠を仕掛けてもらったのも、その奥だった。
迷わず右へ踏み込む。砂利が靴底でざり、と鳴った。
ほどなく、切り立った岩壁が行く手をふさぐ。
その根元で、アリスが膝を抱えたまま顔を伏せていた。
赤い外套は
そこからは足音を殺して近づく。アリスは顔を上げない。
俺は声をかけないまま隣へ腰を下ろし、岩壁に背を預けて両足を放り出す。
陽を吸った岩肌の熱が、背中へじわりと移った。
正面を見据えたまま、俺はアリスに声をかける。
「座るぞ?」
「……もう座ってるじゃない」
「まあね」
アリスが、ようやく横目でこちらを見る。
まぶたは泣き腫れ、褐色の頬には乾ききらない涙の跡が残っていた。
「笑いに来たのね」
鼻にかかった低い声だった。
アリスはすぐに目を逸らし、また膝へ顔を伏せる。
「そうかもな」
俺は近くの小石を拾い、親指で弾いた。
石は岩肌を跳ね、乾いた音を残して崖下へ消えた。
草の匂いを含んだ山風だけが、俺たちの間を抜けていった。
「──笑えばいいのよ。あなたが、勝ったんだから」
アリスは声を強める。
やがて顔を上げると、アリスは膝を抱いていた腕をほどいた。座ったまま、こちらへ向き直る。
黄金の瞳が、今度はまっすぐ俺を捉えた。
「ねえ、どうやって私たちより先に山頂に行けたの?」
「それは……」
問いは静かながら、声の芯が震えを帯びている。
彼女は下唇を噛み、細めたまなざしを寄こす。
穏やかに、俺は言葉を継いだ。
「ひとつ上の先輩から、〈
原作知識によるものだと、俺は告げないでおく。
〈第四の目〉と原作知識──このふたつがある限り、負ける気はしなかった。
──結局は、アクシデント続きでぎりぎりの勝利となってしまったが。
「……そんな、初めから差がついてたのね」
苦笑する唇が、かすかに震えていた。
「レベルによる
「でも〈
「レンだよ」
俺は目元に指を寄せ、自身の目を指差した。
その仕草ひとつで、アリスは理解したようだった。
アリスたちの
レンの
察したアリスは細い吐息と共に伏し目がちになり、腕を組むのでもなく力なく垂らす。
「……完敗、ね」
「惜敗だろ? 事実、カナメに最後の一撃を取られそうだった。ルールルーの〈
その言葉に、アリスは自嘲めいた声をこぼす。
「ふふ……。あの子が転移を使えるなんて、私だけ、知らなかった。『どうして言わなかったの』って聞いたら、あの子、なんて言ったと思う?」
俺の返答を待たず、アリスは言葉を継ぐ。
「『目立ちたくない。詳しく聞かれなかった。自分から説明するのは面倒』ですって。……教えてもらわなきゃ、分かるわけないじゃない。レベル3の魔術師が転移魔法を使えるだなんて、普通思わないでしょう?」
「……それはそう」
転移魔法はレベルが低くても習得可能ではある。
だが、制御が難しく魔力消費も多いため、世間では実質的に高レベル向けの魔法と認識されている。
「それなのに、最後の最後でカナメが頼むと、あの子は私に秘密を明かしてまで転移を使った」
「……」
「──ふふっ、とんだ道化ね、私。あなたの言ってたとおり、私のせいで負けた。私が自分の
アリスは首を横に振り、晴れ渡る空へ短く視線を泳がせた。
そして、再び正面を見据え、俺を見る。
黄金の瞳がわずかに潤み、目頭から涙がこぼれた。
それは敗北の痛みが言わせた、ずいぶん乱暴な結論だった。
平静を装いながら、俺は革手袋を外す。
彼女の目元へ手を伸ばし、親指の腹で涙を拭った。
「……卑下し過ぎだな。君の価値は、ずっと高いままだよ。俺が保証する」
「──ほんとに?」
「ほんとだよ。目で見なくたってわかる。ただ、相手が悪かったな。へっへっへ」
「……嫌みな子」
アリスは泣きながら、さらにこちらへ身を寄せる。
吐息がかかるような距離で、彼女は俺の顔を見上げた。
唇をつんととがらせて、非難の視線を俺に浴びせる。
こうして身を預けられると、いつも強気な商会令嬢が、俺より年下の女の子なのだと思い知らされる。
泣き顔をさらしてまで、彼女は俺を頼ってくれている。その事実が、妙に胸へ響いた。
