ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す―   作:つくもいつき

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第57話 モブと聖騎士

 

 

 聖堂外苑本通りの角にある薬草茶屋は、巡礼客向けらしく白木の卓も椅子も簡素だった。

 軒先に吊るされた乾き草束が風にかすかに鳴り、扉をくぐった瞬間、湯気に混じるハッカと柑橘の匂いが鼻をくすぐる。

 俺とカイウスは店の手前、路地側の二人席へ通された。通路で隔てた、他の席とはやや離れている位置だった。

 

 

 外から見れば、ただの年の離れた客同士だろう。孫と祖父の関係にだって見えるかもしれない。

 だが、卓を挟んで向き合うだけで空気は張る。穏やかな顔の老騎士は、白の外套の前を整えながらも、こちらから視線を一度も逸らさなかった。

 

 

 白磁のティーカップが卓に置かれる。給仕の少年が深々と一礼して去った。少年の瞳に、カイウスへの憧れのような色がたたえられていた。女神教国の聖騎士の装いは、教徒らの中でも特別な意味を持っているようである。

 

 

 アップルティーの湯気が細くのぼるのを待ってから、カイウスは一度だけ店内へ目を走らせる。

 声量を落として話し始めた。俺も自然と身を乗り出す。

 

 

「改めて。私はカイウス・オルフェン。女神教国の聖騎士です。いまは巡礼団の先遣で、〈白虹(はくこう)館〉に泊まっています」

 

 

「モブ・アイカータです。よろしく、カイウスさん」

 

 

「アイカータ」

 

 

 カイウスの眉が、今度ははっきりと動いた。

 灰色の瞳が、俺の顔から制服の襟元、置いた手元へと静かに落ちる。

 

 

「なるほど。ミカの大商家の。女神教国内でも、その姓は覚えがあります」

 

 

「うちの姓、そんなに知られてます?」

 

 

「ええ。教国産の聖素結晶を国外へ回すなら、まず名が挙がる家です。輸送も(おろし)も太い。ミカの復興記録にも、物流を支えた家として名が残っている。記録を扱う立場なら、目にすることが多い」

 

 

 思ったより深いところで家名が通っていた。

 ただの地元学生ではなく、教会とも商いで繋がる家の息子として、いま俺は見られている。

 

 

「そんな商家の息子が、どうして冒険者学校に?」

 

 

 カイウスが、節くれ立った大きな手を卓上で組む。革手袋は外し、その乾いた指先には幾条もの切り傷が浮かんでいた。長い時間を戦いの場に置いてきたのだとひと目でわかる。俺は灰色の瞳から目を逸らさず、言葉を選ぶ。

 

 

「良縁を築くために……」

 

 

「……そうですか」

 

 

「と、他の男子生徒なら答えたかもしれませんね」

 

 

「む」

 

 

 言い換えたとたん、カイウスの目から落胆の色が消える。

 俺は素直に言うことにした。

 カイウスに顔を近づけて、右手を立てる。小声で伝えた。

 

 

「──実家を継ぎたいと思ってるんです。そのために、強くある必要がある。……内緒ですよ?」

 

 

「……なんと」

 

 

 カイウスが見開いた目を俺に向ける。

 本音と噓をまじえた発言は、彼の心を打ったようだった。

 この世界の地位の高さは、おおむねレベルに比例する。俺の宣言の意味は、長い間聖騎士を続けてきた彼なら伝わったはずである。

 

 

「いやはや、志の高い若者だ。……アイカータ商会の代表ともなれば、レベル6は必要となるでしょうな。だが、いまのあなたを見るならば、夢物語でないやもしれません」

 

 

「ええ。母も若き頃、冒険者学校に籍を置き、一時期はルビーランク冒険者として名を馳せたと聞いています。力に対抗できなければ人の上には立てない。昔から口酸っぱく言われてます。……不安でいっぱいですよ。維持だけでも大変ですし」

 

 

「わかりますよ。私もレベル4を維持するので精一杯です。……それであなたは、夢の実現のため冒険者として活動し」

 

 

 一拍(いっぱく)カイウスが間を置く。

 徐々に言葉尻が低くなる。冷たさを言の葉に乗せているかと、俺は錯覚した。

 

 

「──マリー・バッドガールともパーティを組んでいる、と」

 

 

「……よく、ご存じで」

 

