ただのモブ(大嘘)がTSした原作主人公の代わりに逆転世界で頑張る話 ―女性特効ラスボスは俺が倒す―   作:つくもいつき

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第67話 モブとカイウス

 

 

 

-モブ Side-

 

 

 いま通路側で何が起きているのか。

 礼拝堂奥の冷暗薬草庫の中はどうなっているのか。

 それを確かめる余裕は、俺にはない。

 だがそれは、カイウスも同じはずであった。

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

 俺も、カイウスも、言葉を発しない。

 幾度かの斬り合いを経て、俺たちは距離を取る。

 祈祷陣の上を、ゆっくりと半歩ずつ回る。

 〈光輝地帯〉は、まだ消えていない。

 床を覆う乳白色の膜が、俺たちの足運びに合わせて水面のように揺れ、壁の聖素結晶が冷たい光を返していた。

 

 

 聖素結晶の乳白色の光が、カイウスの横顔を硬く照らす。

 老いた聖騎士の呼吸は乱れていない。

 灰色の瞳だけが、俺の傷ついた左の肩口と足運びを淡々と測っている。

 

 

 逃げ場はない。

 踏み込みすぎれば斬られる。

 離れすぎれば、マリーたちのいる奥へ抜けられる。

 

 

 だから、半歩にも意味を持たせる。

 回る。止める。誘う。

 それだけで、心臓が裂けるかのように脈打つ。

 

 

 回り合った末に、歩みが止まる。

 俺は女神像と冷暗薬草庫の扉を背にしていた。

 カイウスを通さず、必要なら背後の冷暗薬草庫へ飛び込める位置。

 対するカイウスは、入り口側。俺に女神像前を取らせたのは、余裕の表れか、はたまた増援を信じてか。

 

 

 静かに、俺は火属性ダガー〈貫く火烏(ひう)の爪〉の柄を握り込む。

 肩口からあふれる俺の血が、床へ落ちた。

 ぽたり、ぽたりと赤が祈祷陣に散る。

 乳白色の線の上を、血が細く伸びていく。まるで、失敗した儀式の模様だ。

 

 

 カイウスが右手に握る剣。その剣先が、わずかに沈む。

 また仕掛けて来る。

 そう読んだ瞬間だった。

 

 

 入り口の扉の向こうで、雷鳴が爆ぜた。

 その直前か、直後か。

 女の叫びが、雷鳴に呑まれてかすかに届く。

 

 

 ──セリュー。

 

 

 そう俺には聞こえた。

 目の前のカイウスの目元が、わずかに強張る。

 

 

「──扉の向こうが、気になるか?」

 

 

「……」

 

 

 好機だ。

 カナメたちがうまく事を運んでいるかは、まだわからない。

 だがこの(ほころ)んだ流れが、俺の勝利を引き寄せる鍵になる。

 

 

 確証はない。

 それでも、俺は言い切った。

 

 

「あんたの増援は、もう来ない」

 

 

「……若者の強がりは、嫌いではありません。──ですが」

 

 

 カイウスが答える。

 声は落ち着いていた。

 だが、視線が一瞬だけ扉へ流れたことを、俺は見逃さない。

 

 

「強がりだけで、道は開けません」

 

 

 カイウスが、踏み込む。祈祷陣の中央に躍り出た。

 剣先が俺の胸元へ吸い込まれる。

 俺は身をひねり、〈貫く火烏(ひう)の爪〉の腹で刃を滑らせる。

 金属が擦れる嫌な音が、祈祷陣の上で響いた。

 

 

 重い。

 いまの剣圧だけで、手首の骨が軋んだ。

 正面から受ければ、次は腕ごと持っていかれる。

 

 

 ──レベル4の男性。

 この世界の男性はどんなに老いていても、どんなに我慢しても、どんなに工夫を凝らしても、月に一度経験値を失う。

 にもかかわらず、目の前の男はレベル4を維持し続けてきた。

 剣を合わせれば嫌でもわかる。

 この男には、厚みがある。

 

 