この世界の女性が本当に求めているものを、俺はいまのアリスの中に見出す。
(女性たちは内心、甘えられる存在を求めている、か)
千六百年前に女神が性差をなくすために、男性に成長阻害の呪いをかけて以降。
女性たちは責任を負う立場に無理やり立たされた。
だが、女性の中に眠る本能は、長い時を経ても忘れられるものではない。
アリスのような強い女性であっても、自分を導く・保護する存在に無意識に惹かれるのだと、原作の設定資料集には書いてあった。
俺はそのことを身をもって理解する。
きれいな異性に迫られ、心拍は速まっていく。
思わず喉が鳴る。逸らしかけた視線を、俺はなんとか正した。
アリスが、黄金の瞳を
「──あなたの価値を、測りたかった。勝って、あなたより私のほうが優れていると、示したかった」
アリスがわずかに目を細めた。膝の上で外套の裾を握り込む。
俺から離れないまなざしには、悔しさだけでなく、まだ諦めきれない熱も残っている気がした。
肩をすくめて、俺は問う。
「出会った時から、ずっと測りたいって、言ってるな。そんなに大事か?」
「
かつて、王都迎賓館で開催された商会連合・黎明の社交会。
──あの時もアリスは俺を見るなり『測定不可能』とつぶやき、シャンパンの泡をにらんでいた。
俺が転生者ゆえか、それとも別の因子か。
答えはいまもわからずじまいである。
「あなたのほうが下だって、わからせたかったのに……。負けるって、こんなに悔しかったのね。すっかり、忘れちゃってた」
「心配したよ。みんなして、すごい落ち込んでるって言ってたから」
「──その心配は、婚約者として?」
問いと同時に、アリスはそっと俺の片肩へ額を預けた。
薔薇の香りを残す金髪が頬をくすぐる。
俺は激しく高鳴る心拍を抑えつつ、空に漂う薄雲を一度だけ仰いだ。
□
原作ゲームでは、モブ・アイカータはアリス・マーケッタと婚約関係にあった。
本来は、モブ・アイカータが女体化したせいで婚約は破談──契約を反故にしたと見なされ、違約金の支払いでアイカータの経営が傾くイベントが発生する。
ただ、この世界では俺は男のまま。
アリスとの婚約関係は何一つこじれることなく、続いている。
視線を外し、俺は足元の石片を靴先で軽く弾いた。
石がカラリと音を立て、乾いた砂埃が舞い上がる。
正面を見据えたまま、俺は言う。
「その婚約、あくまで名目上だって言ってなかったか? 在学中は秘密にして、互いに不干渉。君は自由に遊び、俺は君との婚約をいざという時の魔除け代わりに使う。そう取り決めたはずだろ?」
「前まではね。……いまの気持ちは、違う。それで、どうなの?」
アリスは金の前髪を揺らし、俺の肩へ額を預けたまま、返事を待っている。
触れ合う柔らかさと、間近で揺れる翡翠の耳飾りに、俺の体温は上がる一方だった。
「……学友として、かな」
俺は拳を固く握る。
社会の規範に背いてレベル上げに励む俺は、結婚して家の後継を残す立場にはふさわしくない。
口にしてみて、いまの俺が引き受けられる関係は学友までなのだと痛感した。
そう答えると、アリスは肩に預けた額を、ぐりと押しつけてきた。
「そっけないのね。そこは、『愛する愛する貴女が心配で、居ても立っても居られなかった』じゃない?」
「なら、行動では示してるな」
「……っ」
肩口に小さな震えが伝わり、俺はアリスの顔を覗き込んだ。
目が合う寸前、彼女は唇を噛む。朱に染まった頬を隠すように、俺の肩へさらに顔を伏せた。
この場にいることが答えである。俺は肩をすくめ、軽く笑った。
「──あなたには、敵わないわね」
そう言って、アリスは俺の肩から額を離し、腰の携帯袋へ手を入れた。
黒革の輪を取り出す。
俺の手を取って拳を開かせ、その手のひらへそっと載せた。
触れた指先から、かすかな震えが伝わる。
泣き腫らした黄金の瞳に、見慣れた悪戯な光が戻っていた。
「ア、アリス?」
「……本当は、勝って、あなたが私のものだって、みんなに教えてやりたかったんだけど」
