ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す― 作:つくもいつき
-モブ Side-
いま通路側で何が起きているのか。
礼拝堂奥の冷暗薬草庫の中はどうなっているのか。
それを確かめる余裕は、俺にはない。
だがそれは、カイウスも同じはずであった。
「……」
「……」
俺も、カイウスも、言葉を発しない。
幾度かの斬り合いを経て、俺たちは距離を取る。
祈祷陣の上を、ゆっくりと半歩ずつ回る。
〈光輝地帯〉は、まだ消えていない。
床を覆う乳白色の膜が、俺たちの足運びに合わせて水面のように揺れ、壁の聖素結晶が冷たい光を返していた。
聖素結晶の乳白色の光が、カイウスの横顔を硬く照らす。
老いた聖騎士の呼吸は乱れていない。
灰色の瞳だけが、俺の傷ついた左の肩口と足運びを淡々と測っている。
逃げ場はない。
踏み込みすぎれば斬られる。
離れすぎれば、マリーたちのいる奥へ抜けられる。
だから、半歩にも意味を持たせる。
回る。止める。誘う。
それだけで、心臓が裂けるかのように脈打つ。
回り合った末に、歩みが止まる。
俺は女神像と冷暗薬草庫の扉を背にしていた。
カイウスを通さず、必要なら背後の冷暗薬草庫へ飛び込める位置。
対するカイウスは、入り口側。俺に女神像前を取らせたのは、余裕の表れか、はたまた増援を信じてか。
静かに、俺は火属性ダガー〈貫く
肩口からあふれる俺の血が、床へ落ちた。
ぽたり、ぽたりと赤が祈祷陣に散る。
乳白色の線の上を、血が細く伸びていく。まるで、失敗した儀式の模様だ。
カイウスが右手に握る剣。その剣先が、わずかに沈む。
また仕掛けて来る。
そう読んだ瞬間だった。
入り口の扉の向こうで、雷鳴が爆ぜた。
その直前か、直後か。
女の叫びが、雷鳴に呑まれてかすかに届く。
──セリュー。
そう俺には聞こえた。
目の前のカイウスの目元が、わずかに強張る。
「──扉の向こうが、気になるか?」
「……」
好機だ。
カナメたちがうまく事を運んでいるかは、まだわからない。
だがこの
確証はない。
それでも、俺は言い切った。
「あんたの増援は、もう来ない」
「……若者の強がりは、嫌いではありません。──ですが」
カイウスが答える。
声は落ち着いていた。
だが、視線が一瞬だけ扉へ流れたことを、俺は見逃さない。
「強がりだけで、道は開けません」
カイウスが、踏み込む。祈祷陣の中央に躍り出た。
剣先が俺の胸元へ吸い込まれる。
俺は身をひねり、〈貫く
金属が擦れる嫌な音が、祈祷陣の上で響いた。
重い。
いまの剣圧だけで、手首の骨が軋んだ。
正面から受ければ、次は腕ごと持っていかれる。
──レベル4の男性。
この世界の男性はどんなに老いていても、どんなに我慢しても、どんなに工夫を凝らしても、月に一度経験値を失う。
にもかかわらず、目の前の男はレベル4を維持し続けてきた。
剣を合わせれば嫌でもわかる。
この男には、厚みがある。
俺が横へ逃がした刃を、カイウスは力任せに押し返さない。
半歩引き、最短の動きだけで剣線を戻す。
体力を削らない、老兵の動きだった。
俺のダガーが届く指一本分前で、剣を立てる。
切っ先はまた、俺の喉の高さに戻っていた。
「……やるな、クソじじい」
「口が悪いですな」
「いい子にしてたら、マリーを連れていかれるだろ?」
カイウスの眉間に、深いしわが刻まれる。
次の一撃は、横薙ぎだった。
俺は
〈貫く
だが、浅い。
カイウスは肘を畳み、片肩の装甲で刃筋を横からずらす。
〈貫く
鉄環をふたつみっつ引き千切った。
剥がれた輪が火花を散らし、祈祷陣の上を跳ねる。
同時に、鎧に覆われた膝が俺の太ももへ入る。
「ぐっ!」
外側に鈍痛が走る。足が止まる。
止まったところへ、左の肘が飛んでくる。
併せて、左足で俺の右ふくらはぎを刈ろうとする。
ファイター系統の技、〈崩し打ち〉。