 

 努めて冷静に、俺は言葉を発した。

 表情に出さぬよう、俺はあえて微笑みかける。

 

 

「この辺りにも、活躍の噂が届いておりますよ。小教会のシスターたちが楽しげに語っておりました。ひと目見た時に、あなたがそうではないかと思って声をかけ、正解でしたな」

 

 

 食えないじいさんだ。

 俺は歯がみをして、目を細める。

 ただの通りすがりへ似姿(にすがた)を見せたわけではなかったということだ。

 出会ってからお互いに芝居を打っていたと知り、俺は警戒を強める。

 

 

「……モブさん。悪いことは言わない。彼女とは距離を置いたほうがいい」

 

 

 カップの縁へ、カイウスは指を添えた。

 俺はわからないふりをして問い返す。

 

 

「なぜですか?」

 

 

「……内密にお願いします」

 

 

 そう言ってカイウスは、女神教国で起きた魅了事件のことを語り始めた。

 第三者の視点から事件のことを聞くのは初めてのことだ。

 多角的に物事を判断しなさいという、母から教えられた言葉を俺は思い起こす。

 俺はカイウスの語る内容を吟味(ぎんみ)しようと、前のめりになった。

 

 

「彼女は、神学校では将来を嘱望された聖女候補で、施療にも祈りにも熱心な娘でした。それでいて男遊びにも興じず、華やかに前へ出る方ではない。その慎ましさがかえって若い男性教徒たちにも好まれていたのでしょうな。……だからこそ、あの事件の報せを聞いた時はほんとうに耳を疑いました」

 

 

「……」

 

 

「……夏の終わりごろ。体調不良を訴え、(とこ)()せていた彼女は、当時病室で数名の男性教徒の看護を受けていた。ある朝のことです。報せを聞いて私が駆けつけた時、病室はにわかに色めき立っていた」

 

 

 カイウスの声が、ひときわ低くなる。

 

 

「彼女はおらず、別の寝台には、彼女の看病を買って出ていた若者たちが並べられていた。よだれを垂らし、身じろぎも鈍い。浮かべる表情は、苦悶でも恐怖でもない。……恍惚、と言うほかない顔でした。衣服の下部には、大きな染み。果てたような(あと)が残っていた」

 

 

 ……なるほど? 聞いていた事故とはいえ、ずいぶん生々しい。

 俺は黙って、話の続きを待つ。

 

 

「周囲の女たちは、騒ぎ立てるでもなく、むしろ楽しげに声を潜めておりました。『あの子もようやく』と安心する者もいれば、『この子たちもさぞ気持ちよかったことでしょうね』と笑って済ませる者もいる。レベルを落としたかもしれぬ男たちより、聖女候補の性の乱れをおもしろがっているように、私には見えました」

 

 

 眉間にしわが刻まれる。カイウスが女性らに向ける強い嫌悪感を前に、俺は少しだけ目を伏せた。

 カイウスがカップの縁を指でなぞるのを、俺は視界の端で捉える。

 

 

「私が自室に閉じこもる彼女に事情をただしに行くと、会うことを拒否された。彼女の師や周囲にも強く頼んだが、取り次がれることはなかった。人づてに返ってきたのは、『私に男性を近づけないでください』という言葉だけです。以来、私は彼女に会っておりません。まるで逃げるように、教国を去ってしまいましたからな」

 

 

「……」

 

 

「そして、男たちが目を覚ましたあとです。……全員が彼女を擁護した」

 

 

「え……」

 

 

「なにもされていない、彼女は悪くない、我々が勝手に懸想していただけだ、と。揃いも揃って同じように申すのです。レベルを落とし、進路を断たれる目に遭ってなお、だ」

 

 

 灰色のまなこが細くなる。

 

 

「なかには、私が直々に鍛えていた者もおりました。教皇猊下(げいか)へ剣を捧げ、聖騎士として立つのだと、何度も夢を語ってくれた青年です。己を厳しく律し、肌を許すどころか、女に弱みを見せることすら嫌う男だった。あれ(・・)が、自分の意志であの娘になびくはずがない。……私は、そう断じています」

 

 

 太く低い声が、卓のあいだへ落ちた。

 俺は口元を右手で覆い、深刻に考えるふりをする。

 カイウスの手元のカップを見つめた。

 

 