そう言ってアリスは目を閉じ、顎を上げて小麦色の喉元をさらした。
手のひらの黒革は、まだアリスの体温を帯びている。
「おい、待て。まさか……!?」
「女に二言はないわ。負けたら、あなたの犬になる……そういう約束だったでしょう? ──あ、髪が邪魔だったかしら?」
アリスは自ら金糸のような髪をすくい、指先でふわりと持ち上げる。
透ける光が髪を薄金に染め、肩先で宝石のようにきらめいた。
俺の戸惑いも焦りも置き去りにして、アリスは褐色の首筋をさらし、輪がかかるのを待ちわびる。
「ね、ねえ、早くして?」
「ちょ、ちょいっ! 落ち着けって! 俺は別に望んでないっ!」
「商人が契約を反故にする気?」
「ぐっ」
「──さあ、どうぞ」
胸奥で鼓動が一拍、強く跳ねた。
俺は手の中の黒革へ目を落とす。
ちくしょう、なんて日だ! 契約を反故にする気かと問われ、俺は逡巡した。
思い直す。覚悟を決める。
約束を果たさんとする気概を、俺はふいにしない。ここで引いたら、逆にアリスに失礼である。
手元の金細工の留め具に、俺はそっと指をかけた。
留め具を外す。
小さな金属音が乾いた空気に響き、間近でアリスのまつげがぴくりと震えた。
「い、行くぞ」
「ええ、来て」
アリスは小さくうなずいた。
いったい俺は何をやっているのか──。
そんな疑問を飲み込み、革を彼女の首にそっと巻き付ける。
「ひゃっ♡」
「だ、大丈夫か? いったん、止めるか?」
「大丈夫。ちょっとひんやりして、驚いちゃった。続けて」
ごくりと唾を飲み込む。
バカもーん!! エロい声出すな! 俺は喉まで出かかった言葉をどうにか押し戻した。
アリスの首筋へ余計に触れないよう、指先で長さを調整する。
耳元で彼女が小さく喉を鳴らすたび、甘く温かな吐息が頬を撫でる。
「んぅ……」
俺の脳内で強風波浪警報がけたたましく鳴る。
理性くんは、田んぼを見に行ったっきり帰ってこない。
残った良心だけを頼りに、無心で手を動かす。
最後に金具へ革を通してカチリと留めると、微かな振動が指を通じて伝わった。
締め具合を再確認し、そっと手を離す。
陽光の下、黒革の輪が金髪と小麦肌の境で映える。
細い鎖骨のくぼみに、柔らかな影を落とした。
アリスは首輪正面の装具──金のリングにそっと指を当てた。
頬から耳の先まで朱に染まっている。
おそらく俺も同じ状態だろう。
とにかく全身が燃えるように熱かった。
「ねえ、大変……」
アリスは金のリングから指を離さず、ゆっくり目を細める。
濡れたまつげが陽を弾いた。黄金の瞳には、俺の赤みの差した顔が映っている。
弾んだ声が妙に甘い。耳の奥で反響する。
あまりにきれいで、俺は息をするのを忘れてしまっていた。
「私──あなたの犬になっちゃった♡」
アリスはうっとりと笑みを浮かべる。
俺はヌシに火を浴びせられた時よりもずっと疲れを覚えていた。
放り出していた両足を引き寄せ、あぐらをかいて眉間をつまむ。
「勘弁してくれ……」
「うふふっ。これからも、よろしくね。……ご主人さまって呼んだ方がいいかしら?」
「いらんわっ!! ふつーに呼べ、ふつーにっ!!」
抗議した途端、アリスが俺の手を取った。
片腕を絡め取られ、ぴたりと身を寄せられる。
二の腕を包む柔らかさに、背筋がぴんと伸びた。
慌てて引こうとすれば、彼女はますます身体を寄せてくる始末。
(オーノー!! 神は死んだ!!)
吹き抜ける山風だけが、俺の火照りをさらっていった。
◆□◆
その後──俺はアリスと共に山頂へ戻った。
アリスはしきりに首輪の金環に触れ、笑みを浮かべて俺の隣を歩く。
そんなアリスを見てか、合流した途端、俺はカナメたちからなにがあったか詰問された。
そして翌日正午には、集合場所でクラスメート全員から、俺は畏怖とも興味ともつかぬ視線を浴びる羽目になった。
「く、『首輪かけ』のモブ……♡」
「あのマーケッタ商会の令嬢に首輪生活を強要するなんて、げ、激やばっス……!」
(……はあ)
俺の悪評はさておき。
こうして二度目のダンジョン実習は、無事に幕を閉じた。