ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
-カーラ Side-
地下礼拝堂の奥。冷暗薬草庫へ飛び込み、扉を勢いよく閉じた。
私はできるだけマリーを光から遠ざけようとした。両手で彼女を抱え直す。
薬草束と瓶を積んだ棚の間を抜ける。奥の壁にたどり着く。私も膝をつき、彼女を抱えたまま壁際に座らせた。
乾いた薬草と冷えた石の匂いが、狭い部屋の中にこもっていた。
前方の扉の隙間から、地下礼拝堂の乳白色の光がかすかににじんでいる。
マリーの息が、腕越しに乱れている。
手甲越しでも、その熱と震えが伝わった。さっきまで祈るように組まれていた指は、いまは胸元を押さえ、青い法衣をしわにしている。首筋のあたりに浮かんだ汗と紫水晶の首飾りが、乳白色のささやかな光を鈍く返していた。
「マリー、マリー……」
私は何度も腕の内のマリーを呼び掛ける。
「……は、い」
かすれた声だった。
目を細めて、私は彼女の背をさする。
どれほどの苦しみなのか、私にはわからない。何をしてやればよいか、わからない。
引っ掴んで、持ってきたふたり分の〈魔法の携帯袋〉の中に、確か……。
『カーラ。これ。相手がもし〈
昨晩のモブくんの言葉を思い起こす。
マリーを壁に預ける。
私は急いで自分の〈魔法の携帯袋〉を開いた。
袋の口を縛る銀輪をほどく。
中のもやを掻き分けるように探る。薬包。予備の布。水筒。違う。硬い小瓶。封蝋の感触。オレンジ。
あった。
私は封を歯で引き、栓を抜いた。
薬草と薄い鉄の匂いが、狭い薬草庫の空気に混じる。
「マリー。少しでいい。飲んで」
「……う、まく」
「大丈夫。こぼしてもいい」
肩を抱き、唇へ小瓶を寄せる。
オレンジ色の液が、マリーの口元を濡らした。
ひと口。もうひと口。喉が苦しそうに上下する。胸元を押さえていた指が、少しだけ緩んだ。
「……苦い、です」
「いまに楽になる。飲み込めただけで大丈夫だ」
返事になっているだけで、もう十分だった。
高級品のスタミナ再生薬だ。時間が経てば、失った分も問題なく返ってくるはずだった。
私はマリーにはにかんで返す。
マリーの頬を、涙がひとすじ伝った。
「マリー?」
私は慌てて小瓶を下ろす。苦しいのか、薬が合わなかったのか、判断がつかない。
「……自分が、情け、ない」
マリーは胸元を押さえたまま、かすれた声で言った。
目はうつろ。
焦点の定まらない目をたたえ、彼女はぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「本当は、モブ様の力になりたい、の。あの方を、助けたい。守る側なのに、私はいつも助けられて……。いまもみんなに迷惑をかけて……。みんなの足を引っ張って……。消えて、しまいたい──」
最後の言葉は、薬草庫の冷たい石壁に吸われるように消えた。
扉の隙間からにじむ乳白色の光が、マリーの濡れた頬を薄く照らしている。
その言葉は、私にも刺さった。
助けたい男に助けられるなんて、英雄譚の中の話だけだと、私は思っていた。
けれども物語で見た英雄ランズ──初代淫魔王を倒した男のように、
ほんとうは苦しいはずなのに、足を止めず、私やみんなを導いてくれる。
そのことが、心地よくも、やるせない。
マリーの気持ちは、私にも痛いほど、わかった。
「……弱気にならないで、マリー。そんなこと言っちゃ、ダメだ」
私はマリーの手を握る。
「いままでだって、マリーはモブくんの力になってきたよ、絶対。癒しの力で、みんなを助けてきたじゃないか。モブくんも、みんなも、きっとマリーを必要としてる。私だって、マリーに頼ってる。だから……、頑張ろうよ。私も、ついてる……」
励ましているはずなのに、その言葉は私自身にも向いていた。
言葉が詰まりかける。言っていて、涙がこぼれた。
マリーの手の甲に雫が落ちる。
濡れた水色の目が、見開かれる。焦点の戻りかけた瞳で、私をじっと見上げていた。
「っ」
