ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
地下礼拝堂の冷えた空気の中で、セレスティーネの白い裾が一歩だけ祈祷陣へ近づいた。
小祭壇の女神像から落ちる乳白色の灯りが、淡金の髪と青いリボンを淡く照らす。上の礼拝堂でマリーへ頬ずりしていた時の無邪気な明るさは、もう彼女の顔に残っていない。
それでも、たたえられた表情は、怒りではなかった。
垂れた薄桜色の目は、俺の足元に置いた三つの袋、カイウスの硬い横顔、そしてマリーの表情を順に確かめている。
友人として飛び込むのではなく、立会人として場を止める。
そう決めたものの沈黙が、地下堂の光を少しだけ重くした。
「そこまでにしましょう」
セレスティーネが、凛と告げた。
声は荒げていない。けれど、誰も聞き流すことができない硬さがあった。
「ここは、断罪の場ではありません。確認の場です。そうでしょう、カイウス」
「……はい。セレスティーネ様」
カイウスが短く目を伏せる。
従順ではない。ただ、立会人の言葉を無視できないだけのように、俺の目に映る。
そのふたりの噛み合わなさに、俺は思わず眉をひそめた。
カイウスが用意した人物にしては、セレスティーネはあまりにもマリーに
話し合いによって解決する道もあるのではと、俺はわずかに期待した。
セレスティーネが再度、マリーへ顔を向ける。
叱責ではない。その目元が、傷口へ布を当てる前のようにやわらぐ。
マリーの強ばっていた指先が、胸元でかすかにほどけていた。
けれど、セレスティーネは近づかない。立会人として場を整える必要があるのだろう。
「モブさんも。場を試すような言い方は、あまり感心しません」
「失礼しました」
セレスティーネは俺の足元に置かれた三つの袋をもう一度見る。
それからカイウスへ視線を戻した。
「開かない。身につけない。足元へ置く。それで進めましょう。袋があるだけで滞るのなら、それはもう確認ではありません」
カイウスの灰色の瞳が、ほんの一瞬だけ細くなる。
だが、彼は反論しなかった。
「では、カイウス。確認を。まずは、マリー本人の口から聞きましょう」
「──セレスティーネ様。私は、見誤っておりました」
カイウスが目を伏せる。小さく首を振った。
片肩を覆うプレートが、祈祷陣の光を鈍く揺らして沈む。
次に上がった灰色の瞳からは、さきほどまで残っていた迷いの揺れが消えていた。
「カイウス?」
「私は、あなたとマリー・バッドガールの
そう言いながらカイウスは腰の袋から、丸めた白い魔力紙を素早く取り出す。
「叱責は、
低いつぶやき。
振り返ったセレスティーネから、カイウスは目を背けず、まっすぐ見返す。
彼は魔力紙を胸の前で開いた。
俺はその紙に見覚えがあった。魔道具店で販売している──魔法を封じ込めた紙、スクロール。
この場でカイウスが発動するであろう魔法はただひとつ。
セレスティーネを挟んだ位置では、俺が踏み込むよりも言葉を発するほうが早い。
カイウスは灰色の魔力光をスクロールに通す。
紙面の端に刻まれた小さな聖印まで、細い光が走った。
『〈
「カイウス!!」
セレスティーネが叫ぶ。
聖女候補として神前の
地下礼拝堂の床に、水面のような光の膜が走る。壁の聖素結晶が共鳴し、乳白色の輝きが一気に強まった。小祭壇の女神像の輪郭がぼやけ、空気に細かな光の粉が満ちていく。
光は、小祭壇脇にある奥の冷暗薬草庫の手前まで広がった。
熱はない。
なのに、肌の表面だけを薄い刃でなぞられるような圧があった。
「なにをしているのです!」
「御覧なさい、セレスティーネ様。私が暴きたかったものが、
「!?」
「っ……!」
マリーが膝を折りかけた。
カーラが
「マリー!」
カーラの呼びかけに、マリーは答えない。
マリーは胸元の首輪を押さえ、息を詰めていた。
白い頬から血の気が引いていく。水色の瞳が潤み、額に汗が浮かぶ。膝をつかないよう必死に踏ん張っているのが、見ていて分かった。
薄青の施療布ケープの裾が、光の中で震える。
レベル3の光属性地形魔法、〈
隠密を潰し、闇属性に寄ったものを弱らせる。淫魔やアンデッド系には、立っているだけできつい地形だ。