姿勢を崩し、転倒を誘い、そのまま打撃を叩き込む一手。
肘が頬の横をかすめた。耳の奥で鐘を殴られたような音が鳴る。
視界が一瞬、白くにじんだ。
右足は踏ん張ったまま。履いている〈不動の跳躍する兎の足〉の転倒耐性と足腰の力だけで、俺はカイウスの足払いを耐える。
追撃が来る。カイウスが、先ほど払った剣を右手で引き戻す。斜めに斬り入れる気だ。
俺は体勢を崩したまま、祈祷陣の線を蹴って後ろへ滑った。
血で濡れた床にブーツの底が鳴る。
剣の切っ先が、俺の前髪を数本持っていった。
危なかった。
いまのは、本当に危なかった。
聖騎士だけではなく、剣士としての技量も高い。あの手この手で、カイウスは俺を追い詰める。
「……いまのを耐え、しのぐか」
カイウスがぼそりとつぶやく。
その声色は、どこか軽やかだ。
何が楽しいと言うのか。どこか、教導されている気分になる。
それが余計に腹立たしい。
俺は息を吸う。
肺が苦しい。
肩も熱い。
太ももも痛い。
それでも、視線は落とさない。
〈貫く
右腕を前に出す。左手を柄に添えた。
〈第四の目〉を起動する。視界を赤に染め、俺は目の前の男をにらみつける。
俺は、この男のことが嫌いだ。
マリーを苦しめたことも、茶屋の人たちを巻き込んだことも、俺にこんな苦労させていることも、許す気はない。
けれども。
同じ男として。
この世界でレベル4まで上げ、それを維持し続けたこと。
人生を捧げ武を磨き上げたことだけは、尊敬せざるを得なかった。
この男は本物だ。
昨日やり合った時もそうだった。
俺の隙があればちゃんと拾い、的確に反応する。──経験に裏打ちされた、丁寧な剣だった。
いまも片時も集中を切らさず、隙あらば俺の喉を食い破ろうとしている。
状況が変わった可能性を示唆しても、この男は揺るがない。
本当はすぐにでも俺を排除したいだろう。
なのに、焦りを見せない、
大胆な策を取ってきたこととは裏腹に、戦い方は実に慎重で、真面目だった。
だからこそ、俺は信じる。
カイウスが俺の行動に対し、最も正しい一手を選ぶことを。
その一点に、俺のすべてを賭ける──。
〈第四の目〉で深く相手を視る。
絶え間なく変わる心拍の数値を見つめ続ける。
その時、足元の光が一度だけ大きく揺れた。
祈祷陣を覆っていた乳白色の膜が、潮が引くように薄れていく。
壁の聖素結晶の輝きだけが残される。
〈光輝地帯〉の時間切れだ。
地下礼拝堂を満たしていた圧が、消える。
俺はカイウスに語り掛けた。
「じいさん。薬草庫の中も、通路の向こうも──あんたの思い通りには、決して進んでない。あんたの勝ち筋はもう、俺を押しのけて、薬草庫に入るしかない」
「安い決めつけ、ですな」
「あんたはセレスティーネさんを信じ切ることができない。マリーとカーラに説得されている可能性を、捨て置けない。だから俺を──」
カイウスの心拍の数値が変わる。
俺が背後に視線を向けた一瞬を、カイウスは見逃さなかった。
例え、それが誘い込まれたものだとしても構わないと、判断したのだろう。
カイウスは剣を引いていた。
踏み込む。
いままでより深い。
俺を一撃、二撃で倒すための踏み込みだ。
俺は退かない。
ダガーを下げる。
左肩を、ほんの少しだけ開ける。
カイウスの灰色の瞳が、俺の左肩を見る。
そうだ。この男なら、絶対に見逃さない。
そのまま俺は前へ出た。
カイウスの剣が、俺の左肩口へ突き込まれる。
正確には、喉へ向かっていた。
俺は顎を引き、半身をずらす。だが、カイウスも軌道を変える。
俺は
刃が、喉元をかすめた。
熱い線が首筋に走る。
次の瞬間、剣先は俺の左肩と鎖骨のあいだ、首の付け根に深く食い込んだ。
貫かれたわけではない。
骨に噛んだのか、刃はそこで止まる。
肉が割れる。
骨に触れたような硬い衝撃が、奥歯まで響いた。
息が詰まる。顔が歪む。意識が飛びそうになる。
痛い。
それだけで、頭の中が真っ白になりかけた。