私は物音に気づいて顔を上げる。
扉の向こうで、靴音が止まった。
私は入口に目を向ける。閉じた扉が、ゆっくり開く。隙間から乳白色の光が床を這い、薬草束を積んだ棚の影を白く削った。
私は涙を拭わないまま、立ち上がる。
影の差した、セレスティーネ様の顔を見据えた。
純白の半袖法衣。月環刺繍の青いリボン。淡い金の髪は、地下の湿気に乱されても、朝の光を宿したように明るい。薄桜色と金環の瞳が、私を見て、それから私の後ろのマリーを見た。
泣き出しそうにも、怒り出しそうにも見える顔だった。
「……っ。カーラさん」
セレスティーネ様の声は、厳かさを宿している。
それでいて、まだどこか優しさを秘めたような、穏やかさがあった。
「マリーの容態は……?」
口にしてから、セレスティーネ様自身がその言葉に驚いたように息を止めた。
薄桜色の瞳が、一度だけ揺れる。
けれど彼女はすぐに小さく首を振った。
迷いを振り払うように、表情を引き締める。
「……そこを、どいていただけますか?」
セレスティーネ様の後背から、金属がぶつかる音が届く。
硬く、重い音だった。
続けて、石床を踏みしめる靴音。低く響く衝撃。何かが壁に叩きつけられたような震えが、扉の縁から薬草庫の床へ伝わってくる。
モブくんが戦う音。
助けに行きたい。いますぐ、モブくんのところへ走りたい。
けれど、後ろでマリーの息が震えている。
ここを空けたら、マリーの前に立つ者がいなくなる。
私は、喉の奥に残る苦味を飲み込んだ。
セレスティーネ様が、開いた扉へ手をかけた。
ぎい、と木が鳴る。
地下礼拝堂から差し込んでいた乳白色の光が細くなり、閉じた扉の向こうへ消えた。薬草庫は一瞬、暗く沈む。
セレスティーネ様の左の手のひらに白の魔力光が灯る。
小さな月のような光だった。
攻撃のための光ではない。ただ、狭い薬草庫の棚と瓶、床に落ちた薬草束と、マリーの青ざめた頬を照らすための灯り。
優しい光だと思ってしまった自分が、腹立たしかった。
モブくんのもとへ行きたい焦りも、マリーを守りたい怒りも、もう隠せなかった。
私はその感情のまま、白い光の向こうのセレスティーネ様と向き合った。
「私は、どきません。あなたがマリーを連れていくと言うなら、止めます」
「……マリーには、淫魔である疑いが、あります」
「それが、なんだと、言うんですか?」
自分でも、強すぎる言い方だと思った。
けれど声は引っ込められなかった。
「……あなたは」
「私も、女神教徒です。幼いころから、淫魔は人類の敵だと教えられて育ってきました。でもいまは、その女神教の教義を、すべてのものに当てはめてよいか疑問に思っています」
私は両手を広げる。
マリーを守るように、前に出た。
膝は震えていた。けれど、退いたらもう二度と同じ言葉は言えない気がした。
白の魔力光が、私の手の甲と、足元の石床を淡く照らしている。
扉の向こうでは、また重い衝撃音が響いた。
「不敬ですよ、信徒カーラ。下がりなさい。……下がらなければ、私も実力行使に出ざるを得ません」
そう言って、セレスティーネ様は右手を突き出す。
彼女の右手に集まる白き魔力光を、私はじっと見据える。
指先はまっすぐこちらを向いていた。セレスティーネ様のまつ毛が、ほんの少し震える。
「どきません」
『〈
光矢が四条、糸を引く。
まばゆい光に、目をつむりそうになった。
けれど閉じなかった。
光は私の顔の両脇と足元を抜け、石壁と床に着弾した。乾いた音が跳ね、砕けた石片が石床を転がる。焦げた埃の匂いが、薬草の匂いに混じった。
明確な脅し。
細まった薄桜色の瞳を、セレスティーネ様が私に向ける。
「次は、外しません。どきなさい。マリーは、連れていきます」
「どきませんっ!!」
「っ」
セレスティーネ様の目が見開かれる。
私の声も、足も、震えていた。撃ち抜かれた石床から舞った白い粉が、靴の先に薄く積もっている。
それでも、震えたままでも、前に立っていることだけはできた。
モブくんならどうしただろう?