「古来、聖騎士とエクソシストは〈光輝地帯〉の上で、淫魔との戦いを制してきました。魔に通ずるものは、この輝きに焼かれ、力を削がれる。どうやら、私の予測は当たっていたようだ。マリー・バッドガール、やはりあなたは──」
カイウスが前に出る。セレスティーネに並んだ。
柄に手をかけ、騎士剣を抜く。
「淫魔だ」
低く、なのに通る音。
声だけ聞けば、教本を読み上げているようだった。
「……やめてください」
カーラの声が漏れた。
それは抗議というより、悲鳴に近かった。
「あなたもまた、淫魔に魅入られてしまった被害者ですね。離れなさい。淫魔は等しく滅しなければならない」
カイウスが冷たく返す。
カイウスの隣に立つ、セレスティーネの唇から色が消えていた。
伸びかけた右手が、胸元の手前で止まる。薄桜色の瞳だけが、マリーを追っていた。
「マリー……」
「セレス、私は……」
マリーは何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
否定できない。
そういう顔だった。
剣を抜かれた以上、確認の場は終わった。
俺は自分の〈魔法の携帯袋〉を拾い上げる。手早く腰にくくりつけた。
その指先で、外套の影に小さな赤い魔力光を灯す。
通信魔法。声にはしない。
アリスと商会人員へ「交渉決裂。事態急変。礼拝堂突入。交戦禁止」と短く送る。
返答は待たない。
一歩、前へ出る。
光の膜が足元で揺れた。
「それで?」
カイウスが俺へ向き直る。
「それで、何が確定したんですか」
「……モブ・アイカータ」
「〈光輝地帯〉は、相手の素性を暴くための魔法じゃない。本人の体質や
事前準備していた言葉を放つ。
自分でも驚くほど、声は冷えていた。
袋から俺は固有品ダガー〈貫く
祈祷陣のあいだに立った。
カイウスは剣を下ろさず、俺に切っ先を向ける。
俺もまた、カイウスに呼応してダガーを構えた。
両刃が、乳白色の光を返す。
「カーラ、マリーを連れて離れてくれ。……セレスティーネさん、あんたはこれでいいのか?」
「……セレスティーネ様、あなたも女神教の聖女候補。何をなすべきかは、おわかりでしょう。階上のふたりも、定めた時刻になれば下へ来る手筈です」
「……っ」
俺は右手でダガーを構えたまま、左手の指先だけを外套の内側へ沈める。
小さな赤い魔力光を、もう一度だけ灯した。
ルールルーへ指示を飛ばす。地下に来る前、すれ違いざまに〈第四の目〉で見た聖騎士たちの情報も併せて送った。
階上の聖騎士ふたり。定刻で下りる。レベル5とレベル4。足止め頼む。
通信を終えた時には、左手側にいたカーラがマリーを抱えて立ち上がっていた。
カイウスが踏み込む。
祈祷陣をひと息で越える。凶刃がカーラに伸びた。
俺はダガーの腹で、振り下ろされたそれを受け止める。
ギィン……!
金属音が、地下礼拝堂の石壁を打った。
短い火花が散り、足元の光の膜に赤い反射が走る。鍔迫り合いの重みが手首を沈ませ、ブーツの底が祈祷陣の縁でわずかに滑った。
祈りのために描かれた円が、いまは俺とカーラたちを分ける境界になっている。
カイウスの立ち位置は、ちょうど入り口を塞ぐ形。
部屋を出ようとすると剣先が届く位置だ。
「カーラ、部屋の奥に!」
「ッ」
合図とともに、カーラたちが地下礼拝堂の奥にある冷暗薬草庫へ向かう。
カイウスは入口を塞ぐ位置を捨てられない。
マリーの荒い息と、薄青の施療布ケープが擦れる音が、金属音の余韻に混じった。
俺は刃を押し返す。
ダガーの腹がきしみ、〈貫く火烏の爪〉の熱が手のひらへ薄く返った。床を覆う光の膜が波打ち、散った粉光が外套の裾へまとわりつく。
小祭壇の聖水瓶がかすかに震え、水面に乳白色の光が細かく割れる。
女神像の影は、強まった輝きの中で壁へ長く伸びていた。断罪の場ではないはずの地下堂が、ひと呼吸ごとに戦場の形へ変わっていく。
「セレスティーネ様! 逃してはなりません!」
「……わかり、ました」
「セレスティーネ、あんたはマリーの──ッ!?」
カイウスが左手を放す。
振りかぶって俺を殴りつけようとしている。
「させません」