 俺の想像を超えて、マリーが起こした事件は軽く扱われている。

 正体がばれる前に去ったのが功を奏したのか。おそらく、半淫魔であることがばれていたのなら、こんな軽い扱いになっていないだろう。

 ただひとり、目の前の男だけがその可能性を探りに来ている──。

 

 

「私は彼女が、被害者たちに何かをしたのだと疑っています。彼女が洗脳・魅了したのではないか? ……薬を用いたのか、魔法をかけたのか。被害者たちの口が塞がれているのであれば、もはや加害者に問いただすしかない」

 

 

「……事情は、わかりました」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「それで、カイウスさんは俺に彼女との距離を置いて欲しいと?」

 

 

「ええ。彼女の傍にいると、あなたも被害に巻き込まれかねない。私はそれを懸念しています。それと、あなたにはぜひ手伝っていただきたいことがある」

 

 

 カイウスが卓の上で指を組む。

 俺は目を細めながら次の言葉を待った。

 

 

「彼女に手紙を渡してほしいのです」

 

 

「手紙?」

 

 

「はい。……こちらを」

 

 

 そう言って、彼は腰に着けた袋から一封の手紙を取り出した。

 俺は受け取った手紙を眺める。

 土色の封筒の差出人名にカイウスの名。

 そして、銀の封蝋には天使を象ったマークが刻み込まれていた。女神教のシンボルの一種であることを俺は見抜く。

 

 

「渡すだけで?」

 

 

「はい。問題ありません。……渡していただけるだけで、結構です」

 

 

 俺は手紙を透かそうとして持ち上げる。カイウスの視線を切るように、俺と彼のあいだに手紙を挟んだ。

 バレないよう注意を払いつつ、視界を赤に染める。〈第四の目〉で確認した。

 数秒して中身を見終える。俺は手紙を持つ手をゆっくりと下ろした。

 

 

【マリー・バッドガール殿

 

 突然の書簡を許されたい。

 あなたがなお、被害者への仕送りと教会への寄進を続けていることは承知している。だが、それをもって償いが済むとは私は考えない。

 レベルを落とされ、進路を断たれた若者たちの未来は戻らず、回復後もなお一様にあなたをかばう異様さも消えていない。私はあの日の件を、事故とも、済んだ話とも見なしていない。

 あなたが悔いているのだとしても、その沈黙を赦しに変えるつもりはない。私はあなたを赦していない。

 春十一週の六日目の昼過ぎ、〈聖滴の庵〉での祈祷後に時間をいただきたい。逃げずに答える意思があるなら、確認の場を設ける。

 返答がなくとも、私はこの件から退かない。

 

 カイウス・オルフェン】

 

 

 ──俺は深く息を吸って、左拳を強く握った。

 反対の手で髪をかき上げる。気分を落ち着かせようと、もう一度息を吐いた。

 

 

 カイウスがこの手紙を俺に渡した理由はなんなのだろうか。身近な人物が敵に回ったかのように見せかけたい? マリーを孤立させたい? ……わからない。

 

 

 カイウスの心に根差す私怨の正体。

 それを確認したいと、俺は思った。

 

 

「カイウスさん。……これを俺から彼女に手渡す必要は、あるんでしょうか? もともとは他の誰かに頼む予定だったんじゃないですか?」

 

 

 カイウスが、わずかに顎を引いた。

 問いの是非を量るというより、俺がどこまで彼女の側に立つ人間なのかを、改めて見定め直しているようだった。

 

 

「……明日、彼女が〈聖滴の庵〉に訪れる予定があると聞いてます。本来は、その際にシスターたちから渡してもらう予定でした。だがいまは、あなたから渡してもらったほうがよいと判断しています」

 

 

「そうですか。あなたは、この手紙の中身を俺が先に読むとは、思わないのですか?」

 

 

「……どうしてそうお考えで?」

 

 

「俺が、彼女の仲間だからです」

 

 

 白いカップの縁へ置いたカイウスの指先が、ひとつだけ卓を打つ。

 乾いた音は小さいのに、妙に耳へ残った。

 

 

「……あなたは、被害者たちの話を聞いて、思うところはなかったのですか?」

 

 

 低い声が、湯気の向こうから返る。

 俺は眉をひそめた。

 

 

「被害に遭った人たちに、思うところはありますよ。同じ男として、ね」

 