うまくセレスティーネ様を説得して、考えを改めさせようとするのだろうか?
私にもできる? ……わからない。
やってみないことには、わからない──。
「セレスティーネ様。私は、マリーとは短い付き合いです。それでも私は、彼女が人々のために尽くし、多くの人たちに好かれているのを、この目で見ました」
長期にわたる仕送りと寄進の記録を、私は見た。
寄進仕分け室にマリーといた時、わざわざマリーを訪ね、感謝のしるしを手渡した子どもたちがいた。
マリーが積み重ねてきたもの。
それらまで、淫魔の疑いひとつで、なかったことにしていいはずがない。
「あなたは女神教国で、彼女の行いを長い時間近くで見て来たはずです。マリーは言い伝えられている淫魔のように、振舞っていましたか? 私が知る彼女のように、多くの人たちに尽くし、好かれていたんじゃないですか? マリーが淫魔だとしても、他の淫魔とは絶対に違います……。だから話を、マリーの話を聞いてやってください!」
「……」
セレスティーネ様の指先が、緊張を解いた。
右手に集まっていた白い魔力光が、ほどけるように薄くなる。目線が下に落ち、指先は行き場を失ったように泳いでいた。
その横顔に、ほんの一瞬だけ、マリーを知っている少女の顔が戻る。
けれど、すぐに消えた。
セレスティーネ様は唇を噛み、胸の前で右手の指を握り込む。
「……それでも、私は」
もう一度、セレスティーネ様が右手を開く。
指を伸ばして、私の方に差し向けた。
「女神教国の、聖女の道を歩むものとして、淫魔を滅ぼさなければなりません──」
声は硬かった。
けれど硬すぎた。自分の迷いを押し殺すために、教義の言葉を盾にしているように聞こえた。
「そんな、話だけでも……」
『……〈
白い矢が四条、再びセレスティーネ様の手元に生まれる。
今度こそ、私を狙って、矢は飛来する──。
私の足の裏は、石床に縫い止められたみたいに動かない。
逃げたいのか。
踏みとどまりたいのか。
自分でもわからないまま、奥歯だけがかすかに鳴る。
それでも、マリーの前からは退けなかった。
『〈
力ある声が、後ろから聞こえる。
セレスティーネ様じゃない。
マリーの声だった。
レベル2の光属性魔法〈神聖結界〉──私の目の前で透明な膜が瞬時に形成される。
薄い硝子を丸く押し広げたような膜だった。白の魔力光を受けて、表面に淡い虹色が走る。
ジッ。
四条の矢は私に到達しない。淡く光る透明な膜に阻まれる。目の前で霧散した。
焼けた羽根のような匂いが一瞬だけ鼻を刺す。
透明な膜の表面に、細かな波紋がいくつも広がって、すぐに消えた。
私は勢いよく振り返る。
マリーが壁に片手をつき、震える膝で立ち上がっていた。
青い法衣の裾が、石床に擦れる。
額には汗が浮かび、呼吸のたびに肩が小さく上下している。けれど胸の前に立てた手だけは、祈りの形を崩していなかった。
「マリー!」
息はまだ浅い。頬の涙の跡も乾いていない。
それでもマリーは、私の腕にそっと手を添え、私の前へ出た。
「……カーラ。ありがとうございます」
「だ、大丈夫なのか?」
私が手を伸ばすと、マリーはその手をやわらかく握り返す。
指先は冷えている。けれど、さっきよりも力があった。
「どうにか。薬が効いたんだと思う」
マリーは小さく首を振る。
私を退けるためではなく、もう逃げないと示すための動きだった。
「──ここからは、私がセレスと向き合います」
「……わかった」
マリーはそう言って、透明な結界の向こうへ視線を戻した。
白の魔力光を揺らすセレスティーネ様と、正面から向き合う。
「ま、マリー。あなたは、いったい……?」
セレスティーネ様の足が、半歩だけ下がった。