 俺が横へ逃がした刃を、カイウスは力任せに押し返さない。

 半歩引き、最短の動きだけで剣線を戻す。

 体力を削らない、老兵の動きだった。

 

 

 俺のダガーが届く指一本分前で、剣を立てる。

 切っ先はまた、俺の喉の高さに戻っていた。

 

 

「……やるな、クソじじい」

 

 

「口が悪いですな」

 

 

「いい子にしてたら、マリーを連れていかれるだろ?」

 

 

 カイウスの眉間に、深いしわが刻まれる。

 次の一撃は、横薙ぎだった。

 俺は(かが)み、刃の下を潜る。

 〈貫く火烏(ひう)の爪〉を逆手に持ち替え、カイウスの鎧の継ぎ目へ突き込んだ。

 

 

 だが、浅い。

 カイウスは肘を畳み、片肩の装甲で刃筋を横からずらす。

 〈貫く火烏(ひう)の爪〉の先端がカイウスの鎧下の鎖帷子に噛む。

 鉄環をふたつみっつ引き千切った。

 剥がれた輪が火花を散らし、祈祷陣の上を跳ねる。

 

 

 同時に、鎧に覆われた膝が俺の太ももへ入る。

 

 

「ぐっ!」

 

 

 外側に鈍痛が走る。足が止まる。

 止まったところへ、左の肘が飛んでくる。

 併せて、左足で俺の右ふくらはぎを刈ろうとする。

 

 

 ファイター系統の技、〈崩し打ち〉。

 姿勢を崩し、転倒を誘い、そのまま打撃を叩き込む一手。

 

 

 肘が頬の横をかすめた。耳の奥で鐘を殴られたような音が鳴る。

 視界が一瞬、白くにじんだ。

 右足は踏ん張ったまま。履いている〈不動の跳躍する兎の足〉の転倒耐性と足腰の力だけで、俺はカイウスの足払いを耐える。

 

 

 追撃が来る。カイウスが、先ほど払った剣を右手で引き戻す。斜めに斬り入れる気だ。

 俺は体勢を崩したまま、祈祷陣の線を蹴って後ろへ滑った。

 血で濡れた床にブーツの底が鳴る。

 剣の切っ先が、俺の前髪を数本持っていった。

 

 

 危なかった。

 いまのは、本当に危なかった。

 聖騎士だけではなく、剣士としての技量も高い。あの手この手で、カイウスは俺を追い詰める。

 

 

「……いまのを耐え、しのぐか」

 

 

 カイウスがぼそりとつぶやく。

 その声色は、どこか軽やかだ。

 何が楽しいと言うのか。どこか、教導されている気分になる。

 それが余計に腹立たしい。

 

 

 俺は息を吸う。

 肺が苦しい。

 肩も熱い。

 太ももも痛い。

 それでも、視線は落とさない。

 

 

 〈貫く火烏(ひう)の爪〉をもう一度逆手に構える。

 右腕を前に出す。左手を柄に添えた。

 〈第四の目〉を起動する。視界を赤に染め、俺は目の前の男をにらみつける。

 

 

 俺は、この男のことが嫌いだ。

 マリーを苦しめたことも、茶屋の人たちを巻き込んだことも、俺にこんな苦労させていることも、許す気はない。

 

 

 けれども。

 

 

 同じ男として。

 この世界でレベル4まで上げ、それを維持し続けたこと。

 人生を捧げ武を磨き上げたことだけは、尊敬せざるを得なかった。

 

 

 この男は本物だ。

 昨日やり合った時もそうだった。

 俺の隙があればちゃんと拾い、的確に反応する。──経験に裏打ちされた、丁寧な剣だった。

 いまも片時も集中を切らさず、隙あらば俺の喉を食い破ろうとしている。

 

 

 状況が変わった可能性を示唆しても、この男は揺るがない。

 本当はすぐにでも俺を排除したいだろう。

 なのに、焦りを見せない、(はや)らない。それらが敗北を生むと、知り尽くしているかのように、振舞う。

 大胆な策を取ってきたこととは裏腹に、戦い方は実に慎重で、真面目だった。

 

 