低い声とともに、カイウスの拳が空を切る。
俺の体は半歩分、冷暗薬草庫から離れた。
カイウスが剣を振りかぶる。
俺は勢いよく振り下ろされたそれを身をよじってかわす。
短い隙に、セレスティーネが俺たちの横をすり抜けて奥へ走っていった。
俺の言葉はセレスティーネに響いただろうか。
響いたことを、俺は期待する。
「追わないのですね」
「……」
にらみ合ったまま、カイウスに問いかけられる。
静かな問いだった。
俺が背を向けた瞬間に斬るつもりだったのだろう。
祈祷陣の円の中、カイウスが立ち位置を変える。今度は小祭壇と奥の冷暗薬草庫を背にした。
「追ったら、あんたに後ろから斬られるからな」
「さて、どうでしょうな」
カイウスは否定しなかった。
俺はダガーの柄を握り直し、口の端を少しだけ上げる。
ダガーを持った右手を突き出した。
「まあ、よかったよ。あんたが連れてきたのがセレスティーネさんで。まだ俺たちにも芽がある」
カイウスの灰色の瞳が、細くなる。
心なしか、カイウスの髪が逆立ったように見えた。
「あの人はきっと、心変わりする」
「ありえませんな」
即答だった。
怒りではない。信心深い教徒が、祈りの文言を間違いないと確かめるような、乾いた確信。
「聖女を目指すものの責務と誇りを、彼女は決して忘れぬでしょう」
「どうかな。あんたも一緒に上で見ただろう? マリーが慕われる姿を。シスターが、子供たちが、マリーをどう見ていたか。それを、セレスティーネさんがどう受け取ったかを」
俺は刃を下げないまま、言葉だけを投げる。
カイウスの口元から、わずかな笑みが消えた。
「セレスティーネさんが道義を重んじるなら、話を聞くよ。あんたと違ってな。あんたが恐れている対話は、必ず起こる」
剣先が、ほんの一寸だけ沈む。
それでも灰色の瞳だけは、俺から逸れなかった。
「ならばあなたをすぐに退け、セレスティーネ様の元に向かおうとしましょう。
「応援は来ないよ。俺の仲間たちが、必ず食い止めるからな」
カイウスの眉間に、深いしわが刻まれた。
剣の切っ先が、俺の喉元から半歩だけ下がる。油断ではない。俺の言葉の裏を測るための、短い間だった。
「すでにこの地下に味方を忍ばせてましたかな? ほんとうに、あの手この手を使い、マリー・バッドガールを守ろうとする……。見上げた執念です。が、無意味な抵抗です。聖騎士のふたりは、私よりも手練れ。たかが学生が
「知ってるよ。それでも、だ」
短く返すと、カイウスの眉が小さく動いた。
俺はダガーの柄を握り直す。汗で湿った手のひらに、火烏の熱が薄く戻った。
カイウスは沈黙を、強がりとは受け取らなかったらしい。
灰色の目が細められる。
「……なぜ、そこまでして彼女を守る?」
「
軽口で返す。
昨晩の、仲間たちの前で泣いたマリーの顔が、俺の脳裏を過ぎる──。
マリーは、自分が引き起こした事故から、目を背けなかった。
責任を感じ、匿名の仕送りを続け、彼女なりに罪を償おうとした。
マリーは、自分が受けてきた
ダンジョンで得た食材や物資を小教会へ持ち帰り、子どもたちが少しでも健やかに育つよう、彼女は支え続けていた。
マリーは祈ることを止めなかった。祈りを手放せば、癒しの力まで失ってしまうかもしれない。そう震えながら、女神に祈りを捧げていた。
自分のためだけじゃない。仲間のため、誰かのため。
女神に見放されていることに気が付かずとも、彼女は直向きに祈り続けた。
俺は、報いたい。
血に翻弄されながらも、多くのものに見放されながらも懸命に生きるマリーを、俺は助けてやりたかった。
ダガーの柄が、手の中で熱を帯びる。
祈祷陣の光が足元で波打った。
「カイウス・オルフェン──」
俺は一歩も引かず、カイウスの灰色の目を見据える。
「あんたは、マリーの日々の祈りも、贖罪も、寄進も、全部なかったことにするのか? 彼女が淫魔だとしても、彼女がやってきたことは、積み重ねてきたものは、本物だ。彼女が傷つけたものもいる。だが、彼女を慕い、救われたものもいる」
「……姿を隠し、人々を欺いて得た信頼に、何の意味がありましょうか」
一瞬のためらい。
カイウスの声は、また一段低くなった。