見開かれた薄桜色の瞳が、結界の光を映して揺れる。
なぜそこまで驚くのか、私には一瞬わからなかった。
マリーが〈神聖結界〉を使えることは、彼女も知っているのでは……。
「……闇に生きるものは、光を扱うことができない。そう、私たちは教わったわね、セレス。私がただの淫魔なら、光属性魔法を使えるはずがない──そうでしょう? でも私は、まだ使うことができる。女神教国といた時と変わらず……。──あの頃と違って、〈
セレスティーネ様が、細めた目をマリーに差し向ける。
マリーは透明な膜に指先を触れた。
淡い光が、水面の輪のように揺れる。
「解きます。あなたと戦うための結界では、ありませんから」
〈神聖結界〉が、音もなくほどけた。
私たちの前にあった透明な膜が薄くなり、冷たい薬草庫の空気が戻ってくる。
マリーは私の手を一度だけ握り、それから離した。
その場で膝を折る。青い法衣の裾を両手で整え、冷えた石床の上に正座した。
まっすぐ、マリーはセレスティーネ様を見上げた。
背筋は震えている。
ひと呼吸分間を置く。
意を決したかのように、マリーは口を開く。
「セレス。……私は、淫魔の血を引いています。おそらくは。そのことがわかり、私は聖女の道を辞した」
「っ!?」
セレスティーネの左手の内にある白い光が、大きく揺れた。
薬草庫の棚の影が、壁の上で一瞬だけ乱れる。
「あなたの立場は、理解しています。聖女候補として、女神教徒として、私を見逃せないことも」
マリーの声は細かった。
それでも、逃げる声ではなかった。
「そのうえで、私の話を、聞いてくれますか? ──同じ道を歩んでいた、友として、あなたと話をしたい。私からの、最後の、わがままです」
セレスティーネ様は、すぐには答えなかった。
突き出した右腕が、小さく震えている。
指先に残っていた白い魔力光が、灯火のように揺れ、細く弱まっていく。
薄桜色の瞳に、潤みが差していた。
「……聞かせて、マリー」
そう言って、セレスティーネ様は唇を強く結ぶ。
何かを言おうとして、言えないまま、彼女はゆっくりと右腕を下ろした。
右手の内にあった白い光が、床の上で淡くほどける。
薬草庫に、乾いた葉の匂いと、冷えた石の匂いが戻ってきた。
「ありがとう、セレス」
マリーが指を組んで、セレスに微笑みかける。
顔色はまだ白んでいる。まだ肩で息をしている。
けれども、マリーの笑みからは、そのことを感じさせない温かみを感じた。
(よかった……)
私は息を止めていたことに気づいた。
膝から力が抜けかける。息を大きく吸った。
慌てて踏みとどまってから、正座したマリーの側に寄る。
終わったわけじゃない。
説明の末に、再びセレスティーネ様は牙を剝くかもしれない。
だが、なんとなく。
なんとなく、ふたりの間にはもう、棘は挟まらないような気がした。
──そのとき。
ドォンッ!!
「!?」
唐突な衝撃音に、私の肩は跳ねる。マリーも、セレスティーネ様も同じだった。
薬草棚の瓶が触れ合い、かたかたと鳴った。
剣戟の音ではない。
石を打つ音でもない。
耳の奥に残る痛みに、胸が冷える。
「モブくん──」
名を口走る。
扉の向こうへ、私は視線を走らせた。
◆□◆
-カナメ Side-
灰髪の聖騎士が、階段を蹴る。
抜かれたのは剣ではない。外套の内側から滑り出た、細身の短槍だった。白銀の穂先が、地下通路の薄闇を裂いて一直線に伸びてくる。
速い。
我は息を詰め、半歩だけ踏み込む。
逃げれば通路を空ける。受ければ重さで押し込まれる。
ゆえに、かわす。
肩を沈め、身をよじる。短槍の穂先が頬のすぐ横を抜け、髪を数本散らした。
「……通ります」
「通さぬ──!」
視線が一瞬合う。横薙ぎされた柄が、風を切った。