 だからこそ、俺は信じる。

 カイウスが俺の行動に対し、最も正しい一手を選ぶことを。

 その一点に、俺のすべてを賭ける──。

 

 

 〈第四の目〉で深く相手を視る。

 絶え間なく変わる心拍の数値を見つめ続ける。

 

 

 その時、足元の光が一度だけ大きく揺れた。

 祈祷陣を覆っていた乳白色の膜が、潮が引くように薄れていく。

 壁の聖素結晶の輝きだけが残される。

 

 

 〈光輝地帯〉の時間切れだ。

 地下礼拝堂を満たしていた圧が、消える。

 俺はカイウスに語り掛けた。

 

 

「じいさん。薬草庫の中も、通路の向こうも──あんたの思い通りには、決して進んでない。あんたの勝ち筋はもう、俺を押しのけて、薬草庫に入るしかない」

 

 

「安い決めつけ、ですな」

 

 

「あんたはセレスティーネさんを信じ切ることができない。マリーとカーラに説得されている可能性を、捨て置けない。だから俺を──」

 

 

 カイウスの心拍の数値が変わる。

 俺が背後に視線を向けた一瞬を、カイウスは見逃さなかった。

 例え、それが誘い込まれたものだとしても構わないと、判断したのだろう。

 

 

 カイウスは剣を引いていた。

 踏み込む。

 いままでより深い。

 俺を一撃、二撃で倒すための踏み込みだ。

 

 

 俺は退かない。

 ダガーを下げる。

 左肩を、ほんの少しだけ開ける。

 カイウスの灰色の瞳が、俺の左肩を見る。

 

 

 そうだ。この男なら、絶対に見逃さない。

 そのまま俺は前へ出た。

 

 

 カイウスの剣が、俺の左肩口へ突き込まれる。

 正確には、喉へ向かっていた。

 俺は顎を引き、半身をずらす。だが、カイウスも軌道を変える。

 俺は咄嗟(とっさ)に身をよじる。

 

 

 刃が、喉元をかすめた。

 熱い線が首筋に走る。

 次の瞬間、剣先は俺の左肩と鎖骨のあいだ、首の付け根に深く食い込んだ。

 貫かれたわけではない。

 骨に噛んだのか、刃はそこで止まる。

 

 

 肉が割れる。

 骨に触れたような硬い衝撃が、奥歯まで響いた。

 息が詰まる。顔が歪む。意識が飛びそうになる。

 

 

 痛い。

 それだけで、頭の中が真っ白になりかけた。

 視界が勝手に(うる)む。熱い涙が一粒、血と汗に混ざって頬を伝った。

 こんな賭けを選ぶんじゃなかった、と体は訴えている。

 一瞬だけ、俺は自分の馬鹿げた選択を後悔する。

 まばたきで涙を切る。俺はすぐに、目の前の敵へ意識を戻した。

 

 

 かわせなかった。

 だが、これでいい(・・・・・)

 

 

 喉笛は外した。

 腕は動く。なら、まだ前へ出られる。

 俺は逃げない。

 首の付け根に刃を食わせたまま、さらに踏み込む。

 

 

 刃が肉を削ぐ。

 押し込められていた血が、脈に合わせて跳ねた。

 熱い赤が襟元を打ち、胸元へ散る。

 泣きそうな情けなさごと、苦痛を気迫で抑え込んだ。

 

 

「なっ──」

 

 

 初めて、カイウスの声が乱れた。

 灰色の瞳に、計算の空白が生まれる。

 ざまあみろ。

 俺は血の味を噛みしめながら、不敵に笑った。笑ったつもりで、たぶん顔はひどく歪んでいた。

 

 

 剣は長い。

 柄元まで詰めれば、振ることはできない。

 

 

 カイウスの指が柄からほどけかけた。

 ──気づかれた。

 カイウスは剣を捨て、身を離そうとする。長剣に固執(こしゅう)しない。正しい判断だった。

 

 