「魔に生きるものは、生きながらに人々を害する。決して生きてはならぬ存在だ。魔に連なるものから祈りを捧げられては、女神もお苦しみになるでしょう。ならば私は、その苦痛を取り除かねばならない。そしてマリー・バッドガールによって傷つけられたものたちを、救わなければならない。──あなたを含めて」
「そうかい」
胸の奥で、燃え盛るものがある。
怒りではない。
もっと熱く、もっと激しいものだ。
「なら、俺はあんたを止めるだけだ」
「あなたにできますかな? 力の差は、昨日思い知らせたばかりだ」
「ぬかせ」
じりと俺は歩を進める。飛びかかる隙を見計らった。
応じて、カイウスが剣を構え直す。
乳白色の光が、片肩の装甲を鈍く照らした。
「いざ──」
◆□◆
-カナメ Side-
我は地下通路の中央に立っていた。
足は肩幅。左手は刀の鞘。
薄暗い通路の向こう、地下礼拝堂の扉からは祈祷陣の光がにじんでいる。
隣には、通気口から戻ってきたルールルーが、いつもの無表情で控えていた。
とんがり帽子のつばの下、紫の瞳が光を照り返している。
我の頭の中に、
我が祝福と呪いからいでし霊体は、いまは礼拝堂に潜み、モブたちの様子をうかがっている。
《
「!?」
胸の奥が、どくんと跳ねた。
我は反射的に刀の鞘を握り込む。
我は目をつむり、意識を沈めた。
胸の奥に冷たい墨を一滴落とされたような感覚が広がる。
まぶたの裏に、もうひとつのまばたきが重なった。
視界が低く沈む。
石床の目地が目の前を走り、祈祷陣の乳白色の光が、水面越しの月明かりのように歪んで見えた。
音は遅れて届く。
光がまぶしい。
〈光輝地帯〉の圧が黒蛇の鱗をなぞり、そのざらつきまで我の皮膚に触れる。
次の瞬間、モブの肩口を、カイウス・オルフェンの騎士剣がかすめた。
「ッ!」
我は目を見開く。視界も聴覚も触覚も元に戻る。知らず知らずのうち、刀の鞘をさらに強く握り締めていた。
助太刀に向かわんとしたところ、隣のルールルーに声を掛けられる。
「カナメ。上の階二名、動きあり」
「っ、わかった」
モブの指示は聖騎士ふたりの足止め。
我は息吹を行い、気を引き締め直す。
女神教国に名高い、聖騎士たちとこれより相対する。モブいわく、我らより位の高きものもいると言う。
楽しみでもあり、不安でもある。
我はモブにかけられし言葉を思い出す。
『カナメ。マリーの件で、女神教国との関係はまず間違いなくこじれる。女体化の呪いを解くのに、女神に頼る道のほうは遠のくと思う。……すまん』
我らは先んじて前に出る。
通路を進み、礼拝堂の扉の前に立った。
扉の内から
決して負けられぬ戦いに身を置く男に、我は内心で応援を送る。
──モブよ。苦しむ友を救うためならば、男に戻る道が遠のこうと構わぬ。
必ず勝て。お前なら、きっとできる。
階段の上。
女神教国の聖騎士ふたりが、こちらへ向かってくる足音がした。
鉄靴が石段を打つたびに、地下通路の空気が重くなる。
ひとつは迷いのない前衛の足音。
もうひとつは、半歩遅れて周囲を測る、軽く速い足音。
先に姿を見せたのは、短い鉄灰髪の女騎士だった。
額の古傷、白銀の鎖帷子、青縁の外套。
腰の剣に手は添えているが、まだ抜いてはいない。
その半歩後ろ、亜麻色の髪を束ねた施療騎士が、携行薬箱を腰に下げて続く。
モブから送られていた情報と一致する。
レベル5の聖騎士。
レベル4の施療騎士。
どちらも、こちらを侮る目はしていなかった。
「地下礼拝堂で非常事態が発生しました。道を開けなさい」
先頭の女騎士が告げる。
声は静かだが、石段の幅いっぱいに圧が広がった。
「──断る」
我は一歩前へ出る。
視界の端で、ルールルーの杖先が紫に灯った。
「話し合いがまだ終わっておらぬ
「これは聖騎士団の職務です。妨害すれば、あなた方も保護拘束の対象となります」
「我が友らを、保護という名で縛りに行くものを通す道理はない。──行くぞ、ルー!」
「……ん!」
灰髪の女騎士の目が、わずかに鋭くなる。
背後の施療騎士が、手元の聖印具に指をかける。
ルールルーの放つ紫の魔力光が階段を薄く染める。
我は鯉口を切り、灰髪のの聖騎士へ真正面から踏み込んだ。