 

「……」

 

 

「でもね、俺は彼女が被害者たちへの仕送りと、教会への寄進を続けていると聞いている。女神教には、贖罪の考えがあるでしょう? ……彼女を赦してやることは、できないんですか?」

 

 

 俺がそう言うと、カイウスはカップを持ち上げかけ、途中で止めた。

 灰色の瞳が、まっすぐこちらを捉える。

 さっきまでの値踏みとは、少し違う目だった。

 

 

「被害者への仕送りまで知っているとは。……ずいぶん、近しいのですな」

 

 

「ええ。それで、どうなんです?」

 

 

「おっしゃるとおり、女神教は、悔いた者の道を完全には閉ざしません。罪を認め、加害を止め、償いを行うことを求める。祈りと奉仕で己を律し、それでも共同体へ戻ろうとする者には、帰る道を残す。……その教えそのものを、私は否定しません」

 

 

 そこまで言ってから、カイウスはカップを卓へ戻した。

 白磁が木の天板へ触れる音は静かだった。

 だが、その後に続いた声には、先ほどまでの穏やかさがなかった。

 

 

「だが、それが」

 

 

 一拍(いっぱく)

 

 

「レベルを落とされ、進路を断たれた若者たちにとって、何の慰めになるのです」

 

 

 太く低い声が、卓のあいだへ落ちる。

 茶屋の中は相変わらずにぎやかだ。少し離れた卓では巡礼客らしい女たちが湯呑みを傾け、窓際では給仕の少年が菓子皿を並べている。店主のかっぷくのいい女性の声が店の奥から届き、給仕の少年が引き返していく。

 その日常の中で、目の前の男だけが別の時間を生きていた。

 

 

「あの子たちは、聖騎士を志していました。女神や猊下に剣を掲げ、奉仕することこそが至上と信じていた。ゆえに、彼らは男特有の堕落をこらえ、誘惑を断ち、常に己を律していた。……寄進で戻るものですか。仕送りで(つくろ)えるものですか。失われたのは金ではない。道そのものだ」

 

 

 私怨。

 そう断じるには、あまりに切実だった。

 けれど職務だけで語っていないのも、はっきりとわかる。

 

 

「……道を奪われたことが、贖罪だけで償えるなんて、俺も言いませんよ。当事者同士の問題だ」

 

 

 そう前置きしてから、俺は封筒の端を指でなぞった。

 

 

「だからこそ、あなたが口出すことでもないでしょう。被害者たちが何を失って、何を許せなくて、いま何を言えないのか──それは、あなたが代弁することじゃあない」

 

 

 カイウスの眉が、ぴくりと動く。

 

 

「被害者たちに、彼女を罰してくれと、頼まれたんですか?」

 

 

 即答はない。その反応だけで、俺は答えを察する。

 いつのまにか、カイウスを挟んで奥──窓際の巡礼客のひとりが湯呑みを口元で止めていた。ちらと俺は視線を動かす。店主もまた、奥からこちらをうかがっているのを俺は確認する。

 わずかな沈黙ののち、カイウスは口を開いた。

 

 

「彼らはまだ、あの娘をかばい続けている。怨嗟の声もありません。だが、それも……」

 

 

 カイウスはそこで一度、言葉を切った。

 白いカップの縁へ添えた指先が、ぴたりと止まる。

 声色は(いた)むように低い。被害者を案じる言葉のはずなのに、俺の胸の奥はじわりと冷える。

 

 

「──彼女が異端に連なる存在だとわかれば、変わるでしょう。周囲も認めることになる。被害者たちの擁護も沈黙も、自由な意思によるものではなかったと」

 

 

 俺は目を細めて、目の前の老人を見つめる。

 かげりの有る灰色の瞳の奥底に、無機質な光が宿っている。断罪を望む人間の目。

 もはや道を分かちつつあるのを肌身に感じ、俺は肩をすくめた。

 ほんとうに血塗りの道を避けることはできるのだろうか? 我慢強く、俺はカイウスに問い続ける。

 

 

「……ひとつ、気になるんですが」

 

 

「なんでしょう」

 

 

「魅了や洗脳は、そんなに長引くものですか?」

 

 

 カイウスの眉間にしわが寄った。彼の体は、固まったように微動だにしない。

 俺は指先で封筒の端を撫でる。

 銀の封蝋は固く、少しだけ爪へ引っかかった。

 