 もう遅い。

 左腕を回し、俺はカイウスの右前腕を抱え込む。

 剣が手から離れる。

 支えを失った刃が、俺の傷口でずるりと滑った。

 熱い血が、また跳ねる。

 剣は肩口から抜け落ち、石床に乾いた音を立てた。

 

 

 逆手に持った、右手の〈貫く火烏(ひう)の爪〉が赤く灯る。

 聖素結晶の乳白色の光を、火烏の赤が塗り潰す。

 

 

 カイウスの左拳が、俺の頬へ伸びる。

 それよりも早く。

 俺はカイウスの右脇腹、鎧の継ぎ目へ、ダガーをねじ込んだ。

 

 

「ぐ……っ!?」

 

 

 火属性の熱が、鎧下の鎖帷子の隙間を焼く。

 焼けた鉄と血の臭いが、地下礼拝堂の冷えた空気に混ざった。

 〈貫通〉の装備効果が、薄い装甲を噛み抜く。

 

 

 俺は左腕にさらに力を込める。

 首の傷が開く。

 ぬるい血が襟元へ流れ込み、胸を伝う。脳が意識を手放そうとする。

 まだだ。俺は両手に力を込める。

 

 

 かつてリヴィエ村で〈闇の華〉に致命傷を与えた一撃。

 〈貫く火烏(ひう)の爪〉に込められた火属性魔法──『熱線』を放つため、俺は魔力を振り絞った。

 指先へ熱が流れていく。

 

 

 至近距離。

 鎧の継ぎ目。逃げ場なし。

 赤い魔力光が、刃の奥で三つ、またたいた。

 

 

 三条の熱線がカイウスの右脇腹で弾ける。

 一条は右肘の下を焼き、一条は背中側の装甲を裂く。

 最後の一条は胴を斜めに抜け、左脇の鎧を内側から突き破った。

 焼けた鉄と血の臭いが、一気に濃くなる。

 

 

「が、ぁあ……ッ!?」

 

 

 カイウスの叫びは、途中で潰れた。

 息が詰まったのだ。

 灰色の瞳が、俺ではなく、自分の右腕を見た。

 

 

 熱線がカイウスの体を抜けて、祈祷陣の縁へ突き刺さる。石が爆ぜた。熱線は止み、祈祷陣の上に、白い粉塵が降る。

 

 

 俺は左腕にさらに力を込めた。

 首の傷が開く。

 喉に血の味が広がる。

 息ができない。

 だが、まだ離さない。

 

 

 ここで離せば、この男は立て直す。

 この男なら、絶対にそうする。

 

 

 カイウスの膝が、わずかに折れた。

 初めて、老いた聖騎士の体重が俺にかかる。

 〈第四の目〉が映すカイウスの体力の数値は、戦闘不能域まで落ちた。

 

 

 俺は安堵する。

 同時に、遅れて情けなさが胸をかきむしった。こんな止め方しかできなかった自分に呆れる。母セリアにまたどやされるだろうな、と朧気(おぼろげ)ながらに思った。

 

 

 見届けたところで、〈第四の目〉の表示がにじむ。

 景色が赤から元の色に戻る。視界の端から黒が染み込んでくる。

 どうやら、俺も限界のようだった。

 祈祷陣に落ちる血の音だけが、ぽたり、ぽたりと耳に残った。

 

 

 ──ありがとよ、じいさん……。

 

 

 俺はカイウスに感謝する。

 

 

 ──俺の隙を見逃さないでくれて、ありがとう……。

 殺すことをためらわずに、剣を突き立ててくれて、ありがとう……。

 おかげであんたを捕まえることが、できた……。

 あとはお互い、回復役(ヒーラー)に、任せようぜ……。

 

 

 剣腕を抱えた左腕の感覚が、指先から消えていく。

 膝が笑う。床を踏んでいる感覚が薄い。

 

 

「モブ様ぁっ!?」

 

 

「モブッ!?」

 

 

 誰かが俺を呼んでいる。誰かが駆けてくる。

 顔を向ける気力はもうない。

 ただ、仲間たちの声だとわかり、口角だけは自然と上がった。

 俺の意識は、そこで、ぷつりと途切れた。

 

 

 

 

 

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