視界が勝手に
こんな賭けを選ぶんじゃなかった、と体は訴えている。
一瞬だけ、俺は自分の馬鹿げた選択を後悔する。
まばたきで涙を切る。俺はすぐに、目の前の敵へ意識を戻した。
かわせなかった。
だが、
喉笛は外した。
腕は動く。なら、まだ前へ出られる。
俺は逃げない。
首の付け根に刃を食わせたまま、さらに踏み込む。
刃が肉をこじる。
押し込められていた血が、脈に合わせて跳ねた。
熱い赤が襟元を打ち、胸元へ散る。
泣きそうな情けなさごと、苦痛を気迫で抑え込んだ。
「なっ──」
初めて、カイウスの声が乱れた。
灰色の瞳に、計算の空白が生まれる。
ざまあみろ。
俺は血の味を噛みしめながら、不敵に笑った。笑ったつもりで、たぶん顔はひどく歪んでいた。
剣は長い。
柄元まで詰めれば、振ることはできない。
カイウスの指が柄からほどけかけた。
──気づかれた。
カイウスは剣を捨て、身を離そうとする。長剣に
もう遅い。
左腕を回し、俺はカイウスの右前腕を抱え込む。
剣が手から離れる。
支えを失った刃が、俺の傷口でずるりと滑った。
熱い血が、また跳ねる。
剣は肩口から抜け落ち、石床に乾いた音を立てた。
逆手に持った、右手の〈貫く
聖素結晶の乳白色の光を、火烏の赤が塗り潰す。
カイウスの左拳が、俺の頬へ伸びる。
それよりも早く。
俺はカイウスの右脇腹、鎧の継ぎ目へ、ダガーをねじ込んだ。
「ぐ……っ!?」
火属性の熱が、鎧下の鎖帷子の隙間を焼く。
焼けた鉄と血の臭いが、地下礼拝堂の冷えた空気に混ざった。
〈貫通〉の装備効果が、薄い装甲を噛み抜く。
俺は左腕にさらに力を込める。
首の傷が開く。
ぬるい血が襟元へ流れ込み、胸を伝う。脳が意識を手放そうとする。
まだだ。俺は両手に力を込める。
かつてリヴィエ村で〈闇の華〉に致命傷を与えた一撃。
〈貫く
指先へ熱が流れていく。
至近距離。
鎧の継ぎ目。逃げ場なし。
赤い魔力光が、刃の奥で三つ、またたいた。
静寂。
直後に、三条の熱線がカイウスの右脇腹で弾けた。
一条は右肘の下を焼き、一条は背中側の装甲を裂く。
最後の一条は胴を斜めに抜け、左脇の鎧を内側から突き破った。
焼けた鉄と血の臭いが、一気に濃くなる。
「が、ぁあ……ッ!?」
カイウスの叫びは、途中で潰れた。
息が詰まったのだ。
灰色の瞳が、俺ではなく、自分の右腕を見た。
熱線がカイウスの体を抜けて、祈祷陣の縁へ突き刺さる。石が爆ぜた。熱線は止み、祈祷陣の上に、白い粉塵が降る。
俺は左腕にさらに力を込めた。
首の傷が開く。
喉に血の味が広がる。
息ができない。
だが、まだ離さない。
ここで離せば、この男は立て直す。
この男なら、絶対にそうする。
カイウスの膝が、わずかに折れた。
初めて、老いた聖騎士の体重が俺にかかる。
〈第四の目〉が映すカイウスの体力の数値は、戦闘不能域まで落ちた。
俺は安堵する。
同時に、遅れて情けなさが胸をかきむしった。こんな止め方しかできなかった自分に呆れる。母セリアにまたどやされるだろうな、と
見届けたところで、〈第四の目〉の表示がにじむ。
景色が赤から元の色に戻る。視界の端から黒が染み込んでくる。
どうやら、俺も限界のようだった。
祈祷陣に落ちる血の音だけが、ぽたり、ぽたりと耳に残った。
──ありがとよ、じいさん……。
俺はカイウスに感謝する。
──俺の隙を見逃さないでくれて、ありがとう……。
殺すことをためらわずに、剣を突き立ててくれて、ありがとう……。
おかげであんたを捕まえることが、できた……。
あとはお互い、
剣腕を抱えた左腕の感覚が、指先から消えていく。
膝が笑う。床を踏んでいる感覚が薄い。
「モブ様ぁっ!?」
「モブッ!?」
誰かが俺を呼んでいる。誰かが駆けてくる。
顔を向ける気力はもうない。
ただ、仲間たちの声だとわかり、口角だけは自然と上がった。
俺の意識は、そこで、ぷつりと途切れた。