 

「その場で正気を失うとか、意識があいまいになるとかなら、まだわかりますよ。でも、そのあと何人も揃って、同じように彼女をかばい続けるってのは……違和感があります」

 

 

 カイウスが動き出す。再びカップを手に取った。

 だが口へ運ぶことはなく、握られた取っ手が、みしりとひび割れ始めた。

 構わず、俺は言葉を続ける。

 

 

「彼女をかばうのは、たんに彼らの意思なのでは?」

 

 

 俺がそこまで言った時、カイウスの目がわずかに細くなった。

 怒鳴りはしない。ただ、瞳の奥の温度だけが下がる。

 

 

「……あなたは、彼らの証言が当てにならぬと?」

 

 

「そこまでは言いません。……でも、彼らのいまの沈黙や擁護まで、全部彼女のせいにするのは違うと思います」

 

 

 舌の根が渇く。視線を外さないまま、俺は言ってのける。

 

 

「いまこの件で動いているのはあなただけですよね? 被害に遭った本人たちも、教会も、表向きはもう先へ進もうとしているように聞こえる。ならあなたも、いまの彼女の贖罪を見届けたうえで判断しても──」

 

 

 言い終わりに、茶屋の外を荷車が通った。言葉尻がかき消される。

 車輪が石を噛む音が、短く(きし)んだ。

 その音が消えてから、俺が言葉を継ぐ前に、カイウスが口を開いた。

 

 

「──ああ、モブさん。あなたも、被害者なんですね」

 

 

 静かな言葉だった。

 静かすぎて、かえって寒気がする。

 俺の目を見つめたまま、カイウスはゆっくりと立ち上がった。

 

 

「彼らと同じように、あなたもあの娘に毒されてしまっているようだ。……店主殿! 申し訳ない。話が済むまで、この青年を外へ出さぬよう少しだけ手を貸していただけますか」

 

 

 白の外套が、椅子の背をかすめる。胸元の聖印が灯りを受けて鈍く光った。

 店の奥にいた女主人が、息を呑む。

 

 

「え……? 聖騎士様、それは……」

 

 

「心配には及びません。乱暴はしない。彼を落ち着かせたいだけです」

 

 

 低くおだやかな声を、カイウスは発する。

 断罪ではなく、保護を告げる声色。

 だからこそ、たちが悪い。

 

 

 女主人はためらいがちに俺とカイウスを見比べ、それから小さくうなずいた。

 その合図を見て、給仕の少年が店の入り口の前で立ち止まる。

 窓際の巡礼客たちも、ざわめきながら席を立った。

 

 

「聖騎士様がそうおっしゃるなら……」

 

 

「もしものため、でしょう?」

 

 

「あ、アイカータ商会の子、よね? せ、聖騎士様がおっしゃるなら外へ出さないほうがいいのかも……」

 

 

 善意めいたささやきが、茶屋の空気へ広がっていく。

 ひとりが動けば、次が続く。

 誰も剣を抜いたわけじゃない。ただ正しいことをしているつもりで、俺の退路だけがきれいに消えていく。

 

 

 右手にある椅子の脚がまたひとつ、床を擦った。

 俺の脇に女主人が立ち、巡礼客たちまでにじり寄るように立ち位置を変えていた。

 

 

「じいさん、あんた……」

 

 

「あなたも毒されているというのなら、もはや猶予はない。あの娘を呼んでもらえますか? アイカータ商会の子息なら、連絡用の魔導板帳の一冊や二冊、お持ちでしょう。仲間であるならば、連絡先も交換している……。違いますかな?」

 

 

 聖騎士の威光を用いた指図。

 無辜(むこ)の町民の善意まで利用して、俺の退路を塞いでいる。

 そして、騒動の中心であるカイウスは腰に差した騎士剣の柄に手をかけ、俺の前に立つ。

 

 

 一瞬にして、俺のはらわたは煮えくり返る。

 周囲をさっと見回してから、俺は首を小さく振る。一瞬だけ目を伏せた。

 

 

 ……聖堂外苑の住民たちは、あまり理解してないのだろう。カイウスの指示に従い、俺を拘束するという行為の重みを──。

 

 

 俺は顔を上げる。

 目の前の老騎士を射殺さんばかりに、にらみつけた。

 

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